第40話 エピローグ2

 イデアの紅い機体は解けて消えた。

 土に痕跡だけが残る空を見上げて佇むルーシーを、隣に立つハッサが振り返る。


「ルーシー。あなたは、これからどうなさるおつもりで?」 

「私は研究を続けます」


 はっきりした返事だ。

 戦闘の直後、マイルズの救出劇、ハッサの逮捕、そしてイデアの消滅――激動を経てルーシーは動揺なく受け止める度量を手に入れていた。

 常の若々しさと情熱に、意志のしたたかさを乗せて。

 ルーシーは晴れやかに胸を張る。


「ハルベーザ所長ではありませんが……私も、技術が世界のためにできることはたくさんあると思っています。魔力炉はその端緒になり得ます。私は――もっといいものを作りたい」


 明朗な宣言に、ハッサは眩しそうに目を細める。ニンジャは訳知り顔で深々とうなずく。マイルズは一回り強くなった彼女の隣に立ち、その小さい顔を見下ろした。


「俺も手伝おう。ハルベーザは区切りがついたが、CTIや和ノ国ヤクザなど絡んだ連中は多い。まだ気を抜けないからな」

「いいえ」


 ルーシーは首を左右に振って応じる。

 驚くマイルズを、ルーシーは見上げた。心細さも寂しさも瞳の底にしまい込み、芯の強さと優しさだけを視線に込めて。


「これからの私の研究は、今までのピーキーさを削り落として汎用化することです。あなたほどの卓抜した手腕は、かえって目を曇らせることになる。あなたの望む操縦の機会は失われてしまいます。それとも――」


 ルーシーは自嘲するように目を細め、


「研究に没頭する私に夕食の用意をして、研究所での愚痴を聞くような日々に満足できますか?」


 マイルズより先に、ハッサが飛び上がって驚いた。彼女の悲鳴をニンジャの大きな手が抑え込む。ニンジャの顔は「んまぁ」と言いたげにほころんでいる。

 逆プロポーズですか、これ?

 声なき合図を、マイルズは黙殺した。

 荒れ果てた森を見る。破壊し尽くしたオーダーワンと、半ば解体されたツインドライブを見る。

 戦ってまでマイルズが求めた未来は、なんだったか。

 エリート騎士団を退職してまで目指した未来は。

 マイルズは自分に呆れるため息をついた。

 ルーシーは答えを知っていただけだ。


「……きっと楽しいだろう。だが、確かに性には合わないな」


 ルーシーは寂しそうに手を伸ばす。


「お別れです、マイルズ。あなたにはお世話になりました」

「こちらこそ。ありがとうルーシー」


 応じてマイルズも手を出した。

 握手をする。

 恋人ではなく、親愛でもなく――最高の仕事のパートナーと交わすような、しっかりとした握手を。



 §



 和ノ国の秋は空が高い。

 遠く透き通った青空のもと、ルーシーは山奥の果てにある屋敷を前に車のエンジンを切った。几帳面にサンバイザーのポケットへ収めていた真新しい免許証を、手持ちのバッグに移し替える。

 車を降りた彼女の前に、公道仕様の軍用ジープがエンジンを震わせて停まる。車体が止まりきらないうちにドアを開けて、懐かしい人が飛び降りた。


「ルーシー! お久しぶりですにゃ」


 取ってつけた珍妙な語尾は相変わらず。

 柔らかな桃髪は最後に見たときよりも長くなり、屹立する狐の耳は柔らかい。ミリタリーあふれるカーキ色のジャケットを羽織る、少女のような美貌の女性。

 ルーシーの声が喜色にうわずる。


「ハッサ教授! お久しぶりです。お変わりありませんか?」

「変わったのなんの! 軍属だかなんだか知りませんが、併設されたジムでのトレーニングが日課に組み込まれてるんですにゃよ。しんどいわ時間の無駄だわ、この研究生活には不満たらたらです!」


 ルーシーの手を取って再会にはしゃぐ仕草をしながら、口から出るのは辛辣な批判だ。

 ジープを降りて、大柄な男が頭をかく。


「あのですね、ハッサ教授。保護観察処分の身の上でべらべらとしゃべらないでもらえますか。うっかり機密を匂わせることを言ったら、あなたに処分を下さなきゃならないんですよ」


