第18話 救済せしオフィーリア
茉莉華と話さなければならない。
彼女がどういう理由で、その行為に及んだかはわからない。どんな手段を使ったかもわからない。そして何より、璃湖やゆゆに、どんな恨みを持っていたかもわからない。いや、そもそも理由はないのかもしれない。殺さざるを得ない状況に追い込まれたのなら、人は生か死か、そのどちらかを選択しなければならないのだから。
ーー違うよな?
信じたい舜。あの時の茉莉華は本当に怯えていたから。あの時の彼女が偽物だったとは思いたくなかったから。
ひよりとのデートを切り上げ、舜は、予めひよりが入手していた茉莉華の自宅を訪ねてみる。
茉莉華の家は、ラビエル学園から徒歩で十五分ほどの場所にある。両親とは一緒に住んでいないらしく、今はアパートで一人暮らしをしているそうだ。女子寮もあるはずなのにどうしてと思うが、他人と共存したいと思わない人もいる。舜の知る茉莉華は、そういう人間だった。
彼女のアパートを訪ねてみて驚く舜。何処か見覚えのある風景、見たことのある扉。まるで舜が一度この部屋を訪れたことがあるかのように、全てが記憶の片隅に残っていた。表札はない。しかし、ここが茉莉華の部屋であることを、舜の身体が覚えていた。
ーーピンポーン。
インターホンを鳴らす。反応はない。不在だろうか。念のためもう一度鳴らしてみる。しかし、舜が求めている反応は何もなかった。
――いないか。
そう思いつつも、ドアノブをあえて回してみる舜。
――カチャ。
何故か鍵がかかっておらず、ドアは簡単に開いてしまった。女の子にしては不用心だなと舜は思った。
――いや。
そうじゃない。鍵をかける必要がないから開けっぱなしなんだ。怖気が舜を襲う。案の定、玄関には彼女の靴が置いてなかった。使わない靴は全て備えつけの靴箱に収納され、部屋の中もまるで生活感がないように全てが片づけされていた。まるでそう、今日が終わりの日であるかのように。
「ここじゃない!」
瞬時に悟る舜。茉莉華はすでに準備を終わらせ、出発した後だったのだ。焦りが舜の額を冷や汗となって襲う。嫌な感じが全身に漂う。
――落ち着け。
部屋を飛び出す舜。
――落ち着くんだ。
走りながら、彼女の
――何処だ。
彼女は何処にいる? 駅前か? いつもの繁華街か? それともゆゆのいる病院か?
――否。
そんな場所に彼女はいない。全ては今日この日のための準備だ。
では何処だ。茉莉華は何処にいる。頭を回転させろ。彼女が行きそうな場所を。死を覚悟した彼女が最後に行わないといけないことを。
――わからない。
時間がないことだけはわかる。茉莉華に残された時間はもう余りないはずだ。
――自分を信じろ。
もっと自分を信じろ。茉莉華を理解しろ。茉莉華と一つになれ。茉莉華ならどうする。何を求める。自らの命をかけて何を行う? 何をすれば彼女は自分を救える? いや、何をすれば彼女は逃げられる? この悲劇の連鎖から。
――狙われるのがさ。
嘘じゃない。
――だったら次は私が殺されるんだ。
そう、彼女の言葉は嘘じゃないんだ。
――そうじゃないと収まりがつかないもの。
そう、彼女は事件に収拾をつけようとしているのだ。忌まわしい過去の全てにけりをつけるために。
舜の世界がぐるぐる回る。回る世界の中、舜だけが止まっている。舜だけが世界から取り残されているんだ。茉莉華は何処にいる? ひよりは何をしようとした? 璃湖は何故死んだ? ゆゆは何故生き残った? 何故学園で自殺者が出た? 屋上の大麻は? 教師たちの隠そうとしたものは?
