第14話 木ばっかりで、ほんとつまらん
平穏を取り戻したルリテーラの町だったが、ある一角だけは普段通り騒々しいままだった。すっかり夜の帳が下り子供たちが夢の園で戯れている時分、一部の大人たちは居酒屋“角が取れた一角獣”で大酒を浴び、大いに食らい、大いに歌い、大いに語らっていた。
「れおんさ~ん。さっさと騎士団長になってくらさいよ~」
さっきまで礼儀正しかった人格者のイルッカ副隊長が、エール酒を一気に飲み干すとジョッキをドンと机に置き、レオンハルトを見据えた。誰かさんがいたら目が点になって、「ま・ぼ・ろ・し~~??」と叫んでしまいそうだ。さすがのレオンハルトも、イルッカの豹変振りに絶句した。
「ま、まあ。私には団長は荷が重過ぎるよ」
「なにをゴケンソンしてんれすかぁぁ?」
こう言いながら、イルッカはたまたま通りすがったウェイターの手を掴み、エール酒のジョッキを2杯注文した。こいつ相当ストレスが溜まっているんだなぁ。上司があれじゃ、しょうがないか。こうなったらイルッカの絡み酒に付き合ってやろうじゃないかと腹をくくり、レオンハルトは自らのジョッキを一気に飲み干した。
「謙遜なんかしとらんよ。騎士団長なんて、王侯貴族さまたちや部下の団員たちに挟まれて右往左往するだけの立場じゃないか。そんなの、私の性分じゃ無理だね」
「れも、そのおかげで、あっしたちみたいな優秀な騎士が、アホ上司にこき使われるハメになってるんれすよ。責任とってくらさいよぅ。責任!」
「責任を取ろうにも、ただのペーペー役人にすぎないから、何もできないよ」
「いんや。あーたにやる気がないだけれす。あっしらに見してくらさいよぅ。れおんさんのやる気ぃ」
ウェイターが持ってきたジョッキのひとつを持つと、イルッカはそれを一気に飲み干した。その様子を見てレオンハルトは「なるほど」と思った。これまで意識したことはなかったが、それほど騎士団の仕事にやる気を持っていなかったのかもしれない。目の前の仕事には全力で取り組んできたが、それ以外、例えば自らの功績をアピールしたり、さりげなく同僚の欠点をあげつらったりして上司や貴族たちに取り入って自らの地位を上げようとはしなかった。騎士団ひいては王国を何とかしようというやる気があるのであれば、地位を上げることに固執したはずだ。自分にはそれがないということは、やる気がなかったからなのだ。人間には1日24時間しか与えられていない。その限られた時間を何に使うか。地位を上げるため職場の人間関係構築に時間をかけるか、家族に軸足を置いて子育てに時間をかけるか。レオンハルトは後者を取った。コンラートと一緒に過ごす時間を必要以上に削ってまで騎士団に居たいとは思わなかった。おかげで、キーツのような連中の後塵を拝することになったが、息子と良好な関係が築けていると思っているレオンハルトは別に構わなかった。そんなことよりも…
「私のやる気は、いずれお目にかけるとするよ。それはそうと、訊きたいことがあるんだが…」
「なんれすかぁ?」
イルッカはすでに、もうひとつのジョッキを手に持っている。そしてイルッカがそれを一口飲み終わるのを見計らって、レオンハルトは尋ねた。
「シサクってところに行きたいんだが、今どうなっているか知っているか?」
「しさくぅ??」
イルッカは一瞬だけきょとんとしたが、すぐに何のことかを理解したようだった。
「ドワーフが住みついているといわれる鉱山の村れすよ。ここから歩いて2~3日ってとこれす。あんな、なーんにもないところに、いったい何の用れすかぁ?」
「家に帰りたがっている迷子を送り届けなければならないのさ」
「それは、それは大変れすねぇ。でも、気をつけてくらさいよ。ずいぶん前に妙な魔女が住み着いて物騒れすから」
「魔女?」
レオンハルトが怪訝そうな表情をしたので、イルッカは笑って頭を振った。
「魔女といっても、ギルモアやフェルといった大魔導とは比較にならないくらいの小物れす…。もし大物だったら、このルリテーラは魔女の軍門に落ちて、のんきに酒なんか飲んれられられましぇんよぅ」
「なるほど。で、その魔女ってのは、どんな奴なんだ」
