第24話 救われないものたち②

「大体の話は北野先生から伺いました」


 その言葉に、じっと声の主である舜を見つめる美里亜。彼女の象徴でもあるくっきりとした黒い瞳が、容赦なく舜を襲う。その冷ややかな視線は、まるで、野次馬のように群がる舜たちを非難しているかのようだった。


「そう。それであなたたち二人で、私の頭がおかしくなったかどうかの確認に来たわけね? 確かに発言だけを聞いたら、私の気が触れたと思われても仕方がないものね」


 溜め息混じりの美里亜の冷めた言葉に、焦りを覚える舜。心の何処かでその可能性も考えていたからだ。しんの強く理知的な彼女。しかし、そんな美里亜であっても、まだ高校生であり、一人の人間である。だから、彼女が間違った道を選んでしまうことも、十分考えられることだったのだ。


「い、いえ。そんなつもりではないです。ただ、一体どんな状況なら、美里亜先輩のいう状態で、人が宙に止まれるのか、考えてみたくなったんです」


 ――でも。


「自殺者が出たのに、いいえ、このラビエル学園で殺人事件さえ起こったというのに、あなたはまだ遊びや好奇心で、行動しているというの? そのあなたの過ちが、更なる犠牲を生むかもしれないというのに」


 舜を非難する彼女の厳しい眼差し。それを受け、狼狽えてしまう舜。


 ――彼女は違った。


 一つの事件で、自分を別の色に染めてしまうような、そんな弱い人間ではなかった。


 ――やっぱり手強いな。


 美里亜はやはり生徒会長の山代美里亜である。そして彼女の言う通り、確かにラビエル学園で自殺は起こった。間違いなく、殺人も起こった。でも、舜は何もしなかったわけではない。見て見ぬふりをしたわけではない。救えた命だってあるのだから。それが舜の背中を強く押してくれた。


「好奇心がないというと嘘になります。でも、決して遊びではありません。事件の謎解きをしなければならないと思うのは、あなたを暗闇から救いたいからです。解かなければ、あなたを救えないとわかるからなんです。美里亜先輩。僕はただあなたを助けたいんです」


 美里亜が正常なのか、異常なのか。事件の真実が、いずれは舜たちに答えを教えてくれるだろう。


「ねえ、天田君。あなたにそんな力があるの? 学園の事件も未だ解けていないあなたに、私の心を救うだけの力があるというの? ねえ、教えてよ。天田君。あなたの世界に、私が見えるの? あなたの目に見える私は、生きているの? 救いようのある人間なの?」


 舜の世界。その中に彼女はいる。でも、舜の知る美里亜は、もうこの世界にはいない。だから、彼女を助けなければ。暗く深い穴の中に落ち込んだ彼女に届くくらい長く、その手を差し伸べなければ。


「今の僕には、僕の知っている美里亜先輩は見えません。だから、僕はあなたに近づくしかありません。あなたが見えるように側に。あなたの声が聞こえるようにもっと近くに。だから、話して頂けませんか? その日何があったのかを。あなたがあなた自身の目で見た全てを僕らに」


 美里亜の漆黒の瞳が二人をとらえ、微かに揺れる。艶を失ったはずの長くまっすぐな黒髪が、目の前で大きく波打つ。


「後悔するわよ? 中途半端な気持ちで関われば、ただの火傷じゃ済まないわ」


 火傷? 後悔? 上等だと舜は思った。舜にとってそれは、むしろ望むところである。


「後悔は人生のスパイスだと僕は思います。何不自由なく思い通りになる人生なんて、何の面白味もない。それは人に感動を与えることはないです。そんな人たちに、他人の気持ちなど推し量ることは出来ないんです。そして僕らは、何の苦労もせずに生きてきた人間じゃあない。挫折と苦労を積み重ねてきた人間だ。だから、信じて下さい。この天田舜を、そして三島ひよりを」


「そんな大口叩いておいて、失敗して恥ずかしがっても知らないんだから」


 失敗をすることもあるだろう。悩むこともあるだろう。でも、その先に真実が、そして救いがあると信じて、舜は大きく頷くのだった。


「あの日、二年六組の教室で、美里亜先輩が僕を信じてくれたように、今、僕もあなたを信じています。だから、もう一度だけ、僕を信じて下さい。頼って下さい。男であるこの僕を。そしてあなたの周りの世界を!」


