第11話 成果

 研究は進んでいた。


「お疲れ様です、マイルズ」


 納屋に戻るとルーシーが出迎えてくれた。

 マイルズは納屋に機体を着座させる。コックピットに増設されたレコーダーからメモリーカードを引き抜くと、ハッチを開けて機体を降りた。


「ご依頼のテストメニュー、すべて滞りなく」

「ありがとうございます。僚機で観測できないのは手間ではあるのですが、案外なんとかなるものですね」


 ルーシーは納屋の片隅に設けたコンピュータデッキのリーダにカードを読み込ませる。モニタの一枚が明滅し、結果がディスプレイに表示された。マイルズは一歩下がって城塞のようなデッキを見る。


「なんだか、SF映画に出てくるマッドサイエンティストを見ているみたいだ」


 画面を見上げるルーシーの周りには、モニターが六枚も掲げられている。キーボードユニットも三セットほどあり、巨大なコンテナ型のコンピュータがうなりを上げる。壁板の田舎臭さとの落差で、威圧感は強烈だった。


「で、どうなんだ。改良の方針は固まってきたか?」

「運動エネルギーの放出を終えた魔力を吸い上げて再利用する、還流システムの限界は見えてきましたね。研究所での試算通り、オーダーシックスの七割程度をマークしています。もちろん、最新のデータであれば差は開いているでしょうけど……」

「さすがに教えてくれないか」


 ルーシーは苦笑してかぶりを振った。金髪がゆるゆると揺れる。


「情報漏洩ですよ。教えてくれるって言われても断ります」


 ハッサとはときおり連絡を取り合っているようだが、世間話に終始しているようだった。

 ルーシーは指を下唇に添える。


「とはいえ頭打ちですね。オーダーワンとの出力差があるからには、魔力還流だけでない何かがあるのでしょうけど。それが一体、なんなのか……」


 思い悩むルーシーの横顔に、マイルズは思わず口走っていた。


「せめてヒントがあればな」

「………………」


 沈鬱に顔を曇らせたルーシーを見てようやく、マイルズは失言に気づく。自分の額を覆った。

 考えに詰まったとき、ルーシーはいつもオーダーワンの挙動を再確認して、比較検討するところから始めていた。オーダーワンは、孤児院時代の義姉とつながる唯一の物証でもある。彼女自身を慰撫いぶする効果もあったのだろう。

 だが今、オーダーワンはもうない。れっきとした研究所の所蔵だ。もはや記録以上の存在価値がなかったオーダーツーを持ち出すこととはわけが違う。

 自分の頭でこね回すしかないのだ。


「少し、考えます。散歩してきますね」

「あ、ああ……」


 納屋から去っていくルーシーの背中を、マイルズは不安な顔で見送った。


 日が暮れてから帰った彼女の顔は、浮かないままだった。




 そして、二か月が過ぎた。


「マイルズ! マイルズ、来てください!」


 飛び起きてふらつく。

 マイルズは縁側から足を投げ出してうたた寝をしていた。

 煙を上げる蚊取り線香と、食べ終えたスイカの皮と飲みかけの麦茶がお盆に乗っている。日は記憶にあるよりずいぶんと高い。


「マイルズ!?」

「今行く!」


 サンダルを突っかけ、マイルズは表に走り出す。ルーシーの声を探すも、納屋には姿がない。

 振り返ると陽に輝く白いワンピースが見えた。

 畑の畝に。


「ルーシー?」

「マイルズ、こっちです。見てください、ほらこれ!」


 彼女は興奮に肌を上気させ、冷ややかな目に声を弾ませている。マイルズに示して見せた。

 赤く、つやつやと輝く楕円の。


「トマトです!」


 立派なトマトがっていた。


「……トマト?」

「トマトです。すごくないですか? 市場でもこんなに美しい形に生った果菜は見ませんよ。芸術的です」


 ルーシーはうっとりと目を細め、大きなトマトを見つめている。

 ふは、とマイルズの腹から息が漏れた。栓が抜けたように耐えきれなかった。


「はは、ははっはっは! トマトか、そうか! ははっはは!」

「な。なんですか。そんなに笑うことないじゃありませんか」


 トマトひとつのために大声で呼びつけた自分に気づいたのか、ルーシーは顔を赤らめてむくれている。

 マイルズの目にも、かなり表情が読み解けるようになっていた。あるいは、ルーシーの表情が豊かになったのか。


「いやいや。実際、すごく綺麗に生ったもんだ。ブランド野菜みたいじゃないか」

「そ……そうでしょう?」


 声の端々に嬉しさがにじんでいる。

 この苗を植えたのはルーシーだ。すっかり野菜作りに凝った彼女は毎日欠かさず世話をして雑草をむしり、手入れを続けていた。

 おなじみのボードに土の窒素配合や日照時間、土壌湿度などを書き留めていく。

 野菜に、だ。

 研究に行き詰ったあまり、隙間時間の作業だったはずの野菜作りはいつの間にか一日の大半を占めるようになっていた。


「トマトの土を少し乾かさないといけませんね……。そうだマイルズ、そろそろトウモロコシは収穫できるかもしれません。そのときは、よろしくお願いしますね」

「ああ。力仕事なら任せてくれ」


 と、マイルズは顔をあげる。聞きなれたスクーターの音が響いていた。


「サガミハラさんだ。ルーシー、ナスを分けるって言っていただろう」

「はい。取ってきます」


 そんな話をしているうちに、スクーターをめたおばさんの姿が道の向こうに現れた。

 移住初日にお世話になった出前のおばさんは公私ともに親しくなり、お互いにおすそ分けを届け合う仲になっていた。すっかり馴染んだな、とマイルズは苦笑する。


「いらっしゃい、サガミハラさん。今日も暑いですね」

「はいお邪魔します。ホント暑いわよぉ。でも息子夫婦んところは気温が三十六だか七だかだって。ここいらはマシなもんねぇ。マイルズさんも熱中症気をつけてね。特にあのお嬢さん。細っこいんだから」

