CTI闘争編

第19話 情報集積

 ルーシーが人形のように手足を投げ出して倒れている。

 紅色の装甲が光る機械の手のひらに乗せられて。

 死んでいる。

 拳が握られ、死体が潰れた。曲がり、へし折れ、華奢な手足が小枝のようによじれていく。

 血が滴って池を広げて、

 涼やかな声が、

――マイルズ――


「――はぁッ!」


 そこでマイルズは飛び起きた。


「はあッ! はッ……はぁッ……!」


 じっとりと熱い汗が苦く冷えていく。シーツがべったりと諸肌もろはだに絡みついていた。

 狭苦しい室内は、手術台にも似た簡素なベッドだけで埋まってしまう。

 マイルズは苛立たしげに髪をかきむしり、立ち上がった。部屋の扉から外に出る。寝ていた部屋はウォークインクローゼットだった。

 部屋は暗い。壁に埋め込まれた巨大な窓にタワーマンション高層の夜景と、モニターの四角い灯りが映り込んでいる。四角い光の隣にある人影が振り返った。

 マイルズはリビングに目を向ける。電灯もつけていない暗い部屋に、家具や調度品はない。大型コンピュータが一台と、脛ほどの高さのガラステーブルがキッチンカウンターに寄せられているのみだ。

 高級マンションの美しいフローリングに直接あぐらをかく女が、伸び切ったカップ麺を片手に笑った。


「お目覚めですか、大佐? 睡眠時間短いっすね」


 赤みを帯びた長髪を指に絡めて、赤々とルージュの引かれた唇をゆるませて嫣然えんぜんと微笑む。ネグリジェの胸元は豊満に押し上げられ、あぐらをかく股座またぐらにはなにも穿いていない。

 マイルズは鼻にしわを寄せて、嗄れた声を低く落とす。


「なにか変わったことは?」

「なあんにも。焦ったって仕方ありませんよ。こちとら素人ですからね、セキュリティを突破するカッコいいハッカーなんて映画だけの存在です」

「じゃあなにか穿け、バカ野郎」


 まあ、と口を押さえた女は拗ねたように口を尖らせた。


「野郎だなんて……こんな美人を捕まえてひどいですわ」

「黙れカルロス」

「うわ怒った。やめてくださいよ、いやほんと、この体にゃ金かかってるんすから」


 馬鹿馬鹿しい、とマイルズは鼻で笑ってダンボールから新品のシャツを取り出した。

 あれからマイルズは和ノ国を出て大陸に戻っていた。本国ではなく、その隣の国に。ルーシーを置いて出国することに後ろ髪を引かれるものがあったが、当てもなく探し回ってもルーシーの身が危険にさらされるばかりだ。まずは手掛かりを集めてから――そうしてマイルズは経済都市に入った。