 着慣らしたスーツ姿のニンジャが、辟易した顔でハッサを追ってくる。

 ハッサはルーシーの手を取ったまま、ニンジャに舌を出してみせた。


「ご自由に。生き馬の目を抜く腹芸舌戦なぞ、望むところです」

「仕事代わってくれませんかね……」

「お断りですにゃ」


 いつの間にかすっかり打ち解けた二人を前に、ルーシーは冷たい視線を浴びせかける。


「ふふふっ」

「……一応の確認ですが。笑ってますにゃ?」

「? ええ、もちろん。お元気そうで安心しました」


 心から慶事と思っているような柔らかな声。

 微妙な表情を浮かべたハッサは、咳払いして切り替えた。


「ルーシーも相変わらずのようで良かったです。あなたに会ったら尋ねたいことがありました」

「なんでしょう?」

「イデア・グレースとは、あれから連絡がつきましたか?」


 ルーシーの顔が曇る。

 うつむきがちに首を振った。


「……いいえ。音沙汰なしです。施設には挨拶すらしなかったみたいで、私たちに会ったのが最初で最後のようでした」

「そうですか。ま、そんな気はしていました」


 ハッサの物憂げなため息。

 跡形もなくこの世界から消え果てた稀代の天才イデア・グレース。

 彼女の拠点に残された手記や試作品は、技術を解き明かすどころか混迷を深めたのが実際のところだ。彼女の足跡は相変わらず遠い。

 ふっと感傷を溜め息に流したハッサは顔を上げる。


「それにしてもマイルズはどこですにゃ? 主催を買って出ておいて、出迎えもないとは太え野郎ですにゃ」


 見上げる建物は、ルーシーたちが世話になったハッサの屋敷だ。夏に二人が手入れをして以来、往時の威風を取り戻している。

 真新しい表札を撫でてハッサは笑った。

 マイルズ・スミスとルーシー・ベルトラン。二人の連名が刻まれている。


「ここはもう、あなたたちの屋敷なのに」

「名義はマイルズ一人ですよ」


 ルーシーはしれっと合鍵で玄関を開けた。

 ひと気のない屋敷だが、ガタつくこともなく滑らかに開く。小まめに手入れされていた。

 玄関から首を伸ばして廊下や居間を見回し、ルーシーは首を傾げながら屋敷に上がる。丁寧に靴を揃えた。


「本当にマイルズは留守のようですね。何をしているんでしょう?」

「これでなんの準備もなかったら、トキオに取って返しますにゃ。JOJO苑で食べましょう。マイルズに請求書つけて」

「あ、いいですねそれ!」


 ハッサの皮肉に、ニンジャが尻馬に乗った。「いっそ今から行きましょうか」と悪い笑顔を交わす二人に、廊下の奥からルーシーが顔を覗かせる。


「冷蔵庫に食材が入っていました。買い出しは済ませていたようです」

「あっそぅでしたかぁ……」


 ガッカリと肩を落とすニンジャに、ハッサの朗らかな笑い声が向けられた。

 ルーシーは髪をポニーテールに縛り、エプロンをかける。


「待っていても仕方ありません。準備を始めておきましょう」


 どうやらマイルズは肉だけを準備したわけではなく、種々の野菜も取り揃えられていた。

 玉ねぎを大まかに切りながら、ルーシーはふと口を開く。


「それにしてもマイルズ、今はなんの仕事をしているんでしょう」


 んに? とハッサは耳を立てた。


「知らんのですか?」

「ご存知ですか?」

「いいえ。私は関係者との連絡を禁止されていますからにゃあ。検閲くらい通してくれればいいものを」


 ニンジャに向けた恨めしげな視線には、肩をすくめて返される。


「新たな暗号を発明しかねない才媛を相手に許可出すほど、自分たちの能力を過信していませんよ」

「濡れ衣ですにゃ」


 ブーたれるハッサをさておいて、ニンジャがルーシーを振り返る。


「連絡は取り合っていないのですか?」

「あまり……。お互い忙しいようで、気づかなかったり返信する暇もなかったり……恐ろしいほど間が空いてしまうんです。半月に一往復するかどうか」

「……よくそれで我慢できますね」


 語尾の剥げたハッサが呆れた目を向けた。

 ルーシーは肩をすくめる。


「新しい会社を見つけて、操縦士を訓練する仕事をしながら望み通りの現場勤務をしている、とは聞いていますよ。それが返信できないほど忙しかったり、通信が届かない場所にこもるらしい、ということは分かるのですが……」


 そうでしょうとも、というハッサの皮肉をかわしてルーシーは「具体的な仕事まではわかりません」と締めくくる。

 ホットプレートを組み立てるニンジャが。


「ま、よろしくやってるんじゃないですかね? マイルズさん、今は――」


 びゃびゃびゃびゃびゃ。

 回転翼機の風切り音が近くの木々が強くしならせる。あまり山中で聞こえるはずのない音に、ルーシーとハッサは顔を見合わせて縁側に出た。

 山を越えた空にティルトローター機が旋回していた。回転翼を垂直に引き上げてホバリングする。

 その下部にマウントされているのは、魔導外殻だった。

 ロックが外れて投げ出される機体は両肩から魔法陣を虚空に浮かべ、パラグライダーのような機動で滑らかに空挺する。タッチダウン。両足の緩衝器が目一杯沈み込み、魔導外殻は大地に立つ。


