第32話 ニューフェイス

 イデアが飛び去った後、森に残されたマイルズは試験機に向かおうとして足を止めた。


「ハッサ……」


 ハッサはへたり込んでうつむいている。


「ハッサ。ハルベーザとは」

「……弟ですにゃ」


 それだけ言って黙り込む。

 見かねたニンジャが口添えした。


「ハルベーザ・ゴトウは、CTI社と談合して研究計画を設置、ハッサはハルベーザの工作を受ける形で研究主任の地位を得ました。彼女も実績ある研究者ですので、それほど強く疑念には思われなかったようです。ですが……」


 ニンジャは目をすがめてハッサを見た。同情的な、しかし断固とした強い眼差しがハッサを射る。


「いろいろ、不正を揉み消していましたね」

「……研究を推し進めるためです」

「じっくり聞きたいところだが」


 爆発音にマイルズは顔を上げた。

 森の上を黒煙が昇っていく。おしゃべりを堪能する時間はない。


「ニンジャ、彼女を頼む」

「頼まれました」

「ハッサ」


 マイルズは彼女に告げた。


「後で話を聞かせてもらう。それまでに……せいぜい、許してもらえるような言い訳を考えておくことだな」


 内容次第では許すことも考えておく。そんな言葉にハッサは侮蔑的に笑う。


「私に……そんな事情などありません。あなたが思うような善人ではなかったというだけです」

「どうだか。おまえは簡単にとんでもないことをしでかすクチだからな。それに、確かに善人ではないかもしれないが」


 マイルズは言葉を切って、笑みを浮かべた。


「……図抜けたお人好しなのは、間違いない」


 ハッサは口をつぐむ。

 マイルズはニンジャと目配せして機体に走る。コックピットハッチを開けて乗り込んだ。

 一つきりの椅子と、椅子を包囲するサブモニタ。まるで構ってほしいと大人に群がる子どもたちのように、操縦装置やコンソールが迫っている。シートに座ったマイルズは、ベルトを留めながらコックピットを見回した。


「システムは……古い型だな。いや、古いのはガワだけか?」


 アクティベート。コンソールに並ぶスイッチを入れていき、操縦桿を握る。

 操縦桿の伝導線を通して魔力炉に魔力を注ぎ、起動を助ける。ごとん、と重たいものが転がるような震えを皮切りに、魔力炉は徐々に圧を高めていく。起動した魔力炉から魔力が生成されていく。

 マイルズは顔を曇らせて計器を見た。


「オイオイ、ちゃんと動くんだろうな?」


 魔導外殻は全身に行き渡らせた魔力を用いて駆動機を回し、躯体くたいを動かす。

 にも関わらずこの機体は魔力を全身には流さない……。


「ん? 大丈夫なのか?」


 遅れて全身に魔力が満ちていく。

 古い魔力炉のような不安定な挙動に、マイルズは表情に不安をよぎらせた。機密が甘かったり未完成であったりしたら、最悪、爆発する。


 顔を上げた。

 メインモニタに映る木々の隙間からイデア機の姿がのぞく。


「ッ、イデア!?」


 紅い魔導外殻の姿に息を呑んだ。

 左腕はひしゃげていた。今も銃撃を浴びて逃げ回り――チェーンマインに足を捕まえられた。爆発。キリキリと回って落ちていく。


「くそっ! なにが任せてだ、戦闘は素人じゃないか!」


 マイルズは勢い込んで操縦桿を握る。

 間違いない。あの追い込み漁のような周到な攻め方はカルロスだ。彼は相手の反撃さえ織り込んだシナリオを描いて、まるで敵が自滅するかのように容易く仕留める。

 ここしかない、というタイミングで裏切られたマイルズのように。

 ブースターに点火、浮揚ふよう術式を走らせて、地上から離れる力を機体に与えていく。

 マイルズは舌を巻いた。


「前言撤回。こりゃあ……とんでもない機体だぞ」


 古い魔力炉のよう? 冗談じゃない。

 粘つくような軽い追随にはクセがあるが、出力もセンシティブも申し分ない。特に魔力制御に対するなめらかさはヘキサドライブを超えていた。

 まるで、手足の延長のように動く。


「マイルズ!」


 機体の足元に目を向ける。ハッサが叫んでいた。


「完成した魔力還流は、あなた自身を経由して魔力が全体を循環します! 振り回されないように! そしてもうひとつ、重要なことを伝え忘れていました!」


 ハッサの琥珀色の瞳が悔しさに涙をにじませる。歯噛みする唇を切るように開いて、彼女は言った。


「その魔力炉の名は――ツインドライブ!」


 その名を聞いて、マイルズは数瞬動きを止める。

 やがて声を上げて笑いだした。


「ツイン……ツインか! そうか、なるほどな! ツインときたか!」


 起動の遅れも、ぬるぬると追随する浮遊感も納得だ。それなら還流も安定するだろう。

 この魔力炉にはオーダーワンが二つある。

 ひとつめのオーダーワンが吐き出す暴力的な魔力を、もう一つで受け止めて、穏やかな流れにして放出しているのだ。まさにダムと同じように。あるいは、駆動輪と前輪の二つで安定を生み出すように。


