和ノ国スローライフ編

第6話 和ノ国にて

 大陸の端から端まで渡っても、空は変わらず青かった。


「んーっ!」


 麦わら帽子ストローハットをかぶり、白いワンピースを風に踊らせるルーシーは大きく伸びをする。ごとんごとんと音を立てて、錆びだらけの電車が無人駅をって行った。

 朽ちかけた木材と錆びた鉄骨で取りそろえた、廃墟のような駅だ。プラットホームが抜けないか気にしながら二人分のキャリーケースを引いて、マイルズは息をついた。


「国が変われば違うもんだな。ものの数時間でここまで田舎になるのか」

「私はこちらの方が好きですね。トキオと違って清々しいです」


 そうだろうな、とマイルズはうなずく。

 研究所を出た時の不安げな顔もどこへやら。すっかり明るい表情で背筋を伸ばしてあたりを見渡している。まぶしいほど白い肌がうっすらと赤く焼けていた。


「ほらルーシー、日焼け止めを塗っておけ。こっちは日差しが強いらしいから」

「大げさではありませんか? 日焼けくらい気にしません」

「日差しで火傷するらしい」

「……国が変われば違うものですね」


 ルーシーは神妙な顔で日焼け止めクリームを受け取った。手のひらに出し、髪を手でけて首筋に塗っていく。

 白いうなじにマイルズは息を呑んだ。

 と、ルーシーが半眼でマイルズを見る。


「じろじろ見ないでくれますか?」

「うっ。すまん」


 顔を背ける。

 ついでに地図を広げて受け取った住所を調べた。外れもはずれ、ひたすら山に分け入らねばたどり着かない。目的地は最寄りのバス停からも遠く、地図上に道がなかった。


「行き方わかりますか?」

「地図が頼りになればな。バス停に行こう。あれだ」


 プラットホームから、出発していくバスの尻が見えた。

 キャリーケースと格闘しながら無人の窓口に利用済みチケットを投げ込み、荒れ果てた駅舎を出る。

 駅前という概念を忘れそうなほど寂れた町だ。

 日焼けしたアスファルトに白線のひび割れた駐車場があるだけだった。目抜き通り沿いには申し訳程度の古い店が点在しており、これでも町で最も活気のある地区だろうと窺えるのがまた寂しかった。

