第23話 救われないものたち①

 弓那の話を聞いた舜は、退院までの間、ずっと美里亜のことを考えていた。


 あの完璧女子である山代美里亜が、学園にも行かず、家に引き籠り、可笑しなことを呟いているのだという。舜の知る彼女なら、たとえ高熱を出そうとも、這ってでも無理やり登校しそうなものだ。受験前で大変なこの時期に、彼女がそれをしないという。


 学力に自信があるからか? 美里亜のことだ、自信はあるだろう。しかし、そんな理由で彼女が学校の登校しないことは考えられない。では、何か。原因はやはり、彼女が見たという光景の悲惨さ。そして、窓に止まって見えたという死者の不気味な笑い顔だろう。


 ーーもしかしたら。


 そう、もしかしたら、美里亜の精神は、もう駄目になってしまっているのかもしれない。彼女に会った弓那が、舜に助けを求めるほどだから。


 ーーでも、どうする?


 きっと悪夢に侵されたように、美里亜の目には、今もその光景が焼きついているはずだ。彼女の言葉は現実的ではない。人が空中で止まることなど、反重力物質が存在しない限りは、物理的に不可能なのだろうから。


 舜には美里亜を救えるのだろうか。今回の事件はたまたま茉莉華を救うことが出来たが、まだそれも解決したわけではない。一時的に、犯人からの接触が無くなっているが、いつ彼女が襲われるとも限らない。自殺に見せかけて殺すほど、犯人は用意周到、冷静沈着な人物なのだから。


 ――それに。


 美里亜は舜の知る限り、相当に頭の切れる人間だ。ひよりは別として、彼女が考えても解けない謎を、舜がやすやすと解くことが可能だろうか。いや、可能性は少ないだろう。だから、舜の下した結論は、舜には美里亜を救うだけの力がないということだった。


「何不安そうな顔してんのよ。私を助けようとしてくれた時のあんたは、もっと男らしくて、私の心の壁を突き破るくらい熱かったし、凄かったんだから」


 退院の日、舜を送りだすように茉莉華が付き添ってくれた。


「行ってきなよ。あんたは私たちを十分に守ってくれた。本当に守りたい人を守れないようなら、私を救った意味ないよ?」


 別にそういうつもりじゃないと茉莉華に言うが、彼女は舜の表情の変化を見逃さなかったのだろう。やはり女の人の勘には勝てないなと舜は思った。


「たった数時間のことじゃない。それにあんたに貰った大事な命なんだから、大丈夫。私は死なないから」


 逆に励まされる舜。茉莉華はそう言うが、実際は大丈夫などではない。だから、出来るだけ早く、美里亜を救い、また彼女を救わなければならない。それまでは弓那が責任を持って、守ってくれるとのことだから、彼女たちを信じるしかない。


「さあ、ひより。早く美里亜先輩の憑き物を落として、この事件を終わらせよう」


「全く……天田さんにはこんな暇はないはずですよ?」


 美里亜の家の訪問には、三島ひよりも同行している。理由は二つ。第一に、彼女の頭脳が美里亜の思考を超えた解を導き出す可能性があること。そして、第二は、単に男一人で美里亜の家を訪れる勇気がなかっただけのことだった。並んで歩きながら、ぶつぶつ言っている彼女の頭を撫でると、微かに顔を赤らめ、静かになった。


 ――山代美里亜。


 舜の持つ美里亜のイメージは、大豪邸に住むお嬢様で、全てに関して完璧なものだった。しかし、実際に住んでいるマンションを見る限り、彼女は努力家で、普通の人間と同様の生活をしてきたことが窺い知れた。でも、そうだからこそ、彼女の人間性はたくさんの人の影響を受け、豊かになっただろう。それこそが、彼女の仕草や素行から溢れる人間性だった。


 自殺が合って三日が経っていたせいか、マンションの周りには最早報道陣も、警察官が立っていることもなかった。マンション自体の造りは一般的な鉄筋コンクリートタイプで、階層も五階建てしかなかった。しかし、一つ一つの部屋の高さも広さもそれなりにあるのだろう。ぱっと見、学校の校舎くらいの高さがあるように思えた。


 ――鉄筋コンクリートねえ?


 コンクリートという言葉に、過剰になってしまっている舜。しかし、これが美里亜の事件に関係している気は全くしなかった。


 マンションということで、やはり入り口のエントランスホールでインターホンを押し、中から解錠して貰わなければ、中に入ることは出来なかった。これは、自殺した八人の女の子たちが、誰かに中に招き入れて貰ったことを意味する。朝の五時という早い時間を考えれば、目撃者がいなかったのも、頷けるというものだ。おそらくは、亡くなった八人の中に、このマンションの住人がいたのだろう。だから、ここを選んだのだと舜は思う。恐らくグループのリーダー的な誰かが……。


 ――いや。


 別の考え方もある。自殺を促す人物がいて、その人物が、あえて山代美里亜がいるマンションを指定した可能性だ。茉莉華の自殺を止めて以来、急に校区内外の自殺が活発になった理由が、まさにそれのような気がするのだ。


「なあ、ひより。この生徒会長の事件も、もしかしたら、例の犯人によるものとは考えられないか? その犯人が自殺を煽動していると」


「そうだと思いますよ、天田さん。だって、そうでもなければ、ここ二週間で、二〇人近くの女子生徒が死んだりしないです」


 ひよりは確信しているようだった。やはり彼女は舜の知らない事実に辿りついているのだろうか。いや、それを考えるのは後だ。まずは美里亜の話を聞かなければ、前にも進めないし、彼女を救えないと舜は思った。


 エレベーターで三階につくと、ほどなく扉を開けようとしている部屋が目に入ってきた。ほっそりとした女性が、黒髪を後ろで束ね、舜たちに向かって軽くお辞儀をする。その部屋まで歩くと、部屋番号の横に「山代光二、友里、美里亜」とプレートが掲げられていた。美里亜は一人っ子か。それにしては、面倒見がいいなと舜は感心した。


「ごめんなさいね。本当はあなたたちを迎えに行かせたいところなんですけど、みぃは今部屋から出たがらなくって。中にいますので、どうか話を聞いてあげてくれませんか?」


 美里亜の母・友里の表情はかなりやつれていた。美里亜のことが心配で、夜も満足に眠れていないのだろう。目の下のクマがかなり目立っていた。舜とひよりは、彼女に言われるがまま、室内に入っていく。フローリングの床に白い壁。スリッパで歩く足音だけが、静けさに包まれた通路に響き渡っている。やがて目の前にクリーム色のドアが現れた。友里がノックをして、来客を知らせると、「どうぞ」と掠れるような声が部屋の中からした。その声に、あの凛とした覇気は感じられなかった。


「お邪魔します」


 二人が扉を開けると、一部を覗きピンク色で統一されたいかにも女の子らしい部屋の光景が飛び込んできた。もっとシックなイメージだっただけに、舜は戸惑いを隠せなかった。普段の分も、家の中では好きなようにやっているのかもしれない。生徒会長って大変だなと舜は思った。


「こんにちは、天田君、三島さん」


 一体どんな気持ちで美里亜は舜たちを見つめているのだろう。その漆黒の瞳で、何を見ているのだろう。青白くなった顔で、輝きを失った瞳を揺らし、山代美里亜は出ない声を張り上げるように言葉を発するのだった。

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