第十二章 最強の矜持
星一族の最強を自負する星薫は、妹達が地面に這いつくばっているのを見て、自分の中の何かが弾けそうなのを感じた。かつて、月一族最強の水無月葵と激闘を繰り広げた薫は、葵に、
「あんたは、自分の妹達さえ犠牲にする事をためらわなかった。人間のすることじゃないわ」
そう罵られたのを思い出していた。
(非情を旨とし、決して感情に流されないのが我が一族の誇り。だが、一族を愚弄されて気持ちが昂らないのは、只の冷血漢に過ぎない)
薫は鋭い目で白人の男を見ている。男はゆっくりと振り返って、薫を見た。
「どうした? 可愛い妹達を叩きのめされて、何とも思わんのか、お前は?」
右の口角を吊り上げ、嘲り笑う男を見ても、薫は感情を動かされなかった。
(気持ちの昂りは戦闘力を上げるかも知れないが、隙も生じさせる。百害あって一利なしだ)
薫は葵達と行動を共にして、彼女達の考え方に影響を受けたのだと判断し、さざ波のように震え出した己の感情を押えつけ、冷静になる事に集中した。
(私は私。そうでなければ、今までの生き方を全て否定する事になる)
薫の身体から熱いものが失われていく。男はその感情の変化に気づいたのか、
「どうした? 悔しくないのか、星薫?」
煽るように言い放った。しかし、薫は、
「無駄だ。私の心には波一つ立ってはいない。感情を抑制できない者は隙を作り、自滅する」
男はそれを聞いてニヤリとした。
「なるほど。挑発には乗らないという事か? だが、お前がいくら攻撃しても、俺には効かないぞ」
薫は目を細めて、
「それはどうかな? 痛みをほとんど感じないとしても、策はある」
男の後方でようやく半身を起こす事ができた次女の篝と、まだ這いつくばっている三女の鑑が姉の戦いを見守っている。
(姉様……)
二人は薫の勝利を信じているが、男の得体の知れないタフさに一抹の不安を感じてもいた。
「だったら、その策とやらを見せてもらおうか!」
男が先に動いた。彼は薫に突進すると、蹴り、突き、正拳突きを連続して繰り出し、最後に回し蹴りを見舞って来た。しかし、薫はそれを
「く!」
その次の瞬間、男のハイキックが薫の顔面を襲った。薫はそれをすんでのところで避け、再び男の下に回り込み、軸足の左脚を小さく身体を回転させてローキックで払った。
「ぐう!」
男は今度は前に倒れ込み、両手を地面に着いた。
「はあ!」
薫は男の背中に左の
「うぐう!」
男は口から涎を吐き散らして地面に顔から突っ伏してしまった。
「やった!」
篝と鑑は起き上がってハイタッチしたが、薫はまだ険しい顔をして男を見下ろしていた。
「これでおしまいか、星薫?」
男は鼻を強打したのか、真っ赤に腫れ上がらせ、ボタボタと血を滴らせているが、ニヤニヤして立ち上がり、振り返った。篝と鑑は目を見開いたが、薫は冷静だった。
「いや。一族を愚弄した償いはその程度ですむはずもない。買い被るな、愚か者め」
薫は男の限界を見極めようと考えていた。
(こいつは恐らく薬で強化されただけ。だとすれば、時間をかけて戦えば、やがて燃料切れになるはず)
薫は男がジリジリと間合いを詰めるのを見て、ゆっくり後退りした。
「どうした? 後ろはそれほど空きがないぞ? どこまで下がるつもりだ?」
男は右手の甲で鼻血と涎を拭いながら言った。薫はチラッと後ろを見てから、
「そうだな。そろそろ次を見舞おうか?」
そう言って姿を消した。男はハッとして周囲を見たが、薫はどこにも見当たらない。
「どこを見ている?」
薫の声がしたのは、天井からだった。男はギョッとして真上を見た。薫はまるで蝙蝠のように天井から逆さにぶら下がって、男を見下ろしていた。
「む?」
薫はまたしても男の視界から消えた。
「ふざけやがって!」
男は歯軋りしてまたしても周囲を見回したが、いるのは篝と鑑だけだ。
「お前は私の敵ではないな。すでに
不意に薫が背後に現れたので、
「うるせえ!」
男はブンと右腕を振り回したが、薫はすでにそこにはいなかった。
「残念だったな。もうお前とのお遊びもおしまいだ」
声が聞こえた方に男が振り向いた瞬間、薫の右手が男の喉を捉えた。
「ぐげえ……」
いくら薬で身体が強靭になっていたとしても、呼吸をできなければ、生きてはいけない。男は 気管を押し潰されて動きを止めた。薫は目を細めて、
「ここは鍛えていなかったのか? それとも、お前は鍛錬を怠っていたのか?」
喉を潰された男にその答えを言う手段はない。薫はフッと笑い、
「安心しろ。そう簡単には殺さない。一族の命を落とした者達の無念を晴らすには、まだ全然足りないからな」
男の鳩尾に強烈なフックを食らわせた。男は奇妙は音を口から発しながら、崩れ落ちるようにして前のめりに倒れた。薫は男を避け、無様に地面に顔を打ちつけるのを横目で見た。
「事務所を襲撃した男は、薫さんが倒したそうです」
