第26話 疑心暗鬼を生ず

 美里亜の部屋を出た後、舜はあえてマンションの屋上へと行ってみる。屋上へは立ち入り禁止と立て看板があったが、舜はそれを避け、勝手に上がったのだった。


 屋上は白いコンクリートで敷き詰められ、周りには落下しないように茶色い柵がしてあった。美里亜の部屋のあった場所はこのあたりだろうか? 舜はその真上と思われる場所に立ってみる。柵から下を見下ろすと、障害物などは何も見当たらず、落ちれば真っ逆さまに地面に叩きつけられるだろうと舜は思った。地面にしても、整地されたコンクリートだ。五階建てといっても、実際屋上は六階のようなものだ。およそ二五メートルも上から落ちたのでは、みんな即死だっただろう。周囲に木でもあればまた別だろうが、そんな都合の良いものは見当たらない。落下すれば確実に死が待っている。だからこそ、この場所が選ばれたのかもしれない。


 ――集団自殺か。


 SNSででも集まったのだろうか。それとも、強制的に自殺をしなければならなくなったのか。そう、ゆゆや茉莉華のように何者かに追い詰められて。可能性はあると舜は思う。ここ最近の市内の自殺者の件数は群を抜いている。やはりラビエル学園のあの屋上が全ての元凶である気がした。舜は、学園に向かうことにした。


 土曜日の午後ということもあって、学園には生徒たちの姿は疎らだった。午前中の補講も終わり、部活動が自粛されたままのようで、まだ学園に残っている生徒もみな制服姿だった。そんな中、校舎の入り口で壁に寄り掛かっている女の子がいた。


「お帰りなさいませ。舜君」


「汐莉か。心配かけたな。もう大丈夫だから」


「はい!」


 学園の中だというのに、汐莉は舜の腕に抱きついてくる。相変わらず胸を押しつけてくる辺りは小悪魔的だなと舜は思う。それにしてもまた一段と大きくなったような気がする。何にせよ、柔らかいものは正義だなと、舜は少しだけ顔をにやつかせるのだった。


 でも、ここから先は笑えない。弓那に報告ついでに、色々と情報を聞き出さねばならない。職員室には他の教師たちもいる。その中には大麻の栽培に関わっているものもいるかもしれない。そして一連の事件の犯人がいるかもしれない。舜は最大限の用心が必要だと自分に言い聞かせる。もう遊びじゃない。相手は大人だ。もし彼らが犯人なら、舜の一つのミスが命取りになる恐れがある。少なくとも――そう少なくとも甘木璃湖は殺害されたのだから。


 職員室に立ち寄り、一際目立つ弓那の元へ行く舜と汐莉。美里亜との話の流れを説明すると、ひよりに対して頭を抱えた様子だった。


「まったく、あの子はどうしていつも暴走するのかしら。頭の回転が速すぎると、見えないものが見えてしまうのかしらねえ。それだと山代さん酷く怒ったでしょう? でもね、天田君。あの子が怒るということは、もしかしたら何か図星だったのかもしれないわ。きっと言われたくないことを言われたのでしょうね」


 そうなのだろうか。だとするとそれはどの言葉だ。美里亜が一番反応したのは何に対してだった?


 ――思い出せない。


 それほどに彼女の声も目も、舜の存在さえ目に入らないほど、ただまっすぐにひよりへと向けられていた。


「それで北野先生。他の先生たちには内緒でお願いしたいんですが、甘木先輩と白石先輩、そして喜多川先輩の事件の時、誰が校舎に残っていて、フリーだったか知りたいんです。特に事件が起こった時間付近の」


 舜の言葉に、顔色を変える弓那。それはそうだろう。これは全員を容疑者扱いする宣言でもあるのだから。


「もしかして、君はのかしら?」


「いいえ、正確に容疑者を絞りたいんです。誰も事件には関わっていないのかもしれません。でも、誰かが全てに関わっている可能性だってあるんです。だから、先生。あなたの知る限りで結構です。どうか、教えて頂けないですか?」


 周囲を見回す弓那。職員室はガヤガヤしていて、彼女の声は他の教師には聞こえなさそうだった。


「あなたの考えはなかなか良い線をいっていると私は思うわ。でもね、天田君。一つ大きな問題があるの。少なくとも、甘木璃湖さんが亡くなった時間帯と、喜多川茉莉華さんが自殺しようとしたあの二つの時間帯は、およそ一時間前から教員全員参加の職員会議が行われていたの。確かに白石ゆゆさんの事件の時は、教師は私と藤堂先生くらいしか、学校には残っていなかったと思うけど。だからね、あなたの考えは少し的外れかもしれないわ」


 ――えっ?