「ありがとう。最高のアドバイスだ!」


 マイルズは飛ぶ。

 ツインドライブを搭載した魔導外殻の背部ブースターから、推進力を吐き出す赤光が爆発するように閃く。しかし周囲の枝はそよ風に当たる程度に揺れるだけ。


 枝を突き抜けたツインドライブは、一直線に空へと舞い上がった。

 森を見下ろし、山の稜線を縮めて、山頂さえ眼下に収めて白く霞む地平線を望む。

 申し分ない上昇性能。

 気持ちいいほどの操縦性。

 両手両足を広げ、機体を自由落下に任せていく。

 全身に受ける風が操縦装置を通じてコックピットにいるマイルズまで伝わる。マイルズは笑った。


「ハッサ、やっぱりお前はお人好しだ。……ルーシーの機体開発を助けたじゃないか」


 小憎たらしいほどの操縦しやすさは、オーダーシックスに通底する。

 魔力炉をはじめ、設計や実装はルーシーだったかもしれない。だが、制御にはハッサが手を加えていた。それが分かった。

 この試験機は合作だ。二人でなければ完成しなかった。

 どうせルーシーを捕らえるのなら、完成させる必要はなかったのに。


 下方、ミニチュアのような白亜の研究所を見下ろして、マイルズは操縦桿を傾けた。

 森の上を飛ぶ紅い機体に機首を向けて手足を伸ばし、降下を速めていく。

 たった二機で緩急自在に攻め立てていたM10改とM10、そのうちM10のほうがマイルズを振り返った。手の銃をマイルズに向ける。


『――騎士団の恥さらしが!』


 剥き出しの憎悪が弾幕の形になって吹き上がってくる。

 マイルズは機体を操る。魔力を通して魔術を編む。

 振り払った腕の生んだ魔力障壁が、銃弾を受け止めて受け流した。


「その声、研究所のテストパイロットか。俺を知っていたのか?」

『知ったことか! 騎士叙勲されてすぐ研究所に乗り換えた金の亡者など!』

「金目当てではないんだが……まぁ、そう見えるだろうな」


 マイルズは機体の姿勢を返し、蹴り込むように着陸する。

 飛び退ったM10を追ってブースト。地表を滑る。旋転するように大きく足を振って蹴り飛ばした。


『っがあぁ!?』

「まだまだ甘いな、優等生」


 さらに魔術で追い打ちをかけようとして、

 イデアが叫ぶ。


『マイルズ、あぶない!』

「っ!?」


 逆噴。次いで全力で魔力障壁を展開する。

 フライングディスクのように飛来した爆雷が、眼前で障壁に突き刺さった。切り離されたチェーンマインだ。

 炸裂。

 魔力障壁を食い破って爆炎が荒れ狂う。


「――ぐぅうううっ! 危ねえ……!」


 炎を引いてバックスライドする機体の中、マイルズは荒く息を吐いた。

 サブモニタにはダメージ軽微とある。

 だが、装甲は爆熱を浴びて軋んでいた。

 この試験機は複合装甲ではなく、ただの鉄板だ。耐衝撃性は比較にならない。「軽微」でないダメージは、即ち致命的なダメージとなる。


『ったく。連携しますって言ったでしょうがよ。マイルズさんも参戦とあっちゃ絶望的――と思いましたが』


 カルロスのM10改が背部ラックから爆雷の予備を引きずり出してチェーンマインに接続。長さを戻した。不敵に構える。


『ブリキ人形なら勝てそうだ』

「カルロス……!」


 マイルズは剣呑に目を細める。だが迂闊な攻撃はしない。

 試験機には武装さえない。戦うための機体ではないのだ。

 カルロスに警戒しながら、ゆっくりと高度を落としている紅い魔導外殻に目を向ける。


「イデア。大丈夫か?」

『……こないでって、いったのに』

「負けそうになってるのが悪い」


 イデアは黙した。

 あのまま続けていたら勝てないと彼女も分かっているのだろう。


「イデア、ここは連携を――」

『――させるわけないでしょうが!』


 マイルズを遮るように、カルロスが踊りかかった。

 爆発が連鎖し、空中に湧き上がった炎で視界が潰される。マイルズは舌打ちを漏らして跳び退る。炎を貫いて飛来した銃弾をかわした。


『ぅあっ!?』


 爆炎の向こうでイデアの悲鳴。

 引きずり降ろされたイデア機を、カルロスがチェーンマインで打ちのめしている。


「イデア! 今、支援する――ちィっ!?」


 マイルズの焦った鼻先が鼻白む。

 振り返りもせず、カルロスは左腕に銃を構えてマイルズ機に連射した。

 障壁で防ぎつつ突撃――いや、M10も弾幕に加わった。マイルズはやむなく逆噴射で飛び退り、砕ける樹林を盾に回避機動に徹底する。


「くそっ! 近づけない!」


 装甲がネックだ。銃弾の一発でもまともに喰らえば、この紙切れのような鉄板はたやすく内部に貫通を許し機能不全を引き起こすだろう。そうなればジリ貧だ。

 イデア機は絡みついたチェーンマインを分解するも、分解魔術が敵機本体に達する前にチェーンが切り離される。追撃の爆雷に打ちのめされた。

 この期に及んで殺傷力のある魔術は使わないイデアに対し、カルロスは一片の容赦もなく攻撃を浴びせる。

 最悪の相性だった。


『先に紅いのを潰します。騎士団も、機体が悪ければ形無しですよ』


 なによりもカルロスの冷徹な判断力だ。

 マイルズは操縦桿をきつく握りしめる。魔力炉だけは一級品だが、カルロスの言う通り、他の装備が貧弱すぎる。

 マイルズはスクリーンのM10改をにらみつける。

 機体を転進、背部ブースターを吠え猛らせて飛んだ。


「舐めるな、――ッ!?」


 マイルズの機体が爆炎に飲まれる。

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