第11話 放課後パトロール③
カルキと入れ替わるように、教室の扉の辺りに、一人ポニーテールの女の子が立っているのがわかった。そしてその子は、もじもじしながらずっと舜を見つめていたのだ。
「舜君……」
声の主は汐莉だった。クラスメイトが何故か黄色い声を上げて、二人の関係を大袈裟にまくし立てようとする。ったくそんな関係ではないのにと、舜はまた大きく溜め息をつく。帰り支度をし、黒いショルダーバッグを肩にかけ、やがては舜は汐莉の側まで近づいていった。
「舜君、阿孫汐莉です」
「わかってる。何度も自己紹介はしなくていい」
目をキラキラと輝かせながら、汐莉は嬉しそうに頬を緩ませる。名前を覚えているだけでこんなにも喜ばれると、何だか調子が狂ってしまう。
「先日は、取り乱してしまいごめんなさいでした。私、あんな状況に出くわしたことが今までなくって、つい大声を上げてしまったんです」
「誰だってそうさ。それが普通の反応なんだから、何も気にすることはないと思うよ」
普通の人間が、短い人生の中で、他殺体や自殺の現場を目にすることなんて皆無に等しい。それが宝くじに当たるような確率でたまたま起こり、それをまた偶然目にしてしまっただけのことだ。ドラマやアニメの現場とは違い、本物の現場はなかなかに惨たらしい。声が出るのも自然なことだと舜は思う。
「良かったです。それでですけど、舜君。これから、是非、見回りのパトロールをご一緒したいのです」
「えっ? 誰と誰が?」
「私と舜君が、です」
驚いて言葉を失う舜。まだ犯人が捕まっていないこの状況下で、それを平然と汐莉が言ってのけたからだ。しかし、よくよく思いだせば、この汐莉とひよりと舜の三人で美里亜に指名され、パトロール部隊を結成したのも間違いないことだった。だから、彼女がその純粋な正義感から、それを実行しようとしているのも、何ら不思議なことでないのだ。
――だけど……ねえ?
タイミングがタイミングだ。そして何より二人っきりというのがまずい気がする。普段なら下校中の生徒たちに紛れることも出来るし、部活動の生徒たちが男女で歩いているのも違和感なんて何もない。しかし、今は学生といえる学生を見つけることのほうが難しい。そんな中、二人だけで歩くには目立ちすぎるのだ。
「今日は三島ひよりは一緒じゃないのかな? てっきり、見回りやるなら三人一緒にとばかり思ってたからさ」
「ひよりちゃんには先に帰ってもらいました。今日は私が当番です。よろしくお願いしますね。舜君」
――な、何故?
いつ当番制になった? 本格的な校区内の見回りとなれば、三人でも足りないはずなのに。クラスの女子たちがまた騒がしくなった。しまいには禁止されているスマートフォンで、写真まで撮り始めたのだ。このままではSNSに上げられ、既成事実にされてしまう。舜は慌てたように、汐莉の手を握って、教室の外まで連れ出すことにした。
「わかったわかった。とりあえず早くここを出よう。明日どんな噂をされるかわかったもんじゃないから」
「へへ、きっと良い噂になりますね、舜君」
――ならねえよ!
と言いたい舜だったが、そこは大人の対応で、喉から出てくる言葉をぐっと堪えた。
教室を出た後も、汐莉は予想通り、舜にべったりだった。最初一メートルほど開けていた距離も、気づくと五〇センチ、三〇センチとどんどん縮まっていき、しまいには白い制服の裾と彼女の薄ピンクのブレザーが擦れ合う距離まで来ていたのだ。彼女からは香水ではない、清潔感のある柔軟剤の香りが漂っていた。
「何か、デートみたいですね」
いつの間にか舜の袖を握っている汐莉。飲み物を口に含んでいたら、舜は危うく吹き出すところだった。
「いや、あくまでパトロールだから。汐莉、しっかり周りを見るんだよ?」
「はいです。この瞬間をしっかり目に焼きつけます」
ーー駄目だ、これは。
彼女は最初からパトロールが目当てではない。好意を抱いてくれるのはありがたいが、茉莉華と話した今、そして白石ゆゆのあの残酷な姿を目にした今、舜はとてもそんな気にはならなかった。
一通り、教室の見回りをしていく二人。見回りついでだ。舜は見ておきたい場所があることを汐莉に告げた。
「あのな。三年七組を調べてみようと思うんだ。だから、お前はここまででいい」
「三年……七組?」
「そうだ。三年七組。今はもうないクラスさ。そこで昨日ゆゆさんが首を吊っていた」
だから来なくていい。舜はそう言ったつもりだった。
「わかりました。現場検証ですね?」
気合いを入れ直したのか、何故か敬礼をする汐莉。どうやら、どこまでもついてくるつもりのようだ。
ーー大丈夫か?
