第10話 どうなっちゃうの

「……うーん」

 レオンハルトは床に伏せっていた。

 ヴォルガを倒して数日後に体の不調を感じたレオンハルトは、ルリテーラの町まで山ひとつのところにあるロデアの村まで頑張ったのだが、ついに力尽きて倒れてしまった。倒れるまではヴォルガの呪いだとか何とか言って茶化していたが、高熱にうなされるレオンハルトの姿を見たらもはや冗談を言っている場合ではなくなった。背が低いドワーフのグラクスが長身のレオンハルトを背負い、村の教会に助けを求めた。気の良い司祭様が快く一行を迎え入れてくれたため、レオンハルトは九死に一生を得ることができた。息子のコンラートが父親の看病についたので、他の四人は暇になってしまった。

「こう見えて工作が得意じゃ。何か困っていることはないかの?」

 グラクスは、農機具などの修繕に引っ張りだこの人気者になってしまい、村のどこかに姿を消してしまった。

「こう見えて薬草の知識があるの。付近の林にめぼしいものがないか探しに行くわ」

 イーリスは、ファーゼルにボディーガードを無理矢理お願いして、村の外へ姿を消してしまった。

 一人残されたエルフの女の子メイレンは、コンラートとレオンハルトの看病にかかることになった。

「ランスロット卿って、お父様を尊敬しているのね」

 椅子に腰掛けているメイレンは、甲斐甲斐しく看病しているコンラートに熱い視線を送った。数日前にヴァンパイアと戦ったコンラートの勇姿が、未だにまぶたに焼き付いている。剣を奮って強敵と渡り合ったきれいな男の子が、今では献身的に父親を看病する優しさを見せている。私もあんなふうに優しくされたらどうなっちゃうんだろう、なんてよこしまなことを考えてしまい、思わず顔がほてってしまった。

 そんなメイレンの内心なんか想像すらできないコンラートは、桶の水に浸した布を絞って父親の額に載せた。

「そうだね。僕、お父様に育ててもらったから、少しは恩返ししないと」

「えっ、お母様はどうなさったの?」

 メイレンの問いかけにコンラートは即答せず、少し間が空いてしまった。聞いてはいけないことを聞いてしまったのかしら、とメイレンは一瞬不安を感じてしまったのだが、どうも違うようだった。

「……う~ん。お父様の話だと、お母様は偉大な魔法使いなんだって。偉い人に急に呼ばれて、そのままずっと魔法のお仕事をしているのだけど、忙しくて帰る暇がないらしい」

「ふうん。そういえばランスロット卿はハーフエルフみたいだから、お母様はエルフなんでしょ」

 人間とエルフの間に生まれた子供はハーフエルフと呼ばれる。レオンハルトが人間なのだから、いわば当然のことである。

「多分そうだね。というのも、僕が二歳の頃にお母様がお仕事に出掛けてしまってしまったから、お母様の記憶がないんだ」

「そうなの?じゃあ、ずっとお父様と二人っきりだったんだ」

「まぁね。でも、お父様も仕事があるから、僕は近所の教会に預けられることが多かったんだ。主教様や他の教会の皆さんにも優しくしてもらえたから、王都での生活は楽しかったよ」

「えっ、主教様?司祭様ではなくて?まさか、ランスロット卿が育った教会って…」

「アウレリウス大聖堂って言うんだけど、知ってるかな?」

「ええぇ~!」

 メイレンは驚嘆の声を上げてしまった。この王国や近隣諸国の人で知らない人はいないくらい超有名な大教会である。賢王アウレリウスが建立したと言われる由緒ある教会で、小規模ながらも教会自身が騎士団を持つ。その騎士団に所属するものは聖騎士パラディンと呼ばれる。

「…近所の教会って言うから、ここみたいなところだと思っていた」

「ちょっと広かったけど、雰囲気はここと変わらないよ。ここの司祭様、主教様みたいでとても優しいし」

「ちょっとなんてものじゃないと思うんだけどなぁ…。ところで、お母様のお名前は知ってるの?」

「…たしか、イェルマだったかなぁ」

 今度はメイレンが黙ってしまった。とても聞き覚えのある名前だ。でも、あんな高貴な人が人間なんかを伴侶に選ぶなんて、絶対にありえない。同名の別人に決まっている。でも、アウレリウス大聖堂を近所の教会呼ばわりするような人だから…。メイレンの頭の中は「でも」で渦巻いてしまった。

「メイレンさん、大丈夫?」

心配そうにコンラートがメイレンを覗き込んだ。サファイア色のきれいな瞳に見つめ られて、メイレンは更に混乱しそうになった。

「うっ、うん。大丈夫。そうだ、その桶の水、取り替えてくるね」

 外の空気でも吸って気持ちを落ち着かせなきゃ。そう思ったメイレンは、桶を持ち上げようとした。だが、持ち上がらない。重たい。うわっ、どうしよう。

「優しいね。ありがとう。でも、僕が取り替えに行くよ」

 桶の取っ手を掴んでいるメイレンのそばにコンラートが寄り添い、代わりにコンラートが桶を持ち上げた。至近距離にいるコンラートから甘い香りが漂い、メイレンの鼻腔をくすぐる。もうだめ。どうにかなっちゃいそう。

