第37話 だーれだ?

 自らの執務机の椅子に縛り付けられた魔人アグラムは、恐怖にひきつった顔でレオンハルトを見つめた。

「わ、我輩を審問するのか。何をする気だ。拷問なんかで、我輩が屈服するなんて思うなよ」

 呪文を唱えようとしたが、ゲッツェルの暗黒魔法「蹂躙強制」のせいで息ができなくなり、酸欠で死にかけてから抵抗を諦めたアグラムは、震えた声で威勢のいいことをレオンハルトにぶつける。レオンハルトは、冷然とアグラムを見下ろした。

「審問ではない。尋問だ。いくつかの問いに答えてもらう。嘘を言ったり、答えなかったりしたら…」

 レオンハルトは、指をポキポキいわせる。

「どうなるか、良く考えることだな」

「う、わぁぁ…」

 情けない声を上げたのはゲッツェルだ。この場にいる誰よりも屈強そうな竜人が、この場にいる誰よりも怯えて震えている。この竜人は一体どんな目に合ったのか、ますます気になったイーリスは、事の推移を見守ることにした。

「まず、ひとつ」

 レオンハルトは人差し指を立てた。

「おまえは、このダンジョンの管理者ではない。そうだよな?」

「えっ?」

 声を上げたのは、メイレンさんだった。

「後ろの棚の上に浮いているの、ダンジョンコアですよね」

 メイレンさんは、極彩色の淡い光を放っている黒い奇妙な球体を指差した。微量ながらも異様な魔力を放っているのは、魔法と縁のないグラクスですら分かる。あれがダンジョンコアであれば、それを側に置いているアグラムがこのダンジョンの管理者だ、と考えるのが普通だ。

 それが当然と言わんばかりに、アグラムは鼻で笑った。

「ここにダンジョンコアがあるのが見えないのか?それすら分からんとは、しょせん下等生物は脳ナシだな」

「ほほう。そんなに私の審問を受けたいのか。お前なんかが、ダンジョンコアなんて高等なシロモノを扱えないくらい、分かっているんだ。ならば、期待に応えてやろう」

 レオンハルトは、再び指を鳴らした。

 これから何が始まるのか?

 指を関節ごとに切り落とす?

 脚を細かく切り刻む?

 頬に千枚通しを突き刺す?

 目潰し?

 それとも秘孔を突く?

 皆が惨劇を予想して、身を震わせる。

 レオンハルトは、アグラムの脇に手を伸ばした。

 するとレオンハルトは、アグラムを、くすぐり始めた。

「ヒャヒャギャハハハハ、ギヒヒヒ ヒィィイ」

 アグラムの笑声が響き渡る。

 おっさんが、おっさんをくすぐる。

 あまりにもシュールな光景。

 それが5分くらい続いた頃、あまりの見苦しさに事の推移を見守ることを断念したイーリスが、この部屋から立ち去った。

 それに釣られて、ファーゼルとグラクスも立ち去る。

 レオンハルトのくすぐりは、軽く20分を越えた。

「ゼェーゼェーヒューヒューフーフー…」

 呼吸困難に陥ったアグラムは、酸欠で顔面蒼白になり、半分白目を剥いている。

 あまりに無惨な光景に凍りついているメイレンさん。その隣にいるコンラートが、ゲッツェルに尋ねた。

「これが、審問なのですか?」

「そうだ。これがレンシェール司教の地獄の審問だ」

 顔面蒼白のゲッツェルが、震えた声で答えた。

「実力による上下関係が厳しい魔族は、自分の地位を守るため、そして自分の地位を上げるために、日夜戦闘行為をしているから、負傷慣れしているし、肉体再生能力も高いから、苦痛に対する慣れと耐性がある。腕を切り落とされたり、目を潰されたり、急所ではない場所を刺されたりするくらいは、何とか耐えられる。だが、呼吸困難による酸欠という地獄の苦しみを与えるくすぐりには慣れていないから、どんなに屈強な魔族でさえも耐えることが困難。しかも、知能の高い魔族は、くすぐりによって強制的に笑わされることに、莫大な精神的ダメージを受ける。それでいて、レンシェール司教の指使いは天才の域に達していて、通常の百倍は苦しむことになる。『冥災』の再来と言われた屈強な魔人チェスカですら酸欠に追いやった審問は、魔族の間では恐怖の伝説となっているのだ…」