「そんなの、分かりきってるれしょ。しかも、鉱山なんかに興味を持つ魔女なんて…」
ここまで言うと、イルッカは酔い潰れてしまった。これ以上聞き出すのは無理だろうとレオンハルトは判断すると、イルッカを背負って代金を支払い、店をあとにした。
ヘルゲイザー騒ぎから三日後、レオンハルトたちはルリテーラの町をあとにした。ルリテーラ街道は国境の町である北方の城塞都市ウェンツァまで伸びているが、雑木林を伐採して道のようにしただけなので、歩くだけでも一苦労だった。小型の馬車なら何とか行けるが、よほどの上級者でない限り騎馬は不可能だ。
「木ばっかりで、ほんとつまらん」
レオンハルトはつぶやいた。ザダルの町を出たときは、拠点都市ルリテーラという目標があったが、この先にはめぼしい都市はない。歩けど歩けど、すれ違ったのは村から農産物を売りに出てきた農民らしき男たち数人だけだ。集落どころか茶屋らしきものも見当たらない。
「シサクに行かれるのでしたら、携帯食を多めに用意しておいてください」
ルリテーラを出る前にイルッカから忠告を受けていたので、レオンハルトはロバに大量の食料をくくりつけていた。忠告を聞いていなければ、飢え死にまではいかなくても、食料の調達だけで一苦労するところだった。
「次の集落まで、あと三日かかるみたいよ」
イーリスは、居酒屋サンジョルジュ・ルリテーラ店で仕入れたシサクまでの地図を広げた。それにしても居酒屋サンジョルジュって、何故こんな精巧な地図を持っているのだろう。そんな疑問は作者くらいしか抱いていないようで、レオンハルトたちは違うことで頭が一杯だった。
「あーあ、また野宿かぁ。ベッドが恋しいなぁ」
「私もよ。一緒のお布団で寝られないのがつらいわ…」
ファーゼルの慨息にイーリスが寄り添った。これを聞いてメイレンがちらっとコンラートを伺ったが、彼は全く違うことに気を取られていた。
「どうですか、グラクスさん。この辺りに見覚えがありませんか?」
「うーん。あるような、ないような…」
コンラートの問いかけにグラクスは頭を抱える。こんな木ばっかりの何の変哲もない超超超どどど田舎、どこも同じ景色だから見覚えもへったくれもないだろうとレオンハルトは思ったが、次の瞬間グラクスが声を上げた。
「そうじゃ、そうじゃ。ここじゃ、ここ。こっちに行けば、ブロンテスの住む小屋があったはずじゃ」
「ブロンテス?」
地元民の土地勘に驚きつつレオンハルトは尋ねた。ようやく見覚えのある場所に辿り着けた喜びをグラクスは満面に浮かべた。
「鍛冶屋じゃよ。人里離れて、鉄を叩いてばかりやっとる。自分では知る人ぞ知る有名人だとぬかしておったわ。懐かしいな。最後に顔を合わせたのは何年前じゃったかのう」
「へぇ。その小屋まで、ここからどれくらいかかるんだ」
レオンハルトの問いかけに、グラクスはしばらく考え込んだ。
「…半日、かのう。一日もかからんはずじゃ」
「なら、そっちに行くか。シサクの村がどうなっているのか、ひょっとしたら知っているかもしれない」
このレオンハルトの提案に、反対するものはいなかった。
土地勘を取り戻したグラクスを先頭に、森の中の険しい道を歩き続けるレオンハルト一行。街道から離れた脇道は、よく言って獣道。携帯食を運ばせているロバの連れて歩くのは、一苦労だ。イルッカの口利きで手に入れたロバなので、従順なのがせめてもの幸いだった。手に入れた当初は、役に立たなくなったら最後の食料にしてやろうとレオンハルトは思っていたのだが、ここまでお利口だととても食料になんてできないと情が移ってしまっていた。
皆がロバに気をかけながらゆっくり歩いているというのに、グラクスはそんなことを全く気にせずに、どんどん先へと歩いていく。ときどきレオンハルトが声をかけるのだが、グラクスは先に進むことばかり気にしているせいか、歩調を緩めようとしなかった。
と、そんな中、グラクスの後ろを歩いているファーゼルの足が止まった。
「みんな、ちょっと待って」
