第十章 黒幕の影
幹線道路に面した人通りの多い舗道はパニックになっていた。事情を知らない通行人達は、何がどうしたのかわからず、しゃにむに逃げ出そうとする人達にぶつかられ、ムッとしながらも、自分達が向かおうとしている方角に騒ぎの中心があるのに気づく。
「葵、キリがないぞ!
防衛省情報本部所属の篠原護は、次々に襲いかかって来る敵を払いのけながら叫んだ。探偵事務所の所長である水無月葵は、同様に敵を蹴倒したり、平手打ちで弾き飛ばしたりしながら、
「そうみたいね! どこにいるか、わかった、本命さん?」
そう尋ねながら、自分も周囲を見渡す。しかし、それらしき人物は見当たらない。二人が倒したのは総勢三十人を超えている。しかし、二人に向かって来る人数はそれをまだ凌いでいた。
(一体どんなマジックを使うと、こんな事ができるの? それとも、私達が思っている以上に準備期間が長いのかしら?)
葵はそれでも迅速に襲撃者達を打ち伏せ、その場から脱出しようとした。誰かが通報したのか、警察の大型パトカーが現れた。マイクロバスサイズのものだ。その途端にまるで潮が引けるように敵の襲撃が終了し、周りにいた人間が次々に姿を消して行った。
「取り敢えず、捕まっておくか」
篠原が耳打ちする。葵は篠原を見て、
「そうね」
頷くと、向かって来た制服警官に両手を挙げて抵抗の意志がない事を示し、パトカーに乗せられた。
その頃、美咲達は葵の指示通り、秘密の通路を抜けて、篠原の「別宅」、
「水無月葵を疑う訳ではないが、本当にここは安全なのか?」
星一族最強の星薫が美咲を見て尋ねた。美咲は背負っている茜を下ろしながら、
「安全です。所長は不確実な事は決して言いません」
薫の目を真っ直ぐに見て応じた。薫はフッと笑い、
「わかった。水無月葵とお前を信じよう。彼女の仲間としてな」
そう言って、茜を見た。茜は薫の視線を感じて、ドキッとして顔を上げた。
「但し、ずっと安全という事ではないです。途中までは逃走経路を知られてしまっていますから」
美咲は別宅に通じる金属製の扉のロックをパスワードと指紋・掌紋・静脈・網膜認証で解除して言った。
「それほどのセキュリティでも突破される可能性があるの?」
三女の鑑が茜に尋ねた。茜は苦笑いして、
「この世に絶対はないわ。ここを開けられなくても、核ミサイルを撃ち込まれればダメね」
「それはそうでしょ!」
茜がふざけたのがわかり、鑑をムッとした。
「無駄話をしている暇はないぞ。連中が嗅ぎ付ける前に対策を講じる必要がある」
薫の低い声が通路に響いた。茜と鑑、そして、次女の篝は同時に頷いた。
「そうですね。岩谷幹事長の遺体を追わないと、最後の証拠も隠滅されてしまいますから、急ぎましょう」
美咲はそう応じて、重々しくて分厚い扉を引き開けた。
葵と篠原を乗せた大型パトカーは現場から離れると、赤色灯を回し、サイレンを鳴らして走り出した。
「ねえ、どこに行くつもり? 一番近い所轄はこっちじゃないわよ」
葵は警官の様子がおかしいのに気づき、運転者に声をかけた。しかし、運転者は反応しない。葵と篠原を両側から取り押さえている警官達も、目が虚ろだ。
「おいおい、こいつらもお仲間なのかよ。一体どうなってるんだ?」
篠原が大声で言った。二人は目配せし合い、両脇の警官を一瞬で打ち倒すと、運転席に向かった。すると運転していた警官が急ハンドルを切った。
「おっとっと!」
篠原はよろけながらも葵を抱き止め、そばの座席に倒れ込んだ。
「ちょっと、どさくさ紛れにどこ触ってるのよ!?」
葵が怒鳴る。篠原は苦笑いして、
「不可抗力だって! こんな時に仲間割れはよそうぜ、葵ちゃん」
「バカ!」
葵はサッと篠原から離れ、再び運転している警官を目指した。すると今度は急ブレーキが踏まれた。
「キャッ!」
葵は通路を転がってしまった。
「葵!」
篠原が慌てて彼女を追いかけた。
「む?」
止まったパトカーのドアが開き、男が一人乗り込んで来た。
「貴様ら、よくも騙してくれたな!?」
それは葵達の事務所を襲撃した白人の男だった。
「あーら、また会ったわね。私達、運命の赤い糸で結ばれているのかしら?」
葵は起き上がりながら告げた。
「え? 赤い糸?」
篠原がそれを聞いてギクッとした。すると男はフッと笑い、
「つまらん冗談はよせ。もう少しマシな事を話すがいい。もう死ぬのだからな!」
そう言うと、一気に葵に駆け寄り、鋭い突きを繰り出した。
「それは残念ね!」
葵は男の下に滑り込み、突きをかわした。
「くそ!」
男が素早く向き直った時、
「はあ!」
葵の渾身の右回し蹴りが左の顔面に炸裂した。男の顔が歪むのが見えた葵は、勝利を確信した。
「ぶへえ!」
男はそのまま後方に吹っ飛び、座席に当たって仰向けに倒れた。
「何だよ、もう終わりかよ」
難を逃れていた篠原がつまらなそうに言って、葵を見ると、彼女は何故か目を見開いていた。
「え?」
篠原はハッとして振り返った。するとそこには、倒れたはずの男がニヤリとして立ち上がっていた。
「どういう事よ?」
葵には信じられなかった。すると男は、
「理解できないようだな? そうだろうな。お前らは自分達の力を過信しているからな。世界で一番強いとでも思っているのだろう?」
目を細めて右の口角を吊り上げた。葵はムッとして、
「薬を使って強くなっているような下衆にそんな事、言われたくないわ!」
篠原も葵と同じ気持ちで男を睨みつけた。しかし、男は、
「そうさ。俺は薬の力で強くなっている。だからどうした?」
その応答に葵は呆気に取られた。
(開き直り?)
