第39話 特別な存在

 真祖バンパイアのエマは、自他ともに認める特別な存在だった。

 あらゆる事象に耐性を持ち、あらゆる特殊攻撃が通じない。ゆえに、聖魔どちらの力であっても、エマを傷つけることができない。太陽の光も平気なので昼夜を問わずに活動できるし、肉体再生能力も高い。年もとらず、ずっと若いまま。自我が芽生えたときには、あらゆる言語が理解でき、あらゆる魔法を使うことができた。ただ、栄養補給が血であることだけが不便だった。自分と同じ種族の者が全くいなかったので、同じ悩みを分かつこともできない。血をすするために人里へ降りるだけの、孤独で鬱屈した時を、気が遠くなるほどの長い間、過ごした。

 そんなある日、ある魔族がエマのもとにやって来た。その魔族は、自らを魔王と称した。魔王は提案した。

「我が許へ帰参して力を貸せば、その孤独を癒してやろう」

 孤独に飽きることにすら飽きていたエマは、すがるように魔王のいざないに応じた。男の魔王は、多くの様々な女を侍らせていた。その中の一人になることは拒否した。

「そんなことを、わたくしは求めていない。お前に侍るくらいなら、わたくしは里に帰る」

 エマの態度を生意気だと感じた魔王は、エマに向けて火炎系の極大呪文を放つ。真祖バンパイアのエマは、何事もなかったかのように手を振るだけで、魔王の極大呪文を掻き消してしまった。唖然とする魔王にエマは、つかつかと歩み寄ると、魔王の胸に手のひらをつけて衝撃波を放った。あまりの衝撃に膝をついてしまい、一瞬白目を剥きそうになったが、魔王は何とか気合いで踏み止まってエマを見上げた。

「ただのバンパイアてはないとは思っていたが、これほどとは。確かに失礼なことを言った。新たな立場を用意するから、留まってもらえないだろうか」

「折角来たのだから、一晩だけ待つ」

 その結果、エマは魔王の護衛のトップである衛士長という立場を得る。格は五災将と同じ。違いは、軍集団を率いて華々しく活動する五災将が世間の耳目を集めるのに対し、衛士長は魔王城の奥深くから出ることがなく、世間の目に晒されないため、ごく一部の者にしか認知されないこと。悠久の時を孤独で過ごしてきたエマは、他者とのコミュニケーションが苦手だったこともあって、自らの存在を全くアピールしないものだから、幹部レベルですらエマのことを知らない者が多かった。

 やがて魔王はザゴスギアール帝国を興して魔帝を名乗ると、人類社会統一魔術帝国に対して宣戦を布告。強大な統一魔術帝国を相手に、激しい戦いを繰り広げる。何百にも広がっていた戦線が時を経るにつれて収斂されていき、やがて1大決戦へと、もつれ込んでいく。ザゴスギアール帝国軍の総司令官は魔帝自身。そこにはエマの姿もあったが、魔帝の影に潜むようにたたずんでいたため、やはり誰にも気付かれない。

 1大決戦は1日で終わったが、双方に甚大な被害をもたらした。ザゴスギアール帝国軍は半数を失うという大損害。対する統一魔術帝国は、主力の51個魔導兵団はすべて壊滅。魔導兵団の頭脳である教導魔術師たちも、魂まで完全破壊されて全員死亡。動員された330万人にも及ぶ軍組織も、完膚なきまでに破壊され、400人以上いた将軍たちは、全員戦死。兵卒も半数以上が戦死。残る兵卒は命からがら逃げ出した。1大決戦で統一魔術帝国は軍事力を完全に失ったので、ザゴスギアール帝国軍は易々と統一魔術帝国の帝都を占領。皇帝と皇族、近臣などを公開処刑したのちに、帝都を完全に破壊して人類統一魔術帝国を滅亡させた。