「長旅でメイレンさんも疲れているだろうから、ゆっくりしてたらいいよ」

「う、うん。ありがとう」

 片手で桶を持ち、扉を開けて出て行くコンラートを、メイレンはうつろな瞳で見送った。


 一方、ファーゼルとイーリスは林の中を歩いていた。ファーゼルの服装は、この国の人々から見れば一風変わっている。熊か何か獣の毛皮を用いているが、見事な裁断で作られている外套の下に、軽装ながらも防御力の高そうな帷子かたびらをまとい、さらにその下には絹製の服を着用している。話によれば、はるか東国の戦士の服装なんだそうだ。

「俺は魔法の才能に恵まれなかった。だから、自分の才能を知りたくて、当てのない旅に出ることにしたんだ」

 ファーゼルは、まだ幼さの残る十五歳の頃に故郷をあとにした。一年ほど森の中を彷徨っているうちに、滝とみずぼらしい掘っ立て小屋を見つけた。

「滝のそばで一本の剣を振っている老人がいた。見た目華奢な老人なのだが、軽々と剣を振っている姿を見て、心が震えたんだ」

 これに打ち込むしかないと心に決めたファーゼルは、老人に剣の指南を請うが、老人はなかなか応じてくれない。粘りに粘るファーゼルに、ついには老人のほうが根負けした。

「軽々と剣を振っているから軽い剣なのかと思ったら、これが全然軽くない。しばらくは筋力をつけるための基礎訓練ばっかりだった」

 免許皆伝とまではいかなかったが、老人から合格点と一振りの剣をもらったファーゼルは、故郷へと帰ることにした。帰郷したファーゼルを待っていたのは、部族の長からの命令だった。

「家にいたのは、たった一晩だけ。そして、久しぶりに再会した妹とビルカを目指して旅をしていたという訳だ」

「久しぶりに帰ったのに、そんな扱いを受けるなんて、理不尽ね」

 眉を吊り上げるイーリスをチラッとだけ見たファーゼルは、無愛想な口調でつぶやいた。

「魔法のできないエルフは、無能者と蔑まれるからな。帰郷を許されただけ、儲けものだ。ここで一旗揚げることができたら、家族も安心して故郷で過ごせる。これはチャンスなんだ。絶対逃せられん。快く同行を引き受けてくれた妹には、感謝以外何もない」

 ファーゼルの瞳が強い決意で鋭くなった。秀麗な顔が緊張で引き締まっているのはそういうことか。エルフの世界も大変なんだなと思ったイーリスは、ファーゼルの肩をポンと叩いた。

「そんなに肩肘張らなくても大丈夫よ。レオンもグラクスも、あんなふうで案外頼りになるから、大船に乗った気でいなさい。ランスロット卿は言うまでもないけど」

「…そうだな」

 ファーゼルが歩みを止め、イーリスを見つめた。えっ、何?ひょっとして抱きしめられるの?ファーゼルのことが気になっていたイーリスは、どぎまぎした。

「あのさ…」

「……」

 問いかけたファーゼルが次の言葉を出すまで、沈黙が流れた。ほんの数秒なのだが、イーリスには長い時間に感じた。否応なく期待が膨らんだのだが…

「レオンハルトって、一体何者なんだ。あの剣技、身のこなし、とても普通じゃない。王都の騎士団にいたのなら幹部になってもおかしくない。それがビルカに行かされるなんて変だ。彼のこと何か知らないか?」

「はぁ?そんなの本人に聞いたら?」

 ギロっとファーゼルを睨むと、イーリスはファーゼルのこと見向きもしないで歩き出した。何故怒り出したのか分からないファーゼルは、あわててイーリスの後を追う。

「おい、何で怒ってるんだ」

「別に怒ってないわよ。気になるレオンハルトさんの病気を治す薬草を探さないとね」

「それはそうと、薬草って何だ」

「はるか大昔、大賢者ヴァルダが発明した高熱に利く薬の材料になるロッカという草よ。身体にある悪いものを体外に出し、回復力を高めてくれる貴重な薬。この林にはメギナの木がたくさん生えているから、きっとあるはず」

「大賢者ヴァルダか。よく聞く名だ。確か何百年も前の…」

「歴史談義なんてどうでもいいわ。どうせロッカなんて知らないでしょうから、猛獣とか出ないか見張っててちょうだい」

「ああ…」

 やっぱり怒ってるじゃないか。と思ったけど、追及すればきっと底なしの泥沼にはまるだけになりそうだから、黙ってイーリスに従うことにしたファーゼルだった。


 夕方になると、村人に拘束されていたグラクスや、林で薬草を手に入れたイーリスとファーゼルも教会へ帰ってきた。早速イーリスが薬草の処理を始める。教会のかまどを借りて薬草を煮たり炒ったり何たりして薬を作ると、それをレオンハルトに飲ませた。しばらくすると…レオンハルトの熱が下がるどころか、激しくうめいたかと思うとレオンハルトは厠へと飛び込んで出てこなくなった。嘔吐と排便を繰り返しているようだ。

「イーリスさん、大丈夫なんですか?」

「大丈夫、大丈夫。身体に残っている悪いものを出しているだけなのだから…」

 コンラートから心配と猜疑の目で見つめられ、イーリスは笑顔で答える。だが、心の中では思いっきり冷や汗をかいていた。

「ヴァルダのおっさん。もし何かあったら責任取ってよね…」

 イーリスは心の中で怒りの言葉を吐き出した。レオンハルトが主役の座を守るのか、はたまた誰かに主役を譲ることになるのか。請うご期待。

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