第六章 真実の星条旗
葵に激怒され、薫に冗談の引き合いに出されたとは思ってもいない篠原護は、勤務先である防衛省情報本部に戻っていた。ちょうどその時、外務省の神戸典から携帯に連絡が入った。
「おう、どうした? 番号を間違えたか? 俺は美咲ちゃんじゃないぞ」
篠原は陽気なトーンで通話を開始した。すると神戸は、
「申し訳ありません、篠原さん。私、余計な事を話してしまったようでして……」
隠し事ができない真面目人間の神戸は、美咲に話した事を全て篠原に話し、謝罪した。篠原はそれを聞き、顔を引きつらせて嫌な汗を身体中から噴き出させた。
(まずいぞ、おい。葵に聞かれたとしたら、しばらく事務所に寄り付けないぞ。情報も全部、電話ですませないと)
美咲に対するセクハラ紛いの偽情報を神戸に話した事を葵に知られたので、篠原は怯えていた。
(葵の奴、手加減なしで来るからなあ。それにあいつ、本当に俺より強いから……)
しかし、そうかと言って、喋ってしまった神戸を責める事もできない。
「気にするなって。大丈夫だよ。葵もそれほど危険な女じゃないからさ」
篠原は自分に言い聞かせるように神戸を宥めた。だが、神戸は、
「でも、水無月さんは『あの唐変木、今回の件が片づいたら、ボッコボコにしてやる!』とおっしゃてましたので……」
その言葉を聞き、篠原は背筋をゾッとさせた。
(やばい。葵は本気で怒っている。ほとぼりを冷まさないと、命に関わる)
それでも、わざわざ謝罪して来た神戸を心配させる訳にはいかないので、
「それもあいつ流の冗談さ。お前が気に病む事じゃないって。ありがとな」
彼をもう一度宥めると、まだ何か話そうとしているのを無視して、通話を終えた。
(葵の事より、今は合衆国からの情報の裏を取るのが先だ)
篠原は自分の部屋に行き、専用のパソコンを起動させた。その時、携帯が鳴った。その着信音に心臓が飛び出しそうになった。葵専用の着メロなのだ。
「はい、篠原です」
ドキドキしながら出ると、
「何、よそ行きの声出してるのよ? 何か後ろめたい事でもあるのかな、護君?」
葵がカマをかけるような事を言う。しかも、「護君」というのは、葵以上に扱いが難しい実の姉である
「いや、そんな事はないよ、葵さん。どうしたのかな? 緊急な用件?」
刺激しないように慎重に言葉を選んで尋ねる篠原。葵はそれを知ってか知らずか、
「神戸君から聞いたんだけどさ」
「え?」
来た! そう思った篠原だったが、
「茜や一族の人達を襲った連中に関連している可能性がある情報なんだけど、アメリカ国内に存在するテロリスト集団で、『真実の星条旗』っていう日本をターゲットにしている組織があるそうなのよ。只、これは非公式な情報らしくて、警察庁にも防衛省にも伝えていないそうなの」
葵の話は謎の組織に関するものだったので、篠原はホッとした。
「そうなのか。確かにこちらではそういう情報は掴んでいないな」
篠原はパソコンを操作して「真実の星条旗」というワードを検索してみたが、何もヒットしなかった。
「あんな事がなければ、私達も一笑に付していたような情報だけど、今回はそうとは思えないのよね」
葵は続けた。篠原も携帯を顔と肩の間に挟んで、両手でキーボードを操作しながら、
「そうだな。俺もこっちのネットワークを使って探ってみるよ」
「頼んだわよ」
葵はとうとう美咲に関する事を言わないまま、通話を終えた。
(どうして何も言わないんだ? その方が恐ろしい……)
更に恐怖を感じる篠原だった。
一方、篠原によって、美咲と付き合っている事にされていた警視庁所轄署の刑事である皆村秀一は、再び美咲からの連絡を受け、有頂天になっていた。
(美咲さん!)
感動しながら通話を開始した皆村だったが、美咲からの「お願い」を聞き、顔色を変えた。
「え? あれと同じ状態の遺体があと二体あるんですか?」
あれと同じとは、葵の事務所で見た頭部が破裂した遺体の事である。
「はい、そうなんです」
美咲の声は申し訳なさそうに聞こえた。実際、美咲は申し訳ないと思って通話をしている。
「遺体がある場所は皆村さんの警察署の管轄外ですけど、大丈夫ですか?」
美咲が言った。しかし、そもそも、葵の事務所がある場所も、すでに皆村の署の管轄外だったのだ。
「いや、大丈夫です。例え、神奈川県だろうと埼玉県だろうと、神無月さんの頼みであれば、行きますよ」
皆村は上機嫌で言った。それを横目に見ている鑑識係の署員達は、
(まさか、俺達も付き合わされるのか?)
