第二十二章 ラスボス動く
星薫は歯軋りして悔しがっているウリエルを見ている。その目はあくまで冷静そのものだが、彼女の身体から立ち上る気は、沸騰しているかのように燃えていると葵は思った。
(静かに怒れる薫って感じね)
葵は薫が以前戦った時よりどれほど強くなっているのか確かめたいと思っていた。
「いい気にならないでよ、薫さん。その程度の事を見破ったくらいで、僕に勝ったような口ぶり、後悔するよ」
ウリエルはそれでもニヤリとして軽口を叩いてみせる。だが、薫は、
「虚勢はみっともないぞ、ウリ坊。私は忙しいんだ。いつまでもお前のような下っ端と戯れ合っている時間はない」
更にウリエルを挑発した。ウリエルはムッとしたようだったが、すぐに薫の罠だと気づいたらしく、
「僕を怒らせようとしても無駄だよ。同じ手は通用しないからね」
そう言うと、また跳躍を始めた。
「今度は小手先の誤摩化しなんてしないよ! 僕自身が薫さんを切り刻んであげるからね!」
ウリエルは跳躍の動きを前にし、一気に薫との間合いを詰めて来た。
「薫の勝ちね」
葵が呟いたので、美咲はキョトンとして葵を見た。葵は美咲を見て、
「まあ、見てなさいって」
腕組みして微笑んだ。美咲はまた薫とウリエルを見た。
「今度こそ死んでよ、薫さん!」
ウリエルは全身から飛び出た無数の針を突き立てたままで薫に飛びかかった。薫は微動だにせず、それを見ている。
「諦めたの、薫さん! せめて即死させてあげるからね!」
ウリエルは薫に抱きついた。今度は残像ではなく、確かに薫はそこにいた。ウリエルはニヤリとして、
「ごめんね、薫さん。僕、強過ぎたみたいだよ」
力を込めて薫を抱き寄せた。針がなければ、男女の熱い抱擁に見えたが、そんなロマンチックな情景ではなかった。
「さあ、最後にキスしてあげるよ」
ウリエルは薫が全く動かないので死んだと思ったのか、彼女の顔に唇を突き出した。
「気色の悪い事をするな」
薫は死んではおらず、頭を反動をつけて動かし、無防備なウリエルの顔に頭突きを見舞った。
「ぐわ!」
ウリエルは鼻血を撒き散らしながら、もんどり打って仰向けに倒れた。
「ど、どういう事?」
起き上がったウリエルは呆然として薫を見上げた。薫はウリエルを指差して、
「針をよく見てみろ。全部潰れているだろう?」
「え?」
ウリエルは薫の指摘に仰天し、自分の身体を見た。すると、飛び出した針で薫に当たった部分が一本残らずへし折れていたのだ。
「そ、そんな? この針は鋼板だって貫く合金なのに!」
ウリエルは目を見開いて再び薫を見た。薫はそれでも無表情な顔で、
「どれほど優れた固さの金属でも、我が忍び装束を貫く事はできない」
ウリエルは無傷の薫の装束を見て唖然としてしまった。
「違いますよね、所長」
美咲が小声で葵に言った。葵は薫達を見たままで頷き、
「ええ。薫の忍び装束はある程度の防弾機能はあるだろうけど、あの針を折れ曲がらせる程の素材ではないわ。あれは、恐らく……」
葵が言った時、薫が動いた。
「最初からお前の負けは見えていたのだ、ウリ坊!」
次の瞬間、薫の風を巻いた鋭い右のミドルキックがウリエルの左顔面を直撃していた。
「ぐへえ!」
ウリエルは血と涎が混ざり合った液体を噴き出して、地面に倒れた。もう一撃加えようとした時、
「殺しちゃダメよ、薫」
葵が割って入った。薫はフッと笑い、
「殺しはしない。安心しろ」
スッと構えを解いた。葵はホッとしてウリエルを見た。ウリエルは既に白目を剥き、口から泡を噴いていた。
「さっきの、気を集中して一瞬にして身体を鋼鉄の鎧と化す硬気功ね?」
葵が尋ねたが、薫は彼女に背を向けて、
「さてな」
惚けて取り合わなかった。葵はムッとしたが、それ以上は追及しなかった。
デスクトップパソコンのモニターのバックライトだけが照らしている暗い部屋の中で、ラファエルが小さく溜息を吐いた。
「ウリエルの奴、持ち直したと思ったのに、最後の最後で詰めを誤りましたね」
ラファエルの後ろでモニターを眺めていたミカエルは、
「星一族の一番手と言われた星薫を挑発し過ぎなのだ。愚か者の末路の見本のようなものだな」
ラファエルはキーボードを叩きながら、
「どうしますか、ウリエルの回収は?」
ミカエルはラファエルに背を向けて、
「必要ない。奴もまた捨て駒。連中に何をされたところで、重要な事は全く知らない。何も情報が漏れる恐れはない」
「そうですね」
ラファエルはチラッとウリエルの方を見て応じた。ミカエルは歩き去りながら、
「それより、次の計画は進んでいるか?」
「ご心配なく。襲撃準備はすでに完了しています。後はミカエルの到着を待つだけです」
ラファエルはミカエルに向き直った。ミカエルは立ち止まり、
「そうか。では急ぐとしようか」
そう言うと、暗闇の中に消えた。ラファエルはそれを見届けてニヤリとし、またモニターを見た。
「さてと。最後の用意を始めましょうかね。急がないと、ミカエルに叱られるから」
ラファエルは楽しそうにキーボードを高速タイプし始めた。
(俺はあんたの捨て駒にはならないぜ、ミカエル)
ラファエルは不敵な笑みを浮かべ、更にキーボードをタイプした。
美咲は再度、警視庁所轄署の刑事である皆村に連絡した。
「はい、皆村です」
彼はワンコールで出た。美咲は苦笑いした。
「あの刑事は、美咲の男というより、下僕だな」
薫が目を細めて葵に小声で言う。葵はそれに対して苦笑いし、
「それよりも、信者って言った方がしっくり来るかもよ」
「なるほど」
薫は大きく頷いてから、
「お前とあの篠原との関係も似たようなものか?」
葵は途端に不機嫌そうな顔になり、
「あいつは下僕なんかじゃなくて、疫病神よ!」
「そうなのか? それほど必要ない男であれば、私が引き取るぞ」
薫が真顔で言ったので、葵はビクッとして彼女を見た。
(また質の悪い冗談?)