 協力者となる、かつての部下と合流するために。

 下着を穿かないまま足を揃えて股間を隠した元男は、モニターを顎で示す。


「心配しないでも、ちゃんと研究所の動向は監視してますよ。所長はもともと臭かったみたいっすね」


 剣呑に目を細めるマイルズは、封を切った肌着を着る。システムキッチンを塞ぐ巨大なダストボックスに空けたビニールを無造作に押し込んだ。


「道路の跡はどうなった?」

「ニュースになりませんでした。映像どころか口コミもなし。兵器散乱事件なんてなかったレベルの隠滅っす。正直、証言したのが大佐じゃなかったら信じられません」

「そうか。軍の動きはつかめそうなのか?」

「ええ、まあ。いかつい連中の連絡先はたくさん揃えてますからね。俺、こう見えてモテるんで」


 ダンボールからボトルの水を取ったマイルズは渋面を溢れさせた。


「余計な情報はしゃべらなくていい」

「大佐もヤりたくなったら言ってくださいね。男を気持ちよくする方法は男が一番知ってるんすから」

「余計なことを言うな。聞こえなかったのか?」

「なあに言ってんすか。超! 重要な情報っすよ!」

「次に余計な口をきいたら殴る」

「俺しゃべらないと頭鈍くなるんで、下ネタ以外はしゃべってもいいっすか?」

「認めよう」


 やれやれお固くなっちゃって……と嘆いたカルロスは、マイルズの股間を見上げて、

 なにも言わずにモニターに視線を戻した。


「でも驚きましたよ。まさか大佐から俺に連絡くれるなんて」

「引退する部下がどこに行くと言ったかくらいは覚えているさ。まあ、女になっているとは思わなかったが」

「言いませんでしたからね。そうじゃなくて、軍を首になった俺を頼ったことっすよ」

「あのなあ」


 マイルズは眉間を揉み解し、大きくため息をつく。


「……お前が見かけによらず義理堅いことくらい知っている。能力の高さもな。お前が新兵を十六人も抱いて同性愛に染めたりしなければ首にしなかった」

「いやあ、俺もあんときゃあ若かったっすね!」


 はははと大笑する。カルロスの言う「いかつい連中の連絡先」には、漏れなくその十六人が含まれている。

 笑みを収めたカルロスは遠い目でモニターを眺める。


「冗談はさておき、後になって、けっこう後悔したんすよ。バカなことをしたって」


 醒めた声になったカルロスは、紅を引いた唇の端にシニカルな笑みを浮かべた。自嘲するように肩をすくめる。


「だって、困難な任務にチームで挑むあの興奮を知っている俺が、今さら人間並みの生活なんて……退屈過ぎて脳みそが腐っちまいそうだ」


 マイルズはなにも言わない。カルロスも返事を求めるでもなくコンピュータの操作を続けている。


「だから、どうあれ大佐にまた声をかけてもらえてよかったです。なんなら危ない橋をわざわざ探して渡っているところでした」

「……本当、男にだらしなくさえなければな」


 ははっと馬鹿に明るい笑声があがった。


「そりゃ無理な相談っすね! 俺、下半身で生きてますから! いてっ!」


 下ネタ判定厳しい! と文句を言うカルロスを無視して、マイルズはキッチンに向かう。インスタントコーヒーを紙コップに淹れながらカルロスに尋ねた。


「しかしお前、なんでわざわざ王国を出たんだ? べつに親戚が隣国にいたってわけでもないだろう」

「知らないんですか? 王国って、独身女性の税制は不利なんすよ」

「…………」


 苦り切った顔でコーヒーをすする。"独身女性"は笑顔でマイルズを振り返った。


「大佐の方こそ波乱万丈っすよね。軍を辞めてテストパイロットになったはずが、そいつも辞めて駆け落ち。そしたら最後に勤めてた研究所がやばそうで、特殊部隊並みの装備をした武装組織に恋人をさらわれる……いや、まさか大佐に年下の恋人ができるなんてね」


 少し居心地が悪そうにマイルズは眉をひそめた。ルーシーは年下どころか、酒も飲めない未成年だ。

 そんな気分を知ってか知らずか、カルロスはいやらしく目元を緩める。


「てっきり、大佐は年上の女性につかまって尻に敷かれるものだと思ってました」


 ハッサの顔が目に浮かぶ。

 マイルズは眉をしかめてカルロスをにらみつけた。カルロスは心底楽しげに笑っている。


「なんにせよ、恋人が謎の陰謀に巻き込まれてさらわれる――なんて。映画みたいだ。協力しますよ。こっちから頼みたいくらいです」


 すっかりどこぞの女優みたいな顔になったカルロスだが、破顔するとかつての面影が蘇る。

 マイルズは複雑な胸中をすべて胸に詰めて大きく吐いた。


「……それで、どこまでつかめている?」

「そうっすねぇ」


 話題に拘泥する気配はない。カルロスは画面に身を乗り出して、ガラステーブルに豊満な胸を乗せる。


「大佐の見たM9改良型、そりゃ間違いなく最近採用された新型機のM10っすね。民間にはまだ出てないはずっす。軍事兵器を四機も大破されておいて、軍に動きは全くない。完全に掌握されて水面下で動いているか、軍は関係ないか……ヤバい事件には間違いなさそうです」

「そうか。厄介だな」


 マイルズは鼻にしわを寄せる。

 使えるはずのない新型機を使い、特殊部隊並みの潤沢な装備を持つ。各々の技量も遜色ない。さらにはM10の見せた尋常ならざる魔力量――ヘキサドライブだ。

 すべてが同じ方向を指し示していた。


「ルーシーの研究に対して横車を押した"企業様"か……」


 オーダーツーではなく、魂喰らいオーダーシックスの優先が決まったとき、ハッサは説明した。


――企業様から所長に働きかけがあって。


 いま、研究所に選ばれたはずのハッサが危険にさらされている。


「軍事産業を含む複合工業会社……CチバTテックIインダストリだったな。M10もこの会社のものか」

「和ノ国母体の大企業っすねぇ。なに考えてるやら」


 飲み終えたカップをゴミ箱に捨てたマイルズは、キッチンを出てリビングを横切る。


「状況は謎だらけだ。だから、できるところから潰していく」


 マイルズを目で追いかけて、カルロスは笑い損ねたような顔をした。


「本当にやるんですか?」

「もちろんだ」


 マイルズはベッドルームにつながる仕切り戸を開けた。

 豪奢な寝台があるはずの部屋には、床一面にスタンドが並べられ、重たく光沢を放っている。

 訓練された兵隊のように整然と銃口を揃える小銃の列。アサルトライフルにPDW、狙撃銃、軽機関銃。防弾ベストにタクティカルベストが座布団のように積み重ねられ、マガジンの束が新品のジェンガのようにパッキングされている。

 武器庫ができていた。


「手を出しやすい所長に直接"お宅訪問"して、話を聞かせてもらう」


 不敵な笑みを浮かべ、マイルズはそう宣言した。

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