戦々恐々としながら聞いていた。すると皆村は、
「場所を教えてください。そこに一番近い所轄に連絡して、自分が段取りをします」
「ありがとうございます。無理を言って申し訳ありません」
美咲は心の底からそう思って言った。皆村はその「お言葉」に感激し、
「いえ、お気遣いなく。全部自分に任せてください」
そう言って、遺体のある場所を聞き出すと、通話を切った。
(どうしてそこに遺体があるのか訊きたかったが、きっと美咲さんは教えてくれない。それはいい。俺は俺にできる事をするだけだ)
神無月教の信者である皆村には、「美咲さんの命令は絶対」というお題目が存在しているのだった。
警察は恐ろしい程の縦社会であり、縄張り意識の強い組織でもある。それなのに、所轄のヒラ刑事である皆村がそこまで動けるのは、実はワケがあった。
「所長、ありがとうございます」
美咲は携帯を閉じながら、葵に礼を言った。すると葵はニヤッとして、
「お礼なんていいわよ、美咲。貴女が皆村さんを自在に操ってくれているから、できる事なのよ」
葵は警視庁のトップの警視総監に直接連絡を入れ、皆村が自由に動けるように手配を取らせたのだ。
「操るだなんて……」
美咲は顔を赤らめて、ムッとした。すると横で聞いていた茜が、
「確かに。美咲さんでなければ、あの強面さんを動かせませんものね」
ニヤニヤして美咲の顔を覗き込んだ。
「もう、茜ちゃんまで!」
美咲はプリプリしていたが、
「さすがだな。お前達の息の合った連携、参考にさせてもらおう」
黙って聞いていた薫が真顔で言ったので、葵は、
「元を正せば、あんた達が遺体を始末したのが原因なのよ! 少しは反省して欲しいわね」
「何故だ?」
薫がキョトンとした顔で葵を見たので、葵は呆れ返ってしまった。
(やっぱり、こいつらとは未来永劫相容れないかな?)
人の命を奪わない事を至上の掟としてきた月一族と、目的のためなら手段を選ばない星一族。その攻防は遥か平安の世から続くものだ。しかし、戦いの終息はまだしばらく先になりそうだと葵は思った。
「護も、テロリストに関して調査をしてくれる。だから、もう少し何かわかって来ると思う」
葵は薫達三姉妹に反省させるのを諦めて、今後について話し合う事にした。
「貴女達は捕えた連中から、何か聞き出せたの?」
葵はまず次女の篝に尋ねた。すると篝は、まず長女の薫を見た。薫が黙って頷くと、篝は葵を見て、
「何も聞き出せてはいない。そうしようとした時に、そいつの頭が破裂した」
その時の事を鮮明に思い出したのか、不快そうな顔をして言った。葵は次に三女の鑑を見た。すると鑑もまず薫を見た。薫が頷くと、鑑は葵を見て、
「私も同じ。聞き出す前に男の頭が破裂した」
篝同様、気持ち悪そうな顔をした。葵は予想していたとは言え、何も得るものがない事に失望を感じたが、
「まだ望みはあるだろう?」
薫が口を開いた。そこにいた者の視線が一斉に薫に集まる。薫は目を細めてその視線の主を見渡しながら、
「進歩党幹事長の遺体があるだろう? そこに何かしらの痕跡があるはずだ」
葵と美咲は、ああと言う顔をした。茜はポンと手を叩いた。
「さすが、姉様ね。凄いわ」
篝と鑑が口を揃えて長女を賞賛した。薫は葵を見て、
「我が一族の者達の遺体も現在独自に調べている。死因はまちまちだが、その多くは外傷がないものだ。だが、進歩党の幹事長の岩谷は気道を一突きされて窒息して死んだのだろう? ならば、そこを細かく調べる事によって、犯人に繋がるものが必ず見つかるはずだ」
葵は薫の話に頷き、
「そうね。私達の里も、殺された仲間の事を調べているだろうから、そちらからも何かしらの痕跡を見つけられるかも知れないわね」
薫は細めていた目を開き、
「急いだ方がいい。もしかすると、テロリスト達の手によって、幹事長の遺体が強奪されるかも知れない」
葵はその言葉にハッとして美咲を見た。美咲は頷き、すぐにパソコンを高速タイプし始めた。
「幹事長の遺体の行方を探ってみます」
薫は篝と鑑を見て、
「お前達は一族の者達から情報を収集しろ」
すると篝が、
「姉様、こいつらと行動を共にするのはやめましょうよ。あんな連中、私達だけで見つけ出して、一人残らず始末すれば……」
そこまで言った時、薫の目つきが変わったのに気づき、黙り込んだ。
「まだわかっていないようだな、事の重大さを。我らと月一族の者達は、誰にも知られないように自治体や官公庁に潜入しているのだぞ? その人間達をどうやって見抜き、殺害したのか? それがお前達にわかると言うのであれば、今すぐに説明してみろ」
篝はビクッとして後退り、鑑を見た。鑑もビクッとして薫を見た。薫は短く溜息を吐き、
「わかったのなら、もう二度と同じ事を言わせるな」
その声は低くて静かだったが、背筋が凍りつきそうだと茜は思った。
「見つかりました! 幹事長の遺体は大日本医科大学付属病院の法医学教室で司法解剖されるようです」
「大日本医科大学付属病院?」
葵と茜が鸚鵡返しに言ってしまったのには理由がある。昨年の秋、篠原の姉の皐月菖蒲によって持ち込まれた事件の舞台の一つになった病院だからだ。
(何だか、因縁めいて来たわね)
葵は苦笑いした。
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