第十五章 見えて来た裏側

 神無月美咲は度を超えたタフさを見せつける敵ガブリエルを見ていたが、

「そろそろ俺は戻らなければならないんだよ、神無月。次は逃がさんぞ」

 ガブリエルは右腕をぐるぐる回して言い放った。

(名字だけで呼ばれると、お笑い芸人と間違われるからやめてほしいんだけど、知らないよね)

 美咲自身も、同僚の如月茜に教えてもらったのだが、そんな事を思ってしまった。

「はああ!」

 ガブリエルは美咲に接近した。美咲はそれに合わせて飛び退き、間合いを取った。

「美咲さん!」

 強面刑事の皆村秀一がまた叫んだ。

(美咲さん、いつの間に着替えたんだろうか?)

 美咲はガブリエルを見ているので、皆村の方は向いていないため、ようやく彼は美咲の服装が替わっているのに気づいた。

「すばしこいな。だが、もう逃がさないぞ」

 ガブリエルはニヤリとすると、一足飛びに美咲の目の前に近づいた。美咲は意表を突かれ、一瞬対応が遅れたが、

「うりゃあ!」

 ガブリエルの丸太のような右腕が横から迫って来るのを紙一重で交わし、間髪入れずに襲いかかって来た左腕も難なく交わした。すると次には、ガブリエルの大きな頭が振り下ろされて来た。

「いやっ!」

 その形相にびっくりした美咲は思わず悲鳴を上げてしまったが、後ろに飛んで避けた。

(こうしていても 埒が明かないわね)

 美咲は意を決して、反転攻勢に出る事にした。

「ぬう!」

 飛び退いた美咲がそのまま戻って来たので、今度はガブリエルの対応が遅れた。美咲は防御しようとして再び右腕を振り下ろして来たのをかい潜り、その腕を踏み台のようにして飛び上がると、ガブリエルの首に右腕を回し、勢いを利用して、そのまま後ろに倒した。

「ぐええ!」

 美咲はガブリエルの身体が地面に着くまで腕を放さず、地面に叩きつける瞬間に、更に体重をかけて首を圧迫した。

(普通の人間なら、即死、ね)

 美咲はサッとガブリエルから離れ、見下ろした。月一族の掟には「殺さず」がある。一歩間違えれば、それを破ってしまう可能性も考えられたが、美咲はその心配は要らないと判断し、思い切って実行したのだ。

「美咲さん……」

 ガブリエルの人間離れしたタフさを知らない皆村は、美咲が目の前で敵を殺害したと思った。

(だが、正当防衛だ。絶対にそれは俺が証明するし、他の連中にも証言させる)

 皆村はすでに美咲の裁判の事まで考えていた。ところが、

「さすがに今のは効いたぜ、神無月」

 ガブリエルは首を左右に動かしながら、ムクリと起き上がったのだ。

「ええ!?」

 あまりの衝撃に、皆村は目を見開き、固まってしまった。

(何なんだよ、あいつは? どうして生きているんだ?)

 そんな事を考えていると、振り返った美咲の顔をまともに見てしまいそうになった。

「わわっと!」

 皆村は慌てて目を背け、直撃を逃れた。こんな緊急時にも、美咲を直接見ると気絶しそうになるバカである。

(ガブリエルだか、ガマガエルだか知らないかが、美咲さんに勝てるはずがない!)

