第27話 戦慄のイェレミエル

 あれから舜は気持ち悪くなってしまい、結局保健室に行くことになった。教師らしく弓那が連れていこうとしてくれていたが、流石に健康的な男子高校生の体重だ。汐莉と二人でも厳しそうだった。それに気づいたのか、担任の藤堂が、舜の肩を担ぎ、保健室まで連れていってくれた。眼鏡で誤魔化されているが、なかなか良い身体をしている。学生時代はスポーツマンだったに違いない。


「何かあったのかい? 君らしくないじゃないか」


 保健室のベッドの上で、仰向けに寝そべる舜。冷や汗を隠すように、舜は自らの腕で、その目と額を隠した。それでも、口から溢れ出てしまうのは、溜め込んだ思いの数々。舜は、誰かに話さなければ、自分の自我を保つことが出来なくなっていたのだ。


「そうか。そんなにも君は追い詰められていたんだな。気づいてあげられなくてすまなかった。もし、先生たちが犯人だったら、こんなにも苦しまなくて済んだんだろうに」


 それはそれで問題発言だとは思うが、彼なりの励ましが舜には嬉しかった。


「先生が謝ることじゃありません。悪いのは、この状況を作った犯人なんですから」


 そう、全ては璃湖を殺害し、他のみんなを自殺させた犯人のせいだ。


「先生もな、以前部活の顧問をしていたりしたんだが、ある事件をきっかけにね。色んな人を疑うようになって、結果、顧問を降りてしまった。学校で教師をする以上、何も起こらない年のほうが少ないからね。だから、そうだな。考え方を一つ変えてみたらどうだい?」


「考え方……をですか?」


「ああ、そうだ。君は今犯人を探そうとしている。それでは疑心暗鬼になってしまうだけだ。そうではなくて、一度、それぞれが犯人じゃない証明、つまり身の潔白を証明してあげたらどうだろうか? もし、とことん調べて、それでも潔白が証明されないようなら、それこそが答えなんだから、君は素直にそれをその人物に告白するといい。あなたが犯人だってね」


「なるほど。そういう考え方もあるんですね」


 あの二人が犯人ではない証明を、舜には出来るだろうか。彼女たちを最後まで信じてあげることが出来るだろうか。優しくて甘え上手な汐莉。傷つきながらも自分を見失わない強い美里亜。しかし、今はその二人の手が血で汚れてしまっているようにしか見えない。それほどに舜は、この事件の犯人に恐怖している。


「でも、どうしたら彼女たちことを信じられるのでしょうか。僕にはその方法がわからないです。藤堂先生」


 一度色に染まった生地が、二度と無色にならないように、舜の心は今どす黒く染まってしまっていたのだ。


「そうだな。じゃあ、こう考えたらどうだい? 君が彼女たちに何をしてもらったのか。そのして貰ったことを思い出したら、きっと彼女たちの無実を信じたくなるんじゃないかい? 君はこれまで一人で生きてきたわじゃない。この事件に関しても、君は沢山の人たちに助けられ、支えられてきたはずだ。だからこそ、君は今無事に生きて、僕の目の前に寝転がっている。きっと彼女たちにも、君は助けられたんじゃないのかい? 君は彼女たちの言葉に救われたんじゃないのかい? だから、信じてあげてくれ。彼女たちは、ただ純粋で穢れをしらない雛鳥なんだから」