――そうか。
そうだったのか。
あくまで一つの仮説である。しかし、舜にとってそれは最早確信だった。方法はまだわからない。だが、そうであれば全てに説明がつく。
舜はラビエル学園の校舎に向かった。
四階は、甘木璃湖が使った。
三階は、白石ゆゆが使った。
一階は職員室だ。
――ならば。
二階の旧二年七組の教室がその場所だ。
――間に合え!
全力で走る舜。
――間に合ってくれ!!
どうか、お願いだから。
――僕に彼女を救わせてくれ。
落下した『ハムレット』のオフィーリアのように、泥まみれの死の底に引き摺り下ろされる前に。
――お願いだから!!!
暗い校舎の中、舜の息遣いだけが聞こえる。足音は最早聞こえない。視界が揺れる。天井から剥がれ落ちるように、溶けていく舜の視界。あと一歩前に。もう一歩前に。もっと早く。もっと先に。茉莉華の元へ。
――そして。
滑り込むように、舜は二年七組の教室の扉に手をかけた。
――ガガッ。
開かない。引き戸のレールを見る。白くコンクリートで塗り固められていた。
――ゾクッ。
覗き窓を見る。
――ああ。
「先輩!」
椅子や机のない教室の中央で、金髪の女の子が、今まさに首を吊ろうとしている。長机を足元に置いて、天井から下ろされた輪っかに首をかけようとしていた。
――やばい。
扉に体当たりする舜。
――痛い。
何度もぶつかる舜。
――骨が折れる。
それでも舜は止めるわけにはいかなかった。彼女を失うことの痛みに比べれば、些細なことに過ぎなかったから。
舜に気づいた茉莉華は、奇声を上げながら長机から飛び降りる。茉莉華は泣いていた。茉莉華は怒っていた。そして茉莉華は別れを覚悟していた。
「死なせるものかー!!」
あの日の彼女の声を、手の温もりを、舜は失うわけにはいかなかった。
――ドッシャーン。
扉と共に教室に転げ落ちる舜。衝撃で割れた覗き窓のガラスが、舜の頬や身体の一部を切り裂く。もしかしたら、まだ突き刺さっているのかもしれない。でも、それでも舜は床を這いながら、彼女の元へ近づいた。
呻き声を上げ、口から唾液を垂らす茉莉華。
「やえでええええ」
止めないよ。
「こああいいえええ」
来ないでと言われても行くよ。
「あああああああああああ!?」
舜は床を這ったまま、その丸めた身体で彼女の足場を作る。上からぽたぽたと何かが落ちて来たのが舜はわかった。舜はそのまま血だらけのまま立ち上がり、彼女を抱き抱える。手足が震える。ドアへの体当たりで力が無くなってしまっていたのだろう。
――助けたい。
彼女を持つ手が離れそうになる舜。
――助けなきゃ。
ようやく茉莉華の首がかかっていたロープは、彼女から外れる。それを見て、舜は安心したように腕の力が無くなってしまう。
――ドサッ。
地面に仰向けに倒れる舜。そしてその上に馬乗りになる茉莉華。彼女の長く綺麗な金色の髪が、舜の顔にふわりとかかる。
「間に合った……」
舜は目の前で泣きじゃくる茉莉華を、優しげな目で見つめた。
「何で……」
前かがみになった茉莉華の目から、ポタッポタッと再び涙が零れ落ちる。
「何であんたが来るのよ……」
茉莉華は舜のシャツを両手で握りしめる。咽び泣きながら、そう何度も。彼女の涙は温かかった。それは彼女が生きている何よりの証だった。
「助けに来ました。先輩の騎士ですから」
「馬鹿っ……」
その瞬間、茉莉華の心は救われたのだろう。怪我をしている舜に構わず、力いっぱい抱きついてくる茉莉華。骨が折れたかと思うほど、忘れていた痛みが舜に押し寄せてくる。
信じたい。まだ彼女に理性が残されていると。
ーーまだ止めることが出来るはずです。
ひよりの言葉が頭に過る。そうだ。舜が助けなくて、誰が彼女を救えるというのだ。
「まだ間に合いますよね? 茉莉華先輩」
