第5話 さぁ、クマ鍋だ~
コンラートがグラクスを連れてレオンハルトの元へ戻ったころには、既に日が暮れて辺りは月の淡い光に包まれていた。帰り道の見当がついていたことと、その先にはたき火らしき光と煙がたちこめていたので、二人は難なく帰り着くことができた。
「遅かったな」
解体作業のせいでクマの返り血に染まったレオンハルトが、二人を出迎えた。すでに解体作業が終わっているだけでなく、十数人の客で賑わっている。
「ずいぶんと人がいますけど、どうしたんですか」
「あぁ、彼らか…」
レオンハルトの説明によると、これから南へと帰る旅芸人の一座とのこと。老人や子供もいるが、若い男女が多い。馬車で旅をしている彼らが、一人でクマを捌いているレオンハルトに声をかけたのがきっかけだった。クマの肉を提供する代わりに彼らが鍋と野菜を用意するということで、宴会が始まったわけである。
老人の一人が、コンラートの前に進み出てきた。
「あんたがレオンさん自慢の息子さんかい。立派な出で立ちだねぇ。さ、疲れただろうからしっかりとクマ鍋を食べるといいよ」
「あっ、ありがとうございます」
コンラートは、老人から差し出されたクマ鍋の取り分け皿を受け取った。自分と同年代か少し下の少年少女たちが手招きしてくるので、そちらに向かう。同年代の子供たちと話す機会すらなかったコンラートは、久しぶりに子供らしい表情を浮かべた。
子供たちの集団から離れた場所にいるグラクスは、すでに別の人から皿を受け取り、クマ鍋を頬張っていた。そんなドワーフを、レオンハルトは白い目でじーっと見てこうつぶやいた。
「鍋も野菜もないのにクマ鍋しようなんて言っていた人は、誰かなぁ。しかも、薪を取りに行くって言っていたのに手ぶらで帰ってきた人は誰かなぁ」
「……悪かった。勝手に出て行って悪うございました。謝るから許してくれぃ」
「だいたいあんたは、道に迷ってこんなところにいるのだから、もう少し自覚してくれよ」
「分かった、分かった」
片手を振りながらグラクスは鍋の方へと行ってしまった。やれやれといった表情でグラクスを見送るレオンハルトに、色黒の若い女が声をかけた。プラチナブロンドのストレートヘアをポニーテールでまとめ、黒曜色の魅惑的な瞳に、すらっとした肢体、それでいて厚手の服からでも分かる豊かな胸をしている。
「これから北へ向かうんだって?」
「まあね。ビルカ城塞まで」
しれっと答えるレオンハルトに女は驚いた表情を浮かべた。
「ビルカ?そりゃまた遠いねぇ。北の蛮族との国境じゃないか。そんなヘンピなところに飛ばされるなんて、あんた一体どんな悪いことをしたんだい」
「そうだなぁ。心当たりがありすぎて、見当もつかんね」
「悪いこと好きそうな顔してるもんねぇ。あんた私の好みだし、ちょっと遊んでく?安くしといてあげるよ」
「うーん。今はダメだなぁ。息子いるし」
「息子?あの子そうなの。ふーん。ちょっとあんた、あの子に自分の正体隠しているわけ?あきれた。よくバレないねぇ」
「自制心と頭の回転が肝要なんだよ」
「自制心ねぇ。そんなのあるんだったら、ビルカなんかに飛ばされず王都に居れたと思うけど」
「失敗は誰にでも起きること。その失敗がどんな場面で起きるかで、人生は変わるのだよ」
「立派なこと言うけど、あんたのような軽薄そうな人が言うと、ありがたみが半減するね」
「よく言われるよ」
女はさわやかな笑声を上げた。
「ところで、息子の母親はどうしたんだい」
「出て行った。あの子が二歳のとき。すぐ戻るという書置きを残して、もう十年経つ」
「あーら。その間ずっと男ヤモメ?」
「当り前だ。クルトから尊敬される父親でいなければ、この世の地獄を与えると言われているからな」
「それって、奥さんから?」
女の問いにうなずいたレオンハルトを見て、女はまた笑声を上げた。
「そういうところは律儀なんだ。おもしろいねぇ」
「少しは見直したか?」
「まぁね。あんた面白そうだから、ついていこうかしら」
女の突然の宣言を聞いて、レオンハルトは目を丸くした。
「俺たちにはあんたを雇うカネないぞ」
「別に雇ってもらう必要ないわ。カネが必要になったら自分で調達するわよ」
こう言うと女は老人の一人の元へ向かった。その間、レオンハルトはクマ鍋をつついていたが、二口食べたところで女が戻ってきた。
「旅芸人を何の滞りもなく卒業。これからあんたたちのもとに入学するわ。よろしくね」
「こちらこそ、よろしく。俺はレオンハルト、息子はコンラート、あっちにいるドワーフはグラクス」
「私の名はイーリス。弓と短剣の扱いには自信があるの。少しは役に立てると思うわ」
イーリスが差し出した手をレオンハルトは握った。旅芸人の一人が踊りだしたかと思うと、一人は楽器を取り出して奏でる。歌声が響き渡り、まだまだ宴は終わりそうになかった。
翌朝、旅芸人一座からイーリスが旅の仲間に加わり、南へ行く旅芸人一座と別れを告げたレオンハルト一行は、一路北への歩みを速めた。夕方までには次の町ザダルへたどり着けるはず。
「まっすぐビルカへ行くんじゃないんだ」
ドワーフを故郷へ送り届けてからビルカへ行くことを伝えると、イーリスは首をかしげてレオンハルトに尋ねた。
「でも、シサクからビルカへ直接行ける道なんて、ないんじゃないの」
「どっちにしても、ビルカへ続く街道なんて整っていない。森をかき分けて進むことには変わりない。心配しないでもケモノ道くらいはあるって」
「えーっ」
レオンハルトの話を聞いたイーリスは、げんなりした表情になった。
「テキトーね。そんなことで道に迷わず行けると思ってんの」
「人生何とかなるが、我が家の家訓なのさ。なあ、クルト」
妙なところでレオンハルトから話を振られたコンラートは、困惑した表情を作った。
「今日初めて聞きました。心に止めておきます」
「まぁ、計画通りに進まないのが人生というのは、痛いほどよく分かっているけどね」
面白そうと思ってついてきたけど、無事に旅を終えることができるのか心配になったイーリスだった。そして、その心配は妙な場面で当ってしまうのだが、それは別のお話。
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