「でも、一人くらいトイレに立ったりしましたよね? 五分くらい会議を抜け出した人がいましたよね?」


「流石に重要な会議だったから、誰一人終わるまでは抜け出したりはしていないわ。それはこの学年主任である北野弓那が保障するわ」


 ――そんな……。


 少なくとも、教師の中に犯人がいるなら、四、五人には絞られると舜は考えていた。しかし、実際は逆に否定されてしまうとは……。これでは犯人は生徒の中にいることになる。そしてそれは少なくとも七大天使を始め、近しい人間であるはずだ。


 ――誰だ。


 一体誰なんだ。ここに来て、冷や汗が流れてきた。それは隣にいる汐莉だって、十分に容疑者なのだとわかったからだ。


 ――それはないよな?


 こんなに舜に対して好意を剥き出しにしている汐莉。でも、全てが演技だったら? 最初からずっと舜の動きを監視されていたとしたら? 今、こうして隣にいるのも、舜を殺すためだったとしたら?


 寒気がした。背筋がゾクッとし、舜は汐莉の顔を見ることが出来ずにいた。


「どうしたの、天田君。顔色悪くして。先生が保健室に連れていこうかしら?」


 弓那の魔性の微笑も、今は恐怖の前にかき消されてしまう。いや、汐莉だけじゃない。それだけはないと思っていたあの三島ひよりだって、犯人の可能性はあるのだ。だからこそ、彼女はあの日茉莉華に近づくことが出来た。


 ――誰だ。


 白石ゆゆの事件の時、あえて近づいてきた吉良梨乃葉。あの事件の時、舜は確かに校舎の下を確認したはずだ。だから、事件の前後で、彼女が速乾性のコンクリートのキットを拾えたはずはない。でも、その他の事件の時、もし彼女が学園にいたのなら、度の事件にも関われたと舜は思う。


 ――誰なんだ。


 山代美里亜だってそうだ。彼女こそ、たった一人、自由に動けた人間じゃないのか? 少なくとも、彼女はあの日、学園にいて、最後まで残っていたのだから。


 ――残っていた人物?


 舜は凍りついた。冷静になれば、あの日、最後まで学園にいた人物の中に、犯人がいる可能性が高い。いや、間違いなくそのはずだ。あの日いたのは、放課後パトロール部隊を結成したばかりの舜と三島ひより、阿孫汐莉、そして生徒会長の山代美里亜に、生徒会役員の白石ゆゆ。教師では、二年の学年主任の北野弓那に、舜の担任である藤堂大吾。


 


 そしてそこから教師二人が除外され、白石ゆゆも当然除外される。だとしたら、そう、だとしたら、舜はその結果に絶望した。


 


 震える身体を、弓那が抱き抱えようとする。倒れそうになる舜を、汐莉が必死で支えてくれようとする。心配する声が聞こえる。泣きそうな声が耳に響いている。でも、全部ウソかもしれないのだ。


 だって、犯人はかもしれなかったのだから。


 ――信じたい。


 でも、舜は璃湖の事件の時に、彼女がひよりといつ合流したのかを知らない。


 ――信じたい。


 ゆゆの事件の時、彼女を見た記憶がない。


 ――信じてあげたい。


 茉莉華の事件の時も、舜は彼女を見てはいない。


 ――ああ。


 その考え方でいくと、やはり、三島ひよりは白か。だとすると――。


 指先が震え、それは身体中に達した。


 ――か。


 それが、今の舜が辿りついた答えだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る