第23話 魔方陣

 フェルナールのダンジョンで思い思いの時間を過ごしたレオンハルトたちは、夜を迎えると再びシサクの村を訪れていた。まだ夜半には程遠い時間だが、満月が村を煌々と照らし出している。ハイネスリッチのフェルとエルダーリッチのツェーがいるため、バンパイアやらナイトシェイドやら高位のアンデッドどもが、わらわらと湧き出て集まってくる。奴らは、生ある者であるレオンハルトたちを見つけたら、すぐにでも襲いかかってきそうなものなのだが、村の外からこちらをうかがうだけで、近づいてこようともしない。

「導師様の大切な御客人がたに、無礼を働かせるわけには参りませんから」

 屍竜が恭しく頭を垂れる。

 体長はレオンハルトよりやや大きいくらいの、骨だけでできたドラゴンだ。名はシシャー。体の大きさは自在に変えれるらしい。フェルナールの部屋に入るドアのドアノッカーだったヤツだ。アンデッドどもが大勢群がってくるであろうことは明らかだったので、レオンハルトたちの護衛として連れてこられていた。シシャーから放たれる不気味な光が、アンデッドどもを近寄らせないのだ。

「あそこにいるのは、強力なバンパイアロードですよね」

 コンラートが指差した先には、不気味に赤く光る瞳と白く輝く牙、見事に着こなしたスーツから瘴気を吹き出させている、明らかにヤバい吸血鬼がいた。遠目から見ても実力者に相違無さそうなのだが、シシャーの放つ光のせいか他のアンデッド同様、全く近づいてくる様子はない。

「あんなの、いつぞやの村で出くわしたヤツと大差ないだろ。あんなヤツよりもよっぽど、ゾンビの大軍団の方が始末が悪い。数は力とか言ってたヤツがいたけど、あれは正しいね。自力で浄化するのを諦めて、アイツらを全部外に出し、夜明けまで逃げ去らないように引っ張って、太陽の光で全て浄化してやった。あれは骨が折れたね。思い通りに誘導することの難しいことと言ったら…」

 滔々と語るレオンハルトの横顔を見て、なるほどバンパイアロードのヴォルガ男爵を見ても動揺なんかしない訳だと、グラクスは感心した。

 そのグラクスは、視線をフェルたちへと向けた。フェルは半径3メートルほどの円を杖のようなもので描き、ルーン文字やら図形やらを装飾のように書き足していた。どんな塗料を使っているのか分からないが、フェルが描いたものは淡い光を放っている。ひょっとすると塗料ではないのかもしれない。フェルが描いた図形の要所要所に、ツェーが魔鉱石で作られたであろう工芸品やら宝石やらを配置していく。何が描かれているのか全く分からないが、まるで著名画家の制作過程を見ている気分でフェルたちの作業を眺めていた。引き付けられているのはグラクスだけではないようで、イーリス、ファーゼル、それにブロンテスも、グラクスと同じようにフェルナールたちの作業に見入っていた。レオンハルトもそれに倣って視線を向けた。

「これほど大がかりな魔方陣を現地で手書きするなんて、初めて見るな」

「そうでしょうね。予め用意されている魔方陣を具現化させて魔法を発動させることがほとんどですから。今回フェルナールさまが使おうとなさっている魔術は、今まで誰も使ったことのない、フェルナールさまが独自に編み出された魔術ということです。こんなの、滅多に見られるものではありませんよ」

 レオンハルトの感想にメイレンさんが、まるで自分のことのように胸を張って答えた。魔法や魔術は、誰かが考案した魔方陣をコピーして発動させる。魔方陣を展開させるために呪文を唱える必要があるのだ。今回、シサクの村の村人たちにかけられた石化は、既存の魔法や魔術では解けないということなのだろう。厄介なことをしてくれたとフェルナールがつぶやいた訳だとレオンハルトは得心した。

「こんな作業、確かに一人でやるには時間がかかりすぎる。魔術に理解ある助手が必要だったのか」

「それもあるでしょうけど、きっとそれだけではないと思いますよ」

「それは、どういうことだい?」

「ツェーさんがいないと、足りないんですよ。フェルナールさまが使おうとなさっている魔術を発動させるには、魔力が」

「…あぁ、なるほど」

 魔方陣は、あくまでも術を具現化させるための回路のようなもの。回路に電流を流さないと起動しないのと同じで、魔方陣に魔力を流さないと発動しない。魔力は、何の色もついていないただの魔力だけだなく、神通力や魔導力、霊力などに分別され、それぞれの力に適応する魔方陣でないと発動しない魔法もあれば、どんな力であっても発動する魔法もある。白・黒魔法や古代語魔術はどんな力であっても発動するが、神聖魔法は神通力、暗黒魔法は魔導力、精霊魔法は霊力でないと発動しない。そして、どんな魔法や魔術にも共通するのが、複雑怪奇な魔方陣ほど、発動させるには膨大な魔力が必要になるということ。

 気づくと満月は中空にまで達していた。魔方陣の完成にこんなに時間がかかったということは、村人たちにかけられた魔法がどれだけ面倒なものだったのか、理解できるというものだ。できあがった魔方陣は、様々な色の光を放っていて、それ自体が芸術作品のようだった。

 ほぼ完成かと皆が思ったとき、フェルがグラクスの元へと歩きだした。

「いいものを持っているようだね。それ、もらえないかな?」

「なんじゃろか?」

「バックパックに、いい具合に怨念がこもった呪物があるだろう。僕には分かる。それがあれば、より効果が上がるんだけど」

「呪物?はて…」

 グラクスは、自らの体からするとあまりにも大きい背負い袋を地面に下ろすと、中身を取り出し始めた。火打ち石やら水筒などの生活必需品に紛れて、ザダルで蜜蝋漬けにした生首が出てきた。それをフェルは指差した。

