第38話 剣の意志

 鉄色のツインドライブは肩口から両断された。

 ハルベーザが会心の手応えに赤いオーダーワンの腕を振り抜かせ――怪訝にこごる。


 斬り飛ばされたツインドライブの腕が、空中に縫い留められている。


 直後。

 濁流のような魔力が、切り口から噴出する。腕の切断面を巻き込み、連なる水晶のように結晶化した。

 ツインドライブは傾いた首を上げる。双眸を燃え上がらせた。


「ぉ、」


 マイルズのうめき声。

 内側から弾けるように魔力が爆発する。

 触れるだけで枝葉の輪郭が緩む極大魔力。

 突然、爆発は凍りついた。

 球形に膨れた魔力は巻き戻ってツインドライブに吸い込まれる。切り捨てられた腕は収縮に乗って機体に戻った。

 ――が、再度の爆発。

 倍する領域を巻き込んで紫紺の火球は静止し、再び機体に縮んでいく。

 えずいては強引に飲み下すように。

 ツインドライブは魔力を総身に震わせる。


『なんだ? 何が起こっている……!?』


 異様な情景にハルベーザは機体を一歩後退あとじらせる。

 ツインドライブは魔力に燃え上がっている。


「ぉ、ご、ぁ、が、あ――!」


 操縦席の中で、マイルズは操縦桿を握り締めていた。グリップにひびが入る。指の形に潰れていく。


(――熱い……ッ!)


 そんなものでは済まなかった。

 血管をガラス片が流れるような激痛。

 筋繊維が化学液に溶かされるような苦痛。

 肌が沸騰するように粟立ち、神経線維が破裂寸前の内圧に軋む。

 常識外れの魔力にさらされるマイルズは肉体が溶け落ちていくような地獄を泳いでいた。

 莫大な魔力。人間が経験するはずのない魔力濃度。魔力還流である以上、機体に通う魔力は等しくマイルズの身をも通っていく。


「それ、でも――!」


 マイルズはまなこを押し開いた。

 赤らむ視界にオーダーワンの姿を収める。

 ツインドライブは軋む関節を震わせて、一歩。オーダーワンに歩み寄る。

 がっくりと落ちかけた肩を引き上げ、引きずるように片足を前に。もう一歩進む。

 もはや操縦装置は必要なかった。機体に詰め込まれた魔力のすべてがマイルズと機体をつないでいる。

 溶け落ちそうな濃度の魔力は、ツインドライブとマイルズの境界をも融解させた。


「これなら――負ける理由がない――!」


 マイルズが荒く息を吐く。

 ゾンビが足を引きずるような動きが、一歩ごとに早くなる。

 肩を上げる。腕を振り、足を上げる。

 胸を張り、顔を上げてオーダーワンをしっかりと見る。

 駆ける。


「ぉおおおああああ!」

『――巫山戯ふざけた男だ!』


 到達する寸前にオーダーワンは姿勢を整えた。

 手四つに組み合い。

 衝撃の余波だけで大気が弾けて地面が陥没する。ツインドライブの魔王の如き魔力の暴威に、オーダーワンの小さいながらも確かな魔力が踏みとどまった。

 ツインドライブと対等に組み合うオーダーワンが双眸に強い輝きを宿す。


『人類は、先に進まねばならない――!』


 血を吐くような、それは吐露。

 ツインドライブの魔力にさらされ、不調和に震えながらも、オーダーワンは一歩たりとも引くことはない。


『地位と金銭を取り合う競争に埋もれ、俗人に食い潰される才気を私は腐るほど目にしてきた! いいや……今もだ! 我が姉ハッサが、亡き妻が……娘が!! 政治ゲームのために、どれほど時間と能力を無駄にした!?』


