第22話 忍び寄る狂気

 北野弓那は病室に入ってくると、二人を一瞥し、軽く微笑む。今日も白で統一されたスカートスーツスタイルだったから、受付やナースステーション、そして通路でも目立ち過ぎたことだろう。


「それともお邪魔だったかしら?」


 弓那の悪戯っぽい笑みに、舜はすぐに首を左右に振る。茉莉華に至っては、驚きのあまり、口を開けながら一歩後退していた。


「いいえ。丁度あなたと話したいと思っていました。北野先生」


「ごめんなさいね。最初は興味半分で聞いていたのよ? でも話を聞いているうちに、他人事とは思えなくてね。最後まで聞かせて貰ったわ。もちろん、この話を他言しようとは思わないし、それであなたたちを脅すだなんてことは考えていないから心配しないでね」


 優しく語りかけるように言葉を発する弓那。


「それに天田君。あなたはどうやらみたいだし。いつまでも隠し通せるものじゃないと思っていたところよ?」


「流石は先生。よくおわかりで。だとすると、それで正解ということですね?」


「そう、あなたの考えている通りよ。天田君」


 それならば納得がいく。彼女の行動も、その発言さえも。茉莉華だけはわけがわからないのか、首を何度も傾げる。


「えっ、何なに? 何がどうしたわけ? 私にはさっぱりわかんないんだけど?」


 茉莉華を見て、舜と弓那は顔を見合わせる。この瞬間だけは、二人だけの秘密を共有しているようで、何か火遊びをしているような感覚だった。


「じゃあ、先生が答えるわね。天田君はさっき、私が既婚者なのか聞こうとしていたでしょう? それはね、暗に離婚しているんじゃないかってことを言いたかったのよ」


「先生が……離婚……?」


 茉莉華はそういう噂があることを知っていた。だからそんなには驚いていないはずである。そしてそのことは、弓那も承知していることだろう。気づかない振りをしないといけないのも、それに気づかない素振りを見せないといけないのも大変だなと舜は思った。


「そう。そして私、北野弓那はバツイチで、元旦那とは十年前に別れ、旧姓に戻したの。子供の親権も取られしまったから、完全な独身状態だったのよね。だからってこんな派手な恰好は許されないかしら? ふふっ」


 教師としては世間的に認められにくかもしれないが、舜としては個性や色艶があって好きではある。


「私も先生みたいに派手だから、似たもの同士なのかもしれない」


「ふふっ、そうね」


 茉莉華にとって彼女はある意味近しい人間なのかもしれない。いや、実際にそうだということを彼女は語ってくれるのだろう。


「それでね。私は以前別の公立高校にいたの。でも、教師って同じ学校に十年以上は原則いれないのよね。それで遠くの学校に異動がわかったから、それで公務員を辞めちゃったのね。そして三年前に今の理事長に誘われて、この学園に赴任してきたの。そしたら、丁度この学園に私の娘まで入学してきてね。どうやって調べたのかわからないんだけど、わざわざ母親の私がいる高校を探したのですって。嬉しかったわ。登下校時、校門で我が子を毎日見ることが出来たんですから」


 そう、彼女の娘はこの学園にいた。


。喜多川さん、あなたにも本当にお世話になったわね。はあなたたちと学園生活を一緒に送れて、本当に幸せだったと思うわ。本当にありがとう」


「えっ、愛? 愛が? 先生の? 娘? えっ、何で? 何でそんな……?」


 泣きそうになる茉莉華。娘を失った母親の気持ちを考えれば、簡単に言葉など見つけられないだろう。


「それに喜多川さん、よく頑張ったわね。も、あなたが生き延びてくれて、あの世で喜んでいると思うわ」


「せ、先生……」


「もしかして、愛さんの事件も、自殺ではなく他殺だったんですか?」


 過去の事件については、茉莉華から聞いた程度の知識しかない。だが、弓那はある意味当事者だ。より深く事件の詳細を知っているのかもしれない。


「いいえ、残念ながら愛は自ら命を絶ったの。これは検死の結果で間違いがないことだわ。でも、あそこまで追い込んだのは、芸能プロダクションの人間たち、そして愛のプライバシーをズタズタにした醜い世間の目。そういう意味で、あれは立派な殺人よ。愛は、みんなに殺されたの」


