第一章 潜伏する敵

 葵と美咲は全神経を集中し、いきなり現れた最強の敵に立ち向かうべく、気を高めた。ところが、

「あ、所長、美咲さん、違います……。薫さん、私を助けてくれたんです」

 苦しそうに息をしながら半身を起こした茜が告げたので、葵と美咲はびっくりしてほぼ同時に茜を見た。

「そういう事だ。私はお前達と争うために来たのではない。土産を届けに来ただけだ」

 ドアの向こうに立っていた星一族の一番の使い手である星薫は、一旦外廊下に出て、何かを引き摺り、水無月探偵事務所のフロアにドスンと放り出した。彼女は丸の内のOLのような黒のタイトスカートと白のブラウス、黒のベストを着ているが、切れ長の目に長い髪をゆったりとした巻き毛にしているのは以前と同じだ。

「何?」

 葵は眉をひそめ、美咲は机の上に置いた携帯を取り、

「神戸さん、かけ直しますね」

 そう言って、通話を切ると、スーツのポケットにしまい、葵に近づいた。薫がフロアに放り出したのは、茜が言っていた男だった。黒の半袖のTシャツ、黒のジーンズ、黒の目出し帽を被っているが、茜の言ったように剥き出しになった腕は白く、生えている毛は茶褐色なので、白人なのは間違いないようだ。身長はニメートル近い。薫はスッと中に入ると、後ろ手にドアを閉じ、その切れ長な目で葵を見た。

