第2話 オーダーシックス
「マイルズ・スミス技術一佐、相席よろしいですかにゃ?」
カフェテリアでコーヒーカップを口に添えたまま、マイルズは白衣の少女を見上げる。
にこにこと人の好い笑みを貼りつけて少女が立っている。彼女の桃髪からは狐のような一対の耳が生えていた。
マイルズは座ったまま目だけを動かし、照明も白々と強いカフェテリアを見渡す。
広々としたホールはがらんとしており、人はほとんどいない。ほぼすべて空席だ。
「見ての通りだ」
「やは、どうもどうも。失礼しますにゃ」
少女はガタガタと音を立てて隣の椅子に体を押し込む。椅子を引きもしない彼女にマイルズはため息を吐いた。
少女はあくまでもにこやかに声をかける。
「あの昏睡から、体調はいかがで?」
「問題ないよ。ハッサ教授こそ、景気がいいみたいじゃないか」
「恐縮ですにゃあ。どれもこれも、尽力してくださる皆さんのお陰ですにゃ」
へらっと笑うハッサから目をそらし、マイルズは黙ってコーヒーをすする。
ハッサはオーダーシックスを始めとする、一連の魔力炉の開発者だ。ルーシーの基礎設計をもとにしつつ、魂喰らいを援用することで性能を飛躍させた張本人でもある。
彼女はマイルズを上目遣いに見て、
「まーだ、口説いた美少女が実は二倍も年上だったことを気にしてるんですかにゃ?」
「ブッ!!」
カップの中身を喪失した。
「ゲホッ! ゲーホゲホ! お前なぁ!」
「おやおや。年上に敬意を払わなくてよろしいので?」
「払いつくして破産したわ! お前のせいで、俺めちゃくちゃ肩身狭いんだからな!!」
「にゃは。そりゃあ自業自得ですにゃ。不安に揺れる美少女を優しく口説いて抱いたりしたら、ロリコンですにゃ」
「誘ったのは全部お前だろうが……っ!」
マイルズは怒りをこらえ、自分の額に手を添える。
「この際だから聞いておく。どういうつもりなんだ、ハッサ教授。問題は分かっているんだろう」
「もちろん」
ハッサ教授は当然と頷き、次いで困ったような顔をした。
「けど、抗えませんにゃ。可愛らしい男の子は、からかいたくなるのが女の本能ですので」
「その話はもういい!」
「オーダーシックスに問題はありませんにゃ」
マイルズは口を閉ざす。
にま、とハッサは笑みを深めた。
「臨床試験の結果は積み重ねておりますにゃ。適切な運用と休息によって対応できるなら、魂を削る問題は解決済みですにゃ」
「それは解決じゃなく、回避というんだ。責任を運用者に押し付けている」
「そのなにが問題なので?」
マイルズはハッサを見る。
彼女は琥珀色の瞳を妖艶に細め、白衣の袖で口元を隠している。
「包丁も人を殺せます。金槌も人を殺せます。そのための道具ではないからと、世に溢れておりますにゃ。みな一様に、使用者の責任に帰すことで。『これは便利なものですが、用法用量をお守りください』。なにもおかしなことはありませんにゃ?」
マイルズは言葉に詰まった。
ハッサは正しい。臨床試験を積み重ね、安全なラインを正確にはじき出そうという姿勢によって道義的責任を十全に果たしている。彼女は倫理的に優れてすらいるのだ。
「我々もボランティアではありませんし、研究とて商売ですにゃ。理想は理想として、そこに足を取られてはなりません」
プロジェクトは大企業の出資で進められている。
オーダーワンというずば抜けた魔力炉の汎用性を高めて量産できれば、従来の産業を刷新できる。特許を持つ企業がシェアを占めることになるだろう。
つまり営利目的の研究であり、最終目標は利益の獲得だ。
マイルズは手元のカップに視線を落とす。
「出費がかさまない早期に達成できるほうが好ましいし、成果の発表はセンセーショナルであるほどいい……か」
カップも、白く清潔な机も、明るく広いカフェテリアも、そこに詰める調理スタッフも。決して小さい出費ではない。
企業のかける期待のほどが窺える。
それだけに、挙げるべき成果も釣りあげられる。
オーダーツーも燃料を要さず搭乗者の生体魔力と大気魔力のみで十分な出力を得られる、という意味で文句なしの成功だ。
しかしオーダーワンとの性能差に目をつぶらなければならず、できることは従来の魔力炉に劣る。さらに製造コストを考えると冗長性にも不満があった。
致命的に派手さに欠ける。
比較するほど明らかだった。
オーダーシックスは、まさに"理想的"なのだ。
「それでも、改善の余地はありますにゃ」
ハッサがおもむろに切り出した。
マイルズは彼女の用件を悟る。
「運用試験か」
「一回一回、試験のたびに約款を作るのは骨が折れますにゃあ。専属雇用されてくれませんか?」
「魂を売り渡してたまるか」
マイルズは顔をしかめて、ハッサからしずしずと差し出された約款を受け取る。通読しても不備がない。
ハッサは文句を言ったが、形式が決まっているため内容はほぼ同じだ。特に今回は全く同じ文面を読んだばかりだった。オーダーワンで行ったものと同じ試験をオーダーシックスで行う。
「戦闘機動での試験になるな」
「なかなか、強情なレディを動揺させられる御仁はおりませんので」
だろうな、とうなずく。
マイルズが動かして完璧な追従を感じたのだ。性能限界に追い込もうと思うなら、むしろ苦労する。
マイルズは契約書をハッサに返した。
「……? なんですかにゃ?」
「すまないが日取りが悪い。先約がある」
ハッサは笑顔を作ったまま、琥珀の瞳をのぞかせる。
マイルズの頬が引きつった。空気さえ凍りつくような威圧感が忍び寄る。
「ダメですにゃあ、入れ込んでは。彼女は優秀ですが、若すぎる。開発はもう次の段階に進んでいるのです」
「誰の仕事を請けるかは俺の勝手だ。そのための都度契約なんだからな」
「まったく交渉上手ですにゃあ。では契約金を二倍としましょう」
「金で腕を売ってるが、金目当てじゃない。不当な額面の要求はしない」
「十倍でも?」
マイルズは契約書に書かれている数字を見た。
「…………………………いや、それで請けたらむしろ駄目だな。うん。研究に協力するためにここにいるんだ。研究費を搾取してどうする」
震える指で空のコーヒーカップを傾ける。
マイルズの横顔を見ていたハッサは、表情のないまま口を開いた。
「では昔の女のよしみでは? なんなら、また抱いてく」
「お黙りくださいませハッサ教授大先生!?」
食い気味の返事を受けて、ハッサは大きく息をつく。
威圧感が溶けた。
「まったく、仕方のない人ですにゃ。ようがす、他を当たりましょう」
「悪いな。腕を買ってくれてるのに」
「ホントですにゃあ。まあ、このお詫びは今夜ベッドで……うふ」
「売店に錠前売ってたよな確か」
けらけらと笑って、ハッサは立ち上がった。
「次に頼むときは、お願いしますにゃ」
「条件が許せば喜んで。……ああ、ハッサ教授」
「にゃ?」
立ち去ろうとするハッサを呼び止め、マイルズは彼女に尋ねた。
「なんで狐耳なのに、語尾に『にゃ』をつけているんだ?」
きょとん、という顔をしたあと。
ハッサは蠱惑的に微笑んだ。
「マイルズの好みですからにゃあ」
「もう許してください」
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