第3話 放課後パトロール部隊

 放課後、校舎四階にある第二演習室に集められた舜。十平米ほどの広さの部屋には、既に女の子が二人、ホワイトボード付近の前寄りの座席に座っていた。舜は二人の席から三列ほど離れた後ろの席に座る。その瞬間、前の女の子の一人が、物珍しいのか、何度も舜の方を振り返るのだった。


「あれ、舜君もなんですね……えっと……よろしくです」


 白く細長い首筋が目立つポニーテールに、猫みたいな真ん丸お目目。その上に細い眉が申し訳なさそうに乗っているから、どこか気弱な印象にさせている。一体誰だったろう。舜には彼女の名前が思い出せなかった。どこかで見覚えはあるはずなのだけれども……。ただ、一つ言えることは、彼女は小動物のように可愛らしく、薄ピンク色のブレザーが物凄く似合っているということだ。


「彼女は阿孫汐莉あそんしおりちゃん。あなたとは中学一年の時、同じクラスだったはずですよ」


 もう一人の女の子が、机に顔を埋めたまま、ぼそりと呟く。ああ、阿孫か。珍しい名字で、成績も優秀だったのを舜は思い出す。でも、あの頃はまだ地味で、たまにクラスの子たちに陰口を叩かれたり、イジメまがいのことをされたりしていたから、舜がその子らを怒鳴り散らした記憶がある。


「ああ、あの阿孫さんか」


「そ、そ、そうなのです。お久しぶりです、舜君。あなたに会えない間に、私、こんなにも成長したんですよー? だからもう汐莉って呼んで下さいね? ねねっ?」


 「だから」と言ってあえて下の名前で呼ばせる意味が舜にはさっぱりわからないが、汐莉はかなり上機嫌な様子で、浮かれたように隣の女の子に抱きついていた。そして彼女はすぐに、舜の方に体ごと向けると、大きな目をキラキラ輝かせ、両腕でその膨らんだ胸を持ち上げるように挟み込み、プニップニッと何かをアピールしようとする。顔はもちろんのこと、中学の時とは違い、身体も十分過ぎるほど大人になっているようだ。


 ――しかし、でかいな。


 目のやり場に困ってしまう舜。彼女がやりたくてやっているのだろうが、そのまま見続けると、セクハラ扱いされかねない。舜は慌てて汐莉から視線を逸らし、その攻撃から逃げるように話題を移す。


「それで、そこで顔を埋めている物知りなあなたは一体誰なんだい?」


 大した興味はない。それでも彼女から発せられるオーラが、ひどく不気味に感じられたのだ。舜の問いかけにムクッと顔を上げ、座ったままその場で背伸びをする女の子。髪はサイドテールに茶色のシュシュをくるくる巻きつけ、綺麗にまとめられていた。そして、ゆっくりと舜を振り向いたのだった。


 ――あれ、可愛い。


 パッツン前髪から見える目は、少し寄り目ではあるが、瞳が大きく潤むように光っている。化粧毛はないが、自然体でパーツそれぞれが可愛らしく見える。


「もしかして、新しいナンパの方法か何かでしょうか? 天田舜さん。それに、私に彼氏がいないように見えたってことですよね?」


 顔を舜に向け、下から覗き込むように見てくる女の子。その瞳が、舜の心を責めるように突き刺してくる。


「いや、ナンパとかそんなんじゃないし。てか、い、いるのか、君には彼氏が。何かごめん……」


 どうしてこちらが悪いのかわからないが、舜は謝るしか他になかった。これだけ顔立ちがしっかりしているのだ。見た目だけでいえば、引く手数多だろう。


「なーんて」


 ――ん?


「ふふっ、実は彼氏なんて一人もいないのですよ。だから、天田舜さん、ですよ? えへへへっ」


 その女の子の答えに閉口してしまう舜。何がどうチャンスなのか、細かく問い質したいくらいだ。しかし、一瞬にして彼女に手玉に取られた感じだ。何者だ、彼女は。美里亜とはまた違った凄みが彼女にはあった。


「ちょっとー、ひよりちゃん。抜け駆けは狡いよー。私だって、ずっとフリーなんだからね? ねねっ?」


 ――何だ。


「えへ、抜け駆けじゃないけど、彼の驚いた顔、可笑しいでしょ? 何か可愛いよね」


 ――一体何だ。


「はい、舜君のこういう顔も、私、嫌いじゃないですよー」


 ――何が起こった?