 世界がザゴスギアール帝国に支配されるようになってしばらくしてから、エマは魔帝に尋ねた。なぜ、統一魔術帝国を完全滅亡させたのか。答えは明瞭だった。

「ヤツらは、魔族を人として扱わなかったからだ」

 力こそ正義の魔族は、上意下達の縦社会。それに付け込むように教導魔術師どもが魔族を拉致して、魔術の人体実験に使ったり、賭け事の道具として魔族同士に殺しあいをさせたりしていたらしい。魔帝自らも幼い頃に拉致されたが、年老いて力を失った一人の魔族が身代わりになって逃がしてくれた。感謝が統一魔術帝国に対する怒りに代わり、統一魔術帝国とその社会を滅ぼす決意を固めたそうだ。エマを一人の個として扱ってくれる魔帝のお陰で、人に対する感謝を理解できるようになったエマは、魔帝に深く同情した。

 いくら魔帝といえども、エマのような超越者ではないので、やがて寿命を使い果たしてこの世を去る。五災将も年老いて力を失い、若い実力者にとって代わられる。帝国はエマのことを知らないものばかりになってしまい、居たたまれなくなったエマは、帝国から去って、再び孤独な生活を始める。聖勲十六士が立ち上がってザゴスギアール帝国を滅ぼしたという話を耳にしたが、ともに戦った魔帝のいない帝国に未練も愛着も何もないので、何とも思わなかった。

 それから長い年月を経たときだった。ある男女2人が、エマの前に現れた。一人は溢れんばかりの神通力を発する男の神官戦士。もう一人は、ボーッと中空を見つめるエルフの女魔術師。変な組み合わせの男女だなと思っていると、神官戦士がエマの糾弾を始めた。

「近隣で大量の吸血鬼を発生させた罪により、お前を審問する」

 空腹期だったエマは、寂れた辺境の村を襲って血をむさぼった。普段であれば大勢から少しずつ吸うに止めて相手が吸血鬼にならないよう気を配るのだが、今回は何故か空腹が異常だったことで理性のネジがぶっ飛んでいたため、思い切り吸ってしまった。そのために吸った人みなが吸血鬼になってしまったらしい。たまたま失敗しただけなのに、何で人間ごときが自分を糾弾するのか。エマは無性に腹が立った。

「わたくしを審問?真祖バンパイアであるわたくしを審問?やれるものなら、やってみたらいかが?」

 エマは、神官戦士に魔術を放つ。即死の魔術だ。だが、神官戦士にエマの魔術は届かなかった。

 エマは仰天した。無詠唱で放つ魔術は、剣を振り下ろすくらいに速い。その魔術を防ぐということは、相手も無詠唱で魔法を放ったということ。それも、エマの魔術の正体を見切った上で。慌ててエマは、自分の魔術を防いだエルフの女魔術師に視線を向ける。その一瞬の隙を神官戦士に突かれた。

「神聖魔法第五階層十番『拘光架』」

 エマの背後に聖なる輝きをまとった十字架が出現し、エマはそれに縛り付けられたしまった。四肢は十字架に縛られて身動きできない。魔法も使えない。こんな体験は初めてだった。エマは初めて恐怖を覚えた。何なのこの2人組!統一魔術帝国の教導魔術師ですら、わたくしには及ばないのに。

 そんなエマの思念など意に介しない神官戦士は、無表情でエマの元へと近づいてきた。

「聖なる神官に逆らうという罪も重ねたな。どうやら、これまで多くの罪を重ねてきたと見受けられる。素直に告解するならよし。そうでなければ審問しなければならない。告解する気はあるか?」

「何が告解だ。お前たちの価値観にわたくしが合わせてやる必要などあるか」

「ほう、見上げた根性だ」

 神官戦士は、指をポキポキいわせた。

 一体これから何をされるのか。

 少々身体を傷つけられても、超越的な肉体再生能力により瞬時で癒される。ただ、首を切断されたらオシマイだ。切断された頭を聖炎で焼かれてしまったら、いくら真祖バンパイアであっても死んでしまう。

