第39話 エピローグ1
ツインドライブは地に倒れ、あれほど満ちあふれていた魔力を失って鉄塊のように静まっている。
ツインドライブから助け出されたマイルズは、ルーシーの肩を借りながら機体を降りた。
「怪我はないか、ルーシー?」
「あなたに聞かれたくありません。無茶しすぎです、バカ」
辛辣な言葉に苦笑する。
機体からずり降りて地面に立つ。土を踏みしめて、ようやくマイルズは肩の力を抜いた。
マイルズを支えるルーシーが顔を見上げている。
「……あなたが無事で良かった」
マイルズは笑ってみせ、背後のツインドライブを振り仰ぐ。鈍色の大雑把な外観が設定された試験機。
「ちょっと、扱いが難しすぎるようだな。要改良だ」
動きづらそうに肩をすくめるマイルズに、ルーシーは困ったようなため息をつく。
距離を置いて、ハンヴィーの近くで気まずそうにルーシーを見ているハッサ。マイルズは彼女にも声掛ける。
「ハッサにも感謝してる」
「む、ええ。当然ですにゃ」
恩着せがましい言葉にも強がりが隠せていない。
と、
「ぅわっ!?」
突然にニンジャの悲鳴が森に上がった。
彼はマイルズが打ち崩したオーダーワンのコックピットハッチをこじ開けて振り返る。
「マイルズさん!? ハルベーザまだ生きてるじゃないですか! どんな手品使ったんですか!?」
えっ!? と声を上げてルーシーがマイルズを見上げる。
マイルズは肩をすくめ、足に力を込めてルーシーから離れて自力で立つ。そのついでのように言う。
「ただ魔力炉を穿っただけさ、コックピットを避けてな」
可燃物や燃料で動いているわけではない。動力源だけを破壊すれば機能停止するのは当然だ。
それを、戦闘の最中に行うのは至難なだけで。
マイルズはルーシーにウィンクする。
「せっかく会えた親父さんなんだ。知った途端にお別れとは、惜しい話だろう」
ルーシーは言葉に迷うように視線を彷徨わせる。
身勝手な理由で捨てられ、また独善的な正義の暴走に振り回された複雑さが彼女の細面を苦く彩る。さんざん口ごもった挙げ句、
「……お気遣い、ありがとうございます」
素直に感謝を口にした。
ニンジャは失神したハルベーザを取り押さえて拘束している。罪状はどうあれ、彼は逮捕されて監視下に置かれるだろう。彼が乱した和ノ国と王国の間の不和は、多くのことに影響しすぎる。
だが。
「生きていれば、償いようもある」
ルーシーは何とも言わない。
気まずそうな面持ちで拘束される男を見つめるハルベーザの姉ことハッサ。
ルーシーは彼女に声をかけた。
「ハッサ教授」
「にゃっ。んん。先に言っておきますが、私は謝りませんにゃ。行き過ぎた部分はあれ ど、紛れもなく私の本音で……」
ハッサを遮ってルーシーは首を左右に振る。
「仲直りしたいわけではありません。仲良しこよしのお子様ではありませんし。私が訊ねたいことは一つです、ハッサ教授」
静かな青い瞳がハッサを見据えた。
「私に嫉妬したというのは、いつからですか。……最初から、ですか?」
ハッサは観念したように首を垂れる。
「……そうですにゃ。あなたは最初から、若さに見合わぬ才気でもって、オーダーツーの方向性を思い定めて模索していた。私たちが手探りでオーダーワンを解析していたときからです。ずっと、嫉妬していました」
先ほどまでの強がりとは裏腹に、ハッサは怯えた目でルーシーを上目遣いに窺う。叱られるのを待つ子どものように。
ルーシーは頷いた。
「安心しました。それならばいいのです」
眉間にシワを寄せるハッサに、ルーシーは穏やかに応じる。
「ハッサ教授は、内心でどれほど私を憎んでいても、徹夜作業で心身ともにボロボロになるまで決して表に出しませんでした。私を能力だけで見て、いい仕事をするために協力してくれました。ときには、私のためにいらない苦労を背負う覚悟で」
ルーシーを副主任の席に置くと、己の右腕にすると誘ったのはハッサだ。
ルーシーが求めたオーダーツーの夢を阻んだのも、対等にオーダーシックスを進めることで起こった結果にすぎない。もし研究所がどちらも並行して進める結論を下していれば、二人の道が分かたれることはなかったはずだ。
決してルーシー自身を切り捨てることはしなかった。イデアに囚われるまでは。
だから、ルーシーは言う。
「それならば。私情を脇におけるなら、私は構いません。私がこれから研究を進めるにあたって――ハッサ教授のお知恵とご人徳はどうしても必要です」
よい仕事をしましょう。これからも。
握手を求めて右手を差し出し、ルーシーは冷酷に目元を細める。
怯えて顔を青ざめさせるハッサだが、マイルズは笑いをこらえて肩を震わせた。ルーシーの表情は酷薄に値踏みしているわけではなく、精一杯の親愛を表そうと足掻いているのだ。
笑うマイルズをにらみつけたハッサは、投げやりにルーシーの手を取る。
握手をした。
「ようがす。私もこのまま引き下がるのは癪ですし。よい仕事をしましょうや」
「いい話のところ恐縮ですが」
ニンジャが大きな肩を縮こませて、すまなそうに口を挟んだ。
「ハッサ教授。次の仕事に取り掛かる前に、これまでの仕事を精算していただかないと」
ルーシーははっとする。
ハッサはハルベーザとともに犯罪にすら手を染めて研究を推し進めた。ハルベーザだけでなく、彼女もまた罪を償わなければならない。