「気を付けさせます」


 朗らかで快活なおばさんを居間に通し、自家製の梅干しや鶏卵を分けてもらう。

 ザルを抱えたルーシーがやってきて、ナスとトマト、レモンの甘塩漬けを詰めたタッパー、そして暑い中わざわざ届けてくれたお礼にと麦茶を渡した。


「あらぁ嬉しいですわ。ありがとうございますね」

「こちらこそ、いつも助かります」


 お茶を飲みながら休憩がてら、料理のレシピを授けるサガミハラさんは、世間話もそこそこに帰っていく。

 見送りから帰って、教わったレシピをボードに書き込んでいくルーシーは、ふと顔をあげて小首を傾げた。


「すっかり打ち解けたと思うのですが。なぜ、マイルズと違って私にだけ敬語なのでしょう?」


 マイルズはなんとなく察する。

 機嫌がいいと分かっていても、やっぱりルーシーの目つきは怖いのだ。

 ルーシーはちゃぶ台に手を突いて立ち上がる。


「さて、そろそろお昼の支度をしましょう。蕎麦でいいですね」

「もちろん。でも、もう一週間連続か。まだ美味しく食えるが、毎年だとつらそうだな」

「毎年だから、こんなに大量におすそ分けいただけたんじゃないでしょうか」


 和ノ国の夏も楽じゃないなぁ、とマイルズは目を細めた。

 来年。

 そう、この漫然とした調子であれば、来年もここにいるかもしれない。それも悪くないと思っているマイルズがいる。

 毎日取り続けているオーダーツーの記録。その累積データは納屋の机に積み重ねられ、目も通されずに置かれていることをマイルズは知っている。

 興味が薄れているというよりも。

 無力感がつらかった。

 行き詰まり、手掛かりはなく、誰かに相談することもできない。

 研究所ではない、というデメリットがこれほど大きいものだとはマイルズは思っていなかった。ルーシーもなおさらだろう。

 このまま、この国で暮らしていくのも悪くない。仕事を探すか、なんなら農家を始めるのもいいだろう。そんな漠然とした思案が脳裏をよぎることも増えていた。

 がたん、と大きなものが落ちる音がキッチンから響く。


「……ルーシー? どうかしたか、ルーシー」


 返事がない。マイルズは腰を上げてキッチンに急ぐ。

 廊下の角からキッチンの床に飛び散る蕎麦が見えた。乾蕎麦をまるごと落としてしまったようだ。

 ルーシーは拾う素振りもなく、立ち尽くしている。ダイニングに据えられたテレビを見つめていた。

 彼女の視線を追いかけて、マイルズも目を奪われる。


『先日発表しました新型魔力炉、ヘキサドライブ。これは歴史を塗り替える性能を持っています――』


 桃色の髪、狐の耳。見慣れた人の見慣れない姿。聞きなれた声の聞きなれない言葉。

 かつてなく美しく着飾ったハッサ教授が、ふざけた語尾のない静かな口調で語る姿が映っていた。


「……完成したのか」


 つぶやくだけでも精一杯だった。喉が干上がっていた。

 かつてのオーダーシックスは、今やヘキサドライブと名を変えた。過去ナンバーを踏襲しつつゼロドライブに比肩するひとつとして、ヘキサドライブとは言い得て妙だ。

 試運転の公開映像を見るだけで、マイルズの知っている段階から大きくブラッシュアップされていることを感じさせる。


「さすがですね、ハッサ教授は。とてもすごいです」


 マイルズは視線を移してギョッとする。

 ルーシーが微笑んでいた。見て分かる形で。


「私とは、大違い……」


 ルーシーは逃げるように屈み、落ちた蕎麦を集める。

 伸ばされる細い指が震えていた。


「ルー……」


 微笑んだ? 違うに決まっている。あれは泣くのを我慢していたのだ。

 マイルズの手は、今度こそ届いた。


「きゃっ」


 肩を引いて抱きしめる。

 ルーシーはマイルズの肩を叩き、押しのけようと力を込めた。


「ちょっと、やめてくださいマイルズ。離してください」

「いやだ」


 頑として答える。体を使う仕事はマイルズの役目だ。落ち込んだときには、身体刺激が一番効く。

 ルーシーを慰めるために、抱きしめる。


「マイルズ……やめて、ください」

「いやだ」

「やめて、ほんとに……」


 拒絶が涙声に震える。

 優しい言葉もあるはずだった。だが、どんな言葉も似つかわしくない。少なくとも、マイルズの口から発するべき言葉などなかった。

 二人は共犯者だ。

 弾劾されるべき罪人で、負うべき罪から逃れた脱獄囚で、贖罪から逃げ延びた天国の不法滞在者だ。


「マイぃ……ル……ぅふぐっ」


 堰切ったように嗚咽が溢れる。

 声を殺した吐息を肩に感じて、マイルズは唇を引き結んだ。


 ハッサ教授の晴れ姿が二人に声を浴びせ続ける。

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