 神官戦士の指が、エマの両脇に潜り込んだ。

「ひやああぁぁぁっっ」

 ものすごい快感がエマの脳髄を掻き回す。

 ものすごい長い年月を過ごしてきながら、こんな快感をエマは初めて知った。神官戦士の指がエマの身体を蹂躙する。四肢は自らの意思と無関係に震え、目は開いていても何も見えず、耳は何の音も拾うことができなかった。

 どれだけの時間が経ったのかも分からない。白目を剥いて口から泡を吹いたエマは、神官戦士に頬をはたかれて目を覚ました。

「どうだ。告解する気になったか?」

 頬を上気させたエマは、虚ろな目で神官戦士を見やる。思考が鈍ってしまったエマは、神官戦士の誘導にまんまと乗っかってしまって、これまでやってきたことを洗いざらい告白した。

 それを聞いていた女魔術師が、神官戦士に話しかけた。

「この、世間を知らなすぎるわ。私たちと一緒に旅をさせて、耳目を広げてあげるべきだと思う」

「うーん。そうだな」

 神官戦士は腕を組む。相手が吸血鬼にならないように気を配ってきたのは本当のようだ。今回、たまたまやってしまっただけなのだったら、これを断罪してしまうと、無茶苦茶な領主が多くの領民たちを恣意的に死に追いやったことまでも審問して断罪しなければならなくなる。今回は神官戦士とエルフの女魔術師の活躍により、他に類を及ぼすことなく解決できている。ならば…

「判決を述べる。被告エマは、これより我々の旅に同行して、償いの奉仕をすることを命ずる。素直に判決を受けるなら良し。受けないのであれば、神の御名によって神の御元へと送るのみ。さあ、どちらを選ぶ」

「分かりました。神官様に随伴して奉仕いたします」

 未だに頭が快感でボーッとしているエマは、素直に神官戦士に従った。結論を聞いた神官戦士は聖言を唱えると、エマの首に光の環が現れた。それは、エマの首の中へと吸い込まれていく。

「これで結審した。もし判決を反古にしたり、我々を害する行為に出たら、光の環がお前の首を刎ね、頭は聖炎で焼かれることになる。心することだ」

「分かりました」

 光の十字架が消え、エマは自由を取り戻した。

「これからは、お前は私たちの旅の仲間となる。まずは、自己紹介から」

 座り込んでいるエマを、神官戦士は見下ろした。

「私の名は、レオンハルト=フォン=レンシェール。聖アウレリウス大聖堂の司教だ。聖瓶軍の副長として、世界中の禁忌を封じて審問する旅をしている。そして、隣にいるのは」

「イェルマ=シー・クリール。クリール公国の出身」

 レオンハルトに腕を捕まれて引っ張り出されたエルフの美少女が、小声で自己紹介した。だが、ここで何もしゃべろうとしなくなったので、レオンハルトが補足を入れる。

「魔法の腕は確かなのだが、普段はボーッとしているし、かなりの人見知りだ。魔素の多い森の中だとシャキッとするのだけど、それ以外の場所だとこんな感じだ。気を悪くせずに話し相手になって欲しい」

「分かりました、司教様」

「おっと、それから」

 レオンハルトは頭をかいた。

「これからは旅の仲間だから、肩書呼びではなく、名前で呼んで欲しい。イェルマにも言っているのだが、直してくれなくて困ってる。せめて、お前だけでも名前で呼んでくれ」

「分かりました、レオン様」

 こうしてエマは、レオンハルトたちとの旅を始めることになった。

 エマが長年抱えてきた数々の価値観。それらがレオンハルトたちと出会ったことで、大きく変わっていくのだが、そのうちの一つが、早くも出会ったその日の夕方に大きく変わった。

 エマと出会った平原から森に入ったある日、イェルマの呪文でイノシシを仕留めると、レオンハルトは血抜きのためにイノシシを木に吊るした。そして、エマを手招きする。

「お前、血を吸って生きているのだろ。こいつをすすってみろ」

「えっ?!」

 イノシシから流れ出る血を見て、エマは嫌悪の表情を浮かべる。それを見て、レオンハルトは尋ねた。

「何だ?イノシシの血は不味いのか?」

「いや、人間の生き血しか吸ったことがない」

「何だそれ。試したこともないのか?」

「そういうものだと、長年思っていた」

「かーっ。見た目、若いのに、頭はバーさんみたいにカチコチだな。いいから、すすってみろ。不味いと思ったら、吸わなくていい」

 このようにレオンハルトに強く促されてしまったので、エマは渋々イノシシの血をすすった……えっ?