 目を背けながらも、美咲の勝利を確信し、ガッツポーズをした。皆村にとって神である美咲が、天使如きに負けるはずがないのである。そして、それはある意味当たっていた。

「やっぱり、人間の急所である場所への攻撃は、貴方にも通用するようね?」

 美咲は立ち上がって自分の方をゆっくり見るガブリエルに言った。するとガブリエルはニヤリとし、

「油断している時はな。だが、次はそんなヘマはしねえよ、神無月」

 美咲はムッとして、

「その呼び方、苛つくからやめてくれないかな!」

 そう言うと、またガブリエルに向かった。ガブリエルは身構え、美咲を迎え撃とうとした。しかし美咲はガブリエルの直前でフッと姿を消してしまった。

「何!?」

 美咲を見失ったガブリエルはビクッとして周囲を忙しなく見渡した。しかし、美咲はどこにもいない。

(まるでコントみたいだな)

 離れて見ている皆村はそう思った。美咲はすばやく動いて、ガブリエルの死角に入っているのだ。

「貴方は肉体を強靭にする事ばかりに囚われて、スピードを疎かにしたのよ、ガブリエル」

 美咲は高速移動を続けたままで言った。ガブリエルは険しい顔になり、

「やかましい! てめえが何をしようと、この俺は倒せねえんだよ、神無月!」

 そして、美咲に当てるつもりなのか、両腕を振り回し始めた。当然の事ながら、そのような闇雲の攻撃が美咲に当たるはずもない。

「貴方との鬼ごっこも飽きたから、終わりにするわね、ガブリエル」

 美咲はガブリエルの懐に飛び込むと、鳩尾に右手の手刀を突き入れた。

「え?」

 手刀は確実にガブリエルの心臓を圧迫すると思っていた美咲は、何かが心臓を守っているのに気づいた。

「いてえだろ、神無月!」

 ガブリエルが振り下ろした右腕が、美咲を一閃した。

「くう!」

 何とか受け身を取り、直撃を免れた美咲だったが、まるで鉄骨で殴られたような衝撃を受け、地面を転がった。

「美咲さん!」

 皆村が驚いて駆け寄ろうとしたが、

「来てはダメです、皆村さん! 逃げてください! もう貴方を巻き込みたくないんです!」

 転がるのを止めた美咲が、涙を目に浮かべて叫んだ。前回、皆村を戦いに巻き込んだ時、彼は敵に狙撃され、生死の境を彷徨った。美咲は今でもその事に非常に責任を感じている。だから、今回は何としても皆村を守りたいのだ。

「ほお。その男は、余程大切な存在らしいな、神無月」

 ガブリエルは目標を美咲から皆村に変更した。美咲はハッとして、

「そんな事、させない!」

 皆村に向かって走り出したガブリエルを追おうとしたが、立ち眩みがしてしまった。

(交わしたつもりだったけど、効いているの?)

 思うように身体を動かせないため、ガブリエルについていけない。

「まずはお前が死ね!」

 ガブリエルが大口を開けて皆村に怒鳴った。すると皆村はスーツの下にあるショルダーホルスターから拳銃を取り出して構え、

「やかましい、独活の大木!」

 そう言い返すと、引金トリガーを引いた。弾丸が射出され、ガブリエルに向かい、その右肩に当たった。ところが、弾丸は着ているつなぎを貫通せず、重力によって下に落ちてしまった。

「え?」

 一瞬唖然とした皆村だったが、

「防弾服か?」

 すぐに気を取り直し、更に接近して来るガブリエルの右脚を撃った。しかし、それも弾かれてしまった。

「何だと!?」

 さすがに皆村は狼狽えてしまった。美咲も後ろからそれを見ていて、同様に衝撃を受けていた。

(つなぎ全体が防弾仕様なの?)

 皆村の命の危険度が先程より上がったのは確実なので、美咲は気力を振り絞って立ち上がると、ガブリエルを追いかけた。

「くそ!」

 皆村はガブリエルが目の前まで来たのに気づき、慌てて後退った。

「そんな拳銃で俺が殺せると思ったのか、バカめ!」

 皆村が下がるより早く、ガブリエルの手が彼を掴みかけた。

「何!?」

 その動きが止められた。ガブリエルは自分の視界が上になるのを感じた。美咲が後ろから抱え上げたのだ。

「美咲さん……」

 その光景を見て、皆村は思った。

(美咲さんには絶対服従だ……)

