第10話 ある日の買い出し
「そろそろ、本格的に買い出ししなければいけませんね」
カコカコと棚にコップを片付けながらルーシーが言った。
洗った大皿を拭くマイルズが振り返る。
「なにか足りないものがあったか?」
「足りていればいい、というものではないでしょう。着替えもぎりぎりですし、食器も使う分だけ。調理道具はフライパンがふたつ。これでは文化的な生活とは呼べません」
「そ、そうか……」
このくらいの方が面白いと思っていたマイルズは少し答えに詰まった。やはり現場主義の軍人気質であるらしい。
しかし、珍しいことだった。あのルーシーがなにかを欲しがるとは。
マイルズは車のキーを取った。
「分かった、買い物に行こう」
ふとルーシーは思い出したように言う。
「お金は半分出します」
「相変わらず頑なだな……」
§
車に揺られて二十分。
郊外型の複合商業施設にマイルズの赤いSUVは乗り込んでいく。スーパーやドラッグストア、服飾店などの巨大な店舗が一堂に会し、共通の広大な駐車場を包囲している。
「俺の知ってる和ノ国の郊外型デパートってのは、でっかい施設の中にいろんなテナントが入ってるパターンなんだが……こっちの規模はまたすごいな。なんでいちいち建物が分かれてるんだ?」
「テナント方式よりも店舗形式の方が、それぞれの店に合ったやり方が使えるからでは? なにしろ大量在庫の大量販売です。搬入の量も相応でしょう」
そんな会話を助手席のルーシーと交わしながら車を駐車させる。
ルーシーはシートベルトを外しながらメモを広げた。
「まずはかさばらないものから買いましょう。ドラッグストアですね」
「買い物リスト作ってきたのか? マメだな」
「マイルズみたいに、余計なものを買って帰りたくないんです」
言い捨てて車を降りるルーシーに、むっとした顔のマイルズが声を投げる。
「マヨネーズが三本あったっていいだろ。どうせ使うものなんだから」
「無駄口叩かないで、行きますよ。十五時までに一通り済ませておかなければならないんです」
「ん、十五時? なんでまた」
勢いをつけて車のドアを閉じながら、ルーシーが言った。
「タイムセール!」
なるほど、とマイルズは神妙な顔でうなずいた。
手始めに入店したドラッグストアは一軒を丸ごと使った立派な店舗で、トキオならちゃんとした総合スーパーになりそうな規模だった。品揃えもスーパーとさほど変わらない。
ルーシーは踏み出しかけた足を止めて、マイルズを振り返る。
「ではマイルズ。メモを貸しますので、洗剤や常備薬のストックを補充しておいてください」
「うん? きみはどうするんだ?」
ルーシーは照明がひときわ明るい売り場を指した。
「化粧品売り場についてきますか?」
「なるほど」
つぶやいてメモに目を落とす。ルーシーの提唱した買い物順にリストは作られていて、基礎化粧品にヘアケア、スキンケアグッズ、そして生理用品が記載されている。洗剤などはその下だ。
ぱしっとメモがむしり取られた。
ルーシーが赤い顔で口をとがらせている。指先で丁寧にメモをちぎった。突き返される。
マイルズに必要なところだけ残っていた。
「意外とうっかりさんだな」
「黙って! ゴー!」
犬にするような命令を受けて、マイルズは肩を縮めて売り場に逃げた。
ぐるっとひと巡り。見つからなくて二往復。ついでにリスト記載の食料品も買って、別れた場所でマイルズは待つ。色つきの不透明な袋を提げたルーシーが、マイルズを見つけるなり小走りに駆け寄ってきた。
笑顔で両手を広げて迎えるマイルズに、
「なに買ってるんですか!」
開口一番に叱声が飛んだ。
マイルズの頬が強張る。ルーシーはそんな彼の提げるビニール袋を覗き込んだ。
「ああ、こんなにたくさん……カゴに入れて待っていてくれたらよかったのに」
「いや、あのなあ。きみの金を使ったわけじゃないんだ。怒られる筋合いは」
言い募りかけたマイルズの鼻先に、黄色いカードがかざされた。
マイルズは鼻白んだ。カードの向こうの冷ややかな碧眼を見る。
「……これは?」
「ポイントカードです。今日は五倍デーだったんですよ。だからわざわざストックの補充を今日買いに来たんです」
「……あ、そう?」
「あっ! それに野菜まで買って! ちゃんとリストの下の方に書いておきましたよね? 乾き物はドラッグストアも安いですけど、維持管理にコストのかかるものはスーパーがやっぱり安いんですよ」
いよいよなにも言えなくなったマイルズは、ただ身を小さくして聞いていた。
ふう、と息を吐いて、溜飲が下がったルーシーは首を振る。
「いえ、すみません。ちゃんと方針を確認しなかった私の落ち度ですね。マイルズは悪くありませんでした。ごめんなさい。行きましょうか」
「あ、ああ……ん? どこに行くんだ。そっちは外じゃないぞ」
店の奥に歩くルーシーは、金髪を優美に流して半身に振り返る。ふっくらと魅惑的な唇に、長いレシートを寄せた。
「サービスカウンターに寄っていきます。レシートを見せれば、ポイントをつけてもらえるかもしれません」
買い物はルーシーに任せよう。マイルズはそう心に決めた。
§
一帯の店舗を回って荷物をいったん車に積んだころには、昼食の頃合いを過ぎていた。
エリア内には飲食店も並んでいる。二人はそのうちの一軒、ラーメン屋の行列に参加していた。
食事のために長時間並ぶなんて馬鹿馬鹿しいと考えるタイプのマイルズが大人しく列の足しになっているのは理由がある。
どれにするか、居並ぶ店の看板を眺めていたときのことだ。