 雛鳥か。優しい表現だなと舜は思った。きっと藤堂は家では優しいパパなのだろう。


「だったら先生は、親鳥ですね。雛たちのことを全部わかっているんだから」


「たははっ、胸を張ってそう言えるといいんだがな。あいにく僕は、君のクラスでは有名な駄目教師だからな」


 苦笑する藤堂は、まるで舜の分まで痛みを背負おうとしてくれているようだった。


 ――そんなことはない。


 駄目教師なんかじゃない。だって彼は、舜のぼろぼろになった心を、優しく癒してくれたのだから。


「どうだい? 少しは楽になったかい?」


「はい。先生の優しさや温かさが、身に沁みました。先生が誰に対しても、こんななら、すぐクラスの人気ものになるのに、どうして先生は、自分を押し隠しているんですか?」


 彼が本気になれば、学園一の人気教師になるだろう。


「人気ものになるために、教師になったわけじゃないからな。僕には静かに君たちの成長を見守るほうが性に合っているよ」


 良い教師だ。舜のクラスには勿体ないくらいに。でも、そんな教師が裏で支えてくれていることが、舜には何より心強かった。舜は不思議と笑っていた。彼の声が心地好くて、その笑い声が眩しくて。雲間から光が漏れたように、今、舜の心を明るく照らして出してくれていた。


「そうだ、いい笑顔だよ、天田君。人を疑うより、信じる方が楽だと思わないかい? だったら、最後まで君の仲間を、そしてこの学園の人たちを信じてあげてくれ。先生から唯一言えることはそれだけだ」


 その縁なし眼鏡の奥の優しげな目が、舜の不安を、今完全に取り去ってくれたようだった。


「こう言ったら失礼かもしれませんが、今日の先生は最高にカッコいいですよ?」


「何だそれは。それじゃあ普段の僕が頼りないみたいじゃないか」


 可笑しそうに笑い合う二人。今ここには確かに男の友情が芽生えたような気がする。舜にもし兄がいたら、こんな風に笑い合えただろうか。そのベビーフェイスに、今舜は魅了されていたのだ。


 ――そう。


 だからこそ、舜は彼を信じ、ある質問をしたのだ。


「藤堂先生、教えて下さい。あなたは屋上で大麻が栽培されているのをご存知ですか?」


 少し長い髪をかき揚げ、そっと眼鏡を外す藤堂。彼の素顔は凛々しく、まるで少女漫画の王子様のようにキラキラしていた。


「ああ、知っているよ。あれはこの学園のの一つだからね」


「資金源……ですか」


 外した眼鏡を眼鏡拭きで優しく擦る藤堂。彼は今舜に真実を教えてくれようとしていた。


「そう、それに触れないこと。この学園の教師たちの中では暗黙のルールだ。知っているかな? この私立学園の教師たちの給料は、公務員より遥かに良いことを。だから、みんな黙っているのさ。公務員や塾教師を追いやられたならず者には、この学園に居続けることが、最大の幸福だからな」


 確かに他の高校よりも学費は高い。それは教師として優秀な人材が集められているからだと舜は思っていた。


「つまり、学園として、大麻を売りさばいていると? 平然と法を犯す行為をし、それを黙認していると?」


「そういうことになる。実に悲しいことだがな。先生たちは何も出来ないのさ。とはいってもまあ、それを知る教師は数少ないがな。でも僕のようにそれに気づく教師もいる。そしてその過ちを叱責し、この学校を追われたものは少なくはない。その後どうしているのかは噂話さえ出てこなくなっているがな」


 冷めた口調で語る藤堂。彼もまた一度は追及しようとしたのだろう。だからこそ、彼の表情には深い悲しみがある。


「誰が作らせているんですか? 実際に栽培しているのは、かつての愛ドールのメンバーだと聞いています」


「流石は天田君だな。元凶は理事長さ。理事長は元々文科省のお偉いさんで、その天下り先がこのラビエル学園だったんだ。彼は何よりお金に貪欲な男でね。ただ経営をするだけでなく、私腹を肥やそうとした。その一つが大麻であり、かつてのアイドル学園計画だったりもしたわけだ。しかし、あんな事件が起こったからね。理事長も最早アイドルへの興味は薄れ、彼が自ら裏で手を回すこともなくなった。それで今は大麻だけを裏で流通させているというわけだな」


「そんな酷い人間が理事長だなんて、先生も良くついていっていますね」


「言っただろう? 僕は一度目をつけられているからね。ただ余生を大人しく過ごすだけさ」


 藤堂が目立たないようにしている理由はそれだったのか。理事長に対する怒りが沸々と湧いてきた。


「警察が来た時、どうして屋上で大麻が見つからなかったか、わかるかい? あれはな。警察にもその汚れた資金が流れ込んでいるからなんだ。国家権力さえ味方にしているあの理事長なら、黒も白に変えることが出来るだろうな」