ところが、薫は、
「我が一族は女が多過ぎて、このままだと三代先で滅びてしまいかねないのだ。あの男は相当精力が強そうだから、たくさん子を作ってくれると思う」
「えええ!?」
途中から聞き耳を立てていた美咲も、葵と同じくらいびっくりして叫んでしまった。
「あんた、それ本気なの? あいつが聞いたら大喜びするわよ」
葵はハーレム状態の館で鼻の下を伸ばしている篠原護を想像し、げんなりした。
「本気だ。月一族の男の血を受け入れれば、今まで以上に強い者が誕生するはず」
薫のあまりにもアッケラカンとした言葉に葵はまさに呆気に取られかけたが、
「月と星は平安の世からの敵同士なのよ? それはどうでもいいの?」
「我が一族は目的のためには手段を選ばない。より強くなるためには、月一族の男だろうとかまわない」
薫は、「何を言っているんだ、お前は?」という顔で葵を見た。
(絶対に護には教えられない。あのバカなら、あっさり承諾してのこのこついていきそうだから)
葵は不思議そうな顔をしている薫を見て、
「やめておいた方がいいわよ。強い者が生まれる確率より、スケベな奴が生まれる確率の方が高いと思うから」
薫はフッと笑い、
「それも別に差し支えない。スケベというのは、子孫繁栄には必要不可欠なものだ。大いに結構な話だぞ」
葵は絶句して、美咲を見た。美咲は苦笑いするしかない。
「そうか、そういう事か」
薫がニヤリとして葵を見た。葵は、
「何よ?」
嫌な予感がして、眉をひそめた。薫は、
「あれこれ難癖をつけて、結局のところ、あいつを私に引き渡したくないという事だな?」
「ち、違うわよ!」
葵は顔を赤らめて全力否定した。
(薫さん、鋭いかも……)
美咲は葵に気づかれないようにクスッと笑った。するとそこへ、計ったかのように篠原から連絡が入った。
「何よ!?」
葵は装束の袖から携帯を取り出して不機嫌そのものの顔で通話を開始した。
「何だよ、ご機嫌斜めだな、葵ちゃん? もうケリはついたのか?」
何も事情を知らない篠原が尋ねると、
「あんたには関係ないわよ」
「おいおい、何だよ? 美咲ちゃんの事でまだ怒ってるのか?」
篠原が見当違いの事を言い出し、更に火に油を注いでしまう。葵はキッとして、
「そう言えば、そんな事もあったわね! あんた、いっその事、星一族に婿養子に入ったら? 薫が歓迎してくれるそうよ」
「はあ? それ、どういう事? 婿養子に入らなくても、薫ちゃんといい事できるのなら、いつでもOKだぜ」
バカは死なないと直らない。葵はつくづくそう思った。薫が葵から携帯を受け取り、
「いい事とは具体的にはどんな事だ、篠原?」
「イッ! 薫ちゃん、一緒だったのか?」
意外な登場人物に篠原は慌てたようだった。それでも、
「口で説明するより、実際に身体に教える方が俺としては得意だから、今度……」
葵は薫から携帯を奪い取るように受け取ると、通話を切ってしまった。
「あいつ、底なしのバカ!」
葵はプリプリして携帯を袖にしまった。
その頃、星三姉妹の次女の篝と三女の鑑は、性格改善セミナーと新商品お試しフェアが開催された場所を目指していた。
「鑑、気づいている?」
篝が隣を歩く妹に小声で尋ねた。鑑は小さく頷いて、
「もちろん。さっきから、入れ替わり立ち代わり、尾行している一団がいるわね」
「次の交差点で撒くわよ」
鑑は黙って目だけで頷いた。二人は歩調はそのままで、次の交差点へと進んだ。周囲には彼女達と移動速度を合わせている数十人の者がいた。篝と鑑は交差点に入った瞬間、走り出した。尾行していた一団もすぐに二人を追いかけた。しかし、星一族の五指に入る二人には、到底追いつく事はできなかった。それでも、篝と鑑は念には念を入れ、一キロ程走ってから立ち止まった。
「もう追いかけては来られないでしょ?」
篝は後ろを振り向いて言った。鑑は少し捲れたスカートの裾を直しながら、
「そうね。さすがにもう大丈夫よね」
そう言った時だった。
「素晴らしい。日本の忍者はここまでのものなのですね」
突然どこからか男の声が聞こえたので、二人は顔を見合わせて背中合わせになり、周囲を見渡した。
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