第2話 居酒屋にて

 長く続いている古い町であるレギナで夜のお務めに励んでいるレオンハルトは、妓館で大当たりを引き大満足で一軒の酒場に入った。カウンターとテーブル席が3つほどの、手ごろな広さだ。店員に促されてカウンター席に座ったレオンハルトは、麦酒と適当なつまみを頼み、妓館での甘いひと時の余韻に浸っていた。ジョッキを半分くらい空けたとき、この酒場に一人の男が入ってきた。

「…ん、ドワーフか…」

 レオンハルトが見たのは、やや尖った耳にギョロリとした目、黒褐色のボサボサの毛髪と口ひげ、服の上からでもはっきり分かるくらい丸太のような腕と脚をしており、それに見合った体躯をしているが背が子供くらいの小男だった。この世界には、人間とは違うが人間のような種族が存在しており、この小男は誰が見ても分かるくらいドワーフであることが分かる。背の丈と同じくらいの巨大な斧を背負っているこの男は、空席であるレオンハルトの右隣に座り、麦酒をオーダーすると深いため息をついた。

「ふぅ、ここは一体どこなんだ」

 こんな独り言をつぶやいてしまうくらいに、途方に暮れている様子。いい思いをして気が大きくなっているレオンハルトは、このドワーフに声をかけた。

「お困りのようだね。どうしたんだい」

「おおっ、やっと親切な人が現れた~~!」

 ギョロリとした目を潤ませながら手を握ってきたので、レオンハルトはぎょっとした。

「ちょ、ちょ、ちょっと、な何を」

「親切な人、どうかシサクの森までワシを案内してくれんか?」

「はぁ?」

 聞きなれない地名だ。響きからすると目的地である北方の辺境みたいだが。

 レオンハルトが引いてしまっているのに気付いているのか分からないが、ドワーフは必死に訴えた。

「金鉱山を掘っていたのはいいのだが、深く掘っているうちにゴブリンのゴキブリどもがワシの坑道に住み着きやがったんだ。こんなふざけた話があるか?頭にきたワシは逃げるゴキブリどもを駆逐して回ったんじゃが、気付いたら地上に出ていて、しかも見たことのない場所にいて、何日も彷徨っているうちにこんなところに来てしまったんじゃ。まだ金を掘っている最中だし、何としても坑道へ帰りたんじゃ。褒美だったら、この金細工をやるから」

 ゴブリンとは、じめじめとした暗い森に住みついている汚い亜人種である。ドワーフとはとても仲が悪い。 

 ドワーフは懐から手のひらサイズのペンダントを取り出し、無理やりレオンハルトに握らせた。仕方なくレオンハルトは金細工を眺めたのだが、目を見張った。所々に宝石がちりばめられた金のペンダント。相当な額で売れそうだ。

「おぬしも旅の途中だと見た。寄り道になるが、ワシに付き合ってくれんか?」

「うーむ」

 レオンハルトは唸った。くそ安い路銀しかくれなかったところに加えて「夜のお務め」で散財してしまったから、手持ちの金がさびしくなっているのは事実だ。しかも、この町であれば装飾品を買い取る店だってあるだろう。うまくいけば今の手持ちの倍以上の金が手に入るかもしれない。ただ問題は…

「マスター、王国の地図があるところ知らないか?」

 真向かいでつまみを黙々と作っている、無愛想で朴訥そうな人相の悪いマスターにレオンハルトは尋ねた。近隣しか描かれていない簡単な絵地図だって、なかなか手に入らない高級品だ。それを、王国全域が記された地図なんて、王都だったらあるだろうけど、こんな街にあるとは思えない。ダメでもともとだが、目的地のシサクの場所が分からなければ、答えようがない。

 マスターは、つまみを作っている手を止めると水で手を洗い流し、背後にある棚の扉を開けて中から紙に包まれた鍋らしきものを取り出した。丁寧に包装紙をはがしていくと、中から年季の入った土鍋が出て来た。煮物でも作るのかと思ったら、マスターは土鍋を脇にやって包装紙のシワを伸ばし始めた。ある程度綺麗になった包装紙をマスターはレオンハルトに差し出した。

「あるよ」

 はぁ?と思って手に取ると、それはまぎれもない王国全体の地図だった。しかも、この時代にしてはかなり精密なものだ。驚くレオンハルトに構わず、マスターは地図の一点を指差した。

「シサクは、ここ」

 マスターが指した場所は、ここレギナとレオンハルトたちの目的地を結ぶ道から、東に逸れたところだった。道も通っていそうだし、遠回りだがロスは1週間程度で済みそうだ。ならば、余計にかかる旅費を換金したペンダントの代金から差し引いても十分以上にお釣りがくる。となると話は早い。

「そこだったら、俺たちの旅の途中だ。その話、乗った」

「おお、そうか。引き受けてくれるか。ありがとう、ありがとう」

「うわっ、もういいから」

 またドワーフが手を握ってきたので、慌ててレオンハルトは振り払った。そして再びマスターの方を向いた。

「ところで、このペンダントを換金できるところ知らない?」

 マスターは、つまみを作っている手を止めると水で手を洗い流し、背後にある棚の引き出しを開けると、紙とペンを取り出して何やら書き始めた。そしてその紙をレオンハルトに差し出した。

「できるよ」

「えっ。ここで換金できるの?」

 書かれている金額は、レオンハルトの想像をはるかに超えていた。マスターが人相の悪い顔でじっと見つめるので、レオンハルトは珍しく緊張してしまった。

「で、では、これでお願いします」

「勘定の時に差額を払おう」

「ありがとうございます。では、ついでにこの地図も頂けないかな」

「それは、サービスだ」

「えっ」

 こんな精巧な地図がタダ?どういうことかと理由を尋ねると

「版画だ。いくらでもある」

 とのこと。何で商売にしないのかレオンハルトは尋ねようとしたが止めた。野暮というものだ。

「では、乾杯しよう。これからの旅の安全を祈って」

 ドワーフがジョッキを高らかと掲げた。ドワーフと言えば大酒呑みで有名だ。こりゃ夜が明けるまで帰れないなとレオンハルトは腹をくくったのだが…

「ぐおー」

 このドワーフはジョッキ一杯を空けるまでもなくカウンターに打ち伏し、大きないびきをかいて寝てしまった。

「どうすりゃいいんじゃ、こりゃあ」

 このドワーフの宿の場所はおろか、名前すら分からない。レオンハルトは頭を抱えた。

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