 どうやっても勝てるはずがないと確信したのだ。ガブリエルは美咲がバックブリーカーをするつもりだと読んだ。

「そんな事をしても無駄だぞ、神無月。頭から落とされても、俺は死なない」

 ガブリエルは抵抗もせずにせせら笑った。すると美咲は、

「そんな事はわかっているわ。私もそれ程愚かではないわよ、ガブリエル」

 ガブリエルの身体は地面から脚が離れたところで一旦停止した。

「何をするつもりだ?」

 美咲の考えがわからないガブリエルは眉をひそめたが、

「まあ、何をしても無駄には変わりはないがな」

 ニヤリとして余裕の表情である。ところが、

「おりゃああ!」

 美咲は大きな掛け声と共にガブリエルを地面に叩きつけるように下ろした。

「何ィッ!?」

 ガブリエルの脚は地面に叩きつけられてそのまま膝まで減り込んでしまった。

「貴方がうんざりする程タフなのはよくわかったわ。だから、動けなくするのよ!」

 美咲は次に低くなったガブリエルの肩を掴むと、思い切り下に押した。

「ぬおお!」

 ガブリエルの身体は、美咲の怪力により、脚が全て地面に埋まってしまった。皆村はもう言葉もない程驚いている。

「まだよ!」

 美咲は更に低くなったガブリエルの肩に体重をかけて力を込めた。

「バカな……!」

 ガブリエルの身体は更に地面に減り込んで、腰まで見えなくなっていた。美咲はガブリエルの耳元で、

「どうしてここで私が待っていたのか、教えてあげるわね。私達の事務所を襲撃した男も、貴方同様、頑丈だったのよ。だから、最後の手段として、柔らかい土のここを選んだのよ」

「おのれえ!」

 ガブリエルは歯軋りしたが、美咲がまた力を込めて彼の身体を胸まで減り込ませたので、どうする事もできなくなった。

「ここの土は下へ行く程柔らかいから、足が踏ん張れないでしょ? 自力で脱出するのは無理よ、堕天使さん」

 美咲はダメ押しでガブリエルを肩まで埋めてしまった。ガブリエルは万歳をした態勢で呆然としていた。美咲は忍び装束の袖から特殊な樹脂でできたロープを取り出して、ガブリエルの両手首を縛った。そして、

「皆村さん、この男は筋力増強剤と痛みを感じにくくする薬を使っているようです。しばらくこのままにして、薬が切れた頃、機動隊で確保してください。その際、拘束具を用意するのを忘れずに」

 皆村はハッとして、

「は、はい!」

 敬礼をして応じた。美咲は溢れそうになった涙を右手の甲で拭い、

「貴方が無事で良かったです」

 その言葉を聞き、皆村は、

(いつ死んでもいい)

 逆説的な事を考えてしまった。


 水無月葵と篠原護は、病院のロビーの長椅子に並んで腰をかけ、篠原の姉である皐月菖蒲が来るのを待っていた。

「美咲のところにガブリエルと名乗る男が現れたそうよ。見事、取り押さえたらしいわ」

 葵は美咲からのメールを読んで言った。篠原は葵の肩を抱いて、携帯を覗き込み、

「へえ。さすが美咲ちゃん。すごいなあ。とすると、後はさっきのニヤけたウリ坊の他に、ラファエルって奴がいるのかな?」

「かもね」

 葵は篠原が肩に回した手をペシンと叩いてどかしながら応じた。

「ガブリエルが着ていたつなぎには衝撃吸収素材が使われていて、弾丸を撥ね除けたらしいわ」

 葵は更に近づいて来る篠原の顔を押しのけて続けた。篠原は苦笑いして、

「美咲ちゃんの投げを食らってビクともしないって事は、そいつ、骨や筋肉もいじっているんじゃないか?」

「美咲もそう推測しているわ。後は警察に任せて、私達は先に進むのみね」

 葵はキッとして篠原を睨みつけた。

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