 オーダーワンが一歩、ツインドライブを押し返す。

 受け流された魔力の暴風がオーダーワンの背後で未練たらしく荒れ狂っていく。


『もう終わりにしなければならないんだ! 愚昧ぐまいな物欲にみ疲れる人間性など! 私ごときの凡才で叶うならば――この身など、何度でも切り刻んで炉にくべてやる!!』


 さらに一歩、ツインドライブを押し返し――

 限界を超えた負荷にオーダーワンの肘関節が火花を散らしてねじ曲がっていく。


『なのに、なぜ貴様は邪魔をする……! 旧態依然の世界がそんなに大事かッ!?』

「……世界だの人類だの、そんなものを背負えるほど俺はもう若くなくてな」


 竜が物憂げな吐息を吐くように。

 その吐息がなにもかもを吹き散らすドラゴンブレスとなるように。

 燃え立つ双眸でオーダーワンを見据えるツインドライブは、魔力のほとばしる腕でオーダーワンのマニピュレータと装甲を握り潰していく。


「俺はただ、自分が大切にしたいものを守るだけだ。……ルーシーの人生を、彼女の手から奪わせやしない」


 ツインドライブが、オーダーワンの両腕を引きちぎる。

 両腕をもがれたオーダーワンは数歩ふらつくも、渦巻く魔力から魔術を生み出す。砲撃の兆しを拳で砕いて、ツインドライブは腕をオーダーワンに向けた。


「なぜ、魔術攻撃がしばしば剣をかたどるのか、知っているか?」


 機械の手のひらに集まる魔術は、破壊を生み出すエネルギーの錯綜を凝縮して押し固めていく。

 現実へと立ち現れた破壊力の結晶体はロングソードの形を模す――マイルズの思い描いたとおりに。


「手応えが確かに感じられる武器のなかで、最も威力効率に優れているからだ。絶対に貫く、その意志と覚悟の形なんだ」


 銃や槍は、殺傷対象と距離を置くことで、他者を傷つける手応えを薄めるための武器だ。

 砲や弓は、己の安全を確保して効率的に勝利を得るためのもの。手応えは相応に薄い。

 ナイフより大きく、槌や斧より刃渡りが長い。


 剣には、仕留めたときにそれと感じる手応えがある。

 覚悟がなければ耐えられない。


「だから――お前には負けない」


 ツインドライブは魔術を奏でる。


『ゃ、めろ……っ!』

「嫌だね」


 うろたえるオーダーワンに、肉薄。

 手のひらに生み出した魔剣を握り、眼前に湧き上がる障壁を一刀のもと弾き飛ばした。剣を返して胸の前で剣先を向ける。

 まるで一個の槌のように水平に全身で踏み込んでいく。

 オーダーワンのいかなる抵抗をもすり抜けて、構えた半身は揺るぎなく。


 すとん、

 とオーダーワンを刺し貫いた。


『――、――――ッ!!』


 慟哭のように、断末魔のように。

 オーダーワンの背から、両腕から、全身の装甲の隙間から。膨大な魔力が噴出する。結晶化した魔力は水のように地面に跳ね、虚空に解けて消え去っていく。


『ォオ……!』


 魔力炉を貫かれて、底の抜けた魔力を流出させていくオーダーワンは、しかし震えながらも止まらない。

 散逸する魔力をかき集め、循環する全身の魔力を執念で制御し、オーダーワンは足を踏み出す。ツインドライブへと詰め寄る。


『わ……たし、は……! まだ……ッ!!』

「……大したやつだな」


 マイルズの感嘆も聞こえていないようだった。

 さらに踏み寄り、オーダーワンはツインドライブに顔を寄せた。

 牙があれば喰らいつく、という間合い。

 オーダーワンは片目の割れた顔でツインドライブをめ上げる。


『まだ――……!』


 最後の叫びが、

 声になる前に、マイルズはもう一本の剣をオーダーワンの頭部に叩き込む。二本の剣で引き裂くように、両腕を開いて輪切りにした。

 爆発寸前に高まった魔力が制御を離れて霧散していく。

 三つに分かたれたオーダーワンはその場に崩れ落ちた。


 それでようやく。

 決して緩まなかった歩みを止めた。




「――ハァ――……っ!」


 だがマイルズもまた限界だった。

 痛みはない。痛みを伝える五感がない。マイルズの体がまだ操縦席にあるのかどうか、マイルズには分からなかった。

 ツインドライブは魔力に燃えている。

 気合の抜けたマイルズが力を失い、膝をついた。膝をついたのはツインドライブだ。地響きの残滓ざんしが装甲をつたってマイルズに届く。

 ハハ、とマイルズは笑った。


「無茶をしすぎたな。これはちっと……キツい」


 マイルズのまぶたが重たく閉じる。視界が黒く閉ざされていく。

 ただれた肌も軋む骨肉も、もはや遠い他人事のよう。

 かすかな耳鳴りが脳を侵食する。細く長いため息をついた。

 意識が急速に遠ざかっていく。


「――マイルズっ!!」


 涼やかな声が、朝日のように意識に差した。


「まだ寝かせません。私が乗り手に無茶をさせたのです。ここから先は技術者わたしの仕事です」


 断固とした言葉が機体のすぐ近くに響いた。

 地面を噛んで停車するタイヤの音と、飛び降りて地面を踏む靴の音。


「魔力を抜きます! ハッサ教授、オーダーシックスをここに繋げられますか?」

「これは……また手ひどいですにゃあ。ええ、元は同じ兄弟機。問題なく接続できますにゃ」

「うぅ、なんて魔力密度……。こんなに無茶しなくても良かったのに。ニンジャさん離れてください。今のツインドライブは限界まで膨れた水風船のようなものです。迂闊に刺激を与えてはいけません。まず手足の魔導線を切って循環規模を……」


 朦朧とする意識の中で、せせらぎのような鈴音をマイルズは聞いていた。

 安堵と確信が、疲労に乾ききった頬に笑みを染み込ませていく。


 危機感にひりつき、必死さに強張こわばったルーシーの声は、しかし。

 それ以上に生き生きと活力にみなぎっていたからだ。


「よし……ハッチ開きます!」


 やがて。

 意識の曖昧なマイルズの肩が確かな力で引き上げられる。

 金髪碧眼の冷たい眼差しがマイルズの視界を占めた。


「マイルズ。お疲れさまでした、体は痛みますか?」

「……ルーシー」


 マイルズのかすれかけた声に、怜悧な瞳を震えさせる。視線を返す彼女に、マイルズは笑いかけた。


「俺の苦労をねぎらって、今度ディナーをご一緒してくれるかい?」


 ルーシーは冷ややかに目元を歪める。


「馬鹿。……もちろん、構いませんよ」

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