第3話 試験飛行
「ハッサ教授の仕事ですか」
カフェテリアを出てすぐ、マイルズは声をかけられた。
「ルーシー。見てたのか」
資料を留めたボードを抱いて、ルーシーは廊下の壁に寄り掛かっている。弾みをつけて背中を離すと、マイルズを見上げた。
「請けていただいて構いませんよ。ハッサ教授のほうが社会的意義は高いでしょう」
「そうツンケンするなよ。答えは同じだ。きみの実験が優先さ」
「……なぜです?」
「長くなるから、今夜ディナーでも食べながらにしないか? 悪かったよ、冗談だ。にらまないでくれ」
両手をあげて降参しても、冷淡な眼差しを改めてはもらえなかった。
マイルズは肩をすくめる。
「俺だって元軍人、それも王国騎士団だったからな。多少はものを知っているつもりだ。この魔力炉が完成したら軍事兵器に回されるのは間違いない。そして、戦場というものは常にぎりぎりだ」
世論の影響を受け、過剰戦力という『安全策』が許されなくなりつつある。軍事費の削減でもともと物資は
もしものとき、真っ先に犠牲になるのは兵士の安全だ。
稼働時間などという制約ならば、容易に無視されるだろう。
「俺はきみのオーダーツーに期待したいんだ。だから俺の腕を託してる」
「……マイルズ」
ルーシーはボードで口元を隠し、目をそらした。
二人の間を遮るように書類を差し出す。
「次の試験内容です。目を通しておいてください」
「仰せのままに、フロイライン――」
「――オォい、まだ必要か!?」
『……そうですね。高高度運用試験はこんなところでしょう』
お許しが出たとたん、マイルズは高度を落とす。
暗い空が昼の青を取り戻していく。機体表面に降りた霜がゆっくりと剥がれていき、エアインテークに充分な空気が通ってスラスタの機嫌が直る。機体が空力を取り戻した。
ようやく張り詰めた気を緩めて、マイルズはシートに深く背を預ける。気疲れが色濃い。
『結構です、次の試験に移りましょう」
冷酷な言葉に頬が引きつる。
「ルーシー。本気であの試験、全部やるつもりなのか?」
『無論です』
即答だった。
マイルズは操縦桿を丹念に傾け、スロットルをフェザータップで調整する。レディを愛撫するように優しく、気を削がないようなめらかに。
観測機代わりに随伴するオーダーツーの赤い機影を見下ろす。
「焦る気持ちはわかるが、無茶をしても見落としが増えるだけだぞ」
『なら、試験を増やして見落とす以上に発見します』
「オイオイ……」
マイルズの身が持たない。
「逃した魚は大きい、って言うだろ」
『捕らぬ狸の皮算用、ですよ。評価は捕ってから下します』
まるで意固地な子どもの理屈だ。
ふと、山の向こうに紫の機影を見つける。
「オーダーシックスか。調子いいみたいだな」
マイルズが断った魔力炉の酷使試験を行っているようだ。
パイロットは"月並みに優秀"なようで、機体は極めて好調に性能を発揮している。あれでは満足な試験結果は得られないだろう。
「テストパイロットに限って言えば、優等生には務まらないんだよな」
オーダーシックスを観測する全翼機がふわふわと揺れる。ハッサ教授が乗っているに違いない。マイルズはオーダーワンの腕を振り返した。
『次のプログラムを始めてください、不良生徒』
「おっと。これは失礼、生徒会長」
次の実験は最大出力の計測だ。もう何度も行っているが、魔力炉がブラックボックスなだけに、再現性のほどを確認することは無駄にはならない。
試験予定を確認したマイルズは小さくうなり、口を開いた。
「プランを変えてもいいか? 真っ当なやり方で計測したんじゃ、時間がかかる。試験が終わらなくなりそうだ」
『計測ができるなら手段は任せます』
「どうも」
算出方法や計測内容によっては、実験を変えたら意味がないこともある。今回は構わないようだった。
マイルズは高度を上げて眼下を見る。
山麓一帯をまるごと実験場として確保された研究所の敷地が広がっている。絨毯のような緑の深い樹海だ。
するりと機体が真下を向く。スラスタを吹かした。
『え……マイルズ!?』
ルーシーの驚愕を上空に置き去りにして推力降下、機体は落下以上に急降下する。
加速――気圧差に速度計が振り切れる。
さらに加速――高度計が役目を放棄して浮かぶ。
なお加速――迫る樹林、細部の輪郭が浮き上がる。
「――もうちょい……!」
マイルズは目を見開いて、スクリーンいっぱいに迫る大地を見る。
「……ちょい……!」