 見回りパトロールがなければ、彼女との出会いはなかった。一生彼女という存在に触れることなく、舜はその世界を終えていたはずなのだ。閉じこもっていた部屋の扉を開け、舜が再び表舞台に出られたのは、紛れもなく美里亜のおかげだった。だから恩返しがしたい。舜は幼いあの日から忘れかけ、心の奥底に仕舞い込んでいた人間性を、ここ数日で取り戻したのだから。


 舜のまっすぐな瞳を、真正面から受け切る美里亜。一瞬足りとも逸らすことなく一心に。


「大袈裟ね……」


 一度息を吐く美里亜。笑ってくれたら御の字だったが、彼女が舜たちに笑みを見せることはなかった。彼女の闇は、やはり真実を明らかにしなければ振り払えないだろう。


「でもね、天田君。言葉は口から離れた瞬間、重力の影響を受け、重みが出るものよ。その重みにあなたたちが耐えられるのか、あなたの世界が私を凌駕するのか、聞いて頂こうかしら。救われないものたちが見せた、終わる世界の調べをね」


 美里亜の声に、気圧される舜。彼女の知性に立ち向かうには、まだ足りないものだらけだ。気持ちもそう、知識だってそうだ。


 ――でも助けたい。


 再び彼女の笑顔を取り戻したいから。溌剌とした彼女の声を聞きたいから。だから、舜は彼女の世界に触れたのだ。


 ――そして。


 山代美里亜の口から、その日の事実が語られるのだった。


「私がその光景を見たのは、まだ早朝で、空がそっと白み出したくらいの時間だったと思う。ふと目覚めると、制服を着たままの女の子たちが、次々にこのマンションの屋上から飛び降りていたの。止めたくても実際に目にすると声も出なくて。私は震えながら、ただその光景を見ていた。きっと夢か何かなんだろうと思ってね」


 集団で屋上から飛び降りる以上、意図があるものだろう。もしくはみんなで話し合い、覚悟を決めた上でのものだったはずだ。


「同じ場所から飛び降りたからなのかしらね。下を見ると、制服を着た女子生徒が何人も積み重なるようになっていて、血だらけで、腕や足も他だってぐちゃぐちゃで、凄惨で酷い光景だった。そんな中、目の前に女の子の顔が現れて、ずっと止まっていたの。そして苦痛に歪みながらも、私を見てニッコリと笑ったのよ? ありえると思う? そんなことが。起こりうると思う? 人が宙で止まったまま、しかも私に笑いかけるだなんて? 私はね、まるで悪魔が死者の身体に乗り移ったんだと思ったわ。まるで次はお前の番だってでも言うようにね」


 それが美里亜の見た光景か。思いのほか深刻だと思った。それが仮に現実だとしても、幻覚だったとしても。どちらにしても、彼女が抱えているものは、舜の想像を遥かに超えていた。


 ――悪魔の仕業か。


 そんなことないと心の何処かで信じている舜。しかし、飛び降りた少女が、空中で静止し、窓の向こうの美里亜に微笑みかけるなんて、異常を通り越して、最早狂っている。それは世界を構成する諸々の法則を無視している。


「ずっと考えたの……」


 美里亜は考え尽くしたのだろう。


「ずっと悩んだの……」


 顔に皺が出来るほど悩んだのだろう。


「ずっとね……」


 苦悶に満ちた表情が、その耐えがたい心苦しさを証明していた。未だに布団から上体だけを出した美里亜。しかしその見える部分だけでも、彼女から得られる情報は計り知れなかった。荒れくすんでしまった肌、何層にも深く刻まれたように見える目の下のクマ。そして艶を失い精彩を欠いた長い黒髪に、痣まで出来ているように見える腕や首周りなど露出した部分の肌。彼女は今、どん底まで精神的にも肉体的にも追い詰められているのだろう。舜には彼女のいう光景が、少なくとも、彼女自身が嘘をついているようには思えなかった。


 ――だけれども。


 現実ではない。非現実的なものだ。答えがわからない。彼女の話だけでは、舜には全てを説明出来る解は何ひとつ浮かばなかったのだ。


 ――どうする?


 彼女にかける言葉が見つからない。彼女に大口を叩きながら、舜にはその答えが浮かばなかったのだ。舜の顔を蒼褪めていただろう。舜の唇は震えていただろう。そんな舜の肩に軽く触れるものがいた。三島ひよりだった。


「美里亜先輩、一つだけ質問があります。意味がわからなければ、そのまま聞こえなかったことにして貰ってもいいです」


 ひよりの顔は笑っていなかった。彼女の目は恐ろしく鋭かった。それは舜が初めてみる三島ひよりの表情だった。

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