第26話 ルーシー<1>
紅石のように透き通った魔導外殻が着陸する。
機体の手に乗せられて屈むルーシーは、巨大な指の間から外を見た。鬱蒼と深い山林だ。
魔導外殻の手で抱えられているはずなのに、衝撃が一切伝わらない。操縦の妙だけで説明できることではなかった。魔術で制御しているのだ、と気づいたルーシーは唇を引き結ぶ。
かたわらに目を落とした。
ルーシーの隣には、未だ青い顔で意識を失っているハッサがいる。彼女の体を包む毛布を直しながら、つぶやいた。
「もし……もしも、あのころと変わっていたら。私が、ハッサ教授を守らなければ……」
ルーシーを連れた魔導外殻がやってきたのは、和ノ国の外。山間部に放棄された倉庫跡だった。
あちこちに赤い錆が浮いているものの、床は掃除されている。壁や
まるで大型旅客機のハンガーのようだった。
機械の腕を下ろされて、ルーシーは床に降り立つ。床板も含め、やはりしっかりと手入れされていた。
ルーシーは、かしずく魔導外殻を振り仰ぐ。
「どういうつもりなんですか? ――イデア・グレース」
騎士のようなフェイスマスクがルーシーを向く。双眸が光を失い、胸元の装甲がずれて開いた。
ゆっくりと開いたコックピットハッチの間から姿を見せたのは、女性だ。
夕日のような金髪は長く、上品なウェーブに緩む。顎や首は人形のように細い。整った顔に感情は薄く、ぼうっとした表情の艶めかしさに視線が引きつけられる。
細い体を押し隠すロングコートから分かるほど豊満な胸と、すらりと長い脚。彼女はコックピットから飛び降りた。
揺れる髪を押さえる彼女は、ルーシーよりも少し背が小さい。しかし揺るがぬ大きな存在感を細身に宿し、花弁のような唇を震わせた。
「ひさしぶり、ルーシー」
空気さえひざまずくような霊妙な声。
ただの一言でルーシーはあっけなく動揺する。
「お、覚えていたんですか? 私を……」
「わすれてると思ったの?」
その動揺こそ不思議とばかりに首を傾げ、美女はかすかな笑みを浮かべる。
微笑にさえ誘惑されているかのようで、ルーシーは眩暈をこらえるように顔を伏せた。
うつむけた視界に、伸ばされた腕が映る。
細い腕はルーシーの両腕を優しく取った。
「けがはない? 痛いところがあったら言ってね。ひどいことされなかった?」
労わるような声に、ルーシーは顔をあげる。
心配そうに眉尻を下げるイデアが、ルーシーを間近に見つめている。
その口元が笑みに緩んだ。
「……無事でよかった」
ルーシーの息が震えた。
問いただしたいことはたくさんあった。問わねばならないことが山ほどあった。
「どうして」
声がどうしようもなく震える。
たくさんの質問が一気に押し寄せて喉につっかえた。わずかなせめぎあいの果てに、最初にはじき出された言葉にルーシー自身が驚かされる。
「どうして、急にいなくなったんですか」
それは、十年も前に諦めたはずの言葉。
「なぜ、なんの連絡もくれなかったんですか。一言でもよかったのに」
ずっと胸の底に封じていた質問が、
「話したいことが、頼りたいことがたくさんあったのに……どうして……」
こらえきれずにうつむいた。しずくが目元から落ちて、床に薄く丸い形を描き出す。
ルーシーの肩を、優しい熱が押さえる。
確かな肉感。紛れもなくそこにある実体。
イデアが、ルーシーの肩を抱きしめる。
「ごめんね。ごめん。言い訳もできないよ。――でも、ずっとみてた。がんばってたね」
ああ。
ルーシーの喉が取り繕いようもないほど震える。
ずっと踏ん張って。立ち続けて。手を伸ばし続けてきた。
イデア・グレースが、ルーシー・ベルトランの義姉が、研究の遥か先で
ルーシーは、なぜイデアの偉業を見てそれを自分の使命だと感じたのか、理解した。理解して、恥ずかしさで逃げ出したくなった。そんな勿体ないことはできないと、必死に踏ん張って我慢した。
なぜ、ルーシーがずっと研究を頑張れたのか。
――きっと、寂しかったからだ。
ルーシーは呼吸を整え、気を落ち着ける。改めてイデアに向き直った。
「教えてください。どういうつもりなんですか? イデアさん」
呼ばれたイデアは、くすぐったそうに笑う。
「べつに、なにも」
歌うような響きは落ち着きがない。つかみどころのなさが人の形を成している。
「ただ助けたかっただけだよ、ルーシー……あなたが、殺されそうだったから」
ルーシーは息を呑む。
だが、薄々わかっていたことだった。
銃を手に家宅へ押し入ってくるなど尋常ではない。
イデアはゆったりと指を立てて、確かめるように言葉を並べる。
「ルーシー、あなたは殺されそうになっていた。魔導外殻や武装民兵が集まっていたのは、ヘキサドライブに比肩する技術を開発できるあなたをさらうか、殺すためだよ」
車で追ってきたスキーマスクや、マイルズとイデアが撃退した魔導外殻。彼らにつかまっていたら――殺されていた?