 鋭い目つきになる弓那。ずっと押し隠してきた想いを、今ようやく語ることが出来たのだろう。二年近く娘との関係をひた隠しにしてきたのだから。


「私はずっと、この学園の中で魂を置き去りにされていたの。でもようやく愛の仇を討つことが出来る。今回の犯人が、愛の自殺にも関わっていると、あなたたち二人の話を聞いて確信したから」


「それは、璃湖さんやゆゆさん、そして茉莉華先輩の時の部屋の状況からですね? それが愛さんの時と似たような現場だったから」


「そう。だから私は本当はあなたには深入りしないで欲しかった。関係のない生徒まで危険な目に遭わせるわけにはいかなかったから。でも、もう遅いわね。だって、天田君はこの事件に誰よりもどっぷりと浸かっているもの。私の忠告を無視してね」


 確かにそうだ。苦笑する舜。しかし、だからこそ救えた命があると、舜はまた胸を張れるのだった。


「それで北野先生。そもそもどうしてここへ来たんですか? まさか僕の心を読んだわけじゃないですよね?」


 笑いながら舜はそう尋ねてみる。弓那は思い出したようにハッとした顔をしたのだった。


「ここ数日、また校区内で自殺があったのはご存知かしら?」 


「ええ、病院ってすることがなさすぎて、新聞で読みました。校区外でも数件、そして校区内の五階建てのマンションで八人の女子生徒が集団自殺したんですよね?」


 舜の質問に頷く弓那。それが舜とどう関係するのか。


「実はね。そのマンションの三階に住んでいたのが生徒会長の山代美里亜さんだったの。そしてどうやら彼女がね。部屋の窓から目撃してしまったようなの。飛び降り自殺の現場を」


 ――そんな。


 五階からなら、何か障害物がない限りはほぼ即死だろう。もちろん、奇跡的に死ななかった例も、テレビやニュースなどであるが、それは数える程度だ。だから、美里亜は八人の女子生徒たちの死体を見つけてしまったのだろう。玩具みたいに歪に曲がり、壊れた身体を。


「それでね、もしかしたら、彼女おかしくなってしまったかもしれないわ。あの山代さんが、学校にも行かず、ただずっと家に引き篭もって、の。だからもし天田君が退院したら、お見舞いに行って欲しいと思ったの」


 ――おかしくなった?


 舜は彼女の言い方が気になって仕方がなかった。それに変なことを呟いているとはどういうことだ。


「あの美里亜先輩がですか? 一体何と言っているんですか?」


 それには一瞬目を逸らす弓那。信じたくはなかったのだろう。だから美里亜がおかしくなったとしか思えなかったのだろう。何故なら、弓那の言葉は、舜にもそう思わせるだけの力があったから。


「それがね。朝からドンってすごい音がして、窓ガラスの向こうでどんどん人が落ちて行ったらしいのに、その最後に落ちた女の子の顔がね。って言うのよ。まるで長い時間空中に浮いていたみたいにね」


 ――どういうことだ?


「落下した身体が止まっていたってことですか? もしくは頭だけが?」


「はっきりとはわからないの。ごめんなさい。でも――」


 ――でも?


 嫌な予感がした。一旦言葉を切った弓那が、何かとんでもないことを言おうとしているのがわかったからだ。


「でもね。恐ろしいのが、その自殺した女の子はそうよ。


 ――ああ。


 だから、彼女は何かに魅入られたのかもしれない。そして現実から逃げ出してしまったのだ。張り詰めた糸がぷつりと切れ、もう二度と戻らないように。


 ――また事件か。


 そう、最初から事件は一つだけではなかったのだ。舜はそれを改めて思い知らされたのだった。





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