更に彼女の怒りが増幅される。男は口の中を切っているらしく、だらりと
「なるほど。勝てればいいって考え方か。なら、勝ってみせろよ!」
篠原が動いた。男はフッと笑い、篠原に向き直る。そして、目を見開き、
「言われるまでもない!」
篠原の右正拳をいとも簡単に左手で受け止めた。
「く!」
篠原の顔が苦痛で歪んだ。男の左手が、篠原の右拳を握り潰そうとしているのだ。
「護!」
葵は加勢に動いたが、
「大丈夫だよ、葵。手を貸してもらったら、俺、一生後悔するから」
篠原は男にニヤリと笑い返して、そのまま頭突きを見舞った。
「ぐぬ!」
意表を突かれた男は、一歩二歩と後退った。篠原は間髪入れずそのまま攻勢をかけようとしたが、
「ぐう……」
後退りながらの男のトゥーキックを腹に食らって呻いた。
「ダメじゃん、護」
背後で腕組みをした葵の非情な一言が聞こえた。篠原は苦笑いして、
「腰が入っていないキックなんざ、撫でられた程度だよ!」
また男に向かおうとした。ところが、真っ直ぐに進めない。
「え?」
篠原は眩暈を起こしているのに気づいた。男はその様子を見て再びニヤリとし、
「今の蹴りが普通の蹴りだと思ったのか? 愚かだな」
「何だと……?」
篠原は焦点の合わない目を上げた。吐き気がするのか、口を左手で押さえた。
「護?」
葵が前に出た。次に瞬間、篠原が膝を着いてしまった。
「護!」
葵の叫び声が狭い車内に響いた。男は
「少しは耐性があるようだが、痩せ我慢をしても身体がつらいだけだぞ。爪先に仕込んであったのは、痺れ薬だ。毒薬ではないから、安心しろ」
篠原の顔を床に押しつけ、靴をグリグリと左右に動かした。
「くそう……」
篠原が歯軋りをし、顔を上げようとするが、男は更に足に力を入れ、それを阻んだ。そして、次に葵を見ると、
「あの女に仕込んだ発信機を二つとも見つけておきながら、一つは見つけていないフリをしたな? そして、俺をまんまとここへおびき出した」
葵は篠原を気遣う目を向けたままで、
「そうよ。あんただけは私が直接ぶちのめしたいから、そうしたのよ、本命さん! ずっと聞いていたんでしょ、もう一つの発信機に付けられた盗聴器でね」
そして男の顔を見た。男は葵を嘲るように笑い、
「俺をぶちのめすだと? 笑わせるな。ついさっき、手も足も出ない事をわからせたはずだぞ、お前の事務所でな!」
怒りの形相で葵を睨め付けた。葵は男を睨み返して、
「笑わせるなはこっちの台詞。あの時、私も、星薫も、全然本気じゃなかったのよ、おバカさん」
本当は結構本気だったが、葵は敢えてハッタリをかました。男はそのハッタリに乗ったらしく、
「嘘を吐くな! 俺に敵わないと判断したからこそ、逃亡したんだろうが!」
「だったら、確かめてみる?」
葵はフッと笑って、男を挑発した。男は篠原が動かなくなったのを確認し、
「いいだろう。ここでは狭い。外へ出ろ。すぐには殺さんから安心しろ」
「それはどうもありがとう」
葵は扉を開いて、外へ飛び出した。そこは湾岸沿いの工場へ通じる広い道路で、人通りは全くない。
(ここなら、思う存分、戦える)
葵は振り返り、男が降りて来るのを見た。そして、肺の中の空気を一気に吐き出した。
「む?」
男は葵が何かをしているのに気づいたかが、それが何なのかはわかっていないらしく、
「何の真似だ? ふざけているのか?」
それでも警戒したのか、いきなり突進して来た。時間をかけている状況ではない事を見抜いたようだ。
「ちっ!」
葵は舌打ちし、中途半端なままで気を高めるのをやめ、男に対した。
「お前はやはり六人の女の中で一番強いようだ。最初に潰しておくに限る!」
男は本気になった。目にも留まらぬ速さで突きと蹴りを繰り出して来た。葵はそれをかわしながら、反撃をした。
「ぬああ!」
男は攻撃が当たらないのに業を煮やしたのか、雄叫びを上げた。しかし、対決はそこまでだった。
「じゃあね! 今はもっと大事な事があるの!」
葵はそう言うと、男から逃走し、いつの間にか復活した篠原が運転する大型パトカーに飛び乗った。
「何だと!?」
男は篠原がピースサインを出しているのに気づき、唖然とした。
「バカな……」
「おいおい、聞いてないぞ、発信機が二つあったなんてさ。それもいつの間にか俺が持たされてるし」
葵が運転席に行くと、篠原がスーツの内ポケットから超小型の光を明滅させている機械を取り出した。
「これで貸し借りなしよ、護。美咲の件は、帳消しね」
葵が言ったので、篠原はビクッとした。そして、
「それにしても、奴が薬を攻撃にも使って来るとは思わなかったから、ちょっとだけ焦ったよ」
ハンドルを切りながら言った。葵は助手席に腰を下ろして、
「痺れ薬程度で、私達をどうにかできるって思うなんて、思っていたより間抜けな連中かもね」
「そうだといいんだけどな」
篠原は肩を竦めて応じた。
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