「贈賄、脅迫、密輸に談合その他余罪はもろもろ。ヤクザ回りの刃傷沙汰も関与を検めなければなりません」
「待ってください! ハッサ教授は私たちを助けるため、所長を止めるために、命を懸けて戦ったのです! そんな、恩を仇で返すようなこと……!」
言い募るルーシーにたじたじと両手のひらを見せるニンジャ。
「ええまあ、私も一緒に戦ったので存じていますが……罪は罪。情状酌量の余地こそあれど、それだけで帳消しにできるようでは法治国家もかたなしですよ」
「そんな……!」
肩を怒らせるルーシー。
彼女の肩を優しくなでて、マイルズはニンジャを見た。
「――もちろん、素直に引き渡すつもりはないんだろう? お前は警察じゃない。軍人だ」
「いやいや。私に逮捕権がないだけで、警察にケンカを売る意志は毛頭ありませんよ。……ただ、ハッサ教授の業績と能力を思えば、更生しているのに繰り返しをさせるのは合理的でないのも確かです」
ルーシーは怪訝に顔を上げる。
ニンジャは厳つい顔でお茶目なウィンクをして、ハッサに向き直るった。
「つきましては――ハッサ・ゴトウ。
ハッサは車載されたオーダーシックスを振り返った。
ルーシーがさらなる改善の兆しを示してみせた、ハッサの傑作。
ハッサは笑みに負けん気を閃かせてルーシーを見る。そしてニンジャの高い頭を見上げた。
「受けない理由がありませんにゃ。こちらこそ、よろしくお願いします」
「……ふぅ。断られたらどうしようかと思いました。よろしくです」
大きな肩を大きく落として胸をなでおろす。マイルズのにらんだ通り、ニンジャは初めからハッサを司法の場に送り出すつもりはなかったらしい。
ふと顔を上げたルーシーは首を傾げて辺りを見回した。
「イデアさんは、まだ?」
「確かに。なにをしているんだ?」
マイルズは森を振り返る。
紅い宝石のような装甲を持つイデアの機体は横たわったままだ。ハッチは開放されず重く閉ざされている。
ルーシーは駆け寄りながら声を上げる。
「イデアさん!」
『ン? ――ぁあ、終わった?』
寝ぼけているような声。
クスッと笑い声を漏らし、ルーシーの表情が和らぐ。
ニンジャがハンヴィーを転がし、ハッサが後部に据えられたシートに飛び乗る。車体に巡らせたステップに掴まっているマイルズがルーシーを引き上げて抱えた。
オーダーワンに墜とされたイデアへ近寄る、わずかな合間に。
『あー……』
パキリとチョコレートの割れるような軽い音。
『だめみたい。もう動けないや』
ルーシーの表情が凍りつく。
ハッサとマイルズは顔を見合わせ、マイルズが紅い機体を見上げて問うた。
「どうした。コックピットが損傷したのか」
『ぁあ、怪我してるわけじゃないよ。もともとなの。私が手助けできる時間には、最初から限りがあったんだ。これでも小細工してだいぶ引き伸ばしたんだけど……さすがに限界みたい』
「悪い、分かるように言ってくれ。なぜ時間に限りがあるんだ?」
『んん……』
震えるルーシーの体を、回した腕で強く抱える。揺れの増すハンヴィーのフレームをきつく握りしめてマイルズはイデアの言葉を待った。
イデアは眠そうに言葉を紡ぐ。
『私、もうこの世界にいないんだ』
彼女の理由を。
『デタラメな力の副作用っていうとわかりやすいかな。同じところに留まれなくなったんだ。別に、普段は困ることないからいいんだけど』
イデアは突然に足跡の一切を消して消息を断った。
人智を超えた技術力だけではない。空間を超える能力、人間業ではない魔術の技量、人間に耐えられるはずのない魔力量……イデアはすでに、真っ当な人間であることをやめている。
考えてみればあまりに自明な、イデアの持つ天才性のあまりの異質さ。
喉を反らして、ルーシーは声を震わせる。
「ではお別れなんですか? こんな急に……せっかく会えたのに」
『んへへ……そうみたい。黙っててごめんね。こんなに時間かかるとは思わなかったんだ』
ハンヴィーが止まる。
イデアの前にたどり着いた。
ピクリとも動かないイデアの機体は美しく透き通り、まるで絢爛豪華な墳墓のようだ。
パキリパキリと。小さく、あるいは大きく、崩壊の音は響いている。
「構いません。会えただけでも嬉しかった」
マイルズの腕から飛び降りたルーシーは、イデアの機体に歩み寄る。
うずくまる火竜のような偉容に手を伸ばし、度重なる戦闘を経た装甲を優しくなでる。
「また……会えますか?」
『もちろん。私は――お姉ちゃんだからね』
照れ笑いを含んだ、誇らしげな言葉。
パキッと割れる音。それはさざ波のように広がり、高まり、さざめくように大きくなる。
ルーシーの手の下にある装甲面までヒビが浮き上がった。亀裂をなぞる。
「……そうですね」
応えてルーシーはうなずいた。
「イデアさんは、私の自慢の……大好きなお姉ちゃんです」
息を呑む声。
やがて、
『ふふ。くふふっ……んふふふふっ』
くすぐったいイデアの笑い声が転がって、
紅い宝石のような魔導外殻は砕けていく。
『じゃあね、ルーシー。元気にしてね』
虚空に飲まれて消えていった。
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