第34話 ルーシー<3>

 遠く、残響のような音が壁に響く。

 漂白されたように無機質な防音室でルーシーは細面をあげた。

 刑務所の対面室にも似たガラスに遮られた部屋は、彼女の腰掛ける前に一対の操縦桿が据えられている。その動きを繊細に伝えるマシンアームは、剥き出しの魔力炉――オーダーシックスに伸びていた。

 だがルーシーの腕は彼女の膝に乗せられ、マシンアームは停止したままだ。

 ふいに扉のロックが解除される。

 鉄製の耐爆扉が重々しく開かれた。

 灰色にメッシュのような白髪が交じった男。白衣に包まれた体は鍛えられた肩幅と胸板を張り、上質なスーツに革靴を履いている。胸元に示すCTI社の委託顧問を示すピンバッジ。

 人形のように姿勢を変えないルーシーを見て、男はため息を吐く。


「ルーシー・ベルトラン。まだ頑なになっているのか」


 ぎり、とルーシーは拳をきつく握りしめた。冷厳な碧眼が男をにらみつける。


「ハルベーザ・ゴトウ……!」


 ハルベーザは年齢の厚みが入り始めた顔を渋く笑ませた。余裕の満ちた鷹揚さで歩み寄る。


「オーダーツーを完成まで導いた知見、我々にも貸してほしいのだがね。あの欠陥を克服すれば、ヘキサドライブはさらに上のステージに進める。きみとて、優れた技術を生み出す事に否やはないと理解していたが?」

「魂喰らいで進むつもりはありません」


 硬い声の即答にハルベーザは肩を落とす。

 ルーシーの横に立つと、灰色の瞳がルーシーを覗き込んだ。不気味な微笑は感情が読めない。


「なにが不満なのかな。ヘキサドライブはハッサの肝入りだ。開発向上はハッサのためにもなる」


 ルーシーは唇を歪めて笑った。疼痛をこらえるように冷ややかに目元を細める。


「仮に私がヘキサドライブを改善できるとしても、それをハッサ教授が喜ぶことはありませんよ」

「……ふむ。なにか吹き込まれたのかな。ハッサではモチベーションにならないか」


 さほど興味もなさそうな淡々とした言葉。ルーシーは険しい目つきで傍らの男を見上げた。


「そもそも、あなたは何が目的なのです? これだけの人を巻き込んで、あなたはなにがしたいのですか」

「うん? ただの技術開発だ。私はただ、いいものを開発したい。それだけさ」

「それにしては随分と乱暴なことばかりしていますね。軍事兵器でテロを起こして、ハッサ教授まで巻き込んで」

「ハッサは臆してしまったね。嘆かわしい話さ。半端な気持ちで戦っていたなんて」


 肩をすくめ、ハルベーザは苦笑する。


「たとえ死山血河を築こうと、歩みを止める怠慢は許されないというのに」


 穏やかな、しかし決然とした断言だった。

 ルーシーはわずか顎を引く。ハルベーザを見上げた。


「あなたは……なんのために研究するのですか」

「より優れた性能のものを生み出すためだ。それ以外になにがある?」


 違う、とルーシーは叫んだ。椅子から立ち上がる。それでも高いハルベーザの顔を見上げて勢い込む。


「ただ性能がよければいいというのは思考停止です! 己の携わる技術に対する無責任は、研究者に許されません!」

「無責任とはひどいな。どんな責任を負うべきだと言うのかね」

「あなたは、自分の生み出したもので人が死ぬことになってもいいとでも?」

「それは使う者の問題だろう」


 野放図な研究が何を生み出すのか、ヘキサドライブがどんな犠牲を強いるのか、知らないはずはないのに。

 ルーシーは思い至った。

 ヘキサドライブを追認したのはこの男だ。

 魂喰らいの影響を最小限に留めようと励んでいたのはハッサで。

 人を殺してでも性能を求めると決めたのはこの男なのだ。

 ルーシーは脱力して、再び座面に腰を下ろす。うつむいて言葉をこぼした。


「なぜ、私のオーダーツーではダメだったのですか?」

「中止を決めた時は、性能の不足。今は、将来性の欠如だ」


 ルーシーは言葉を失った。

 ツインドライブは完成している。

 オーダーワンを扱いやすく量産する……その目的に対して、ヘキサドライブを上回ることができた。

 だが、そこまでだ。

 オーダーワンを小分けにする、という発想は、その時点でオーダーワンを超えることを指向していない。


「あなたは、どこまで性能を高められたら満足するのですか?」

「どこまでもだ」


 ルーシーは拳を握る。激情のまま気炎を吐いた。


「あなたは! ただ結果が優れてさえいればいいと! 過程も犠牲も関係ないと、そう言いたいのですか!?」

「もちろん。発展するのはいいことだろう。その何がいけないんだ?」


 ハルベーザはむしろ不思議そうに眼を瞬かせて、ルーシーを覗き込む。

 この男を生かしてはいけない。

 殴りつけられたようなルーシーの良心が、そんな結論を出した。

 この男は果てしなく、ただ結果が優れるというだけで選択する。その途上になにがあろうと頓着しない。

 この思想の果てに生み出されたものを、知っている。

 ゼロドライブ――搭乗者を食い殺す絶大兵器。


 ルーシーの細い指がハルベーザの太い喉に食い込む。驚いたハルベーザが後じさり、自分の足に蹴つまづいて転んだ。ルーシーはその喉にのしかかり体重をかける。


 この男はなにをした?

