第31話 紅石色《ピジョンブラッド》

 紅い魔導外殻が降り立つ。

 宝石のような装甲は丸みを帯び、手足は優美に細い。おもむろに腕を差し出すと、濃密な魔力を手のひらに集め、

 光芒。

 まばゆさに顔をかばったマイルズは、目を開けて息を呑む。

 壁が消滅している。

 目の前から紅い魔導外殻までの間、研究所の一部がすっぱりと消えて垂直に切り立っていた。蝶番を失った扉が倒れて、土台の下まで落ちていく。

 廊下には表情を消したハッサが魔導外殻を見つめていた。


『――言ったはずだよ』


 落ち着いた、しかし妙に舌足らずで幼げな声だ。それは魔導外殻から響く。


『次にルーシーを傷つけたら、ただじゃおかないって。……よくもルーシーをさらったな』


 瞠目してマイルズはハッサを見た。

 ハッサは肩をすくめると、侮蔑するような笑みを頬に刻む。


「確かに居場所を伝えたのは私ですが――守りが甘かったのはあなたの手落ちでは? イデア・グレースさん」

『……それはそう。仲間を生贄にして進んでくるなんて思わなかった。私の慢心でルーシーを危険な目にあわせた。お姉ちゃん失格だ……。でも』


 沈みかけた声が、剣呑に転ずる。

 その切っ先は紛れもなくハッサへと向けられていた。


『そのことと、おまえを許すかどうかは、別だ』


 紅い機体が手をかざす。指先に魔術の予兆。先程のレーザーだ、と察したマイルズの体はすでに動いていた。

 ハッサの腕を背中にひねり、廊下の壁に押しつけるように拘束。驚く顔の彼女を押さえ込みながら、覆いかぶさってイデア機に叫ぶ。


「待て。殺すな! まだ聞かなきゃならないことがたくさんある!」

「離れてくださいマイルズさん!」


 仰天したニンジャの声に、イデアがピクリと反応する。


『マイルズ――マイルズ・スミス?』


 確かめるようなつぶやき。ハッサの抵抗を抑えつけて、マイルズは怪訝にイデアを見上げる。


「俺を知ってるのか?」

『うん。ルーシーが話してた』


 なるほどな、とうなずく。ルーシーと話したということは、やはりイデアはルーシーを連れ去ったと言うより、助けたのだろう。マイルズは襲撃側と間違われたらしい。

 殺されずに済んだのは、彼女が無駄な殺しを避けたからだ。


「イデア。ルーシーと一緒にハッサを拠点に連れ帰ったのか?」

『そう』


 イデアの端的すぎる肯定に、苦い顔をした。

 つまりハッサの「解放された」という説明は嘘だったわけだ。にも関わらず、ハッサはこの研究所にいる。

 なぜなら――ハッサが助けを呼んだからだ。


「ルーシーはどこにいる」


 マイルズはハッサに低く問う。

 腕をめられながらも、ハッサは皮肉げに笑った。


「そんなにルーシーが大切ですか?」

「そうだ」


 答えは短く。


「俺はルーシーを選ぶ。ハッサ、お前の気持ちには応えられない」


 ハッサは殴りつけられたように目を剥いた。

 痩身が強張り、かすかに震える。なにか言いかけるように開いた口を喘がせて――なにも言えずにうつむいた。

 マイルズはハッサが振り返らないよう抑えつけて、瞑目した。眉根をきつく寄せる。

 絞り出す声は、淡々と。


「ルーシーはどこだ」

「……地下です」弱々しい声でハッサはつぶやく。「ヘキサドライブのアーキタイプ……オーダーシックスを保管する区画に連れて行かれました」

「わかった」


 マイルズは礼の言葉を飲み込む。

 窺ってみれば、イデアはハッサへの興味をなくしていた。機体の腕は下ろされている。


『マイルズ。あなたに渡すものがある』


 マイルズの目前に闇が湧く。

 思わず仰け反った。間近に見ると油分の浮いたヘドロのようだ。


『……なんで逃げる』


 イデアの声はちょっと不機嫌そうに低い。マイルズは口を歪める。


「悪かったな。普通の人間はテレポートなんてできないんでね」

『泣き言はいいから、早くその先で――、っ!?』


 イデア機は顔を跳ね上げた。

 振り向けた手から陽炎のような魔力障壁が溢れ、途端に激しく火花が散る。衝撃に大気が震え、地面からビリビリと振動が伝わる。

 攻撃を受けている。

 マイルズは振り返った。研究所の格納庫を映す窓の彼方を、装甲の片鱗がかすめる。マットブラックの鎧騎士。M10だ。

 堪りかねたニンジャの大声が響く。


「マイルズさん! 状況がまずいです! いったん引いて立て直しましょう!」

「引いてなにが立て直せるんだ!? 魔導外殻でもあるのか!」

「ありませんけど!」

「なら逃げる暇が勿体無い! 手持ちの札でやるしかないんだ!」


 怒鳴り返すマイルズの顔にも余裕がない。

 考えられる限りの装備を揃えたゴトウ邸でさえ、魔導外殻に襲われれば絶望的だった。まして今は丸腰だ。無理と言ったほうが似つかわしい。

 だが、ルーシーはこの先にいる。

 マイルズの目の前が真っ暗になった。


「えッ? これ!?」


 ニンジャの悲鳴があがる。

 物理的に外界の光すべてが断ち切られたのだ。

 まるで世界から切り離されたかのように。


