第4話 a locked room

 警察が来た後の舜たち四人は、ただ事情聴取を受けるだけの人形のようなものだった。憔悴している汐莉やゆゆを横目に、舜は、何事もなかったかのようにスマホをいじる三島ひよりを、ただずっと眺めていた。


 ようやく解放されたのは夜九時を過ぎた頃だった。第二演習室の前には、黄色いロープが張られ、制服を着た警察官が、顔を強張らせながら立っていた。


 時間差で解放されたせいだろう。土を踏み締めながら校門まで来ると、ひよりと汐莉、そしてゆゆと生徒会長の美里亜が、舜の帰りを身を寄せ合うように待っていた。


「大変だったね」


 誰も言葉を発しない中、美里亜だけは心配するように声をかけてくれる。秋風の中、彼女の黒髪がそよぐように揺れていた。


「いえ、慣れていますから」


 慣れたくはない。だが、今までの人生、不運にも、舜はそういう現場に居合わせることが少なからずあったのだ。そしてそれを美里亜は知っていた。舜の過去をどうやって調べたのかはわからないけれども。


「ゆゆと汐莉ちゃんには、ちょっと刺激が強過ぎたかな。お迎えが来てるみたいだし、今日はここまでだね。二人ともお疲れ様」


 確かに汐莉とゆゆには迎えの車が来ていた。二人は両親に連れられるように、学校を後にした。


「強いですね、先輩は。学校でこんな事件があったのに、冷静でいられるなんて」


 生徒会長としても、美里亜は警察から聴取を受けたはずだ。意に介さないことも、見当違いのこともたくさん聞かれただろう。


「冷静? 私が? そう見えるのなら、君には人を見抜く素質はないのかもしれないね」


 彼女はそう言うが、舜自身、素質がないとはいえないと思っている。ただ、あえて見ようとしていないだけで。そう、天田舜という人間は、ただ現実から逃避しているだけなのだ。


「同じ生徒会の子が亡くなったのよ。冷静でいられるはずがないでしょ?」


 ――そう。


 亡くなったのは、甘木璃湖あまぎりこ。生徒会に所属し、なおかつ学園内で七大天使と呼ばれた三年生の女の子だった。


「そうでしたね。すみません」


 本来なら彼女は、ゆゆと二人で、舜たち三人に、見回りチームの説明をする役割のはずだった。しかし、放課後ゆゆが彼女を生徒会の役員室で待つも一向に来ず。結局連絡がとれないまま、ゆゆは仕方なく一人で四階の第一演習室に向かったとのことだった。


 ――だから、ゆゆは動けなかった。


 親友がまさかそんな形で、とは思わなかったから。


 ――刺された?


 自殺の可能性もある。入り口のドアを閉め、セメントやコンクリートのようなもので固め、机を並べて作ったある意味祭壇の上で自らナイフを刺す。そんな奇特な人間も世界を見渡せば、一人くらいはいるかもしれない。でも、内側から裂かれるような痛みに、血の気が引いていくあの感覚に耐えられるものだろうか。最期まで痛みにのたうち回り、絶命するその時まで必死に生をもがくものではないだろうか。


 ――それにどうやって刺す?


 女の子が一人で胸を刺すことはかなりの度胸がいる。いや性別なんて関係ない。人が自らの命を絶つなんて、並大抵の覚悟なしでは出来るはずがない。それにだ。狭い肋骨と肋骨の間をピンポイントで突き通すなんて、易々と出来るものではない。


 ――いや、そもそも。


 どうやってセメントやコンクリートで入口の扉を固めた? 材料も塗りこむスコップのようなものでさえ、あの部屋には残ってはいなかったのに。考えまいとする舜の脳裏に、あの絶望的な光景が現れては消えない。