 青ざめた顔で真剣に語るゲッツェルに対し、話を聞いたコンラートは、微妙な表情になっている。おっ、レオンハルト。父親の威厳がピンチだぞ。

 若干呼吸がマシになってきたアグラムに、再度レオンハルトが尋ねた。

「このダンジョンの管理者は、おまえではないんだよな?」

「……う、う、そ、そうだ…」

 肩で息をしているアグラムが、弱々しく答えた。こんなことで陥落するなんて、とコンラートは唖然となった。

 息子から微妙な視線を浴びていることに気づかないレオンハルトは、次の質問に移る。

「このダンジョンの管理者は誰だ?」

「さあな。忘れた!」

「ほう、まだ懲りないか。見上げた根性だ」

 レオンハルトが再び指をポキポキいわせる。それを青ざめた顔でアグラムは見上げた。

「あっあっあぁーっ!!い、今。今、思い出した。そ、そうだ。名前は……エマだ。エマ=ワトキンス」

「やっぱりか……」

 レオンハルトは、側にある補助椅子に腰かけた。そしてアグラムに尋ねる。

「エマは今、どこにいるんだ?」

「このダンジョンのどこかだ。どこかから、ここに転移してきて、外へ出ている。これは本当だ。ところで、その口ぶりからすると、エマと知り合いみたいだが…」

「あん?!」

 レオンハルトがアグラムを睨み付ける。アグラムは小さく悲鳴を上げた。

「わわっっ!で、出すぎたマネをしてすんません。すんません!!」

 何度も何度もペコペコ頭を下げるアグラム。当初の威勢のよさは一体どこへ行ってしまったのやら。

 レオンハルトは立ち上がると、まだこの部屋にいるコンラートにメイレンさん、ゲッツェル、そしてシャルに告げた。

「そこそこカネも稼げたし、この辺で切り上げて、早速ポルヴォへと向かおう」

「どうしたんですか、急に。まだあと1日残ってますよ」

 怪訝そうにコンラートが尋ねる。レンシェール司教の審問を目の当たりにして、コンラートの父に向ける視線がやや冷たくなっているのだが、焦っているレオンハルトは、言い訳を考えるのに必死で気付かない。

「や、その、何だ。さすがに道草しすぎて、旅程が遅れ気味なのに気付いたから、そろそろ出ないと、騎士団長あたりに文句を言われそうな気がしたから…」

「確か、いくら時間かかってもいいって、言われたのではなかったですか?」

「それはだなぁ。ビルカに蛮族が攻めてきているという情報が入る前の話だろ?状況は刻一刻と変わるものなのだから、ここは臨機応変に対応して…」

「…だーれだ♡」

 誰かがレオンハルトの背後に現れて、両手でレオンハルトの目をふさいだ。黒のとんがり帽子、裏地が赤の漆黒のマント、その下はショート丈のブラウスにミニスカート姿の黒い長髪をなびかせた青白い肌、形の整った長い脚を惜しげもなくあらわにしている美人が、何の前触れもなく突然現れたので、コンラートとメイレンさんは慌てて戦闘態勢をとった。

 一方、目隠しされたレオンハルトは、諦観したのか端から見ても分かるほど脱力していて、黒髪の美人に対する返事も棒読みだった。

「この声はイェルマかなあ」

「ムキー!!」

 レオンハルトに目隠ししている美人は、自分の額をレオンハルトの後頭部にぶつけた。

「あんな天然ボケ女と、完璧で究極で無敵な美貌とスタイルをした、知性溢れる天才魔術師のわたくしを間違えるなんて、レオン様の感性は狂っていますわ。正解をおっしゃるまで、愛の頭突きをして差し上げます。さあ、わたくしの名前をおっしゃって下さいな。だーれだ♡」