枝葉すら見分けられる距離。こみ上げる原初の恐怖――ねじ伏せる。
「ちょい――」
操縦桿を握る手に、力。
「――今!」
逆噴射。
ベルトが肩に牙を立てた。世界ごと沈むような衝撃。機首上げとスロットルレバーを維持する。
腕も頭も、脳さえも等しく潰されるような重さが全身を縛っていた。歯を食いしばり、ブラックアウトしかかる意識をかき集める。
スラスタで変換した推力ではない。純粋な魔力の放出によるものだ。空の果てまで飛べる量の魔力で速度を
魔力炉の圧が急低下する。
高度計が息を吹き返し、速度計と圧力計が針を入れ違える。
空が落ちていく。
山が浮き上がる。
高度は下がり続けていた。
「いける、いける、いける――!」
食いしばった口の中でつぶやきながら、意に反して弾む心臓を呪う。
最大効率の噴射から機体がぶれないよう、指先の感覚だけで姿勢を繊細に制御し続ける。
吹き下ろしを受ける木が砕け、巻き上がった。緑の嵐にスクリーンが埋まる。異常な濃度の魔力に当てられて、半ば以上が融解しかかっていた。
がりがりと機体に連なる枝葉の衝撃はまだ墜落していない証だ。
曲芸飛行も裸足で逃げ出す限界機動を演じてなお、オーダーワンは余力を残している。
「う!?」
ぞり、と。
背骨の内側を
マイルズはよく知っている。生体魔力を急速に消費したことによるショック症状の前兆だ。まさか体が先に音を上げるとは、と内心で舌を巻く。
だからとて出力を止めるわけにはいかない。魔力炉にはもう少し余力がある。
意識を失う本当の寸前でないならば、引き返すにはまだ早い――それこそが「機体の極限状態を予め知る」テストパイロットの矜持。
歯を食いしばる。震える指でスロットルを抑え込む。血の気が失せてバラバラになった暗い視界の破片のうちに計器の目盛りを収める。
ひたすら、フェアレディをけしかける。
圧力計に最後の抵抗を示すような震え――そして、スクリーンに空の青が戻る。
機体がわずかばかり浮き上がり、
出力が絶えた。
「っ!」
判断は瞬時。
魔力を編みなおす。積み込んだ燃料を投入し、強制的に魔力炉を再始動。スラスターに点火して推力を取り戻す。スロットルを開けた。
オーダーワンは生気を取り戻し、眼下を舐めるように山肌が流れていく。
操縦桿を引く。機体は緩やかに上昇し、出力も安定を取り戻していった。
「――は」
呼吸し忘れていたことに気づく。
マイルズの腹から、魂まで抜けるようなため息が漏れた。
『――ルズ! マイルズ!』
通信機が声を上げていたことに初めて気づいたかのように、マイルズは瞬きをする。ため息と混じった笑みを浮かべた。
「ああ、ルーシー。どうかな、かつてなく出力を絞り出せただろう」
『馬鹿ですかあなたは! 一つ間違えば失神して墜落していましたよ!』
「簡単に気絶するようなヤワな鍛え方はしてないさ」
『人体の構造の話をしているのです!!』
叩きつけるような怒声。
マイルズは苦笑する。スクリーンを覗き込み、高度を落として近づいてくる赤い機体を見た。
「わりと、ポピュラーな手法なんだ。非効率な排出で魔力を放り出す。コショウ瓶を振るみたいにね。魔力炉の限界は格段に早いし、魔力濃度の影響も最小限で済む。ただ……オーダーワンの桁外れな魔力量は予想以上だった。すまない」
細く長い吐息が通信に乗る。
ルーシーは語調を落とし、冷厳に言い放った。
『次からは詳細な内容を報告してからにしてください』
「そうするよ。さて、次の実験はなんだったかな」
『お待ちください。先に今の計測結果を……? これは……』
声色が変わった。
「どうした?」
『お手柄です、マイルズ。未だかつて、オーダーワンがここまで急速に枯渇したことはありませんでした。だから見つけられなかったようです』
「もったいぶらないでくれ。なにがあったんだ?」
『分かりました。オーダーワンとオーダーツーの間にある、違いが』
同じ非侵蝕型にも関わらず、オーダーワンとオーダーツーには出力に大きな隔たりがある。
しかし、実用的なのはオーダーツーだ。オーダーワンは出力があふれすぎる暴れ馬で、たとえ複製できたとしても製品にならない。
求める検証はただひとつ。
あれほどの高出力を実現するメカニズムだけ。
出力限界のブレイクスルーさえ果たせれば。
誰だって、命を取られないほうを選ぶだろう。
マイルズは理解が及んだ瞬間、
オォ、と吠えた。
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