第二十三章 ミカエルの挑発

 いきなり謎の声が聞こえたので、星一族の篝と鑑は背中合わせのまま、周囲を警戒したが、どこにもそれらしき人物は見当たらない。二人に緊張が走った。

(これはもしかして、真実の星条旗の最後の一人?)

 篝は額を流れ落ちる汗を感じながらも、拭き取る余裕がない。鑑も同じだった。

「いい顔をしますねえ、星篝さん、 星鑑さん。死を覚悟した顔ですね?」

 また声が聞こえた。しかし、気配を感じる事がないので、篝と鑑は焦っていた。

「心配しなくても大丈夫ですよ。貴女達は、お姉さんである星薫さんを釣る餌に過ぎません。お姉さんが釣れるまでは生きていられますよ」

 その言葉に篝と鑑はカチンと来た。

「ふざけるな! 我ら一族を舐めると、痛い目を見るぞ!」

 篝が周囲を見渡しながら怒鳴った。鑑も、

「篝姉様の言う通りだ。後悔するぞ!」

 口では反論した二人だったが、身体はそうではなかった。尋常ではない汗が噴き出している。

(声は間違いなく肉声。大きさから判断して、それほど遠い場所に潜んでいる訳ではない。だが、全く気配がしない)

 二人共、敵の位置がまるでわからず、只、警戒をするしかない。

(信じられない。私達に全く気配を感じさせずにいるとは……)

 篝は鑑にそっと合図を送った。ここで玉砕したり、拘束されて薫の餌になる事はできない。何があっても逃げ切り、薫達と合流する。その判断をした瞬間、二人は走り出した。

「いい判断ですね。向かって来るのではなく、尻尾を巻いて逃げる。それが正しいですよ、篝さん、鑑さん」

 声が挑発するが、篝も鑑もそれには応じず、走り続けた。

(ここは堪えるしかない)

 誇りも意地も全て捨てて、篝と鑑は走った。

「どこまで行くつもりですか、お二人共? もしかして、月一族のもう一人の如月茜さんのところに行くつもりですか?」

 声の問いかけに二重の意味でギクッとし、二人は立ち止まってしまった。

(追いかけて来るとは思っていたが、あの呼吸の乱れていない話し方はどういう事だ? そして、茜の事まで知っているのか? いや、むしろ、茜が危険なのか?)

 鑑は絶対に安全だと聞かされた篠原護の「別宅」に一人で残っている茜の身に危険が迫っているのではないかと推測した。

「ほほう、図星でしたか。なるほど」

 その言葉と同時に、不意に姿を見せたのは、長身痩躯の金髪碧眼の白人の男だった。篝と鑑はハッとして飛び退き、懐から小刀を出した。

「言ったでしょう? 貴女方はあくまで餌ですから、今すぐ殺したりはしませんよ。そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ」

 白人の男は全く癖のない日本語を話す。篝と鑑は彼の姿を見るまで、敵は日本人だと思っていた程だ。

「いずれにしても、殺すつもりなら同じ事だ!」

 篝が言い返した。隣で鑑が頷く。白人の男は苦笑いして肩を竦め、

「仕方ないですね。手荒な事はしたくなかったのですが、やむを得ないでしょう」

 篝と鑑は来ると考え、身構えた。しかし、白人の男が姿を消したのは見たが、その後は全く見えなかった。二人はなす術なく、意識を失ってしまった。

「手間をかけさせないでくださいね、雑魚なんだから」

 白人の男は、二人を両肩に背負うと、フッと消えてしまった。


 葵達は警視庁所轄署の刑事である皆村秀一の到着を待ち、特殊な縄で雁字搦めにしたウリエルを引き渡した。当然の事ながら、全国指名手配の薫はその間工場の焼け跡の陰に潜んでいた。いくら行政のトップである総理大臣の片森が目を瞑ったとしても、末端の警察官にまでそれが伝達された訳ではない。もちろん、皆村なら、美咲が頼めば承知してくれるだろうが、そこまでさせたら、彼自身の今後に影響を与えてしまいかねないので、その選択はなしになったのだ。

「では、失礼します」

 皆村はやや訝しそうな顔をしながらも、ウリエルを護送車に乗せると、焼け跡を立ち去った。葵と美咲がホッとして顔を見合わせた時、

「篝と鑑に何かあったようだ」

 焼け跡の陰から現れた薫が告げた。葵は眉をひそめて、

「どういう事?」

 薫は携帯電話を出して、

「二人の意識が失われたり、心拍数や呼吸に乱れが生じると、自動的に私の携帯に情報が伝わるようになっている。伝えられた情報だと、二人は意識を失っている。茜に連絡を取ってみたら、情報収集に出かけたと言っていたので、捕まった可能性が高い」

 葵は美咲と顔を見合わせてから、

「二人が一緒に捕まったというの? そんな事ができる奴なんて、一人しかいないわね」

 薫は携帯を袖にしまいながら、

「ああ。ボスのミカエルとかいう奴だろう。自ら出て来たという事だ」

 葵は腕組みして、

「そうね。ガブリエルとウリエルが拘束されたのは把握しているだろうから、自分が出るしかないんでしょ? それにしても、困ったわね」

「何故だ?」

 薫は不思議そうな顔で葵を見た。葵は呆れ顔になって、

「貴女の妹が捕えられたのよ? 敵は人質にするつもりでしょ?」

 すると薫は、

「全く問題ない。私の妹達は、そうなった時の対処法を心得ている」

「え?」

 葵と美咲はギクッとした。薫は、

「だが、私がそんな事はさせずにすませる。必ず、一族の仇は討たせてもらうさ」

 その声の冷たさに葵と美咲は思わず身震いしてしまった。


 茜は、薫からの連絡で、篝と鑑が敵に捕まったらしい事を感じていた。

(私一人がここに残っていて、何もできないなんて……)