「いったい――?」

「ルーシー、下がってくださいにゃ」


 唐突な登場に警戒をよぎらせる二人に。

 魔導外殻から声がする。


『遅れてすまない! 急な仕事が入ってしまってな……これでも超特急で片付けてきたところなんだ』


 のんきな言葉と同様に、魔導外殻は能天気に両手を広げて言い訳のジェスチャーをしながら屋敷の前庭に踏み入ってくる。膝をつき、身を屈めた機体のコックピットハッチが開いた。

 現れたのは、ざんばらな髪に無精ひげも薄く伸びた操縦士。

 マイルズ・スミス。


「待たせた! 焼き肉はまだ始めてないな? 肉の置き場所はわかったか?」

「マイルズ!」


 ルーシーの声が高く響き、彼女は縁側のサンダルを突っかけて外に出る。機体を降りたマイルズが抱擁で迎えようと両手を広げて、


「こんなところに魔導外殻で乗りつけないでください!!」


 叱責を食らった。

 身をすくめたところにルーシーの小柄な体が飛び込んでくる。細腕がマイルズの首に回り、ぎゅうとしめつけられる。


「会えて良かった」


 マイルズは目をしばたかせた。呆気にとられる。

 やがて、状況を飲み込めたマイルズは相好を緩めてルーシーの肩に腕を回した。優しく抱き寄せる。


「久しぶり、ルーシー」

「ええ。……お久しぶりです」


 腕を引いたルーシーが柔らかくマイルズの体を押し、マイルズは名残惜しく身体を離す。ルーシーは頬を赤らめて、わざとらしく顔をしかめた。


「汗臭いですね。シャワーを浴びてきてください」

「それもそうだ」


 仕事明けのマイルズは苦笑する。



 パイロットスーツからラフ極まりないシャツ姿になったマイルズが、ガレージから炭火焼きのバーベキューグリルを前庭に組み立てる。


「このために炭火焼きのコンロを買ったんだ」

「またマイルズはこんなことにお金を使って」


 呆れ顔のルーシーが炭を手渡す。ニンジャとハッサはキャンプテーブルの設営だ。

 炭に着火するマイルズの手際を眺め、ルーシーは口元を綻ばせる。


「急な仕事と言っていましたが、マイルズは今なんの仕事を?」

「ん? あれ、言ってなかったか」


 忘れてたな、とマイルズは苦笑して肉を網に広げていく。肉の脂が弾ける音に乗せて言った。


民間軍事会社PMSCだ。この屋敷を襲いに来た張本人たちのな」


 えっ、とルーシーが息を呑む。

 マイルズが笑顔で語って曰く、CTIに尻尾を振ったひよっこどもの根性を鍛えなおしてやるついでに、仕事を分けてもらってる、と。


「よく言いますよ……マイルズさんが乗っ取ったんじゃないですか。事務仕事は都合よくぶん投げて」


 ニンジャが呆れ顔で補足する。マイルズは笑って受け流した。

 金に目がくらんで軍を裏切りマイルズたちを襲った彼らは、返り討ちにされて以来、悲惨だった。頼みのCTI社が再編されて仕事を失い、初仕事に失敗して信頼を生むこともできず、さりとて今さら軍に戻るすべもなく……倒産まで秒読みだった。

 そこに現れたのがマイルズだ。


「世の中、意外と魔導外殻を使う仕事も多くてな。軌道に乗ってきたところだ。だから改めて言うぞルーシー」


 呆れた目をするルーシーを前に、マイルズはトングを片手に振り返る。


「俺はきみを手伝う。きみを守るし、操縦士も斡旋できる。良い仕事をしてみせる」


 どうかな? とルーシーの瞳を覗き込む。

 彼女がマイルズの助力を断ったのは、ハルベーザと戦ってまで求めたお互いの望みが叶えられないからだ。よい研究を続け、操縦をし続ける。

 だが今、お互いが自力で己の望む機会を手にできるようになった。

 そのうえで隣に立つならば。

 ルーシーは視線から逃げるように身をよじって唇を尖らせた。


「――わかりました。お願いします」


 答えてから、マイルズを見上げて柔らかな溜め息。


「……あなたも馬鹿ですね、マイルズ」


 マイルズはにっこりと満足げな笑みを返していた。


「さて! そろそろ焼けたな。このために地元のブランド和牛をしこたま買ったんだ。さあルーシー」


 ニンジャが紙皿を持ってくる暇ももどかしく、マイルズは箸で肉を取ってルーシーに差し出す。ルーシーは驚いたように口に入れた。はふはふと冷まし、口元を手で隠して咀嚼して、じんわりと目を伏せる。

 固唾を飲んで見つめるマイルズから顔を背けて。


「――美味しいです」


 そう言って、控えめに微笑んだ。

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