 駅前のバス停でマイルズはうなる。これまた印字の書体が古い。


「時刻表ってどれだ? この辺にありそうなものだが」

「……まさにマイルズが見てるそれじゃありませんか?」

「はは、オイオイ。これは表にしちゃ数字が少なすぎるだろ。……マジだ」


 空欄ばかりの表にいくつか数字が書かれている。マイルズが知っている記法に従えば、バスは三時間に一本だ。


「なあルーシー、この表の読み方わかるか?」

「現実逃避しても無駄ですよ」


 ほうとため息をついて、ルーシーは立てたキャリーケースのハンドルに片手を乗せる。麦わら帽子を押さえてバスの走り去った道路を見やった。


「三時間後に終バスですか」


 日はまだ高い。


「マイルズ」

「タクシー呼ぶか……ここまで来れんのかな……なんだルーシー?」

「少し歩いてみませんか?」


 マイルズはルーシーを振り返る。

 ルーシーは微笑んだ。

 ……のだろう、とマイルズは推測する。冷ややかに目元をゆがめていた。


 つくづく田舎だが、それでも駅前は好立地のようだ。

 小さな店舗が軒を連ねている。どこもかしこも示し合わせたように看板に錆が浮いていた。


「トキオ名物のコンビニも田舎となれば寂れるんだな」


 明るい照明と高い陳列棚を眺めてマイルズはつぶやいた。

 書棚に並んでいる雑誌はよく見れば先月号だ。雑貨はいつから並んでいるのか、ちょっと袋が黄ばんでいる。都会の無機質な清潔感を懐かしむように目を細めた。


「とはいえ、品揃えと便利さは据え置きですね。水は買えました。行きましょう」


 ルーシーはペットボトルを手にレジから戻ってくる。店を出て、味気ない道路と街並みの景色にマイルズは肩を落とした。

 商店街やアーケード街といったものでさえない。どれもこれも個人宅を兼ねた店だ。映画でステレオタイプに描かれる駄菓子屋形式。

 数少ない量販店の現代的な店舗が不思議なくらい浮いている。

 ルーシーはそんな街並みを横目に歩く。


「どの店も独特な風合いがあって面白いですね」

「俺は便利なスーパーマーケットが恋しいね。伝統的な商店街はウズマキ映画村で体験するよ」

「それはさかのぼりすぎでは? あ……」


 ふとルーシーは立ち止まった。

 キャリーケースを引く手を止めてマイルズが彼女の視線を追いかける。

 店の前に出されたひな壇状の棚に、色とりどりの透き通った小瓶が並んでいた。フラスコ型で口のところが細長い。

 マイルズは怪訝に眉をひそめた。


「ガラス細工?」

「ビードロっていうのさ」


 店内に座っていた小太り爺さんが答えた。にこにこ微笑んでいる好々爺だ。


「ま、そのとおり昔ながらのガラス細工さね」

「へぇ」


 腰の高さの棚に色とりどりのガラス小物が並べられている。

 細長いフラスコ状のもののほかに、茶碗をひっくり返したような風鈴、切子細工のお猪口と徳利もあった。バリエーションに富んでいる。

 腰を曲げてまじまじと見つめるルーシーに、老爺が笑いかける。


「手に取ってみて構わないよ。割らないようにね」

「ありがとうございます」


 ルーシーがビードロを掲げて眺めた。陽が透けて、赤色が彼女の肌に降りている。

 金髪碧眼の白い肌にガラスの透明感が加わると、いよいよ妖精めいた儚さだ。

 目を奪われるマイルズに老爺が声をかける。


「綺麗なもんだ。娘さんかい?」

「いや……仕事の同僚だよ」

「綺麗なお嬢さんと仕事とは羨ましい」


 マイルズはしみじみとうなずく。

 ルーシーは丁寧に棚に戻し、老爺に頭を下げた。


「ありがとうございました。とてもきれいで、素敵ですね」

「よければお一ついかがかな? 安くしとくよ」

「……これ、売り物なんですか?」

「はっは。うちの店先が美術館に見えたかな? 好きなものを選んで買ってくれ。そうしたら、それはお嬢さんのものだ」


 ルーシーは乙女のように両手を合わせ、棚を見渡す。


「どうしよう、どれもきれいで迷ってしまいます」


 頬を緩めたマイルズが彼女の肩越しに棚を見渡す。現地の名物土産ではなく、各地のガラス細工を集めたセレクトショップのようだ。

 個性豊かなガラスを見てマイルズは軽く言う。


「一つに絞らなくてもいいんじゃないか?」

「一つに絞るからいいんですよ、こういうものは。思い入れを重ねると、もっときれいに見えるんです」


 マイルズに即答で抗弁する。そんなルーシーに老爺のほうが微笑んだ。


「そのとおり。お嬢さんは風情が分かっているな。外人さんにしておくのは勿体ない」


 商人が少なく買うほうに賛成するとは、マイルズには分からない感覚だ。爺さんだから、利益を度外視して商売ごっこを楽しんでいるのかもしれないと考えてひとりでうなずく。


「では、こちらを」


 ルーシーは赤いフラスコ状のビードロを選んだ。

 はいよ、と受け取る爺さんに向けてマイルズは青いビードロも手渡す。


「こいつも頼む」

「おや、あんたも買うかい? 気に入ってくれたとはありがたいね」

「気に入ったというか……」


 マイルズはルーシーを横目に見て口ごもる。

 そんなマイルズを見咎めてルーシーは冷ややかな視線を浴びせた。


「もしかして私を見てたんですか?」


 マイルズは注意深くルーシーを観察して、青いものと赤いもので迷っていると見当をつけた。だが逆を見抜くのは一瞬らしい。


「余計なことをしないでください。そういうのは嫌いです」

「そんなに邪険にしなくてもいいじゃないか」

「いやなものはいやなんです。言ったでしょう、一つに絞るからいいんだって」


 ルーシーは露骨にへそを曲げている。

 マイルズは困惑した。そこまで拒否される理由がマイルズには分からない。なにより、彼女がすねる姿など研究所で一度も見た覚えがなかった。


「分かった、悪かった。謝るから怒らないでくれ」

「怒ってなんかいません」


 怒っているじゃないか。すんでのところで飲み込んだ。


「青は俺のものだよ。それでどうだ」


 む、と口を結んだルーシーは上目遣いにマイルズを見る。そして息をついた。


「……すみません。少々大人げなかったですね。好きになさってください」

「決まりだな。爺さん、払いは俺だ。レディに格好をつけさせてくれ」

「ほう。じゃあ値段は十倍にした方がありがたみが増すかな?」

「適正な取引をしようじゃないか、ええ?」


 なかなかいい性格のじいさんから紙袋を受けとった。

 店から戻ったマイルズをルーシーが冷ややかに見ている。


「後で払います」

「勘弁してくれ、そいつはちょっとダサすぎる」


 実際、払ったのは民芸品ひとつだ。恩に着せるほどでもない。むっとする彼女に手のひらを振って見せる。


「本当に気にしないでくれ。俺の習慣の問題なんだ。なにがそんなに嫌なんだ?」

「……餌付けされているようで不愉快なんです。小ばかにされているような気もします。自分の欲しいものは自分で決めるのに」

「なるほど。参考になる意見だ」


 自立心の強い女性ならではだ。

 ビードロの紙袋を手渡しながらマイルズはウィンクする。


「お礼のキッスは、花束を贈った時に改めて」

「しませんし、いりません。生花は嫌いなんです」

「へえ? そりゃまたどうして」

「水に差して枯れるのを待つだけじゃありませんか。もっと建設的なもののほうが好みです。野菜とか」


 思わずマイルズは吹き出した。

 クールでスマートな女性なのに、窓辺に置いた大根の葉に水をあげる姿を想像すると妙に似合う。

 ルーシーは不満そうにマイルズを見上げている。手を振って他意がないことを示しながらマイルズは笑った。


「本当に、素敵なお嬢さんだと思ってね」

「馬鹿にしてますか?」

「まさか。褒めてるよ」


 いなしながらマイルズは腕時計を見る。バスの時間までまだ余裕があった。

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