第36話 誰がために

 マイルズは倒れていた。

 瞬きして、手足を少し動かす。大きな負傷がないことと、周囲に危険がないことを確認して起き上がった。

 部屋を見回してマイルズは顔を険しくする。

 壁は歪み、内圧に強い扉を壊して瓦礫がなだれ込んでいる。埃が舞って空気が白い。

 ルーシーは振動に足を取られたらしく、転倒していた。


「ルーシー、大丈夫か?」

「へ、平気です……手を突いただけ。それより、いったい何が?」


 左手首を押さえるルーシーが困惑した目で部屋を見まわしている。

 マイルズは扉に歩み寄り、重たい鉄扉を傾けた。レールを固定する基部が床ごと割れて、天板の塊が突き刺さっている。

 外を窺って絶句した。


「研究所が……崩壊しているぞ」


 まるで引きちぎったように廊下がえぐれて崩れていた。積み上がった瓦礫の向こうに青空が垣間見える。

 爆心地を思わせる破壊の痕跡は、むしろ部屋の中がどうして無事なのか分からないほどだ。

 瓦礫のなかに、紅く透き通った輝きが見える。


「あれは……まさかイデア!?」

「イデアさんですって? 大丈夫なんですか!?」


 驚いたルーシーが鉄扉に駆け寄った。

 隙間から見えるイデア機は瓦礫に埋もれているようだ。紅い装甲はわずかに震え、瓦礫を払い落としていく。その動きはもどかしいほど鈍い。


『ぐぅ……ごめん、二人とも。いきてる?』

「イデアさん! イデアさんこそ大丈夫なんですか!?」

『へいき。わたしは……おねえちゃんだからね』


 自分の言葉に笑うような声をこぼして、イデア機は起き上がる。振り上げた腕の障壁が、吹きつける爆炎を受け止めた。未だ攻撃を受けている。

 背を向けたイデア機は背部ブースターに光を灯す。


『まだまだっ!』

「イデアさん待っ」


 扉にすがりつくルーシーの制止も虚しく、イデアは反動もなく空に飛び上がっていく。


「ルーシー、離れろ。今動かす……!」


 作業室に別の出口はない。

 マイルズは渾身の力をこめて鉄扉をずらし、割れたレールの傾きに沿ってかろうじて一人がくぐれる隙間を作った。ルーシーが扉に瓦礫を噛ませて固定する。


「よし、ルーシー。いつ崩れるか分からない。気を付けて、」


 マイルズが手を差し伸べたぶんだけ、ルーシーは逃げるように身を引いた。

 すぐにルーシーは後悔するように唇をかみ、うつむく。


「……ごめんなさい。でも私、自分でもどう受け止めていいのか……」

「なあ、ルーシー」


 空を切った手を拳に握り、マイルズは肩を落とす。


「俺はきみの……ああ、陳腐な言い回しで嫌になるが、俺はきみの味方のつもりだ。俺を、もっと頼ってほしい」


 言いながらマイルズは顔をしかめる。まるで映画から借りてきたような上っ面な言葉だ。

 ルーシーは小さく笑い声を漏らした。首を振る。


「私が打ち明けたら、あなたがなんて言ってくれるのか……分かります。私が一番言ってほしいことをあなたが言ってくれるから。自分の受け止めきれないことに、あなたの優しさを利用するのは卑怯だと思うんです」


 碧眼をすがめて鉄扉の小さな隙間を見る。イデアの機体は瓦礫の向こうに隠れて見えない。


「でも、今は緊急事態ですよね。とびきりに危険な状況で、イデアさんが危ない。だから、卑怯でもなんでも……手段を選んでいる場合じゃありません。マイルズ」


 ルーシーは唇を引き結んだ。

 こわごわと手を伸ばす。指先が震えて弱気に丸まっている。

 それでも、マイルズを見て。マイルズに向かって。


「私は、あの男――ハルベーザの、娘なんだそうです」


 マイルズは伸ばされた手に触れる直前、少し止まって考えた。

 ハルベーザの娘だって?