「……サーシャ…」

「ムキー!!」

 再びこの女は、自分の額をレオンハルトの後頭部にぶつけた。

「あんなお高く止まった冷酷修道女とわたくしを間違えるなんて、許せませんわ。ここはもう一度、愛の頭突きを…」

「わかったわかったわかった!!!」

 レオンハルトは両手を上げた。

「久しぶりだな、エマ。元気そうで何よりだ」

「やっと分かってくださったのね。嬉しいわ。お顔を見せてくださいな」

 エマはレオンハルトの正面に回り込んだ。そして、しげしげとレオンハルトを見つめる。

「あぁ、素敵だわ。ナイスミドルの渋さがにじみ出ていて、このままなめ回したい…」

 エマが顔を、レオンハルトの顔に近づけてきたので、レオンハルトが右手でエマの顔を押さえた。

「近寄りすぎだ。妙なことをすると、今すぐ帰るからな」

「帰るって、どこよ。あの、天然ボケ女のところ?」

 エマは頬を膨らませた。そんなエマなど眼中にないと言わんばかりに、レオンハルトは淡々と答えた。

「あいつは今、長期出張中でいない。私はハルシュタット騎士団からの辞令を受けて、ビルカに向かっている途中だ」

「えっ、いないの?イェルマ」

 エマはうつむいて、口を尖らせた。

「あの子の目の前でレオン様といちゃついて、嫌がらせするのが面白いのに。つまんないの」

「おいおい…私はオマエラの玩具オモチャかよ…」

「それもいいけど、やっぱり天然ボケ女がいないうちに、レオン様とくんずほぐれつの営みを…」

「おいコラ!変なことを言うな。誤解されてしまうだろうが」

「なによ。誤解されて困ることでもあるわけ?レオン様はもう、神官ではないのでしょ?」

「神官ではないが、困ること大アリだ!」

「だったら、何よ?」

 頬をふくらませてブーたれるエマ。レオンハルトはコンラートの手を引っ張って、エマの前に引っ張り出した。

「私の息子のクルトだ。アウレリウス大聖堂の聖騎士であり、ハルシュタット騎士団の百人長だ」

「はじめまして。コンラートです。まだ修業中の身です。気軽にクルトって呼んで下さい」

 父親に無理やり引っ張り出されても、爽やかな笑顔で挨拶するコンラート。それを受けたエマは、コンラートの頭のてっぺんから爪先つまさきに至るまで、まじまじの観察した。

「へえ。あなた、神通力のオーラすごいわね。あのランスロットよりもすごそう。さすがレオン様の息子ね。わたくしはエマ。レオン様の子供ということは、わたくしのことを『お母さん』って呼んでいいのよ」

「おい、エマ。変なことを言うな」

 慌ててレオンハルトがさえぎる。全力で否定されてエマはむくれた。

「レオン様って、いつも冷たいわね。てことは、クルト君のお母さんはイェルマ?」

「そうだ」

「ちぇっ。いいなあ、イェルマ。私もレオン様の子供、欲しいなぁ」

「はあ?お前、子供産めないだろ」

 レオンハルトはかなりセンシティブな発言をしたのだが、エマは何とも思っていないようだ。それでも、おぞましさで凍りついてたメイレンさんが復活して、レオンハルトをたしなめる。

「ランスロット卿のお父様、そんなこと言ってはいけないのではありませんか?」

「まあ、普通の女性に対しては言ってはいけないことだけどね。エマはあいにく、ヒトではないからね」

「えっ、どういうことですか?」

 予想から斜め上の回答が返ってきたので、メイレンさんはキョトンとして、レオンハルトに尋ねた。そんなメイレンさんに対してレオンハルトは微笑みを浮かべた。

「エマは不死者だ。悠久の時を過ごす真祖のバンパイアだから、子供を身籠ることができない」

「ええええぇぇ!!!」

 真祖バンパイア。不死者の頂点に位置するとされる伝説上の存在。大魔導とか聖勲十六士とか五災将とか、伝説でしかないものと触れ合うことが、何と多いことか。

 驚くメイレンさんを尻目に、レオンハルトはため息をついてエマを見据える。

「さっきまで、このどあほうを尋問していたんだが、まさかこれ、黙認してないよな」

 暗黒神殿のようなところで冒険者たちの死体をアンデッドに変えている様子を映し出している水晶玉を指差して、レオンハルトはエマに尋ねた。それを見たエマは、一瞬だけ妖艶な笑みを浮かべると、すぐに作ったような平常心をよそおった。

「ワタクシ、コンナコト、メイジテ、イマセンワ」

「そうか、指示してないか。コイツの独断か。よく分かった」

「えっ、何で分かったの?」

 エマは残念そうにつぶやいた。そんなエマをレオンハルトは呆れたように眺める。

「私に審問されたがる変人は、お前くらいだ。審問されたいがために、疑われることを平気で言って。ホントにタチが悪い…」

「ちぇー。レオン様の指使い、とってもサイコーなのに。ザンネン…」

 エマは、レオンハルトに向けていたイタズラっ子の目を、冷酷無情な氷の女王の目に変えてアグラムに向けた。

「わたくし、こんなもの作れって命じたかしら?」

「いや、その、あの、アンデッドは大勢いた方が…」

 突然、凍氷の剣の視線を突き刺され、しどろもどろになるアグラム。そんなアグラムに向ける視線をエマは更に厳しくする。

「わたくしの問いに答える気がないのかしら。命じたの、命じていないの、どっち?」

「うっ、うー、め、命じられて、いません…」

 しなだれるアグラム。

 哀れな小物にエマは冷酷に告げる。

「わたくし、つまらないものって嫌いなの。もう、あなたには消えてもらうわ。そこそこ魔法も使えるし、レオン様の審問を受けたこともあるから役に立つかもって思ったけど、見立て違いだったみたいね。さようなら」

 エマはアグラムに向けて手のひらを広げた。呪文の詠唱もなく魔方陣を展開される。そこから不気味な光が発せられ、その光を浴びたアグラムは徐々に姿を消していった。


つづく

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