「男の人って本当可愛いよね、へへっ」


 二人して可笑しそうにキャッキャ言っている。


 ――何だ、この恋愛ゲーム展開は。


 おそらく誰か他の男子と勘違いしているのだろう。そうでなければ、女の子たちの好意を、この天田瞬がいっぺんに受けるはずがない。そう考えると、舜の乱れた心は、ようやく落ち着きを取り戻した。髪をかき上げ、疑問を口にする舜。


「それで、そろそろ君の名前を教えて欲しいな。一応、僕がこのパトロール部隊のリーダーだからさ」


 舜がそう尋ねると、女の子はすぐに口許を緩めてくれた。


「はいです。私は二年生の三島ひよりです。初めまして、天田舜さん」


 ――三島?


「ああ、よろしく」


 ――ひよりだって?


 三島ひより。この学園で彼女の名前を知らぬものはいないだろう。それは生徒会長の美里亜を知らないものがいないのと同義だ。何故なら彼女はーー。


 ――!!


 突如、通路側から女性の悲鳴が聞こえた。絶叫。まさにそんな感じだった。舜はすぐに立ち上がって演習室の扉まで走る。扉は横開きタイプで、中央より上に四〇センチ四方の覗き窓がついている。その小窓から見える通路の右で、女の子が尻餅をついているのがわかった。


「大丈夫かっ?!」


 扉を開け、慌てて女性に駆け寄る舜。その特徴的なツインテールが、まるで恐怖を物語るようにブルブルと震えている。廊下で顔を真っ青にしていたのは、あの七大天使ゆゆだった。


「そ……そ……」


 言葉にならないのか、その小動物のような口をぱくぱくさせている。しかし、その細い指先は、さっきまで舜がいた演習室の隣の部屋を指していた。


 ――第二演習室。


 ごくりと生唾を飲み、ゆっくりとその扉の小窓を覗き込む舜。


 部屋の中は夕方というのに薄暗く、カーテンが完全に閉められている。その部屋の中央には、白い長机が三つほど集められ、何かを奉っているようにも見えた。


 ーーああ。


 長机の上には、制服姿の女の子が仰向けになっている。彼女の身体には、上からまっすぐに


 ――何で。


 扉を開けようとする。しかし、その扉は横にずらしても、何度力いっぱい動かそうとしても、開くことはなかった。


「何で開かないんだ!? ゆゆさん、他に入り口はっ?!」


 ゆゆは怯えた様子で動かない。そこにビクつきながらも、ひよりと汐莉が顔を出してきた。


「中で人が倒れている。他に入り口は?」


 汐莉は目を丸くし、驚いたように右手で口許を隠す。ひよりは表情一つ変えずに、扉の状態を目で追っている。


「入り口から入れないのでしたら、後は外の窓から入るしかありません。でも、ここは四階ですから……天田さん」


 ――わかっている。


 そう、そんなことはわかっている。だから、この部屋がきっとだということも嫌でも理解している。


 ――でも。


 まだ間に合うかもしれない。まだ生きているかもしれない。だって、人はそう簡単には死ねないのだから。


 扉を殴る舜。蹴り上げる舜。そして体当たりをする舜。何度繰り返しただろう。やがて扉は変形し、ついには部屋の中へ倒れ込んでいった。それと同時に転げ込んでしまう舜。痛みで立ち上がることが出来ない。顔にかかる長い髪を、今ほど鬱陶しく思ったことはなかった。


 ひよりがスタスタと中に入って、そのまま仰向けの女の子のところまで歩いていく。脈を取っているのだろうか、その表情に恐怖の色はなく、ただ恐ろしいほどに無表情だった。


 ――どっちだ。


「あなたの頑張りは無駄じゃなかったと思いますよ? 天田さん。だって、少しでも早く、彼女はを、他人に確認して貰うことが出来たのですから」


 ――ああ……。


「残念ながら、彼女はもう亡くなっています」


 ――駄目だったか。


 興味半分で現場を覗いてしまったのだろう。やがて汐莉が上げた悲鳴が、いつまでも舜の耳に残り、心まで血のように赤く、そして黒く染めていくようだった。










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