「そう、それ。それを魔方陣の完成のためにもらえないかな」

「うおっ。何じゃそりゃ!」

 隣にいたブロンテスが驚きの声を上げた。ブロンテスの様子をグラクスは不思議そうに眺めた。

「何じゃって、裏切者シドの生首ではないか」

「そんなもの、持ち歩いておったのか。気味の悪いヤツじゃの」

「逃亡犯を処刑した証拠じゃ。気味が悪かろうと持ち帰るしかなかったのじゃ」

「…まあ、そうかもしれんが…」

「おーい。ところで、それ、もらえるのかなあ?」

 グラクスとブロンテスの言い合いが長引きそうになったので、フェルが無理やり間に割り込んできた。

「おっと、申し訳ない。逆にこちらからお願いしたいくらいじゃ。村のためなら自分の邪念くらい、こやつも喜んで提供するじゃろうて」

 グラクスはシドの生首蜜蝋漬けをフェルに手渡した。私欲まみれのシドが、村のために自分の何かを提供するなんてありえないのになあと、思わずレオンハルトは笑い出しそうになった。

 フェルは蜜蝋漬けを魔方陣の中央に寘くと、魔方陣が七色に淡く輝きだした。

「黒魔法『魔方陣転写』」

「白魔法『魔方陣拡大』」

 次々とフェルは呪文を唱える。魔方陣拡大で、3メートルほどだった魔方陣は、どうやら村全体を覆うほどの大きさになったようだ。魔方陣の展開を終えると、フェルは皆に向かって要望を伝えた。

「これから魔方陣に魔力を注ぐので、みんな手のひらを魔方陣か描かれている地面に向けてくれないかな。この魔法の発動には、かなりの魔力が必要となる。倦怠感が数日の間つづくだろうから覚悟しておいて欲しい」

 各所から了解の声が上がって、レオンハルトをはじめとする皆が手のひらを地面に向ける。オードも人化して皆に倣う。

 全員が自分の要望通りの行動をしてくれたのを確認したフェルは、呪文の詠唱を始めた。それが終わると、みなのそれぞれの手から様々な色の光が発せられて地面に降り注ぐ。やがて魔方陣は白く輝き始めた。強い光だが、穏やかに感じる。不思議な輝きだ。そして、その光は周囲を真っ白に染め上げた。

 どれだけの時間が経っただろうか。徐々に光は収斂していき、夜闇が再び辺りを支配していく。満月の月光が優しく降り注ぐ中で、人々のざわめきが聞こえ出してきた。

「…何で今、夜になってるんだ?」

「ついさっき、昼飯食ったところだったのに」

「うわっ、飯が砂ぼこりになってる!」

 騒然となっているのがよく分かる。

 どうやら、成功したようだ。

 魔力を吸い取られて体がだるくてたまらないが、レオンハルトはフェルの元へと向かった。

「おつかれさん。上手くいったようだな」

「当然だろ。僕を誰だと思っているんだ」

「利口なあほうだ」

「何だそれ」

 フェルは歯をカタカタいわせた。笑っているのだろう。その様子を見てレオンハルトは改めてフェルに向き直った。

「どうせ理解できないだろうけど、何をやったのか教えてくれないか」

「いいけど、おまえのいう通り、理解できないと思うよ」

 ギルモアがかけた石化魔術は、そのまま解呪することができない。もともと、死体を石像化する魔法だったので、生きたものにかけると死んでしまう。だから、石化する前まで過去に遡って、そこであらかじめ作ったダミーと本体を入れ替え、本体を今の時間軸に持ち帰ってくる。概要はこうなのだが、石化させられた正確な時間と、石化した対象の正確な位置を把握しなければならない。

「時空間を把握するためには、これまでの森羅万象全てが収められている場所にいかなければならない。その場所のことは、世界樹とか神の塔とか色々呼ばれているが、異世界の宗教に出てくる地から天に積み上げられる多数の無限階段ク・ウェットゥール・エ・リヴィラー・ディンっていうのが一番しっくりくるな。とにかくそこへ魂を飛ばして、ギルモアに石化させられた人物を全て特定し、その全ての時空座標を調べ上げるだけで、1年くらいかかったよ」

「1年?おまえが瞑想していたの、半日くらいだったじゃないか」

「それは、僕が時間圧縮したからだよ。不死者になってよかったのは、時間の制約を受けずに済むことだね。それからダミーの作製。いくらゴミクズでもバカじゃないギルモアを、一瞬だけとはいえ騙せないといけないから、ダミーを本物そっくりに作らなければならない。これに半年。まあ、とにかく大変だったよ。本来なら金貨15万枚くらい貰わないと割に合わないんだけどね」

「そんなカネ、王国中からかき集めてもないぞ」

 レオンハルトは腕を組んで唸り声を上げた。

 その様子を見たフェルは歯をカタカタ言わせると、一瞬で生前のフェルナールの姿に変化し、笑い出した。

「姉からは返しきれないほどの恩義を貰ったのに、それを少しも返すどころか不義理をしてしまった。その姉の息子に、真剣な眼差しでお願いされたんだ。しかも、聖騎士にとって天敵とも言える不死者の僕を、ちゃんと叔父として見てくれた上でね。報酬としては十分以上だよ。レオン、クルトを立派に育ててくれて、ありがとう。クルトのためなら、僕はいくらでも肌を脱ぐつもりだよ」

「そうか。そう言って貰えると嬉しい。きっとクルトも喜ぶだろう」

 レオンハルトはニカッと笑うと、優しく地表を照らす満月を見上げた。


つづく

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