第12話 父と子と…(前)

 北方の有力都市のひとつであるルリテーラ。その名が街道名になるくらいだから、相当な規模の都市と思われがちだが、実際は周辺に大した町がないからであって、都市の規模はザダルの三分の一、王都とは比べるのがおこがましいくらいに小さな町だ。その町に、レオンハルトたちはようやく足を踏み入れることが出来た。

「長かった…」

 感慨もひとしおのレオンハルトだ。人影は少ないが、子供たちが走り回り、店先には人だかりが出来ている町のメインストリート。路地裏にも飲み屋が軒を連ねている。先日までいたロデアの村とは大違いだ。レオンハルトたちは早速、宿を探し始めた。店の看板を眺めながら、適当に歩く。比較的道幅の広い路地裏を歩いていると、ある店から男が出てきた。使い古されているが、購入当時は値が張っただろうと思われる本革製の甲冑をまとい、腰にはこれまた古びたレイピアを引っさげている。そんな服装よりも、ストレートの直毛を変な長さで切りそろえている髪型が何よりも気になるその男は、レオンハルトの顔を見るなり、目を丸くして大きな声を上げた。

「レオンハルトさ…。あな…いや、お前、何でこんなところにいるんだ」

「キーツ…か?」

 レオンハルトは、うんざりした顔で答えた。そんなレオンハルトを、グラクスが不思議そうに眺めた。

「知り合いか?」

「まぁな。騎士団の後輩だ」

「レオンハルト、いつまでも先輩風を吹かさないでくれないかね」

 キーツと呼ばれた変な髪形の男は、ふんぞり返って卑しいものを見るような目つきでレオンハルトを見下ろした。

「我輩はハルシュタット騎士団から派遣された、ここルリテーラの守備隊長様だ。万年ヒラ騎士のお前とは格が違うのだよ、格が。カッカッカァァァ」

 ひとしきり笑ったキーツは、まだしゃべり続ける。

「お前よりいい鎧を着て、お前よりいい剣を持ち、お前より先に妻を娶り、お前より先に子供が生まれ、お前の子供よりも出来がよく、お前とは違って我輩の妻は今の今も我輩に献身的に尽くす。格が違うのだよ、格が。カッカッカァァァ」

「おい、レオンハルト。こいつの首、刎ねてもいいか?」

 キーツに悪口雑言を言われているのはレオンハルトなのに、関係ないグラクスのほうがキレてしまったらしい。そのグラクスを、レオンハルトは慌ててなだめた。

「まぁまぁ。こんな奴でもハルシュタットの騎士だから、ぶち殺してしまうと王国から追っ手が来てしまうし、こんな奴の首をとったところで、一銭にもならんよ」

「ぬう。おぬしがそこまで言うのなら…」

 斧からグラクスは手を離した。それでも、全身からビンビンに放たれているグラクスの殺気にメイレンですら気付いているのに、キーツは全く気付かないみたいだ。ニヤニヤ笑いながらキーツはグラクスたちを眺めた。

「いつ見ても、お前の手下はパッとしないな。ちびデブにひょろっとした旅芸人、そして女が三人か。我輩なんか、100人のつわものを束ねる守備隊長様だっていうのに、格が違うのだよ、格が。カッカッカァァァ!」

「分かった、分かった。それじゃあな、守備隊長様」

 これ以上こいつと関わっているとグラクスが暴発しかねないので、レオンハルトはこの場から離れようとした。だが、キーツはレオンハルトに執拗に絡んできた。

「貧乏ヒラ騎士殿は、どうせまともな宿を取るカネなんかないんだろ。この我輩キーツ守備隊長様のお屋敷に泊めさせてやる。遥か東方の至宝クリエモンの陶器コレクションを特別に見せてやるぞ」

「いいや、結構。俺たちは安宿のほうがよく眠れるから」

「そうだな。お屋敷では眠れんか。我輩とは格が違うから仕方ないか。カッカッカァァァ」

 下品な笑いを上げながら、キーツはこの場から立ち去っていった。レオンハルトはやれやれといった面持ちで一同を見渡す。今にもキレて暴れ出しそうなグラクス、その殺気に怯えているメイレン、汚物を見るような目でキーツの後姿を睨みつけるイーリス、われ関せずという体で目を閉じているファーゼル、そして不審の目で父を見つめる息子の姿があった。

「どうした、クルト」

 この父の問いに、キーツに女の子扱いされたコンラートは少しばかり黙り込んだ。

「…お父様。あそこまで侮辱されて、誇りが傷つかないのですか?」

「誇り?」

「そうです。誇りを傷つけられたら、誇りをかけて戦う。これが騎士道だと思うのですが」

「誇りをかけて戦う…か」

 レオンハルトはこうつぶやいたあと、しばらく黙り込んだ。“人生何とかなる”を家訓とするこのいい加減男は、息子の問いに何と答えるのか。気になるイーリスはレオンハルトの声に全神経を傾けた。レオンハルトは言葉を紡ぎ始めた。

「クルトよ。誇りをかけて戦うということは、戦う相手は自分と互角であると認めた場合だ。それは分かるな」

「どういうことですか?」

「分からんか。例えば、一発蹴ったら吹き飛んでしまいそうな弱々しい愛玩犬にキャンキャン吠え立てられたとき、お前ならどうする。しょうもない犬だなと思って気にしないか、それとも腹を立てて蹴飛ばすか」