「もう……遅いの……」
「間に合いますよね?!」
「駄目なの……もう全ては動き出してしまったから」
全て? 動き出した? そんなことはどうでもいい。
「遅くない!」
彼女を抱き締める舜。首を振って否定しようとする茉莉華。身体を動かし逃げ出そうとする茉莉華。その細い身体を舜は更にきつく抱き締めた。
「聞こえますか? 僕の鼓動が」
――ドクン、ドクン。
「聞こえますか? あなたの胸の鼓動が」
――ドクン、ドクン、ドクン。
そして舜は茉莉華の目を正面からまっすぐに見つめた。
「遅くないんです。だって、まだ茉莉華先輩の心臓はこんなにも生きたがっている! 僕のだってそうです。僕の心臓は、あなたの明るい未来をこんなにも熱く求めている」
――ドクッ、ドクッ、ドクンッ。
「伝わりませんか? この温もりが。届きませんか? この想いが。僕は茉莉華先輩がこんなにも大切なんです!」
温もりよ、伝われ。
想いよ、届け。
そして命よ、燃えろ。
「もう……」
また茉莉華の目からは、無数の涙が溢れ出てきたのだ。
「これじゃあ、私は自殺しようとした惨めな女になっちゃうじゃない」
泣いている。泣き続けている。それでも彼女の顔は笑っている。
「惨めかどうかは、終わってみないとわからないですよ、茉莉華先輩。それに助けられたヒロインが、惨めなんて物語は僕は聞いたことがないです」
「本当にもう……馬鹿舜」
馬鹿になり、ピエロを演じる。それで人を一人救えるのなら、舜は何にだってなれると思った。
「ねえ、どうして死なせてくれなかったの? どうして楽にならせてくれなかったの?」
抱きついたまま、舜の頭の隣に顔を埋める茉莉華。意地悪な質問をしてくる茉莉華。彼女は何を期待しているのだろう。何を欲しているのだろう。舜はあえて逆に問い返すことにした。
「逆に聞きます。どうしてこんなことをしたんですか?」
茉莉華は何もしたくなかったはずだ。自ら命を絶つなんて絶対にしたくなかったはずだ。一体何が彼女をこんなにも追い込んだのか、舜は知る必要があると思った。
「こうするしかなかったの……」
「知っています」
「馬鹿っ……」
また強く抱き締めてくる茉莉華。その度に、舜の何処から血が噴き出しているのがわかった。
「ねえ、ちょっと舜君。これ血出過ぎじゃない……」
「ははっ、結構ガラスで切りましたからね」
ドアと一緒に床に叩きつけられたから、結構サックリいっているかもしれない。
「何処から出てるの?」
「自分じゃ見えないですから。先輩が見て下さい」
舜がそう言うと顔を真っ赤にする茉莉華。男の身体なんて慣れているはずじゃなかったのだろうか。茉莉華は看護師さんのように、じっくりと身体を見てくれた。
「ってか、喉切ってない?」
――喉?
「大丈夫……」
喉って奥に頸動脈あったよな。
「大丈夫って……えっ……ええっ?!」
傷の状態が思ったより深刻だったのだろう。茉莉華の顔色が一瞬で蒼褪めてしまう。せっかく赤らめた顔が見れたのに、と舜は残念に思う。
「もう大丈夫ですよ。茉莉華先輩……」
意識が遠のいていく。そこに騒ぎを聞きつけた教師たちがやってきて……。
――ああ。
ひよりがいる。弓那がいる。藤堂先生に、そして山代美里亜まで。
どうして泣くんだ。どうしてそんな悲しそうな顔をするんだ。まだ終わりじゃないのに。まだ始まってさえないのに。
――茉莉華を救わなきゃ。
本当の意味で事件を終わらせなければ、また被害が出る。そう、被害が。殺人が。また起こる。まだ何も解決していないのだから。見つけないと。そう、真犯人を。
だから、どうか、泣かないで。
泣かないで下さい。
それが天田舜の願いだった。
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