第十四章 ガブリエル
見えない敵の恐怖に怯えそうになる自分自身を叱咤し、皆村秀一は、護送車を誘導した。
(一体、美咲さん達が関わっている相手は、何者なんだ?)
水無月葵の事務所にあった頭が吹き飛んだおぞましい遺体。そして、皆村の心の中の天使である神無月美咲の願いで遺体の捜索していた河川敷に現れた狙撃犯。更に、道路工事を装い、彼等を殺害しようとした者達。頭がどうかしてしまいそうだが、
(美咲さんのためなら、例え地獄の底だろうと行く!)
神無月教の熱心な信者である皆村には、それすら些末な事に思えていた。
「おお!」
そんな彼を鼓舞するかのように携帯が鳴り出した。神である「美咲様」からの着信であった。
「はい、皆村です!」
彼は直立不動になって通話を開始した。周囲にいる警官達が不審そうな目で皆村を見ているが、全く眼中にない。
「皆村さん、今、どちらですか?」
美咲が尋ねた。皆村は敬礼をして、
「只今、遺体の回収と狙撃犯の確保をして、最寄りの所轄署に向かっています。もうすぐ首都高の入口です」
「そうですか。では、首都高には乗らずに、私の指示通りに走ってください」
美咲が告げると、
「仰せのままに」
思わず心の中の言葉をそのまま口にしてしまった。
「は?」
美咲の声が素っ頓狂に返って来たので、皆村はハッと我に返り、
「あ、いや、了解しました。誘導願います」
「皆村さんの携帯にメールで地図を送りました。そちらに向かってください」
美咲がいつものトーンで続けた。
「わかりました!」
皆村は再び敬礼をした。周囲からは冷たい鑓のような視線が集中しているが、全く気になっていない。そして、受信したメールを開封すると、地図を確認した。
「この先の交差点を右折してください」
皆村は運転をしている警官に告げた。警官は前を見たままで、
「いや、首都高に乗るはずでは?」
「計画が変更されました。一般道を行きます。とにかく、この先を右折してください」
皆村はその強面を運転者にグッと近づけて言った。
「は、はい……」
運転者は皆村の形相にビクッとして、返事をした。彼らを乗せた護送車は、交差点を右折した。
(このメールの地図だと、街を外れて、工事現場らしき所に出るようだが、どういうおつもりなのだろう?)
神である美咲のお告げは絶対である皆村だが、美咲がどうするつもりなのかわからず、少しだけ不安だった。
その美咲は、メールで指示した工事の資材置き場に先に着いていた。そこは周囲に人家も会社もないところである。派手に暴れるには打ってつけだ。
(ある程度まとめて叩かないと、キリがないから、広い所に集めないとね)
しばらく辺りを見渡していると、皆村が乗る護送車が見えて来た。その背後を数台の黒塗りの車が走って来る。思惑通り、そのままついて来てくれたのを見て、美咲は少しだけ敵を勘繰った。
(罠と気づいて、半分は来ないかと思っていたんだけど……)
一方、葵と篠原護は、帝星大学付属病院の解剖室の惨状を警察の捜査員達に引き継ぐと、その足で別の場所に向かっていた。葵も篠原もあまり行きたくない所だ。
「自分達の感情は置いておかないとな。性格はともかく、腕は超一流なのは確かだからさ」
車を運転している篠原が肩を竦めて言うと、葵は助手席でムスッとして腕組みをし、
「それを差し引いても、しばらく顔を合わせたくない人よ」
「そう言うなって。未来のお義姉さんなんだからさ」
篠原は苦笑いした。葵はキッとして篠原を睨みつけ、
「誰がお義姉さんよ! 恐ろしい事、言わないでよね!」
篠原はチェッと舌打ちし、
「何だよ、相変わらず、つれねえなあ」
そう言いながら、ハンドルを切った。葵はそんな篠原のリアクションを全く気にせず、携帯が鳴ったので、スーツのポケットから取り出した。
「美咲からメールだ。団体さんが招きに応えて、お越しくださったみたいよ」
篠原は前方を気にしながら葵を見て、
「美咲ちゃんは大漁か。こっちは外れだったけどな」
葵は携帯をポケットにしまうと前を見て、
「それはどうかしらね。敵さんにとって、都合が悪い動きをしているのは、私達だと思うんだけど?」
「確かにな」
篠原は真顔になって、前を警戒した。
美咲が待っているのに気づいた皆村は、気持ちが昂り過ぎ、護送車が停止し切らないうちに扉を開いて飛び出してしまった。
「美咲さん!」
遠くからなら、直撃は避けられると思った皆村だったが、彼に気づいてニコッと小首を傾げた美咲を見てしまい、立ち眩みをしてしまった。
「皆村さん?」
美咲はふらついている皆村に驚き、駆け寄ろうとしたが、何かが二人の間にドスンと落ちたので、ハッとして立ち止まった。皆村も美咲の姿を遮るように何かが視界を塞いだので、ムッとしてそれを睨みつけた。
「え?」
美咲と皆村はほぼ同時に二人の間に現れたものを見て呟いた。それは、身長が二メートル超の黒革のつなぎを着た白人の男だった。黒髪で目は茶色。筋肉の塊のような胸板と丸太のような上腕。視線で人を殺せそうな程の鋭い目つきで、その男は美咲を見ていた。
「お前が神無月美咲か?」
美咲はそんな不遜な尋ね方をする男に対して、
