第七章 敵の影
「あの当時の医師達はいないようです」
美咲は大日本医科大学付属病院のホームページにアクセスし、スタッフを調べて言った。
「そうか、お前達が関わった病院だったな」
星一族最強と言われている星薫が葵を見て言った。葵はギクッとして、
「どうしてそれを知っているのよ?」
「当然の事だ。我らは別に活動を停止していた訳ではない。イスバハンの元国王がどうなったのかも知っているぞ」
薫は何を今更という顔で葵を見て、更にそう言った。茜が恐る恐る、
「どうなったんですか?」
薫は茜を見てフッと笑い、
「大した事はない。共和国になったイスバハンに強制送還されて、終身刑になった。今は大統領である娘の温情だろう」
かつてしのぎを削った強敵であったイスバハンの元王女のファラが大統領になったのは知らなかった葵はびっくりしてしまった。
「何だ、そんな事も知らなかったのか? お前達、活動が鈍くなっていないか?」
薫は半目で葵を見た。葵はムッとして、
「知る必要のない事は知らないのよ!」
「そのせいで、病院の事件が起こったのではないか? イスバハンの元国王のその後を調べていれば、ロシアンマフィアの日本潜入も阻止できたはずだ」
薫に真っ当な事を言われてしまい、葵はグッと言葉に詰まった。
(こいつら、本当に恐ろしいわね。私達がこいつらの動きを察知したのは、改進党の代表の警護以降だっていうのに)
そして、やはり侮れない相手だと改めて思った。
「確かにね。それは私達のミスね」
だから、素直に認めた。薫はまたフッと笑い、
「まあ、私もお前のあの気を使った特殊な戦法を事前に知らなかったのだから、お互い様だ」
葵はまた苦笑いした。
(あの『鬼の行』は、四百年間誰も使った事がない禁じ手だから、知らなくて当然なんだけどね)
もしかして、薫が気を遣ってくれたのかと思ったが、そんな事を詮索しても仕方がないので、考えるのをやめた。
「だが、次は私には通用しないぞ。それだけは覚えておけ」
薫がそう言ったので、葵と美咲はギョッとし、茜はビクッとして薫を見た。
「薫さん、また所長と戦うつもりですか?」
「そういう場面になればの話だ。どうあっても戦いたい訳ではない。あの時の水無月葵をもう一度相手にするのは、私も躊躇する。但し、今度は負けないと言いたかっただけだ」
薫は何故か顔を俯かせて言った。茜はホッとして微笑んだが、葵は薫の反応を妙に感じた。
(以前の薫だったら、間違いなく『必ず倒す』とか言いそうなんだけど……)
行方をくらませてから、星三姉妹に何があったのだろうかと葵は考えた。
「それより、急いだ方がいい。病院はここからそれ程離れてはいないだろう?」
薫は次女の篝と三女の鑑に目配せした。二人は頷き、事務所を出ようとした。
「ちょっと待ってください。おかしいです。進歩党の幹事長の遺体は、大日本医科大学付属病院に搬送されていません」
美咲がパソコンのキーボードを叩きながら言った。
「どういう事?」
葵は美咲のそばに歩み寄って尋ねた。薫達も顔を見合わせて立ち止まった。茜はソファに毛布ごと腰を下ろした。
「搬送先が変更されたみたいです。事情を探ってみます」
美咲は付き合いのある情報屋にメールを一斉送信した。
「しばらく待ってください」
美咲はモニターから顔を上げて、葵と薫を見た。葵は頷いて、
「例のテロリスト達と繋がりがあったのは幹事長だけじゃないって事?」
すると薫が、
「進歩党は、幹事長の岩谷誠が事実上の最高権力者で、総裁である片森省三は操り人形のはずだ。他の連中がテロリストと繋がっていたとは考えにくいな」
その話には葵も同意だったので、
「岩戸先生に訊けないかな? 現役を退いて一年近く経つけど……」
「連絡を取ってみます」
美咲はまたモニターに目をやり、マウスを操作した。
「岩戸先生にメールを送信しました。あ、今一件情報屋さんから返信が届きました」
美咲はメールを開封した。
「幹事長の遺体が搬送先を変更したのは、片森首相の指示らしいです」
「片森の?」
薫は眉を吊り上げた。葵は美咲を見て、
「その情報屋に出所を確認して。それによっては、対処の仕方が変わるわ」
「はい」
美咲は再びマウスを操作した。
「あ」
葵の携帯が鳴った。相手は先程メールを送信した元進歩党最高顧問の岩戸老人であった。
「葵ちゃん、久しぶりだな。岩谷の死が気になっているようだが、どういう事かね?」
しばらくぶりに訊く岩戸老人の声は張りがあり、隠居したとは思えない迫力があった。葵は微笑んで、
「実は……」
一族の者達がそれをわからないように殺害されている事を話した。そして、その黒幕が岩谷幹事長だという情報を得た事も話した。岩戸老人はしばらく黙っていたが、
「なるほど。だが、岩谷がそこまでの図面を描けるとは思えんな。何者かが更に背後にいる気がするぞ」
「そうですね。現に幹事長の遺体は搬送先を変更し、別の病院に向かっているようですし」
葵は美咲に目配せして言った。美咲はすぐさま別の情報屋からのメールを開封した。