「ねえ、何を考えてるの? 急に黙り込んで」


 まだ明かりの消えない四階の部屋を見ながら、舜は溜め息を漏らす。


「もし、甘木先輩が自殺でなかったら、それこそ大変だなって」


 自殺にしても不審な点は多い。それがもし他殺だったら、それこそ不可能犯罪になってしまう。


「警察は自殺にしたがってたよね。何だか他殺だと都合が悪いみたい」


 それはそうだろう。窓を含めた出入り口は全て鍵がかけられていたのだから。外部から誰も入れない状況で、甘木璃湖は殺されたことになる。


「僕には入り口のドアをセメントで固める意味がわからない。普通に鍵をかけただけじゃ駄目な理由がわかりません」


「そうね。自殺にしても、他殺にしても、そこまで手間をかける必要性が感じられない。どちらにしても、事を済ませたら早く終わらせるのが最善のはずなのよ」


 美里亜も舜と同じ考えのようだ。しかし、そんな二人のやり取りをみて、可笑しそうにクスクスと笑い出す人間がいた。あの三島ひよりだった。


「そんなの決まってるじゃないですか。遺体の発見を遅らせるためか、もしくは――」


 ひよりの可愛らしい顔が、邪悪とも取れるように、今は不気味に笑っていた。


、ですよ?」


 何より嬉しそうなひより。彼女の目が好奇心の塊みたいに、ぎらついているようにも見える。舜はそんな非常識な態度を見せるひよりが、少し腹立たしかった。


「見せる? 一体何のために? 誰に見せる必要がある? そんなことをする意味が一体誰にあるっていうんだ?」


 語気を荒くしてしまう舜。しかしそうでもしなければ、亡くなった璃湖が可哀相だと思ったのだ。


「えへっ、それを考えるのがリーダーの役割じゃないですか、天田さん」


「ちげえよ!」


 そんなことのために、リーダーになったわけじゃない。いやそもそもリーダーは、美里亜に勝手に指名されただけだ。ひよりは悪戯がばれた子供のように舌を出して片目を閉じている。


 ――何だ、こいつは。


 非常識で空気が読めないどころか、楽しんでさえいる。人が一人死んでしまったこの事件をだ。三島ひより、やはりとんでもない怪物だと瞬は思った。


「あら、あなたたち……まだいたの?」


 背後から声を上げたのは、二年の学年主任の北野弓那きたのゆみなだった。その隣には舜のクラスの担任の藤堂大吾が険しい表情で立っていた。


「北野先生……ご迷惑をおかけ致しました」


 美里亜が丁寧に頭を下げる。薄明かりの中、その黒髪が生き物のように宙を舞う。


「迷惑だなんて。あなたたちの問題でもありますが、これは学園全体の問題なのよ。でも、甘木さんは残念だったわね。快活で、自殺するような子には、とても見えなかったのに」


 ОLのようなタイトな白いスカートスーツに、赤い縁の眼鏡をかけている三十代後半の北野。髪こそ後ろでしっかり束ねてはいるものの茶色く染められていて、私立の学園でなければ、PTAで問題視される容姿だろう。その年齢で学年主任を任されるのだから、仕事に関しては相当なやり手なのが窺える。一回り年下なのもあるが、隣にいる藤堂がただの小間使いに見える。


「明日、改めて全校集会を開きます。それまでは他言無用でお願いね。山代さん、三島さん、それに……天田君」


「わかりました」


「はーい!」


 元気よく手を上げるひよりの手を、思わず掴んでおろしてしまう舜。


「こら、嬉しそうに手を上げるんじゃない」


 ぽかーんと口を開け、瞬を不思議そうに見上げるひより。その表情だけ見れば、ただの可愛い子供にしか見えないのだけれど。


「先輩が一人死んだんだ。悲しんであげなきゃ可哀相だろ?」


 ――可哀相?


「はーい!」


 素直に受け入れてくれるひより。しかし、その腹の中で一体どんな思考を巡らせているのか、舜には想像もつかなかった。


「まさか、自殺が伝染したのでしょうか?」


 ひそひそ声で、担任の藤堂が北野に尋ねる。その瞬間、北野が彼を鋭く睨みつけ、北野は平謝りするばかりだった。


 ――伝染?


 そんなわけがないと瞬は思う。あれは紛れもない殺人なのだから。


 ――そう、これは殺人事件だ。


 甘木璃湖は何者かに殺されたのだ。今はっきりと瞬はその事実に向かい合った。


 北野がみんなの強張った顔を見て、ゆっくりと口元を緩める。しかしその後に向けられた視線は、確かに怒りを帯びていた。


「じゃあ先生たちはこれで帰りますから、あなたたちも立ち話は早急に止めて、早く家に帰りなさいね。でないと――」


 ――でないと?


 一瞬、言葉を濁す北野。また誰かが殺されるとでもいいたいのだろうか。まさか彼女は何か知っているとでも? 


「いいえ、また誰か死にでもしたら、じゃ責任が取れないから。だから、早く帰りなさいよ」


 脅しでもされそうな勢いだった。しかし、彼女から吐かれた言葉は、ただ彼女自身の社会的立場を案ずるものだった。一瞬垣間見えた怒りは、どうやら瞬の杞憂に過ぎなかったようだ。


 やがて彼女は、藤堂と共に、三人の横を通り過ぎていく。不意に北野が瞬の耳元に息を吹きかけてくる。生温かい息が、瞬の背筋をぞくりとさせた。


「でも、天田君。あなたじゃなくて良かったわ」


 そう言って、意味ありげに口元を緩める北野。瞬は全身が鳥肌立ち、彼女たちが闇に消えた後も、それがしばらく消えることはなかった。

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