 人道を軽視した研究でハッサ教授を追い詰め、自殺を決意させた。

 ルーシーを拉致するために武装組織を送り込んだ。

 そのために、マイルズに人を殺させた。人が死ぬような命令を下したとも言える。

 すでに、取り返しのつかないことを、繰り返している。


 ルーシーは体重を載せて、手に渾身の力を込める。

 筋が浮いて真っ白になった指に締められるハルベーザは、口を開いた。


「やめろ……まだ話は終わってない」

「いいえ、終わりです! あなたのような怪物を、野放しになど……!」

「そうではない」


 ハルベーザの口元が揺らぐ。

 笑ったのだ。


「父を殺すなら、相応に覚悟をしてからにしなさい」

「私は孤児です! 父など、私には……」


 言葉が途切れる。碧眼が見開かれた。

 まさか。

 ルーシーの手から力が緩む。

 身を起こすハルベーザに押しのけられ、ルーシーはへたり込んで尻もちをつく。顔をしかめて咳をしたハルベーザは、殺されかけたにもかかわらず動揺がない。


「そうとも」


 ハルベーザは凄絶に笑う。


「私はハルベーザ・ベルトラン。すでに姓を戻したがね」


 ルーシーの細面が青ざめた。

 喉の調子を確かめるように咳払いをして、ハルベーザは肩を落とす。静かな灰色の瞳が恐怖に震えるルーシーを映した。


「和ノ国の企業であるCTI社とこの国をつないだのは私だ。政略結婚というのかな。婿入り早々に夭折してしまったから、子どもを施設に預けて私は姓を戻した。王国民の妻がいないのでは意味がないからな」


 つまり、とハルベーザは言葉を継ぐ。


「私はお前の父だ」


 ルーシーは怯えたように肩を縮ませた。あらゆる気勢が萎えた力のない目がハルベーザを見つめる。

 その目の前で、ハルベーザは己の腰に手を回し、拳銃を取り出す。銃把を差し出した。

 ハルベーザが拳銃の銃身を持ち、ルーシーに差し出している。


「ひどいことをしたと思っている。恨んでくれていい。きみには、私に復讐する権利がある」


 は?

 ぽかんと口を開けてルーシーはハルベーザの顔を見つめた。

 変わらず余裕を湛えた柔和な微笑を崩さない瞳を見る。動揺のない瞳。人の感情をなにも気にしていないような表情。

 ルーシーは意図を察して、怒りに顔を紅潮させた。


「あなたは――」


 拳銃を奪い取る。白髪の走ったこめかみを殴りつけ、突き飛ばして倒した。すぐさま馬乗りになり、膝で肩を押さえてハルベーザのマウントを取る。

 眉間に銃口を押し付け、後頭部を床に挟まれて眉をしかめるハルベーザをにらみつけた。

 こぼれた涙がハルベーザの白衣を丸く濡らす。


「どこまで卑怯なのですか! これで贖罪になるとでも? こんな都合よく自分の好きな罪状だけを選んで拭い去ることができるとでも!? 人を馬鹿にするのもいい加減にしてください!!」


 きつく握りすぎた手が震える。引き金に添えた人差し指が力み過ぎて硬直する。

 ルーシーは肩を震わせて泣き叫んだ。


「今まで素知らぬ顔で所長として接しておいて、今さら殊勝にしたところで、なにも誤魔化されるわけがないでしょう!!」


 息を荒げ、首まで赤みを帯びたルーシーが拳銃を押し付けた。手が震える。拳銃を握りしめる手が硬直化する。

 その銃を、ハルベーザの指が撫でた。


「それでは弾が出ない。安全装置のレバーを、こう外すんだ」


 かちり。音さえなく手応えだけで、銃の安全装置が解除される。

 それで本当に気が済んだと言わんばかりにハルベーザの全身から力が抜けた。灰色の瞳が、凪いだ湖面のように静かなまま、ルーシーを見つめる。


「さあ、これでいい。いつでも撃てる」


 ルーシーは目を見開いた。

 銃を押さえ、両手で包むように保持する。

 呼吸を止めて。

 力をこめて。

 シワの浮き始めたハルベーザの顔を見て。

 壁に向かって投げ捨てる。

 重い鉄塊が壁に叩きつけられ、鈍い音が壁板に響く。その音が消え切らないうちにルーシーは腕を振り上げた。

 拳でハルベーザの頬を殴りつける。


「がっ。……痛いな。だが、生きている」


 ハルベーザのうえから退いたルーシーは、殴った右手をぎゅっと押さえた。吐き捨てる。


「初めから、殺されるつもりなんてなかったんでしょう」

「まさか。私の所業が所業だ、殺されても仕方がない。まあ、きみの人柄を知って、まずもって殺されることはないと思っていたけど」


 殴るとは思わなかったな、と肩をすくめる。

 悠々と自白してみせた無神経をルーシーはにらみつけた。

 だが、その手は銃に伸びない。忌避するように両手を胸の前に重ねている。

 ハルベーザは泰然として体を起こし、立ち上がった。


「さて。過去の清算もこれで済んだ。どうやらきみの気が変わるまでには時間がかかるようだし……先に、他の用事を済ますとしよう」


 再度、かすかな揺れが壁に伝わる。

 壁の向こうにちらりと目を向けたハルベーザに、ルーシーは声をかける。


「ひとつ、聞かせてください」


 意外そうに眉をあげたハルベーザは、襟を正してルーシーに体ごと振り返った。その見当はずれな几帳面さに顔をしかめる。


「どうして、自ら研究をしないのですか。私やハッサ教授を手なずけるより、よほど話が早いと思うのですが」


 そんなことか、とハルベーザは呆れた顔になる。

 興味をなくしたようにルーシーに背を向ける、そのついでのように言葉を残した。


「できるならやっている」

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