「ラーメンにスシ……ファミレスならなんでもあるな。ルーシー、なにが食べたい?」
「マイルズが食べたいもので構いませんよ」
「それじゃあスシに……」
言いかけたマイルズは、ルーシーの視線がラーメン屋から戻ってきたことに気づいた。
「……ラーメンにしようかな」
「いいんじゃないですか?」
寿司を言いかけたときにはなかった返事が来て、マイルズはラーメン屋に足を向けた。
選択の余地はなかったのだ。
ようやく店内に入った途端、食欲をそそる油と麺の香りが醬油ベースの湯気に乗って香ってくる。頬をほころばせたマイルズに、ルーシーがささやいた。
「マイルズ、知っていますか? ラーメンは大陸料理を和ノ国が独自に進化、発達させた料理なんだそうですよ。いろんなスープが研究されていて、なかには分子物理学よろしく味覚成分の調合をしているものもあるそうです」
「すごいな」
そんなにラーメンに興味を持っているとは知らなかった、という意味でマイルズはうなずいた。
「すごいですよね」
和ノ国ラーメンの壮大さに思いを馳せて、ルーシーはうなずく。
やがて食券を買ってカウンターに通された。店員に半券を渡しながらルーシーはカウンターの張り紙を見る。
「えっと……アブラスクナメメンカタメでお願いします」
「なんだって?」
マイルズが驚いて彼女の握る半券を見た。どう見ても野菜ラーメンであり、そんな奇態な商品名ではない。
ルーシーは「注文お好み」と書かれた張り紙を指す。
「ラーメンの注文です。オーダーを調整できるんですよ」
「あ、聞いたことあるな。カルロス……同僚が、早口言葉だって流行らせて和ノ国のやつに怒られた」
マイルズは記憶から呪文を掘り出して、頭にタオルを巻いた店員に言う。
「ニンニクヤサイマシマシアブラカラメオオメ……」
「外人さん。それ、うちじゃないですよ」
「あれ?」
ルーシーが頭痛をこらえるように額に指を添える。
「彼は、全部普通で」
「っしゃっしゃーす」
ラーメンは美味かった。
§
「さて、いよいよですね」
スーパーで食品をあれこれカートに乗せている間に、問題の十五時は迫っていた。
タイムセールを告知する空のワゴンのそばには、何人もの客がそれとない風を装って不自然に商品の棚を眺めている。
落ち着きのない不穏さにマイルズはうろたえた。
「ただの安売りだよな?」
「いいえ」
ルーシーは従業員扉から目を離さずに応じる。
「戦争です」
元軍人はゴクリと生唾を飲み込んだ。
従業員扉が開き、山ほどの商品ケースを積み重ねた台車を押してスタッフが現れた。
瞬間。
空気が色を変える。
「まだです! まだです! ワゴンに商品を置いてからスタートです」
介添えのベテランらしい店員が手を挙げている。強張った顔の店員が押す台車は、なるほど確かに肉や豆腐などが法外な安値で積まれている。どう見ても赤字という品揃えなので、目玉企画として客寄せに催しているタイムセールなのだろう。
マイルズは瞠目した。
先ほどまで近くの棚を見ていたはずの老若男女さまざまな客たちが、まるで初めからそうあったかのようにワゴンのそばへと集まっている。
ベテラン店員が商品ケースを両手に持ち、客の顔色に目配せする。
「スタートです!」
ワゴンに置いた。
世界が変わった。
§
「まったくマイルズ、なにボーっとしているんですか! 大きんだから、パッと取ってサッと離れてくれたらよかったんですよ!」
「すまない……その、気おされて」
「軍人でしょう! 民間人に気合いで負けてどうするんですか!」
「平時に民間人と競り合う気合いが必要とは思っていなくてな……」
買い物カゴをいっぱいにしてカートを押すマイルズを、ルーシーはぷんすかと説教する。つかつかと歩く彼女の背中を見て笑みを漏らしたマイルズを、ルーシーは目ざとく見とがめた。
「なに笑ってるんです」
「いや、すまない。きみがすごく生き生きしているから」
「え?」
ルーシーは
虚を突かれた顔で立ち尽くす彼女にマイルズは笑いかける。
「買い物、好きなんだな。いや、安売りがかな?」
ルーシーは両手に構えるポイントカードとクーポン券、そして値引き札つき商品でいっぱいになった買い物カゴを順に見た。
どこからどう見ても、安売り大好きな清く正しい主婦だ。
ぼっと燃え上がるように顔を赤くした。
「ち、違います!! 違うんですこれは! べつに私はそんな……違うんですっ!」
「照れなくていいじゃないか。これも面白そうで感心した」
「面白!? いやそんな……これは、わ、私の主義思想ではありません! ただの孤児院からの習慣ですっ!」
自分の言葉に励まされたように大きくうなずき、火がついたようにまくし立てる。
「そうですっ! 王立孤児院にお金なんてあるはずないでしょう。当時の買い出しでは、賢く買い物するのが当然だったんです。研究員になってからも変わりません。私がお金に汚いわけじゃないんです!」
「分かってるわかってる」
「本当ですっ! 同じ必要度で同じ品質なら、より安いほうを選ぶのは当然じゃないですか。私は出費にはおおらかなほうなんですよ? 研究書だって高くつきますし、そもそも学会費やデータベースの年会費だっていい出費になるんですから……」
「いつも頑張っているもんな」
家庭菜園に夢中になるのも、きっとそういうところに端を発しているのだろう。
ルーシーの見苦しい言い訳は帰宅するまで延々と続いた。
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