 茜は悔しさのあまり、唇を強く噛みしめた。そして、携帯を取り出し、思案した。

(所長に連絡を取っても、待機していろって言われるだけよね)

 フウッと大きな溜息を吐き、携帯をパソコンのデスクに置いた時、

「動くな」

 いきなり視界を何かで塞がれた。一瞬、敵襲かと思った茜だったが、

「篠原さん、悪ふざけはやめてください」

 すぐに犯人の正体に思い当たり、言った。

「何だよ、茜ちゃん、面白くねえぞ」

 茜が振り返ると、そこには腕組みして口を尖らせている篠原が立っていた。

「どうしたんですか?」

 大凡おおよその見当はついていたが、敢えて尋ねてみた。すると篠原は腕組みを解いて、

「葵に頼まれたんだよ。篝ちゃんと鑑ちゃんが敵に捕まったらしいから、茜ちゃんについているようにってさ」

 茜は今度は小さく溜息を吐いて、

「やっぱり……。薫さんから二人がどうしているか、問い合わせがあったので、嫌な予感はしていたんですけど」

 篠原は真顔になり、

「取り敢えず、ここを出ようか。危ないとは思わないんだけど、葵達と合流した方が危険は少なくなるはずだ」

 茜はニヤリとして、

「篠原さんは、危険が増すんじゃないですか?」

 篠原は茜の指摘に苦笑いして、

「何か聞いてるのか、葵から?」

「いえ、所長からではなくて、薫さんからです。篠原さんが冷たくあしらわれていたって」

 茜の言葉は薫から聞いたものよりずっと穏やかな表現になっている。薫は、

「水無月葵の男は、我が一族の子孫繁栄のために提供して欲しかったのだが、葵がそれを承知せず、そこへ間が悪い事に篠原から連絡が入り、やり込められていた」

 間違った事は伝えていないのだが、篠原には耳の痛い話だったので、茜なりに気を遣ったのだ。

「葵の奴、すっかりヤキモチ妬きやがってさ。俺に星一族に婿養子に入れって自分で言っておきながら、俺がその気になったら、いきなり電話を切りやがったんだよ」

 しかし、篠原は全然落ち込んではいないようだ。茜は取越苦労をしたと思い、また溜息を吐いてしまった。

「所長は何だかんだって言っても、篠原さんが好きなんですから、あまり所長を悲しませるような事を言ったりしたりしないでくださいね」

 茜は携帯をバッグに入れて言った。篠原は肩を竦めて、

「へいへい。男と女の揉め事は、全部男が悪いでいいですよ」

「何ですか、それ?」

 茜はクスクス笑った。篠原は不意に茜に背中を向けてしゃがみ込み、

「さ、おんぶしてあげるから」

 茜はビクッとして一歩退き、

「いいですよ、そこまでしてもらわなくても」

 篠原は茜を見て、

「茜ちゃんはまだ本調子じゃないんだから、遠慮するなって。別におんぶしたのに任せて、お尻触ったりしないからさ」

 茜はその返答に少し呆れたが、

「それは、私が女としての魅力がないからでしょ?」

「そうじゃないって。大原が怖いからだよ」

 篠原が真顔で言ったので、茜は赤面してしまった。今は遠くアメリカに行っている恋人と言ってもいい存在の大原統なら、確かに茜の尻を篠原が触ったと知ったら、激怒するかも知れないと思った。

「それなら、所長が怒るから、篠原さんにおんぶされるのは困ります」

 茜はそれでも抵抗を試みた。すると篠原は、

「ああ、面倒くせえな!」

 そう言い放つと、強引に茜を背負ってしまった。

「キャッ!」

 茜はここ何年も出した事がないような悲鳴を上げた。篠原は歩きながら、

「葵は俺が茜ちゃんをおんぶしたからって、ヤキモチ妬いたりしないよ」

「はい……」

 茜は篠原が照れ臭そうに言っているのがわかったので、素直に応じた。

「篠原さん、おっぱい小さくてすみません」

 茜はギュッと篠原の背に身体を密着させた。篠原は引きつり笑いをして、

「そ、そんな事ないよ、茜ちゃん。葵よりは大きいんじゃないの?」

 茜は笑って、

「所長に言いつけますよ」

「ああ、ダメダメ! そんな事しちゃダメだよ!」

 二人は漫才のような会話をしながら、「別宅」を後にした。


 その頃、葵と美咲と薫は、篠原達との待ち合わせ場所に向かっていたが、薫の携帯が鳴ったので立ち止まった。

「篝からだが……」

 薫は携帯を開いて言ったが、もちろん篝本人からだとは思っていない。

「はい」

 薫はごく冷静な声で応じた。

「薫さんですか? 初めまして、真実の星条旗のリーダーのミカエルです」

 男の声が告げた。薫は葵と美咲に目配せし、路地裏に歩を進めた。

「妹達をどうした?」

 薫が尋ねると、ミカエルの声は、

「ご安心ください。お二人は、貴女を釣る餌ですから、まだご無事ですよ」

「どこだ?」

 薫の目が鋭さを増した。葵と美咲にも緊張が走る。ミカエルの声は、

「小笠原諸島の中の無人島です。そこに私は妹さん達と一緒にいます。メールで地図をお送りしました。お待ちしていますよ、薫さん。それから、水無月葵さんもね」

 それだけ言うと、通話が切れた。薫は葵と美咲を見た。葵と美咲は黙って頷いた。

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