第4話 打ち切り

「研究打ち切りって、どういうことだ!」


 マイルズの怒声が所長室を震わせる。

 応接テーブルで対面するハッサが、狐耳を押さえた手を下ろした。


「私に怒鳴らないでくださいにゃ」

「……すまない」


 片手で額を覆って柔らかいソファに体を沈める。

 隣の席に腰掛けるルーシーは身体を強張らせ、凛然とした眼差しをハッサに向けている。


「なぜ成果を挙げた今になって中断なのです」

「私だって継続を打診しましたにゃ。可能性を摘み取る必要はありません、様子を見るべき状況でした。でも……企業様が所長に働きかけたのですから、それはもう決定事項です。どうしようもありません……にゃ」


 我々も企業雇われですから、という溜め息。ルーシーは絶句する。

 マイルズはケンカの相手を探すような目で所長室に目を走らせる。


「その所長はどこにいるんだ?」

「当の企業と折衝です。忙しい人ですからにゃ。言っておきますが、マイルズ。直談判なんてしても立場が悪くなるだけですからね」


 あっさり見透かされてマイルズは閉口した。

 ハッサは並べた茶碗に白湯を注ぎ、急須に茶葉を投じる。


「もともと、並行して研究開発ができる人員体制ではありませんでした。本来なら所内コンペティションなどを通すべきですが……いずれにせよ、どちらかに収束したでしょう。結果が早まっただけです」


 茶碗の湯を急須に移すふりをして顔を伏せたハッサは、感情を隠すように淡々とした口調を保つ。


「今回は不本意な結果でしたが、ルーシー、あなたの優秀さは証明されました。次の機会は必ず来ます」

「立身出世は今はどうでもよいのです。またの機会にこだわるつもりですから。……ハッサ教授、魂食らいの機構をオミットすることはできないのですか」

「ありえません。オーダーシックスの大前提ですよ」


 ハッサの即答に、ルーシーは唇をかんでうつむいた。

 そんな彼女にハッサは語り掛ける。


「あなたの発見した魔力還流方式は、過剰反応で融解してしまうため侵蝕型と両立できません。非侵蝕型ツーモデルか、侵蝕型シックスモデルか。プロジェクトは侵蝕型を選んだのです。にゃ」