また悲鳴を上げなければ良いが。少なくとも、演習室とは違い、人が死んだわけではない。だから、彼女の中では問題がないのだろうか。良くわからない子だなと舜は思った。
校舎の三階に上がり、一番奥の七組へと歩く二人。教室に近づくにつれて、舜は腕に違和感を覚えるようになった。あえて一度立ち止まる舜。舜の右腕を、ギュッと何か柔らかいもので押し付けられる。
「あのな、汐莉。怖いのはわかる。でも、お願いだから、僕の腕を胸で挟まないでくれないか?」
「へへ、こうしていると落ち着くんです。舜君と繋がっているみたいで」
「そうしてると怖くないのか?」
「はい」
溜め息しか出なかったが、舜は仕方なくそのまま歩を進めることにした。
警察により黄色テープが貼られていると思い込んでいたが、実際七組の扉には、入り口に立ち入り禁止と赤字で貼り紙がされているくらいだった。舜が壊したのだろう。入り口の扉は片方が外れ、もう片方は力で湾曲しているようだった。これは近々、備品代を請求されるかもしれないなと、舜はまた悲しい気持ちになるのだった。
入り口の燦にはコンクリートが歪に固まっている。舜が押し開けた跡だろう。木の床の擦り傷が、入り口から教室の中に向けて一メートルほど伸びている。
それにしても何故セメントなのだろう。もしかしたらモルタルなのかもしれないが、その違いなど舜にはわかるはずもなかった。
ーー閉じ込めるため?
いや、この場合、死体や現場の正確な発見を遅らせるためだろう。つまり、犯人は確実に時間をかけ、ゆゆを殺そうとしていたということだ。
ーー猟奇的に見せるため、ですよ?
嫌な言葉を思い出した。ひよりが嬉しそうに言っていたあの言葉をである。だから、あえて死体を閉じ込めたというのだろうか。だから、推理小説などで出てくる、所謂、密室を作り上げたと。
ーー馬鹿馬鹿しい。
わざわざそこまで手間をかけるということは、何かしらの目的や理由があるはずだと舜は思う。それがわかれば、密室の謎が解けるかもしれないと舜は思う。
教室の中に足を踏み入れる舜。教室の中はひんやりとしていて、中央にはゆゆのものと思われる染みが黒く残っていた。その真上には、そのためにつけられたであろう、大きなU字のフックが天井に突き刺さっていた。男性が首を吊ったのならば、おそらく抜け落ちるだろう。しかし、体重が四十ちょいしかなさそうな細身のゆゆだ。計算され耐えられるような物を選んだのだろう。全てが考え計算されている。そんな印象を舜は受けたのだった。
窓際まで歩いてみる。校庭側には、端から端まで八つほどの窓ガラスの対が並んでいる。左右どちらにも開く一般的な窓ガラスだ。
鍵はかかっている。舜が鍵を開け締めしても、どれも問題なく施錠・解錠が出来る。鍵自体が傷ついているだけでも、特別何か細工がなされたような跡もない。ガラスも至って普通の強化ガラスだろう。これに関してだけは割ってみないと舜にもわからないのだが。
「そういえば、よく小さい頃、小学校の窓の鍵を外から揺すって開けていましたよねー。私これでも中学に入るまでは、わんぱくな女の子だったんですよ?」
今でもこと一つの分野に関しては、汐莉は積極的だったりするわけだが、これも昔の名残か。しかし、確かに汐莉の言うとおりだ。小学生でも気づく簡単なことを、成長と共に舜は忘れてしまっていたのだ。
「つまり、それで外から中に入ることは出来るってことだね。もっとも三階や四階になると、そもそも外からというのが無理かもしれないけど」
「そうかもしれませんね。でも、逆は無理なんでしょうか?」
汐莉に言われて舜は何度か試してみるが、どうやら開けることにしか使えないようだった。
「単純なことだけど、一歩前進したような気がする。ありがとうな、汐莉」
舜が感謝を伝えると、汐莉はこの日最高の笑顔を見せてくれるのだった。
――しかし。
次の瞬間、汐莉の笑顔は、恐怖に陥れられたように歪むのだった。
「きゃあああああああーーーっ!?」
絶叫――。
「どうした、汐莉。何があった?」
目をかっ開き、口を大きく縦に開ける汐莉。顔を真っ青にして汐莉が指さしたのは、窓の外だった。
――ドサッ。
嫌な音がした。まるで何かが潰れてしまったような。
「今……見えたんです。窓の外に人が落ちるのを……」
汐莉は震えていた。舜は一番近い窓を開け、そこから下を見下ろしてみる。
――ああ。
校舎の下では、女子生徒らしき物体が、落下の衝撃でくの時に曲がっているようだった。目を凝らす。
――金髪じゃ……ない?
何処かホッとする舜。しかし、これが事件なら屋上に何かあるはずだ。舜は四階により、警察官に大声で声をかけ、一緒に屋上への非常階段を上って行った。柵のない屋上。そしてそこにはもう一人の女子生徒が……。
「君! 止めなさい!!」
警察官が声をかけた時にはもう遅く、女子生徒は身体を揺らしながら、地面に落下していった。遅れて聞こえる鈍い音。そして複数の女子たちの叫び声。
――まただ。
また人が死んでしまった。
何かが掴めそうだったはずなのに、舜は一瞬にして絶望の淵へと突き落とされてしまったのだ。
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