気味の悪い想像に、ルーシーは痩身を震わせる。なにより、その想像は実感を伴っている……。
ルーシーはかぶりを振ってイデアを見た。
「どうしてわかったのです。私が殺されそうになっているなど」
「わかるよ。研究所にオーダーワンがあるからね」
「? ……盗聴器でも仕掛けていたのですか?」
「んーん。しないよそんなこと。でも、わかるの」
「だから、なぜわかったのです」
「んん? わかるよ。ルーシーのことだもん」
埒が明かない。ルーシーは聞き出すことを諦めて話を進める。
「では、なぜマイルズも倒したのですか」
イデアはぱちくりと大きな目を瞬かせた。
「まい……だれ?」
「マイルズです。マイルズ・スミス。私を守ろうとして、あなたの前に立ちはだかっていた」
「……うーん?」
イデアは幼げなしぐさで首を傾げる。
ルーシーはようやく悟った。彼女はただルーシーを助けるために来たのであって、それ以外の魔導外殻は無差別に無力化しただけなのだ。
ルーシーは細く安堵の息を吐く。
マイルズに敵対しているわけではないらしい。
「では、誰が私を殺そうと?」
「しらない。ルーシーがあぶなかったから助けただけだもの」
イデアは悪びれず肩をすくめる。気にしてもいないようだった。
困ったルーシーは眉尻を下げる。誰が、なぜ、どのような手段で仕掛けてきたのか分からないのでは対策の立てようもない。
「ゴトウ所長。ハルベーザ・ゴトウです。研究所の所長」
思いがけない声に振り返る。
外殻の腕に寝かされていたハッサが体を起こしていた、
目は落ちくぼみ、頬はやつれ果て、狐の耳はカサカサに乾いている。起き上がっただけで重労働の後のようにつらそうな息を吐いた。
「は……ハッサ教授! 大丈夫ですか?」
「にゃは。大丈夫ではありませんね。全身の血管が軋むようですにゃ」
ハッサは皮肉げに首を傾けた。琥珀色の瞳は虚ろで、目の焦点は定まっていない。
戸惑うルーシーにハッサはささやく。
「定期的に鎮静薬を飲まないと死ぬ毒だそうです。全く趣味の悪い話ですにゃあ」
「え……!?」
驚いてハッサを見る。
ハッサは声もなく笑っていた。自嘲するように。
「あなたを狙っているのはゴトウ所長ですにゃ。ヘキサドライブに匹敵する技術の芽は、抱き込むか、叶わないなら潰してしまえと。彼は恐ろしくシンプルな男ですからにゃあ」
切れ切れに伝えて咳き込む。その咳に血の飛沫が混じっていて、ルーシーは顔色を失った。
「くふ。内臓がドロドロ溶ける毒だとか。毒素が内臓まみれのぐちゃぐちゃになって証拠が残らないという寸法ですにゃ。まったく愚かなことです。ひと思いに殺さないから痛い目を見る」
嘲弄は誰に向けられたものか。ハッサは頬にしわをつけて震えている。
指先は蒼白で、肩は氷のように冷たいのに、額は高熱を帯びて汗がにじんでいる。長くないのは明らかだった。
「ハッサ教授……! ああ、そんな!」
「そのひと、死にそうなの?」
ひょこんと首を伸ばしたのはイデアだ。
彼女はなんの気負いもなく、細い腕を伸ばしてハッサの胸に触れる。
「治してあげる」
途端。
溢れた魔力は瘴気のようにどす黒い。ぬめる泥のような魔力はハッサの胸を這い、染み込んでいった。
ぐる、ぐるとハッサの体内で濃密な魔力が渦巻いていく。それが感じられるほどの強い魔力に、ルーシーは身をのけぞらせた。
真っ当な人間に持てる魔力ではない。
相変わらず薄い表情で淡々と魔力を練るイデアは、やがて手を放す。
「おわった」
あっさりと言った。
きょとんと眼をしばたかせるハッサを、イデアは冷たく見下ろしている。
「ルーシーと知り合いみたいだから生かしてあげるけど。次にまたルーシーを傷つけるようなことしたら、ただじゃおかないよ」
「また?」
訝るルーシーとは裏腹に、ハッサは唇をかんでうつむいた。
ルーシーは焦りのにじむ顔でハッサを見る。
「どういうことですか? 詳しく――」
「もういいじゃない」
詰問は、イデアが遮った。
「ルーシーにはもう関係ないんだから」
「……関係、ない?」
呆然と振り返るルーシーに、イデアは微笑む。
誇るように両手を広げた。彼女の倉庫、彼女の城を。
「ここは山のなかの、誰も知らない秘密基地。もう襲われないよ。魔術とか、まじないとか、いろんな結界も張ってある。ここにいれば、もう心配はいらない。誰にもルーシーを傷つけさせない」
イデアは言う。嬉しそうに。
「普段なにもできない分、大変な時くらい、ちゃんと守ってあげるからね」
得意げな笑顔からは、純粋な善意と好意が痛いほど伝わる。
ルーシーは慌てて言い募った。
「そうはいきません。私にはまだ……」
「いいよ、任せて。ルーシーを狙う連中は、すぐに片付くとおもうから」
「でも!」
「まかせて」
頼られて嬉しいと、力になれて嬉しいという、喜色と気概がイデアの瞳に溢れている。
ルーシーは泣きそうになった。
イデアに反し、お姉ちゃんを頼れてうれしいと思えるほど、もうルーシーは幼くなかった。ずっと積み上げてきた精神性がイデアの優しさを喜べないように変えてしまった。
ルーシーはもう大人だ。彼女自身が望んだとおりに。
「だいじょうぶ、お姉ちゃんに任せて。もう、なにも心配いらないからね」
イデアは優しく慰める。
ルーシーは目元をゆがめた。冷ややかに。
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