「お、おいしい…」

「だろ」

 レオンハルトは胸を反らした。

「肉も、ヒトのように動物も植物も食べる生き物や、トラのように動物しか食べない生き物のものは、臭くて不味い。血も肉と同じで、植物ばかり食べる生き物の方が、お前にとっても旨く感じるのではないかと思ったのだが、当たりだったようだな。これからは、ヒトの血をすする必要はないのではないか?」

「た、確かにそうだわ…」

 ここからエマは、ヒトの血をすするのを止めた。

 その日の野宿。今回の見張りはイェルマとエマだった。レオンハルトが言っていた通り、魔素の多い森の中だと、イェルマは別人のようにキリッとしていて、エマですら気後れしそうになるくらいだった。

「あなた、長年たった一人で過ごしてしたのね。辛かったでしょう?」

「そうね。自分以外とともに過ごすのは、千年ぶりかしら」

「それは長いわね。そんな長い間、たった一人で正気を保ち続けてきた貴女って、すごいと思うわ」

「そ、そうかしら…」

 こんな風に褒められたのは初めてだった。どう反応すればいいか分からないエマは、そのまま押し黙ってしまう。うつむくエマを見て、イェルマは微笑んだ。

「私は、とても恵まれている。公女として周りから愛情を受けて育ち、弟にも慕われ、『シー』の尊称を頂けるほどの魔法の才能にも恵まれた。身の回りのことは全て侍女まかせ。子供の頃はそれを当たり前のものと思っていたのだけど、そんなある日、やって来た司教様にこっぴどく怒られた。『お前は傲慢だ。今すぐ叩き直さないと、お前も周りも不幸になる』って。国公である父を半分脅して、司教様は私を国から連れ出した。世界は広かった。公国では私は公女だったけど、外ではただの一人の女の子に過ぎなかった。してもらうばかりではダメで、自分も何かしなければならない。こんな当たり前のことを知らないまま、ずっと過ごしていたら、確かに私も周りも不幸になったと思う。連れ出してくれた司教様には感謝しか…」

 イェルマはここで言葉を区切ると、右手に魔方陣を一瞬で展開して青白い光の玉を出し、それを森の奥へと打ち出した。光の玉は林立する多くの木々をくぐり抜けていく。1キロくらい先から、衝突音と悲鳴が響いてきた。突然の出来事にエマは呆気にとられた。

「な、何があったの?」

「多分、ギガントワームね。こっちに気付いたようだったから、排除しておいたわ。もう、大丈夫よ」

 にっこり笑うイェルマ。それがエマには、とても恐ろしいものに見えた。一つ、自分は敵の存在に気付かなかった。二つ、イェルマの放った魔法だか魔術だかが一体何なのか、全く理解できなかった。三つ、目に見えないほど遠くの敵に魔法のようなものを正確に当てるなんて、自分にはできないと思った。四つ、それがとてもすごいことなのだと、本人は全く思っていないみたいだということ。

 ずいぶん長い間、自分は特別な存在だと思っていたが、特別な存在なんて世界中にいくらでもいるのではないか。

 長年積み上げてきたエマの価値観が、大きく揺れ動いていた。それに動揺しているエマが何かに怯えているものと勘違いしたイェルマは、エマのそばに寄り添って、彼女を抱き寄せた。

「大丈夫。あなたは一人じゃない。ゆっくりこの旅で、溜め込んだ孤独を癒すといいわ」

「うっ、うっ、うっっっ…」

 自我が芽生えて初めて、エマは大粒の涙を流し続けた。


つづく

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2025年1月11日 17:11

とある瀬戸際騎士の左遷珍道中 Yohukashi @hamza_woodin

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