「その指示を出したのは片森かね?」
岩戸老人の鋭い分析に葵は目を見開いた。
「その通りです。何故そう思われたのですか?」
岩戸老人は低い声で笑ったようだ。
「何、片森もそれなりに狸でな。表向きはボンクラのふりをして岩谷にこき使われているような状態だったが、実はそうではないのだよ」
葵は携帯を途中からスピーカに切り替えたので、薫がハッとした。そして、二人の妹達と小声で話し出した。葵はその様子を横目で見ながら、
「岩谷が影の総裁だと思わせておけば、自分は自由に動ける。奴も
葵はニヤッとして、
「それを全部把握しておられる岩戸先生が一番の狸という事ですね?」
「おいおい、
岩戸老人はそう言って笑ってから、
「だが、かと言って、片森が更に黒幕かと言うと、それもない。奴はせいぜい岩谷の失脚を願っていただけだろう。本当の黒幕は、葵ちゃんが教えてくれたテロリストの方ではないかな?」
「そうですね。また何かありましたら、連絡します」
葵は微笑んで告げた。
「おう。いつでも大丈夫だから、遠慮しないでかけてくれ」
岩戸老人は楽しそうだった。葵は携帯を閉じて美咲を見た。
「まだです。情報の出所が複雑に入り組んでいるようですね」
美咲がモニターから顔を上げて葵を見た。葵は頷いて、
「わかった。なら、その件はしばらく放置ね。私達で動くしかないでしょう。何者かの意図が妨害しているみたいだから」
「そうですね」
美咲はメールソフトを閉じた。そして、
「幹事長の遺体も気になりますが、皆村さん達が捜索に行った敵の遺体も気になりますね」
すると茜が、
「美咲さんてば、あの強面刑事が心配なんですね?」
嬉しそうに言ったので、美咲はムッとして茜を睨み、
「違うわよ! 茜ちゃんが苦戦したような連中がもしその気になれば、警察では対処できないという事よ!」
「わかってますって。美咲さん、すぐ本気になるんだから」
茜がニヤニヤしているので、美咲はプイッと顔を背けた。葵は携帯を操作していたが、
「そっちなら大丈夫。護にメールして、向かってもらったから」
すると今度は薫が、
「さすがだな。お前の男はお前に従順なのだな」
「だからねえ……」
葵が薫に反論しようとした時だった。
「何者!?」
六人が一斉に外廊下の方を睨んだ。突然強烈な殺気を放つものが現れたのだ。そして、次の瞬間、入口のドアを黒革の手袋をはめた拳が貫いた。ドアも一般的なものではなく、耐火耐熱の頑丈な造りにも関わらず、次の蹴りで蝶番ごと吹き飛び、フロアに倒れ込んだ。葵達は一瞬唖然としたが、すぐに気を取り直し、襲撃者を見た。入って来たのは、長身痩躯の白人の男だった。金髪碧眼で、欧米人である事は間違いないようだ。ブルージーンズを履き、黒の丸首のTシャツを着ている。
(もっとマッチョな奴が入って来るかと思ったけど、細いわね。これも薬の力?)
葵は白人の男を睨んで思った。
「ほお。顔を隠していないとは、相当自信があるようだな?」
薫が一歩前に進み出て言った。彼女は逸る気持ちを押さえ切れない妹達を下がらせている。
(さすがね。こいつが相当な強さだって、瞬時に見抜いたのね)
葵も茜に部屋の隅に下がるように合図し、美咲に目配せした。
「ほう。想像以上に美人揃いだな。只殺してしまうのは惜しいな」
男は流暢な日本語で言い、下卑た笑みを浮かべた。
「御託はいい。お前は、我らの一族を手にかけた愚か者か?」
薫の気が急速に高まるのを葵は感じた。白人の男は、薫の変化に気づいていないのか、それとも余裕があるのか、全く怯んだ様子がない。
「答えても仕方がないな。いずれにしても、お前達は死ぬのだから」
男がフッと笑った次の瞬間、薫が動いた。
(速い!)
わかっていたから目で追えたが、そう出なければ見失っていたと葵は思った。だが、
「温いぞ」
薫の超高速の踏み込みを男は避け、彼女の繰り出した突きを片手で払ってしまった。
「く!」
薫はサッと飛び退いた。そして、
「ぐ……」
膝を折り、右手を肝臓の辺りに当て、呻いた。
「姉様!」
篝と鑑が驚愕して姉に駆け寄った。
「待ちなさいよ!」
更に薫に攻撃を加えようとした男に葵が立ち塞がった。
「邪魔だ」
男が呟いたと思うと、葵はその場からソファまで弾き飛ばされていた。
「所長!」
美咲と茜が叫ぶ。葵は激痛に顔を歪め、
「何、今の……?」
全く攻撃が見えなかったのだ。
(こいつ、何者なの? 薬で強くなっているだけじゃないようね……)
葵は男を睨んだまま、ゆっくりと立ち上がった。
「凄いな。誉めてやるよ。俺の攻撃を瞬時にかわして、致命傷を避けるとはな」
白人の男はフッと笑って薫と葵を見た。篝と鑑は歯軋りしているが、動く事ができない。美咲は茜を庇いながら、男をジッと観察している。
(これが、真実の星条旗と名乗る組織の人間なの?)
美咲の額に汗が流れ落ちた。
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