第九章 大混戦

 葵達は地下トンネルを抜け、近くを走っている地下鉄の駅に出た。思わぬ方向から六人の美女達が出て来たので、仕事に向かう途中のサラリーマン達は何事かと驚いて何食わぬ顔をして通り過ぎていく葵達を見た。

「地上に出ると、またあいつらに見つかる可能性があるから、このまま地下鉄で移動しましょう」

 葵が言った。一同は黙って頷き、ホームに滑り込んで来た電車に乗り込んだ。

「美咲さん、ありがとうございました」

 ずっと美咲に背負われていた茜は、礼を言って空いている座席に腰を下ろした。

「このまま終点まで行けば、あいつの別宅のそばに行けるわ」

 葵が薫に告げると、

「連中がそこを嗅ぎ付けている可能性はないか?」

「ないと思う。一度も利用した事ないし、別宅の名義は月一族じゃなくて、防衛省の上層部の人間だし、絶対にそちらからは辿れないはずよ」

 葵は小声で周囲を気にしながら答えた。薫は頷きながらも、

「だが、連中の情報収集能力が未知数な以上、発覚していないと断定するのは危険だ」

「それはそうだけどね」

 葵は肩を竦めた。そして同時に電車の乗客の様子がおかしい事に気づいた。

(まさか?)

 葵は美咲に目配せした。すると美咲は目で頷いてみせた。異変が起こっているのを彼女も察知していた。

(一体どうやってここがわかったのよ?)

 そう考えた時、周囲にいた乗客達が一斉に動いた。

「く!」

 美咲は茜を庇いながら、襲いかかって来た男を蹴飛ばした。葵は背後から掴みかかって来た女の顔に裏拳を決め、横から突いていた杖を突き出して来た老人の扮装をしている男の脇腹に回し蹴りを叩き込んだ。薫は、背後に立って羽交い締めにして来た男に頭突きを食らわせ、篝は右肩を掴もうとした女の脚を蹴り、倒した。鑑はその女の後ろから大きめのバッグを振り下ろして来た女の懐に入り、肘鉄を鳩尾に入れた。一瞬にして五人が床に倒れた。更にその後方に控えていた連中が怯んだので、葵達は反撃に出た。焦った敵は後退したが、走り出した密室となった車両には逃げ場はなく、たちまち打ち倒されてしまった。

「どういう事?」

 葵は首を傾げた。誰にもつけられてはいないし、あの隠し通路が知られていたとは思えない。

「しかも、これだけの人数をあの短い時間に揃え、ここに送り込んで来るという事は、敵の数は相当なものだぞ」

 薫は倒れている男を見下ろして言った。葵は苦々しそうに舌打ちして、

「下手に動けないわね。私達の行動を何らかの方法で把握しているとしか考えられない。護の別宅に行くのは危険という事になる」

 薫は次の駅が見えて来たのに気づき、

「ホームにいる乗客も敵の可能性がある。どうする?」

 葵は薫を見て、

「正面突破すると無関係な人達を巻き込むわね。美咲、お願い」

 美咲をチラッと見た。

「はい」

 美咲は茜を葵に預け、ドアの前に立った。電車が速度を緩め、ホームへと近づいていく。美咲は網棚のパイプをねじ切り、まるでチーズを裂くように切り分け、ドアの取っ手にそれを差し込んで錠前のように固定してしまった。葵と茜は当然のように見ていたが、篝と鑑は目が飛び出そうな程驚いていた。その直後、電車がホームに停止したが、葵達が乗っている車両のドアが開かず、飛び乗ろうとしていた敵と思われる連中が焦り、こじ開けようとし始めた。

「さて」

 美咲は倒れている敵を跨いで反対側に行き、閉じているドアを障子を開くように開けた。

「さ、早く!」

 美咲は再び茜を背負うと、一番最初に車両から飛び出し、その向こうにあるホームへと跳躍した。葵達がそれに続く。その一連に流れを唖然として見ていた敵達は、すぐさま取って返し、反対側のホームを目指し始めた。無関係な一般の乗客はしばらく呆然としてたが、使用不能になったドアを諦め、違うドアから乗車した。

「こっちです!」

 美咲は茜を背負っているにも関わらず、風のような速さでホームを駆け抜けていく。葵はそれを見て苦笑いし、追いかけた。

(それにしても、何故敵はここがわかったの? 一瞬の差ではなく、遥かに先に気づいていなければ、あれほどの仕込みはできないはず)