 だから、事件が起こっても、表沙汰にならなかったのか。そして今でさえ、自殺報道は法則性などは見出されることなく、ただ淡々と報じられているだけだ。


 ――汚い。


 やり方が汚いと舜は思った。大人が全て汚れているとは思わないが、少なくともこの学園に関係する大人たちは、人間じゃないと舜は感じた。もちろん、藤堂や弓那のように、真っ当な大人もいるのだけれど。それが舜たちがこの学園に在籍する上で、唯一の誇りだと思った。


「じゃあその理事長が、自殺を煽動しているんですか?」


 舜の問いに慌てたように首を左右に振る藤堂。


「いや、あの人は私腹を肥やすことは喜んでするが、自らの立場や学園を陥れるような真似はしないはずだ。だからね、僕も何かあると思っているんだよ。この学園の何者かが、道連れにするように自殺者を増やしているんじゃないかってね」


 ――道連れ。


 嫌な言葉だ。舜は思わず溜め息をついてしまう。でも、ここまで殺人ではなく自殺者が出ているということが、藤堂の考えが正しいと錯覚してしまう原因でもある。本当に誰かが道連れにしようとしているとしたら、その人はいつ死ぬんだ? 何を達成出来たら、自らの命を絶つんだ? わからない。自傷行為さえしきれない舜には、その立場の人たちの気持ちはわからなかった。


「他に何か、先生は気づかれたりしていませんか? 僕らには見えないことが先生にはわかったりしないのかなと思って」


 普段から生徒たちの動きを良く見ている教師だからこその視点や意見を、舜は聞きたかった。


「そうだな。僕らはいつも不毛な会議ばっかりだからね。しかも事件が起こってからは尚更回数が増えた。だから、君たち以上に気づくことなんてないに等しいのだが……そうだな……君が知らない情報となると、事件前に第二演習室に、工事の業者さんが入ったとか、ああ、でもそれは僕が使いやすいようにするためだから君には関係ないか……他に……ううむ……何かあるかな……」


 胸の前で腕を組みながら、目を閉じて考え事をしてくれる藤堂。何も出なくていい。こういう生徒に近い先生がいてくれることが、舜には何より嬉しかったのだから。やがて、小膝を打ちながら、藤堂が舜をまっすぐに見つめたのだった。


「ああ、でも、気のせいだと思うんだけどな。あの茉莉華ちゃんが自殺しようとした時、君が助けに入ってくれた後だったと思うんだけど、あの場所に気がするんだ。あれは誰だったかなー。思い出せないんだけどね」


 ――どういうことだ?!


「いないはずの人? 先生、それはどういうことですか?」


「うん、そうだな。。そんな感覚だった」


 鳥肌が立った。ゾクゾクと背筋が凍り、血の気が一気に引いていった。


 ――何だ。


 何なんだ。


 ――この学園は一体何なんだ?!


 もう全てがぐちゃぐちゃで、答えなんてなかったかのように、舜は一人地面に叩きつけられる思いがした。そう、最初から答えなんてなかったのかもしれない。璃湖の事件だってそうだ。あんな密室、人間に可能なはずはない。でも、もし、死んだ人間が本当に生き返っていたとしたら。いや、死んだ人間が復讐を行っているとしたら。全てに納得がいくような気がした。殺人にしても、自殺にしても、この学園で起こった全てのことが。


 ――


 自ら歩くウィキペディアと名乗ったカルキとの会話を思い出す舜。あの時舜は、七大天使が必ずしも七天使ではないことを知っていたはずだ。そう、最初から舜はわかっていたはずだったのだ。


「東方正教会では、使とされることがあるか」


 死者が生き返っているとは思わない。でも、それが事件の鍵を握ることを、今舜は思い知らされたのだった。

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