「…腹を立てるかもしれません」

「この、ばか者が!」

 レオンハルトは息子を平手打ちした。初めて見る光景に、仲間たちは目を丸くした。

「腹を立てた時点で、お前はキャンキャン吠える犬と同じだ。いつからお前は、そんな情けない奴になったのだ。キーツごときが何を言おうと、私の誇りは傷つかない。何故か、一晩頭を冷やしてよく考えるのだ。分かったか」

「はい…お父様」

 コンラートは涙を浮かべながらも、まっすぐ父を見据えた。興味本位だったイーリスは、いつしか圧倒されてこの親子に目が釘付けになっていた。


 レオンハルトたちは、やがて宿を見つけて部屋に入った。宿の名は「居酒屋サンジョルジュ・ルリテーラ店」だ。以前、レギナでもらった割引チケットの一枚をマスターに渡すと、

「今日は特別無料招待デーだ」

と言って割りといい部屋に通してくれた。2階の3部屋を用意してもらい、レオンハルトとグラクス、ファーゼルとコンラート、イーリスとメイレンが同室となった。イーリスがファーゼルの腕を掴んで町へ繰り出し、レオンハルトとグラクスは1階のバーでマスターと談笑している。一人部屋にこもっているコンラートを、メイレンが訪ねてきた。

「ランスロット卿、大丈夫?」

 メイレンは心配そうに声をかけた。コンラートは塞ぎこんでいた。父にぶたれた記憶はほとんどない。強くて優しい大好きな父にぶたれたことは、コンラートにとってあまりにショックだった。

「…情けないところ、見せてしまったね」

「うううん、そんなことない。情けなくなんか、全然ないよ」

 メイレンは一生懸命否定した。本心だった。情けないなんて、これっぽっちも思わなかった。それどころか、なぜだか分からないが、うらやましいとさえ思った。でも、コンラートには分からなかった。

「そうかなぁ。僕が大きな間違いを犯したから、叩かれたんだ。嫌われたんだ、僕は。情けないよ…」

 コンラートの大きなサファイアブルーの瞳は、涙で潤んでいた。ここにいるのは、恐ろしい敵にも堂々と立ち向かっていく聖騎士ではなく、ひとりのかよわい少年だった。メイレンは、この少年の力になりたい一心で語りかけた。

「ランスロット卿のお父様のおっしゃりたいことは、私にも分からない。でも、ランスロット卿の全部が間違っているとは思わないわ。たった一部、でも大切な一部が間違っているのではないかしら」

「……」

「しばらく一緒に旅をして思ったのは、ランスロット卿のお父様は、ランスロット卿をとても大切に思っているということ。ランスロット卿を嫌うなんて、絶対に無いわ。変な心配はしないで、何が悪かったのかだけを考えましょう」

「…メイレンさん、ありがとう」

 コンラートに少しだけ笑顔が戻ってきた。メイレンは、自分の胸元にコンラートの頭を抱き寄せた。

「お兄さまやグラクスさんが、何かご存知かも。落ち着いたら、一緒に聞きに行こうね」

「うん」

 窓から注ぐ夕日が、やさしく二人を包んでいった。


 一方のレオンハルトとグラクスは、カウンターに並んで座り、グラスを傾けていた。外は徐々に夕闇に支配され、それと同時に客の数も増えてきた。なぜだかグラクスが酒に弱いことをマスターは知っているようで、グラクスは酔いつぶれることなく水割りを口にしていた。

「それにしても、あのランスロット卿を平手打ちにするなんて、思い切ったことをしたものじゃ」

 半ば非難する目でグラクスはレオンハルトを見つめた。だが、レオンハルトは動じる素振りを見せず、そ知らぬ風でグラスをあおった。

「そうか。間違っていたか?」

「そうは言うておらん」

 グラクスはグラスをカウンターに置いた。

「ランスロット卿は賢い。ちゃんと説明して諭したほうがよかったのではないか」

「そうだな」

 レオンハルトは、フォークでウインナーを突き刺してかじった。

「クルトと二人旅だったら、そうしていただろう。だが、今は仲間がいる。私の替わりに慰めてくれる人も、質問に答えてくれる人もいる。答えを待つばかりでは、真の成長は叶わない。人から答えをもらうのではなく、人に答えを求めに行く積極性が必要だ」

「フン。いい加減な男と思っていたが、考えるときは考えるんだな」

「失礼な奴だ」

 レオンハルトはグラスを手に取ると、半分残っている水割りを一気に飲み干した。マスターにお替りを注文する。もう一杯が届く間、レオンハルトはライ麦パンに手を伸ばした。

「しょうもない奴が一人でギャーギャー言ってきたところで、放っておけばいいんだ。そいつと喧嘩をしてしまったら、喧嘩両成敗となってそいつと同じ罰を食らうことになる。そんな馬鹿な話があるか?」

「それもそうじゃ」

 グラクスは、グラスを手に取ると水割りを一口すすった。

「それにしても、あの何とかいう奴、すごく失礼な奴だったな。何なのだ、あいつは」

「キーツは、伯爵家の次男坊だ」

「き、貴族…なのか?」

 グラクスは驚くと同時に納得した。貴族は自分より身分の低い人々を馬鹿にしがちだ。

「貴族の子弟なのに、何で王都ではなくこんなところにいるんだ?」

「そりゃ、いかなる身分のものであろうと、いらん人間はいらんのだろう」

「…なるほど」

 グラクスは得心した顔でグラスを傾けた。ちょうどそのとき、大きな音が町の異変を知らせた。何かが破壊される音だ。

「な、何だ?」

 バーは一瞬で緊張に包まれた。

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