「人に名前を尋ねる時には、まず自分から名乗るべきでしょ?」
冷静に返した。男の背後で皆村が大きく頷いている。すると男はニヤリとして、
「死にゆく者に教える名などない。知りたければ、俺を這いつくばらせてみろ」
その言葉に美咲より皆村が過敏に反応した。
「ふざけるな、独活の大木が!」
美咲が止める間もなく、皆村は駆け出していた。男は振り返りもせず、皆村を待ち構えている。
「ダメ、皆村さん!」
美咲は一瞬で忍び装束に変わると、皆村が男に到達するより早く、男に掴みかかった。
「え?」
皆村は美咲の動きを捉え切れていなかったが、美咲が視界から消えたのはわかっていた。そして、次の瞬間、自分が飛びかかろうとしていた大男が前のめりに倒れるのを見た。男は、美咲に懐に飛び込まれ、つなぎの襟を掴まれて、引き倒されたのだ。皆村はもちろん、男にすら美咲の動きは見えていなかったのである。
「皆村さん、この人は私が相手をします。後ろの敵をお願いします」
美咲は顔から地面に倒れた大男を見下ろしたままで告げた。皆村はハッとして、
「わかりました!」
慌てて振り返ると、黒塗りの車から幾人もの黒スーツにサングラスをかけた男達が飛び出して来るのが見えた。彼等は一斉にこちらに突進して来る。警官達も楯と警棒を持ち、続々と降りて来た。
「確保だ!」
皆村は大声で叫びながら、走り出した。警官隊と黒スーツ達が揉み合いになる。皆村が加勢に加わる。そこまで見て、美咲はもう一度倒れている男を見た。
「ボクシングなら、カウントアウトよ。いつまで休んでいるの?」
すると、男は逆回しのようにフワッと立ち上がった。そして、顔に着いた土を払い、美咲を睨みつける。
「やってくれるな。さすが、日本の忍者だな。殺し甲斐がありそうだ」
男は舌舐めずりして言った。美咲は真顔のままで、
「貴方を這いつくばらせたのだから、名を名乗りなさいよ」
男は目を見開き、次いで、大きな口を開けて笑った。
「なかなか面白い女だな、神無月美咲。いいだろう。名を教えよう」
男はつなぎの前に着いた土や小石を払い落として、
「我が名はガブリエル。組織のナンバーツーだ」
美咲は目を細めて、
「天使を名乗るには、厳つ過ぎるわね」
「ほざけ!」
ガブリエルと名乗った大男はその巨体に似合わず、機敏な動きを見せ、一気に美咲の間合いに踏み込んだ。
「砕けろ、ジャップ!」
丸太のような太い腕の先に付いている美咲の顔くらいある拳が風を巻いて迫って来た。
「何ィッ!?」
ガブリエルは仰天して目を剥いた。大きな拳を美咲の小さな右手が受け止めていたからだ。
「失礼ね。私はジャップなんていう名前じゃないわ!」
美咲はそう言い返すと、ガブリエルの拳を両手で掴み、その巨体を一本背負いした。
「うおお!」
ガブリエルは宙を舞い、背中から地面に叩きつけられた。彼はその重さ故、数十センチ土中に減り込んでしまった。
(どういう事?)
美咲は何か違和感を覚えていた。そして、その天性の勘が働き、咄嗟に飛び退いた。次の瞬間、ガブリエルのトゥーキックが美咲がいた場所を襲っていた。
「すばしこいな、忍者め」
ガブリエルは首を捻って関節を鳴らし、ビュンと勢いをつけて立ち上がると、振り返った。
(この男、何かしている? 普通の肉体ではない……)
美咲の額に汗が流れ落ちる。それに気づいたのか、ガブリエルはフッと笑い、
「どうした? 俺が気を失わないのが不思議か?」
美咲はそれに対して何も返さなかった。いや、返せなかったのだ。
(そもそも、最初に引き倒した時点で、普通の人間は気を失っている。それなのにこの男はその気配もない)
美咲は眉間に皺を寄せて、ガブリエルを睨んだ。
「さて、どうする? もう打つ手なしか?」
ガブリエルは愉快そうに笑い、指で「来い」とジェスチャーし、美咲を挑発した。
「美咲さーん!」
黒スーツ達を取り押さえた皆村が美咲の方を見て叫んだ。美咲は皆村達が無事なのを確認してから、ガブリエルを見た。
「打つ手はいくらでもあるわ。どれにしようか、迷っていただけよ、堕天使さん」
美咲はニヤリとして挑発仕返した。ガブリエルは嘲るように笑うと、
「その減らず口、二度と叩けないようにしてやる!」
先程より素早い動きで美咲に突進した。美咲はガブリエルの動きを見極めるために意識を集中した。
「おりゃあ!」
ガブリエルのアッパーカットが一閃した。しかし、美咲はそれを難なく交わした。次に右のミドルキックが来た。美咲の身長に換算するとハイキックである。美咲はそれを上体を前に倒して交わした。すると倒した上体の上から今度は巨木のような左の脚が振り下ろされた。美咲はそれも身体を回転させて交わし、振り下ろされた脚の上に回り込み、それを抱えると、グインと前に押した。
「ぬお!」
ガブリエルはバランスを失って、後ろに倒れた。
(こんな程度じゃ、擦り傷にもならないか)
すぐに起き上がって来る大男を見て、美咲はウンザリしていた。
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