 葵は不気味な敵の正体が気になった。美咲はホームの端にある柵を蹴って破壊し、その先へと進む。また月一族の秘密の通路に戻ったのだ。

「入口を閉じますね」

 茜を葵に預けた美咲は、近くにあった工事用の鉄パイプを何本は持つと、ザクザクとコンクリートの地面に突き立て、通路を塞いでしまった。

「これで追って来られないでしょう」

 美咲が微笑んで言ったので、篝と鑑は顔を見合わせた。薫が鉄パイプでできた応急処置的な格子を見て、

「連中に先を越された理由を考えた方がいい。でないと、また同じ事が起きる」

 そう言って、葵を見た。すると葵は、

「もうわかったわ。茜、ちょっとごめんね」

 茜の右の耳の中をペンライトで照らした。

「え? 所長、何ですか?」

 葵はニヤッとして、

「思った通りね。超小型の発信機があるわ」

「ええっ!?」

 それを聞いて一番驚いたのは茜だった。葵はスーツの内ポケットから細いピンセットを取り出して、茜の耳の穴に差し込んだ。

「こそばゆいです、所長!」

 茜が身を捩ろうとしたので、

「動かない!」

 葵はギュッと彼女を押えつけた。耳元で怒鳴られた茜は頭がクラクラしたのか、

「す、すびばせん……」

 呂律が回っていない口調で応じた。

「よし、取れた」

 葵はそっと発信機を取り出し、それを見つめた。

「いつ入れられたんでしょうか?」

 茜は身に覚えがないので、首を傾げた。すると美咲が、

「襲撃された時でしょ? それ以外、考えられないわ」

 茜はそれを聞いてビクッとした。薫は発信機を見て、

「それをどうする?」

 葵は次に内ポケットから小さなファスナー付のビニール袋を取り出して、その中に発信機を入れると、

「潰してしまったら、敵に知られてしまうから、このまま私が持って別行動を取るわ」

「え? でも、それでは……」

 美咲が言いかけると、葵はそれを手で制して、

「大丈夫。貴女達はこのまま護の別宅に行って。私は護と連絡を取って、合流するから」

 美咲は茜と顔を見合わせてから、

「わかりました。お気をつけて」

 茜を背負った。


 その頃、篠原は増援でやって来た警視庁の機動捜査隊に捕縛した男を引き渡すと、

「次は自分達で何とか凌げよ。女王様から、呼び出しが来ちまったから」

 そう言って肩を竦めると、サッと駆け出した。皆村はそれを見て、

「本当にあの人達は凄い人達なんだな……」

 改めて、自分と美咲達とのレベルの違いを思い知り、落ち込んでしまった。

「全く、人使いが荒いんだから、葵の奴は」

 そう言いながらも、自分を頼ってくれた事が嬉しい篠原は、ニヤニヤしながら河川敷から去った。

「私一人が囮になるから、協力してくれって言われたら、嫌とは言えないよなあ、男としてさ」

 妙に嬉しそうなのは、そこに理由があるようだ。葵が発見した発信機を持ち、敵を引きつける。そこへ篠原が合流し、一網打尽にする計画だと聞いた。篠原は外務省の神戸典に余計な事を言って葵を怒らせているのをすでに忘れてしまったようだ。基本的に能天気なのだ。

(って事は、葵と二人きりって事だよな?)

 顔がどんどん嫌らしくなっていく。周囲を歩いている人達、取り分け、若い女性が気味悪そうに小走りに立ち去っていった。


「バカめ。我らをその程度で騙せると思っているのか。愚かな連中だ」

 探偵事務所を襲撃した白人の男が、どこかの路地裏でマイク付のヘッドフォンを付けて呟いた。

「噂程でもないな。予定の半分の時間で、全員始末できそうだ」

 男はフッと笑い、ヘッドフォンを外して、黒のワゴン車に乗り込んだ。ワゴン車は路地を抜けて大通りに出ると、車列に溶け込むように入り、走り去った。


 葵は美咲達と途中で別れ、地下通路からビルの裏手にあるマンホールを出て、大通りに面したカフェに入り、オープンテラスのテーブル席に進んだ。

(ここなら、いきなり襲撃されたりしないだろう)

 葵は舗道寄りの席に浅く腰掛けると、篠原を待った。何故か鼻歌を歌っている自分に気がつき、ハッとする。

(あいつに会うのが楽しみって訳じゃないんだけど、ちょっとだけ罪悪感を覚えるなあ)

 葵は今回の計画の全貌を篠原に話していないのだ。

(まあ、あいつなら、何とか切り抜けるでしょ)

 そして罪悪感は忘れる事にした。

「お待たせ」

 篠原が葵の尻を撫で上げて登場した。葵は裏拳を見舞おうと思ったが、周囲に人がたくさんいるので我慢して無理に微笑み、

「こういうところじゃなかったら、ぶちのめしているわよ、ホントに!」

 握り拳を突き出した。篠原は苦笑いして、

「まあ、そう言うなよ、葵ちゃん。久しぶりのデートで、ウキウキしてるんだからさ」

「何がデートよ! こっちは命懸けなんだからね」

 葵はあまりにも能天気な発言をする篠原についカッとなった。それでも篠原は、

「わかってるって。リラックスするために言ってみただけだよ。本気で怒るなよ」

 葵は口を尖らせたままで、

「全くもう!」

「おお、その口、キスのおねだりかな?」

 篠原は葵を抱き寄せて唇を突き出した。

「いい加減にしなさいよ!」

 葵はそう叫んだ時、殺気を感じ取った。

(もう来たの?)

 篠原を見ると、さっきまでのスケベ顔を封印し、真剣な表情になっている。

「短いデートだったな、葵。ちょっくら、暴れますか」

「そうね」

 二人はサッとテラスを駆け出すと、舗道に立った。途端に回りにいた数十人に及ぶ男女が一斉に葵達を見ると、襲いかかって来た。

「こいつら、本命じゃないぜ。役どころとしては、エキストラって感じかな?」

 篠原は殴りかかる敵を交わしたり蹴飛ばしたりしながら、葵に言った。葵も日傘を振り回す女を避け、ステッキで殴りかかって来た男を投げ飛ばして、

「そうみたいね。本命さんは高みの見物かしら!」

 そう言いつつ、次の襲撃者を避けながら手刀で倒した。事情を知らない無関係な通行人達が悲鳴を上げて逃げ出した。葵と篠原はほんの数秒で敵十人を倒していたが、まだ襲撃者は増え続けている。

(連中、一体どうやってこれだけの人間を揃えたの? それがわからない)

 葵は次々に襲いかかって来る敵を倒しながら、考えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る