第29話 ルーシー<2>
ルーシーが連れてこられた倉庫には、機材や資料が潤沢にそろっていた。
大型の工作機械が軒を連ね、机代わりに巨大な木箱が横倒しになっている。鋳鉄も金属加工も、計算結果を入力すればすべてこの場で終わらせられた。
オーダーワンが製作されたのもここなのだろう。時代の大きな謎が呆気なく解決されて、ルーシーは失笑したい気持ちになる。
イデアとしては、留守番を頼んだ妹に玩具や絵本を与えておくような気持ちだったのだろうと、今のルーシーは思う。
そこに置かれているのは先端技術の結晶であり、しかし同時に、無邪気な試行錯誤で奔放に積み上げられた「積み木遊びに飽きた跡」だった。
「オーダーワンがなぜ作られたのか、ますます分からなくなりますね」
ルーシーはつぶやいてコーヒーを飲む。
妙に上等なバリスタマシンが置いてあるのもイデアらしい。そのわりには、もっぱらカフェモカで飲んでいたようだ。やたらと減り方が違っている。
ぐっとカップをあおって飲み干し、ルーシーは気合を入れなおす。
「よし。あとは最後の仕上げだけ。頑張りましょう」
ルーシーが向かう先には、鉄色がむき出しの魔導外殻が立っていた。
未だかつてない型。いまここで作られた新たなモデル。
新型試作機の胸部コックピットハッチで、作業に取り組んでいるハッサの姿が見える。
三日前。
ルーシーを連れてくるなり、イデアは再び倉庫を出ていってしまった。
取り残された形のルーシーはめげるどころか、倉庫に残された資材の山を見てすぐに心を決めたのだ。
「オーダーツーを作り直し、完成させます。今、ここで」
そうして、倉庫に残されていたユニット化された魔導外殻のパーツを組み合わせて組み立てた機体の心臓部に、一回り小さくなった非侵食型魔力炉が収められている。
ハッサはコックピットに足をかけて、上半身を奥に突っ込むようにして機体を調整していた。彼女の背中を見上げて声をかける。
「ハッサ教授、交代します。休憩してください」
「もう少し……すぐ終わりますにゃ」
振り返りもせずに言う。
ルーシーは機体の足元で閉口した。工具の散らかった床を見る。
机代わりに裏返したケースには、冷めきってコーヒーの跡がついたカップが放置されている。
ハッサはこの三日間、不眠不休で働き続けていた。
「休憩してください、ハッサ教授。無理しすぎです」
「休む暇なんてありませんにゃ。できることは、できるうちにしなければ」
「根を詰めすぎです。それでは完成の前に倒れてしまいます」
がんッ! とハッサはスパナで装甲を殴った。勢いよくルーシーを振り返る。
「間に合わなかったら元も子も――!」
頭をふらつかせ、コックピットハットにもたれかかる。寝不足で充血した琥珀色の瞳は疲労に淀んでいた。
ルーシーは困惑する。
「なにをそんなに焦っているんですか? もう完成したようなものです。慌てることないじゃありませんか」
「完成したような、ではありません。完成ですにゃ。最終テストはした方がよいでしょうが」
ハッサは顔をしかめてスパナを横合いに放り捨てた。けたたましい音を立てて、落下したスパナが床を跳ねていく。
肩をすくめたルーシーが目を向けると、ルーシーが調整していたはずの推力制御系もハッサによって仕上げられていた。
「では、これで……」
「ええ」ハッサは肩をすくめる。「あなたのオーダーツーは完成です」
ルーシーは喜ぶよりも、困惑した。
研究所で、そして和ノ国であれだけ時間をかけたものが――オーダーワンの原点を見て、ハッサ教授の全面的な助けを得られたとはいえ――この短時間で終わってしまったなんて。
「信じられません」
「そうですかにゃ? オーダーツーは限りなく完成に近かった。たったひとつ細工を付け足しただけです。図面があなたの頭に入っている以上、ここで再現できるのも当然かと思いますが」
たった一つの細工。
オーダーワンとオーダーツーを隔てる違い。
それは魔力炉に起因するものではなかった。
操縦士による魔力制御。
離散するはずの魔力を捕まえ、再び炉に戻して循環させる――永久機関にも等しい魔力還流システムは、道具だけで完結させられるものではなかった。
魔力をどのように利用し、その結果どのように放出されるのか。機体の動きすべてを知り尽くす操縦士が、自ら制御することで散逸の少ない循環を作る。
それこそがオーダーワンの異様な出力と扱いづらさの秘密だった。
マイルズしか十全に扱えなかったのも当然だ。"自転車操業"を実現させるには、機体を完全に掌握する卓抜した技術と知識とセンスが求められる。
間に合わせのフレームに寄り掛かり、ハッサはため息を吐く。
「まったくお見事ですよ。自転車が難しいならタイヤを増やせばいい? これ、炉ですよ。なにを食べたらそんな発想に至るんですか。ヘキサドライブなんて幼稚に思えてきます」
投げやりな言葉に、ルーシーはまゆをひそめて顔を上げた。
疲れた様子でコックピットハッチに寄り掛かるハッサは、称賛を恨み言のように吐き捨てる。
「あなたは最終的に、"代償なく誰にでも扱えるオーダーワン"を完成させた。これなら量産化も可能でしょう。あなたの勝ちです、素晴らしい」
