第3話 クマが出た
たった一杯の麦酒で酔いつぶれたドワーフを置いて宿に戻ったレオンハルトは翌朝、息子のコンラートを連れて居酒屋サンジョルジュを再訪した。閉店後のサンジョルジュには、営業中の騒然さに隠されていた店内レイアウトの重厚さがしみじみと感じられる。照明や机などの調度品は、相当の年月にわたって使い込まれているのが分かるが、手入れが行き届いているのでそれ自体が美術品のようだ。店内に誰もいなかったのでレオンハルトは奥の部屋に向かって誰何すると、マスターに伴われてドワーフが姿を現した。
「昨日は、酒に溺れてしまって大変申し訳ない。いつも一杯飲むと記憶がなくなるのじゃ。大酒呑んで暴れまわって迷惑をかけているようなんじゃけど、おぬしは大丈夫だったか」
申し訳なさそうな表情でドワーフはレオンハルトを眺めている。名前も宿泊先も知らされずにいきなり寝られてしまったことには困ったけど、このまま店に置いたままにしていいとマスターに言われたから迷惑を受けたというほどではない。これまで酒を呑むたびに、暴れられて迷惑を受けたと周りから言われ、迷惑料として呑み代を払わされていたんだろうなと思うと、レオンハルトはこのドワーフが哀れに思えてきた。
「今まではどうだったか知らないけど、今回はすぐに寝てしまったから何も迷惑を受けてない。気にしないでくれ。それよりも、まだ名前を聞いていないのだが」
「そうだった。今まで名乗りもせずに申し訳ない。ワシの名はグラクス。シサクのグラクスじゃ」
「グラクスか。私はレオンハルト。そしてあそこにいる彼が、私の息子のクルト」
レオンハルトは、もの珍しそうに店内を見回っている息子を呼び寄せてグラクスに紹介した。呼び寄せられたコンラートは行儀よくグラクスにお辞儀をした。
「コンラートです。よろしくお願いします」
「な、何じゃ、このお坊ちゃまは。あんた、みすぼらしい格好してるけど、実はどっかの貴族様なのか」
「いやぁ、貴族ではないんだけどね。クルトはハルシュタット騎士団の百人長なんだ」
「はぁ?ハルシュタットの百人長?この子が?」
ギョロ目を大きく見開いてグラクスはコンラートをまじまじと眺めた。つま先から手の指先そして頭髪までしげしげと眺めたグラクスは、背負っているコンラートの長剣に目が留まった。
「背負っている剣じゃが、もしかしてアロンダイトか」
「よく御存じですね。主教様からお預かりしている大切な剣です」
「すまんが、鞘から剣を抜いて見せてもらうわけにはいかんかの」
「構いませんよ」
コンラートは背負っている剣を抜くと、グラクスに差し出した。パッと見た感じでは、ちょっと値の張る剣くらいにしか見えないが、良く見ると細やかな彫刻や宝石がちりばめられていて年季の入った名剣の趣がある。
「これがアロンダイトか。見るのは初めてじゃ。いにしえの剣なのに、まるで新品のようじゃ」
「グラクスさん、詳しいんですね」
「そりゃそうじゃ。遥か祖先のドワーフの刀鍛冶が作ったとされる伝説の名剣じゃからな。アロンダイトを知らないドワーフはおらんじゃろうて」
と言うと、グラクスはコンラートにうやうやしく剣を返した。剣を受け取ったコンラートは鞘に納めた。
「グラクスさんのことは父から伺いました。お困りの方に手を差し伸べるのは騎士の務め。父ともども、グラクスさんの帰郷のお手伝いをさせてもらいます」
「ご丁寧にどうも。それにしてもクルトは父君を尊敬しているのだな」
「はい。父のような立派な騎士になることが夢です」
「立派な騎士ねぇ…」
道案内は有償だし、夜中に酒をかっくらって遊び呆けてたくせに…と白い目でグラクスはレオンハルトを見た。そんな視線に気づかないふりをして、グラクスから視線を逸らしたレオンハルトは、
「夜のお務めで知り合った仲だからねぇ」
とつぶやくと、それを聞いたコンラートはグラクスに熱い視線を送った。
「グラクスさんも夜のお務めをなさっておられたのですか。ご苦労様です」
「いっいや…それほどのことでは…」
まさか麦酒一杯でひっくり返って寝ていたなんて言えない。グラクスは恨めしそうに舌を出しているレオンハルトを睨んだ。自分の仲間に引き込むことが出来たことに満足したレオンハルトは、無言で店内の清掃に励んでいるマスターに声をかけた。
「何から何まで世話になりました。ありがとう」
「あぁ」
マスターはポケットから小さな紙の束を取り出すと、それをレオンハルトに差し出した。
「餞別だ。とっとけ」
「何ですか、これは」
「…割引チケットだ」
「…あ、ありがとう」
この店に来ることは当面ないだろうけどなぁと思ったが、レオンハルトはありがたく頂戴し割引チケットを皮袋にしまいこんだ。
レオンハルトたち3人は当面の保存食など必要な品を買い求めると、レギナの町をあとにして北への旅路についた。目指すはシサクの村。順調にいけば2ヶ月ほどでたどり着ける、ハズなのだが…。でろでろでろでーん。おやくそくの、ワンダリングモンスター現る。そう。レギナより北は、オオカミやクマのようなケダモノやゴブリンなどの亜人種だけでなく、妖怪や怪物がたびたび出る危険地帯だ。だから、普通の旅人は剣士や魔法使いの類を雇って用心棒にするのだが、レオンハルトたちは自分たち自身が用心棒のようなもの。彼らは身構えた。出てきたのはクマが1匹。
「よーし。今日の晩メシはクマ鍋だ」
背中に背負った大きな斧を構えたグラクスは、クマに向かって突進した。グラクスの只ならぬ気魄に気押されたのか、クマの反応が一歩遅れた。グラクスに繰り出そうとしたクマの腕が斧で両断されてしまい、クマは激痛で叫び声を上げる。のたうつクマの様子などお構いなしにグラクスは第二撃を放つ。グラクスの斬撃は正確にクマの首をとらえ、一瞬でクマ退治が終了した。
「あんた、すげえな」
剣に手をかけただけで終わったレオンハルトは、グラクスに賛辞を送った。斧に付いた血糊をふき取るグラクスは、
「それじゃ、肉を捌くのは頼むぞ」
と言い残して、薪になるものを探しに、ふらっとどこかに行ってしまった。本当にクマ鍋にするみたいだ。
「鍋なんか、あったか?」
「…さぁ」
父親の疑問を軽く受け流したコンラートは、はっとなって父に訴えた。
「グラクスさん放っておいたら、迷子になっちゃうんじゃないですか?」
「そうだった。クルト、すまんがグラクスについて行ってくれ。肉は捌いておくから」
「分かりました」
そう言い残して、コンラートはグラクスの後を追った。
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