『怖くても我慢して』


 平衡感覚すら覚束ない暗闇の中、イデアの声だけが響く。

 彼女の声が、本当は柔らかく優しいことにマイルズは初めて気がついた。


「なにをするつもりだ!?」

『とりあえず――逃げる!』


 どぷん、と五感が沈む。


 まばたきをする間に、光が戻った。

 木の幹、腐葉土、枝葉の隙間からこぼれ落ちる日光をチラホラと生える雑草が舐め取るように浴びている。

 森だ。マイルズは日光に目を細めた。

 手には捕まえたままのハッサ、背後に腰を抜かすニンジャ。そしてマイルズたちをぴったり股の下に置いて、左右に紅い機体の足が立っている。


『くっそー。頑張ってちかくまで持ってきたの、仇になったなあ』


 イデアのつぶやきに周囲を見回す。

 森の中だ。見覚えのある植生、嗅ぎ慣れた空気。知っている場所、どころではない。首を伸ばして見てみれば、白い壁が木々の隙間から垣間見える。

 試験飛行に使う森だ。

 研究所の目と鼻の先だった。


「なんでこんな近くに――」


 振り返ってマイルズは息を呑む。

 間近に立つ紅いイデア機の、また向こう。

 そこに銀色の魔導外殻が屹立している。

 簡易なユニット式パーツで手足を構成し、リベットを潰した跡も生々しいむき出しの鈍色が木漏れ日に揺れる。板金で覆っただけの武骨な装甲、いかにも有り合わせの間に合わせ――それでいながら、新鋭機に使われる機能を組み込んで改造されている。

 未だ見たことのない型。まさに作られたばかりのモデルだ。


『それが、ルーシーがさらわれたあと私の拠点に残されてたもの』


 イデアの淡々とした声にマイルズは反応を返せない。

 これは実用を想定されていない、かなり素朴な意味での試作機だ。とりあえず形にしてみた、という色合いが強い。

 しかしルーシーが関わっているとしたら。そこにあるのは、間違いなく。


『それ使ってさっさと逃げて。邪魔だから』

「――ん?」


 マイルズは違和感を抱く。紅い機体を見上げた。


「逃げろと言ったか?」

『そう』


 端的すぎる答え。

 イデアは唇を尖らせるような拗ねた声で続けた。


『当たらないようにするの、結構めんどくさいんだよね。巻き込まれてもいいならいいけど……あ、でもルーシーの機体を巻き込むのは嫌だな。来るなら機体に乗らないで来て』

「機体に乗らなきゃなにもできないぞ」


 口にしてからマイルズは気づいた。

 イデアは笑う。


『じゃあ、さっさとにげて』


 二の句を継げずにマイルズは閉口した。

 笑みを含んだままの調子で、声は誇らしげに謳う。


『ルーシーはまかせて。私が助けるから』


 イデアの赤い機体から推力が吐き出される。機体の両足から重みが抜けていく。

 魔導外殻は浮き上がった。吹き下ろしも軽やかに、卓抜した魔術制御で物理法則を意のままにしながら魔力が高まっていく。

 従来の魔力炉ではあり得ない、ヘキサドライブですら成し得ない膨大な魔力が清流のように導かれている。

 人に優しくない、暴力的な出力の怪物――オーダーワン。

 まさしく、イデア・グレース自身の開発した遺物を我が物としている。まるで猛獣を手懐ける姫のように。


『私は至らないお姉ちゃんだけど――それでも、みんなのお姉ちゃんだから』


 飛ぶ。

 爆発したような推力の残光が散り、しかし周囲の枝はそよ風に揺らされたように騒ぐだけ。

 紅石色の機体は森を突き抜け、森林すれすれを舐めるようにかける。

 上空から猛禽のように銃弾の雨が食らいついた。

 右腕で障壁を展開して受け止め、身を翻す。その動きをなぞるように正確に追随する銃撃を受け止めつつ、イデア機は顎を上げた。

 上空からM10が降下の加速を乗せて銃撃している。

 イデア機は双眸を光らせた。


『やっつけてやるっ!』


 上空へ向け左腕を伸ばし、


 足下そっか


『んえ!?』


 投げ縄ボーラのように鎖状に連なる爆薬チェーンマインが左腕の装甲に絡みついた。振り払う間もなく一斉に爆発する。

 イデア機が幹を砕いて墜落、背中で跳ねて宙返り。驟雨しゅううのように襲う追い打ちの銃撃からからくも逃がれ、垂直に飛び上がり空に逃げる。

 左腕を見た。宝石のようだった装甲は焦げてくすみ、ひねった空き缶のようにひしゃげている。

 着地したM10が殺意をみなぎらせてイデアを見上げる。

 その隣に、もう一機。


『えー。今の直撃だったでしょうが。あれで左腕がもげないって、インチキじゃないんですかね』


 チェーンマインを片手で振ってやれやれと首を振る。

 その大部分はM10と同じだが、肩部は削り込まれてシャープになり、背部スラスターが大きいものに取り換えられている。大小さまざまなのチューンナップが加えられていた。

 カルロスはM10改越しに分かる不敵さで笑う。


『連携しますよ。一人でやれる相手じゃない』


 イデアの背を、久しくなかった冷たさが滑り落ちていく。

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