「……あの、ハッサ教授?」
ルーシーが声をかけた。
ハッサは笑っている。泣きながら怒りのあまり笑うような、歪んだ笑顔だった。
「オーダーツーの廃止を提言したのは、私ですにゃ」
え? とルーシーの喉がひきつった。
「ゴトウ所長にはオーダーツーが成果を出すには時間がかかると伝え、オーダーシックスを推しました。彼はどちらでもいいと、ひとつに絞れさえすればいいと考えていたから。オーダーツーを追放したのは私です。結果は、この有様ですが」
完成したオーダーツー搭載試験機のフレームを蹴る。
ハッサは不貞腐れたような、捨て鉢な顔で笑っていた。疲れに任せ、腹の
「私が魂喰らいの量産化を推し進めたのは」
ハッサはルーシーをにらみつけた。
「オーダーツーを採用させたくなかったからです」
ルーシーは虚を突かれて息を呑む。唇が震えた。
「なぜ……?」
「なぜだか分かりませんか? そうでしょうね、あなたには分からないでしょう」
やはりハッサは笑う。
その笑みはどこまでも、彼女自身に向けられていた。
ハッサは自分を
「私がどれほどあなたに嫉妬したか、きっとわからないのでしょうね」
ルーシーは唖然として反応を返せない。
夢にも思わなかった。ハッサに、優れた先達に、まさか嫉妬されているなど。
「あなたはオーダーツーの開発者。あなたは、二番なんです」
一番は無論、オーダーワンの開発者。イデア・グレースだ。
だが彼女には嫉妬のしようがない。消息を絶っていたし、彼女が生み出すものには隔世の感があった。
だが、ルーシーは。
「私の目の前で、私の技術を学んで、倍以上の成果にして突き返してくる。私の徒労感と無力感は強烈でした。私が長い年月をかけて注いできたすべてを、あなたは踏み台にして、手の届かないところまで走ろうとしている。くやしかった」
最初にオーダーツーの運用試験で数字を示した日など、マイルズが居合わせなければ急性アルコール中毒になっていたかもしれませんと。自嘲に隠した憎悪をルーシーは受け止めきれない。
一度ほつれた発露は止まらない。
ハッサははっきりと敵意を目に宿し、ルーシーをにらみつける。
「あなたは若く、美しく、聡明で気立てもよくて……マイルズがあなたに夢中になるのも当然です。当然だと、思いました。だから私はマイルズと距離を取ったんです。あなたにばかり構っているマイルズを、近くで見ていたくなくて」
マイルズを「デリカシーゼロドライブ」などと呼んだのはハッサだ。そんなふうに呼ぶほど、欠点まで押し包んで愛していたことはルーシーも伝え聞いていた。
しかし、ルーシーがマイルズと親しくなるころには二人の間に距離があった。それこそ、ルーシーが間に入れるほどの大きな溝だ。
その原因が、ルーシー自身。
立っていられなかった。
へたり込むルーシーを、ハッサが見下している。目元が光っていた。
「なのにあなたは、私が恋も故郷も捨てて心血を注いだ研究でさえ……いいえ。研究の領域でこそ、強く輝こうとしている。それが私のすべてなのに。容姿のことなら諦められた。マイルズのことも飲み込めた。でも、研究は……この仕事だけは! これだけは、これだけが! これだけが私のすべてなのに!!」
ハッサの頬をしずくが転がった。
泣きながら彼女は吼える。
「私が捨てたすべてを持って、私のすべてを奪い去った!! 私はあなたが許せない!!」
拳で自分の目を押さえる。溢れる憎しみに蓋をする。
両目を隠したハッサの口元には、やはり笑み。
「だから私は魂喰らいを選んだんです。あなたが頑なに選ぼうとしない手段なら、先んじることが可能だと」
ルーシーからの反応がないことなど、もはや気にしていなかった。
まるで儀式のように、ハッサは己の
「犠牲など知ったことではありませんでした、大きすぎる出力なんて問題じゃありません。その程度の欠陥など、あなたが研究所のトップに立つことと比べたら――」
心底、軽蔑した声で。
「……どうでもよかったんです」
壁が爆発した。
こじ開けられた穴から、完全武装の特殊部隊が踏み込んでくる。
対魔術結界の煙幕をばらまいた彼らは、ルーシーを見るや一直線に駆けてくる。ルーシーを倒して床に叩きつけた。頬骨を打って鈍くうめく。
極められた腕ごと背中を押さえられながら、ルーシーは機体を見上げた。
ハッサはコックピットハッチをふさぐようにフレームに腰かけている。
「ハッサ教授……!」
彼女は微動だにしない。捕まるルーシーを眺めて笑う。
「言ったでしょう? 時間がないって。間に合ってよかったですね」
見上げるルーシーの目に涙がにじむ。
この部隊はハッサが呼んだ。この展開は、ハッサが望んだことなのだ。
「私……私は。あなたに、憧れて……尊敬して、いたんです……っ」
口を突いて出たのは、そんな言葉。
ハッサの表情が消えた。彼女は顔を背け、声を絞り出す。
「殺されてしまえばいいんです」
ルーシーはうつむいて
連れていけ、という無感情な声に引っ立てられ、ルーシーは犯罪者のように連行されていく。
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