 思い出したように語尾をつける。

 ルーシーの発見は革新的な一歩だった。だが、歩幅が足りなかった。

 非侵蝕型魔力炉は、研究進展を考慮しても、オーダーシックスの出力に三十パーセント及ばない。ルーシー自身の試算だ。

 死なない程度に魂を犠牲にして多大な出力を得る、という設計思想に対して並び立つことはできた。

 だが、凌駕するには至らなかった。

 進行中のプロジェクトを乗っ取るほどの発見ではなかったのだ。

 マイルズは眉間を指で押さえて、声を絞り出す。


「なんとか……ならないのか」

「なにを、どうしろというのですにゃ?」


 ハッサの声は冷たかった。

 彼女は研究者だ。成果を出す、そのための手段として研究をしている。


「研究資源を投入すれば、オーダーツーはよい結果が得られたでしょう」


 ハッサは急須の蓋に手を添えてゆっくりと水平に回す。並べた茶碗に急須の緑茶を注いでいく。

 廻し淹れたお茶をルーシーに滑らせながら、


「ですが、それはオーダーシックスも同じですにゃ」


 断言にルーシーの肩が揺れる。


「ルーシー。今後はこちらの研究に合流してください。優秀な研究者はいくらでも欲しいのですにゃ。侵蝕を最小限に抑えるためにも」

「私、を?」


 かけられた言葉に、ルーシーは青い目を見開く。

 ハッサはそんなルーシーを見つめていた。


「あなたが許せば、副主任を任せるつもりです」


 ルーシーは息を呑む。マイルズも思わず姿勢を正した。

 英断だ。

 まだ若く、形として実績を残していないルーシーをハッサが右腕に抜擢するという。批判ややっかみもあるだろう。それら面倒な世界を知らないほど、ハッサは若くない。

 すべてを覆すほどのものがルーシーにはある。彼女はそう言っている。


「そんな、私には」

「お願いしたいのです。ほぼ独力でオーダーツーをここまで仕上げたあなたなら、きっとより良いものにしてくれる」

「私だけの力ではありません」


 ルーシーがマイルズを盗み見た。ハッサは先刻承知と言わんばかりにマイルズを振り向く。


「無論、マイルズにもビシバシ働いてもらうつもりですよ。にゃあ?」


 にゃあ、と指を丸めて猫招き。

 露骨なご機嫌取りだ。ルーシーの視線が冷たい。

 マイルズを黙殺して、ルーシーはハッサに向き直る。


「光栄です、とても。尊敬するハッサ教授にそこまで買っていただけるなんて」

「あなたの実力ですよ」


 優しい言葉をかけるハッサを見て、かなわないな、とマイルズは口の中でつぶやいた。

 ハッサ教授は高潔だ。

 なにも犠牲を出したくて魂喰らいを援用したのではない。むしろ逆だ。

 求められる結果を出しつつ、そのために必要な犠牲を最小限に抑える努力をしている。

 ルーシーは犠牲を最小限にするところから立脚して、求められる結果にあと一歩届かなかった。

 これが一番いい形なのかもしれない。次に進むために。

 マイルズの握る拳に力がこもる。犠牲を容認する方がいい。ここで非侵蝕にこだわるよりも建設的だろう。協力するべきだ……。


「私は」


 ルーシーが声を震わせた。

 凛と背筋を伸ばして、ハッサを正面から見てはっきりと。


「期待に応えることはできません。申し訳なく思います」


 ハッサの指が震えた。

 涼やかな声は続く。


「私は諦めるつもりはありません」

「よしなさい。非侵蝕型は、もうこの研究所に居場所がありません」

「おいハッサ教授、それは!」


 思わず声を上げたマイルズを、ハッサは一瞥で黙らせる。そしてルーシーを見た。


「言ったはずです。並行して開発を続けられる体制ではないと。我々の研究所は事業です。経費以上の利益を出す義務があります。社会貢献にはまず下限と、そして上限があるのです」


 冷たい表情で言葉を突きつける。


「もう一度言います、ルーシー・ベルトラン。諦めなさい。我々のオーダーシックスに合流し、あなたの能力を活かしてください」


 ぎり、とルーシーの手が握りしめられた。

 震える唇を引き締める。一つひとつ確かめるように丁寧に、ルーシーは声を出す。


「たとえ、追い出されても。私は研究を続けます」


 答えは、すぐにはなかった。

 ハッサは琥珀色の瞳でルーシーを見つめる。

 そろりと氷が忍び寄るような威圧感にマイルズは背筋を震わせた。思わず隣のルーシーを見る。

 視線を一身に受けるルーシーは震える指を握って隠した。唇を引き結び、毅然としてハッサの視線に応じ続けている。

 不意に。


「意志は固いのですね」


 ハッサが目を伏せる。肩を落とした。

 呆れたような静かな声に笑みを含ませた。


「ようがす。荷物をまとめなさい。手続きは私がやっておきますにゃ」

「いえ、結構です。自分でやります。自分のことですから」


 ルーシーの申し出にうなずいたハッサは、茶碗の緑茶を一口飲んだ。

 ふぅ――……と、氷も溶かすような長い息。

 次にルーシーを見る瞳は、悲しそうに細められている。口の端に笑みを乗せて。


「馬鹿な子ですにゃ」


 ルーシーは冷たく目元をゆがめる。


「にゃ、と語尾に繰り返す女性ほどではありません」

「確かに。それもそうですね」


 口調を改めて、ハッサはおかしそうに笑った。

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