短く告げると、ファーゼルは耳をそばたてた。すぐ後ろのイーリス、続いてメイレン、コンラートそして最後尾のレオンハルトは、それぞれ自らの武器に手をやって身構える。ファーゼルの声が届かなかったグラクスだけが、どんどん先へと歩いていく。レオンハルトは、左手の斜面の下を見やった。だいぶ下の方だが一部、雑木林の枝が揺れているようだ。注意深く目を凝らすと、何か生物らしきものが数体いるのに気付いた。なにぶん距離があるので、人間なのか何なのかよく分からないが。
「下に何かいるぞ」
「お父様。右斜面の上にも、何かいるみたいです」
レオンハルトの注意喚起と同時に、コンラートも声を上げた。どうやら挟まれたようだ。ここが平原なら、全速で前進して左右どちらかの敵側面に回りこみ、各個撃破することも可能だが、ここは山道。しかも、ロバという巨大な足かせもある。前に進むにしろ、後ろに下がるにしろ、俊敏な動きをするのは難しい。レオンハルトはしばらく考え込んだ。木の葉の揺れが、少しずつ近づいてくる。
「クルト、生命探知で敵らしき生物がどのくらいいるか、分かるか」
「人間レベルでよろしいですか」
「それでいい。それ以上とは思えないし、人間以下なら、何が来ても大したことではない」
レオンハルトの答えを聞くと、コンラートは印を結んで呪文を唱えた。メイレンも何やら呪文を唱えている。コンラートの呪文のほうが先に終わり、結果を父に伝えた。
「右斜面上が四体、左斜面下が六体です」
「そうか。上の方が少ないなら、そちらを先に片付けるか」
レオンハルトは、ファーゼルとコンラートに目配せした。三人はそれぞれ抜刀し、斜面を上る。コンラートから四体の大よその位置を聞いているので、三人はそれぞれ正面から敵を迎え撃った。敵の正体はゴブリンだった。劣悪な亜人種だ。レオンハルトたちが携行している大量の食糧が目当てなのだろう。レオンハルトとコンラートが一体、ファーゼルが二体を相手にした。奇襲に失敗したゴブリンどもは、それぞれレオンハルトたちに飛び掛ってきた。
「こいつらって、人からモノを奪うことしか能がないんだな!」
レオンハルトはテンプラソードを一閃させると、一匹のゴブリンを一刀両断にした。コンラートは短く呪文を唱えたあと、右手を襲い掛かるゴブリンにかざした。
「聖光魔破」
襲い掛かってきたゴブリンが、青白い光に包まれる。ゴブリンの動きは止まり、徐々にゴブリンの肉体が消滅していった。一方のファーゼルは、身をかがめて先に襲い掛かってきたゴブリンの足を引っ掛けて転倒させると、すぐさま抜刀してあとから襲い掛かってきたゴブリンに一閃を放った。左肩から右腹部にかけて一文字に斬られ、ゴブリンは悲鳴を上げながら斜面を転がり落ちていく。転倒したゴブリンは、立ち上がろうとしたところを、背後からレオンハルトに蹴飛ばされ、同じく斜面を転がり落ちていった。
丁度そのとき、メイレンさんの呪文が完成した。
「暗幻森迷」
一直線に上ってきていた斜面下のゴブリンたちの動きが止まった。そして六体のゴブリンたちは右往左往を繰り返し始めると、やがて悪路につまづいて、斜面下へと転がり落ちていった。
「何をしたの?」
そばにいたイーリスがメイレンに尋ねた。呪文を完成させたことによる疲労で息を荒くしているメイレンは、努めて笑顔を作った。
「ゴブリンたちに深い森の幻影を見せました。もう、私たちの姿を見つけることはできないでしょう。さあ、この隙にこの場から立ち去りましょう」
「そうね。あのアンポンタンの姿を見失ったら、私たちがこの森で迷子になってしまうわ」
メイレンさんとロバと一緒に最後尾にいたイーリスは、先行するグラクスを呼び止めに行くことをレオンハルトに提案した。
「一人で行って大丈夫か?」
レオンハルトの心配は当然だ。イーリスは弓矢の腕は確かだが、剣士や魔術師ではない。待ってましたと言わんばかりにイーリスは、ファーゼルの方に視線を向けたのだが、ある人物の声によってイーリスの提案は阻まれてしまった。
「僕が一緒に行きます」
「クルト、頼んだぞ」
「分かりました。さあイーリスさん、行きましょう」
爽やかな笑顔でコンラートに促されたイーリスは、残念なのか困惑したのか諦観したのか分からない複雑な表情を浮かべて、早足でグラクスのあとを追いかけ始めた。
つづく
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