「体格の割には凄まじい程の俊敏さだった。恐らく、何かの薬を長期間服用し、超人化したのだろう」

 薫の言葉に葵は目を見開いた。そして、

「どうしてあんたが?」

 当然とも言える質問をした。すると薫はフッと笑い、

「偶然だ。この近くに我が一族の者が潜伏しているのだが、そいつが原因不明の死を遂げたので、調べに来ていたのだ」

「え?」

 葵は今度は美咲と顔を見合わせた。美咲は小さく頷き、自分の席に戻ると、パソコンのキーボードを高速でタイプし始めた。

「所長、今、里からメールが届きました。全国各地の一族の人達が不審死を遂げている事が報告されているそうです」

 美咲は重々しい口調で告げた。葵は、

「何ですって!? 一体どういう事なの!?」

 そう言って、薫を見た。薫は目を細めて、

「やはりな。我が一族の者達も、全国各地で謎の死を遂げている」

 今度は葵ばかりでなく、美咲も目を見開いた。葵は床に倒れている襲撃者を見て、

「こいつら、そんなに大きな組織なの? 私達一族を襲撃するって、どういうつもりなの? それにどうやって一族の人間を割り出したのかしら?」

 薫も襲撃者を見下ろし、

「まだ何もわかっていない。だが、こいつからいろいろとわかるかも知れない」

 そう言って膝を着くと、男の目出し帽を剥ぎ取った。まだ若そうだ。ブロンドの髪を短く切り揃えた精悍な顔つきをしている。

「こいつは毒針を持っていた。それで発見されにくい箇所を突き、殺していたのだろう。お前の部下は、こいつの一撃目をかわしたので、命拾いしたのだ」

 薫は葵に白い布に包んでいた針を渡し、茜を見た。茜はそれを聞き、顔を引きつらせた。

「茜をここまで追い詰めるなんて、結構な腕をしていると思ったけど、薬なのね」

 葵はしゃがみ込んで男の顔を見た。

「おいおい、女が皆で、若い男をいたぶっているのか? 趣味悪いぞ」

 そこへ現れたのは、防衛省情報本部所属の篠原護だった。彼は薫がいるのに一瞬ギョッとしたようだったが、葵達が警戒していないので、事情を察したようだ。

「おう、久しぶりだな、薫ちゃん」

 早速馴れ馴れしい口調で挨拶した。薫はそんな篠原のフレンドリーさにも表情を変えず、

「何か情報を持っている顔をしているな。全部教えろ。落とし前をつけに行く」

 鋭い目で篠原を見上げた。篠原は肩を竦めて、

「その前に、茜ちゃんの治療だ。外廊下で先生と行き会ったんでね」

 彼の後ろから、白髪頭の白衣を来た老婆が入って来た。身長は篠原の肩までもない。だが、眼光は鋭く、ソファに横になっている茜を見ている。

「里から連絡があったよ。随分、派手にやってくれた連中がいたようだね」

 その老婆も、葵達と同じ忍び集団の月一族の者だ。普段は町の開業医をしている。

「わかった」

 薫は立ち上がり、老婆を奥へと通した。薫をジッと見ている篠原の脇を葵が肘で小突いた。

「いてて!」

「何考えているのよ、あんたは!?」

 葵は噛みつかんばかりに篠原に顔を近づけた。

「いや、そんなつもりはないって……。薫ちゃんに何かしたら、こっちが殺されるだろ?」

 篠原の言い訳に葵は溜息を吐き、

「取り敢えず、あんたはこっち」

 そう言って彼を押していき、ロッカールームに入れると、ドアのノブにモップでつっかえ棒をした。

「おい、何するんだよ!?」

 篠原が抗議すると、葵は、

「これから茜を治療するの! あんたはしばらくそこで大人しくしてなさい」

「信用ねえなあ。つっかえ棒するなんて」

 篠原が寂しそうな声で言うと、葵は、

「あんたのスケベ度に関しては、最高レベルで信用できないわよ」

 さすがに反論できないのか、篠原は黙ってしまった。

 茜は服を脱がされた。身体中に打撲の痕があり、内出血している。

「とにかく、防ぐだけで精一杯でした」

 茜は痛みを堪えながら答えた。老婆は外傷になっている箇所に消毒をし、内出血している箇所には湿布を貼った。

「骨が折れていないのは、さすが茜だね。常人なら、全身骨折並みの衝撃だっただろう」

 老婆の医師が言った。そして、彼女は持っていた黒革の鞄からはがき大の紙袋を取り出し、

「我が家に代々伝わる秘薬だ。これを一日一錠飲めば、一週間ほどで回復する。但し、早く治ろうとして用法用量を守らなかったりすると、どうなるかわからないよ」

 茜に顔を近づけ、強い口調で言った。茜は苦笑いして、

「やだなあ、先生。そんな事、しませんて」

 老婆の医師はニヤリとして大きく頷き、

「よろしい。養生しろ」

 紙袋を美咲に渡し、事務所を出て行った。

「ありがとうございます、先生」

 葵と美咲が外廊下まで見送って言った。老婆の医師は振り返り、

「その代わり、必ず下手人を捕まえろよ、葵、美咲」

 そう告げると、フッと姿を消した。

「もちろんです」

 葵は美咲と同時に応じ、互いの顔を見て頷き合った。そして、事務所の中に戻ると、薫と茜が話しているのに気づいた。

「薫さん、本当にありがとうございました。貴女がいなければ、私、なぶり殺しにされていました」

 ソファに座った態勢で、茜が頭を下げた。まだあちこち痛いから、そんな動作はつらいだろうと葵は思ったが、茜は笑顔だった。

「たまたまだ。たまたま、通りかかっただけだ」

 身の置き場のないような顔で、薫は応じていた。

(照れているのかな?)

 葵はその仕草を見て、かつて命を懸けて戦った相手なのに微笑ましく思った。

「元々、薫さんの事は、トリプルスターとして知っていたから、尚更なのかも知れないんですけど、すごく嬉しかったんです」

 茜が言うと、薫は話を逸らしたいのか、不意に葵達の方を見た。

「お前の男を解放してくれ。話を聞きたい」

 薫の表現に葵は顔を強張らせて、

「ご、誤解しないでよね! あいつは私の恋人じゃないんだから!」

 そう言いながら、ロッカールームのドアノブに立てかけたモップを退けて、ドアを開いた。

「やっと解放された!」

 嬉しそうに飛び出して来て、葵に抱きつこうとした篠原だったが、

「早く、海の向こうから流れて来た情報を話しなさい」

 モップを指叉さすまた代わりにして押し止められた。

「わかったよ」

 篠原は肩を竦め、呆れ顔で見ている美咲に愛想笑いをし、半目で見ている茜と薫に苦笑いをして、茜と相対するようにソファに腰を下ろした。

「さ、時間が惜しいから、手短にね」

 葵は茜を支えるようにして隣に座り、篠原を睨みつけた。美咲は自分の席に戻った。薫は襲撃者に注意しながら、立ったままで篠原を見た。篠原はヘラヘラしていたが、やがて真顔になり、

「海の向こうっていうのは、要するにアメリカの事なんだけどな」

「そんな事はわかってるわ。手短かにって言ったでしょ!」

 葵は茜を気遣いながら、ムッとした顔で篠原に言った。篠原はフッと笑って、

「わかったよ。もっと端的に言うと、中央情報部CIAからの情報だ」

 葵はすぐに美咲に目配せした。美咲はそれに頷き、再び高速タイピングを始める。

「内容は?」

 葵が先を促す。篠原はチラッと薫を見てから、

「世界的に名の知れたテロリストの一団が何者かの依頼を受けて、日本のある組織を壊滅させるために動き出したらしいというものだ」

「テロリストの一団? 日本のある組織って……」

 葵は思わず薫を見た。薫も葵を見ていた。篠原は頷いて、

「その話を聞いた時点では、その組織が何なのか不明だったが、こうして月と星が襲撃されたという事は、そうなんだろうという事だ」

「問題は何者かが誰なのかという事だな」

 薫は腕組みをして呟いた。篠原は薫を見上げて、

「そういう事だ。テロリストの一団というのは、そこに寝そべっている奴の仲間だろう。後は、依頼人クライアントが誰なのかっていう事だな」

 すると薫はスッと背を向けて、

「連中しかいないだろう。我が一族と月一族を消そうと考えるなど、ごく限られた人間にしか発想できない事だ」

 葵は茜をソファに寄りかからせて立ち上がり、

「そうね。私達の一族と、あんた達の一族を知っている奴は、そうはいないわ」

 薫はそれには応えず、襲撃者のそばに歩み寄ってしゃがむと、首筋に右手をわせ、人差し指である箇所を押した。すると、まるで催眠術が解けたように襲撃者が目を開いた。

「大丈夫なの?」

 葵が薫に尋ねた。薫は襲撃者を見たままで、

「大丈夫だ。覚醒はしたが、身体は動かせない。我が一族に伝わる秘技。指一本動かす事はできない」

 葵はその言葉に目を見開き、篠原と顔を見合わせた。

「さてと。知りたい事がある。全部喋ってもらうぞ」

 薫はフッと笑って襲撃者に言った。襲撃者は目を見開いたが、身体が動かせないのを知り、顔を引きつらせた。

「手荒な事はしないでくれよ。後で警察に引き渡すんだからな」

 篠原も薫が何をするつもりなのか心配になったらしく、ソファから立ち上がって彼女に近づいた。

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