 驚きを飲み下して苦笑する。


「きみがどこの誰であれ、変わらないさ。今ここにいるきみを、俺は迎えに来たんだから」


 目を細めるルーシーの手を取った。

 姫の手を引く騎士のように恭しく。

 扉の隙間を肩で支える。


「行こう。気を付けて」

「はい。急ぎましょう」


 外に広がる研究所は悲惨な有様だった。

 イデア機に押しつぶされ、壁も天井もまとめて崩れている。遠くで、剥がれ落ちた天板が床に突き刺さった。


 マイルズは外に目を向けて絶句する。

 研究所の外に広がる森は虹色の靄が立ち込め、空に垂れこめる重たい雲から雷が轟いている。まるで魔界が現出したかのようだ。

 ルーシーの悲鳴が裂くように響いた。


「イデアさん!!」


 蝶のように飛ぶイデア機が、ハルベーザのオーダーワンに撃ち落とされた。枝葉を散らし土煙を上げて墜落していく。

 イデア機の動きは明らかに精彩を欠いている。マイルズは毒づいた。


「魔術を使い過ぎたのか……!」


 魔力を急速に使い過ぎたショック症状はマイルズにも覚えのあるものだ。魔力炉の助けがあるといっても、紅い魔導外殻の扱う規模は相応に桁が違う。

 ルーシーはマイルズの胸板を叩いた。


「マイルズ! イデアさんを助けてください!」

「分かってる。でもここは危険だ、早く離れないと」

「崩落した廃墟なんて、マイルズがいてもいなくても危険でしょう! でも、イデアさんは――あなたにしか助けられないんです!!」


 気迫にマイルズは息を呑む。

 ルーシーは泣いていた。碧眼の目元をひきつらせ、眉をきつく寄せて、震える唇を噛み締めて。まるで幼い子どものように。

 うつむいて額を押しつけてくる。マイルズの服を握りしめる。


「お願いです……私の、お姉ちゃんを……助けて!」


 ハルベーザの娘と言ったルーシーは、それでも変わらずイデアのことを姉と呼ぶ。

 逡巡は、わずか。


「……分かった」


 胸に載せられた小さな手を、包むように手を重ねた。

 顔を巡らせて崩落の少ない道を探す。乗り付けたツインドライブは研究所の陰に隠れる形で無事のようだ。

 ルーシーの手を握る力を強める。


「すぐに建物から離れるんだ。天井と床の亀裂に気を付けて。慌てず、急いで、焦らないように」

「わかっています」


 すぅと深呼吸して表情を引き締めるルーシー。

 心配に顔を曇らせたマイルズは、しかし首を振って顔をあげる。


「ルーシー、気をつけて」

「あなたも」


 声を交わして、一歩離れる。重ねたままの手を伸ばして。

 互い違いに重なる指を互いに絡める。

 もどかしくも、動いた分だけ距離が離れていく。

 指先が――離れた。


 マイルズは魔導外殻へと走る。

 瓦礫を登り、亀裂をまたぎ、露出した鉄骨を飛び越える。階段を使うのももどかしく、崩落した天井を足場に駆け上がっていく。

 研究所に接舷させた機体を見上げた。三階まで上がれば乗り込める。

 爆発音。

 見れば、森の中で湧き出したデコイがハルベーザの機体に粉砕されている。ハッサは危険を顧みず、まだ粘っているようだった。

 だがハルベーザは墜ちたイデア機にたどり着いた。踏みつける。

 それでもイデアは動かない。


「くそっ!」


 マイルズは二階の崩れた壁を跳ねるように登る。

 機体を見上げた。

 屈み込む姿勢の機体が開放したコックピットハッチが、タラップのように虚空に伸びる。

 足元を見る。壁が壁にもたれるような不安定。はみ出した壁材の端は外に飛び出し、眼下に土を見晴らしている。落ちれば重傷は免れない。

 マイルズは顔を上げた。

 勢いをつけ、折れた壁を蹴る。

 外の空気に身を踊らせ、

 伸ばした手が縁をつかんだ。


「っぐぅう!」


 勢いのまま大きく体が振れる。

 満身の力を指先に託し、剥がれ落ちないよう体を丸める。

 左腕を跳ね上げて肘を載せた。コックピットハッチに這い登る。


「和ノ国で、こんなスポーツアトラクション番組、見た気がするな……!」


 軽口を吐きながらシートに転がり込む。座るや否や機体のロックを蹴り上げた。

 操縦士を欠いて魔力還流は維持し得ない。ツインドライブを再起動させながらベルトを締め、操縦桿を軽やかに握った。コックピットハッチがようやく閉まる。


「――行くぞ!」


 すべて一挙動。

 ツインドライブは炉の立ち上がりに余剰魔力を吐き出して、ブースターに送り込む。咳き込んだ推力に蹴飛ばされてテスト機はつんのめり、地面を蹴って飛び出した。


「――ぉおおああ!」


 吼えるマイルズはスクリーンをにらむ。

 イデア機に突撃銃を突きつけるハルベーザのオーダーワン。それが瞬く間に大きくなり、画面いっぱいに迫り、

 ハルベーザが振り返って身を引いた。


『な、』

「どけぇ!」


 激突。

 水平に飛び出したツインドライブは一直線に、オーダーワンをショルダータックルで吹き飛ばす。

 手足で空をもがいて宙を舞ったオーダーワンもろとも倒れながら、マイルズはステイタスモニタに目を向ける。

 魔力炉の出力は未だ不十分。

 魔術どころか、繊細な操作が通じるほど全身に行き渡ってすらいない。

 衝突した右腕肩部は赤く警告表示に染まっている。深刻な動作不良。銃撃戦すらなしに機体は力負けしてしまう。


 驚愕に転んでいたハルベーザは、ようやく起き上がってマイルズ機に腕を振り上げた。


『ぐぅ……この、貴様!』


 マイルズは舌打ちしてブースターを点火。ネズミ花火のように地面を転がって、打ち下ろされた魔術から逃れた。

 そのまま身を起こす。油断なく構えてマイルズは笑った。

 操縦桿。ペダル。見渡す限りの計器に、眼前には強大な敵。

 たとえ不道徳となじられようと。

 これこそが魂よりの居場所だと、全身全霊で感じる。


 マイルズは機体を操縦する。


「さぁ、最終ラウンドだ」

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