最後の砦となった防衛省情報本部所属の篠原護が上層部の名義で所有している通称「シェルター」の居間にいた如月茜と神無月美咲であったが、茜の携帯に薫から連絡が入った。
「以前、教えたのを覚えていたのでしょうかね?」
携帯を閉じながら、茜は苦笑いした。美咲は部屋の隅にある机の上のデスクトップパソコンを起動させながら、
「そうかもね。もしかすると、ずっと覚えていたのかも」
「その可能性もありますね。薫さん達、連行されているから、携帯とかは没収されたでしょうし」
茜も苦笑いした。
「でも、連絡をよこしてくれたのは、よかったわ。もしかしてこのまま完全に別行動になったら、困るなって思っていたから」
美咲はキーボードを叩き、マウスをクリックした。茜は沈み込んでしまいそうなフカフカな黒革のソファに腰を下ろし、
「そうですね。私もホッとしました」
美咲はそれに微笑んで応じ、専用回線を使って、東京中の監視カメラ(警察等が言うところの防犯カメラ)の映像を収拾し始めた。
「すごいな、これ。絶対入手困難と思われるような場所の映像も難なく取り寄せられるわ」
美咲は眉を吊り上げて言った。すると茜が、
「美咲さんがこっそり強面の刑事さんとデートしているところも撮られているかも知れませんね」
「茜ちゃんもね」
美咲はムッとして言い返した。茜はギクッとして、
「わ、私と大原さんは、疾しいところには行ってないから、大丈夫ですよ」
美咲はチラッと茜を見て、
「私も皆村さんとデートした事なんかないから、大丈夫よ」
その時、気になる映像が十二個に分割された画面の右上に出た。美咲はハッとして画面を巻き戻し、その映像を拡大した。
「どうしたんですか?」
茜は疲れたのか、薬が効いて来たのか、トロンとした目で尋ねた。美咲は映像を解析しつつ、
「性格改善セミナーっていう立て看板が映ったの」
「せいかくかいぜんセミナー、ですか?」
眠気のせいで頭がよく回らない茜は、首を傾げた。美咲はイベントホールの入口に設置されたカメラの映像をコマ送りして、
「かなりの人数が集まっているようなの。まずはこれをチェックしておいてと」
美咲はその映像を隣にあるノートパソコンに転送し、更に別の映像を探す。
「違う場所で、今度は新商品のお試しフェアを開催しているのが映っているわ。これにもたくさんの人が参加しているわね」
「ええと、よくわからないんですけど、美咲さん……?」
半分眠ってしまっている茜は、瞼がくっつきそうになるのを懸命に堪えながら訊く。
「所長の話だと、大人数の人間が一斉に襲いかかって来たらしいから、もし仕込みをするのだとすれば、そういう環境が可能性として一番考えられるでしょ?」
美咲はお試しフェアの会場入口の映像もノートパソコンに転送した。
「ああ、なるほど……」
そう応じたのを最後に、茜は眠ってしまった。美咲はクスッと笑って、
「無理しなくてもよかったのに。今回は貴女の仇討ちも含めて、所長と私で頑張るからね、茜ちゃん」
立ち上がって、クローゼットからタオルケットを取り出して、茜にかけた。
葵は、帝星大学付属病院に到着していた。そこに隣接している法医学教室の解剖室で、進歩党の幹事長だった岩谷誠の遺体の司法解剖が行われる事になっている。
「早かったわね、護」
葵は美咲からのメールを確認している時に篠原の気配を感じて、ブンと振り向き様に裏拳を放った。
「おい、危ないよ!」
篠原はそれを難なく交わして苦笑する。
(今の結構本気だったな)
葵は半目で篠原を見ると、
「何言っているのよ。変に気配を消して背後から近づくなんて事をするのが悪いんでしょ?」
「ははは、他意はないって、葵ちゃん」
篠原は自分の作戦をすっかり見破られているのがわかり、顔を引きつらせて応じた。
「美咲が気になる映像をいくつかピックアップしてくれているわ。それから、事務所を襲撃した白人の男、星薫が倒したそうよ」
葵は法医学教室へと歩き出したが、妙に身体を密着させて来る篠原を押し戻して言った。
「ふうん、そうなんだ。薫ちゃん達とどうやって連絡取ったんだ?」
真顔で篠原が尋ねたので、葵は、
「茜の携帯番号を覚えていたらしくて、そこへかけて来たみたい」
「あ、そうなんだ。後で茜ちゃんから聞き出そう」
ニヤける篠原を葵が睨みつける。
「あんた、何考えてんのよ? 薫にチョッカイ出したら、殺されるわよ、ホントに」
「チョッカイなんて出さないって。只、連絡先は聞いておいた方がいいかなあって、思っただけだよ」
篠原は頭を掻いて弁解した。
「どうだか……」
それでも疑いの眼差しで篠原を見る葵。篠原は、
「何だよ、ヤキモチかよ、葵さん?」
「そんな訳ないでしょ!」
葵はムッとすると、大股で歩き出した。篠原は肩を竦めて葵を追いかけた。
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