第20話 消せない過去②

 ――えっ?


 背筋が凍りついた。目を細めて聞いていたその表情も一瞬で強張ったかもしれない。


「あははっ、今すごい顔したね、舜君。でもね、今でこそ、よくそんなこと出来たなって思うんだけど、あの時はもう世界の終わりだって感じにみんな追い込まれててさ。せめてあいつらを刺殺して、その後みんなで自殺しようって思ってたんだ。だから殺す気で、刺したんだけど、人間ってさ、簡単に死なないんだね……反撃に遭って首絞められたりもしたし、お腹蹴られたりもしたし酷い有様だったなあ……」


「それでその後どうなったんです?」


 舜は恐る恐る尋ねてみた。その絶望的な惨状からどうやって、今の学園生活を送れているのか気になったからだ。


「それがね、機転を利かせた璃湖が、すぐに救急車と警察呼んでさ。到着した隊員や警察官に泣きながらさ、『ナイフで脅され、四人とも犯されそうになった』『奇跡的に武器を奪って、何とか反撃した』『殺されるかと思った』って言うわけよ。わざと服も脱いでいたし、やっぱり弱いもののほうを信じるじゃん? それにその部屋から、複数のビデオや覚せい剤や大麻が押収されたこともあって、結果的に私たちは正当防衛ってことになったの」


 一体どうやって男たちを倒せたのかはわからないが、その光景を想像して、舜はただぞっとするのだった。


「でもさ、それでハッピーエンドってならないのが現実なんだよね。事件が表沙汰になるとさ、学園からも呼び出しあるわ、男子共からAV嬢扱いされるわでさ、DOLLの四人に対する誹謗中傷が凄まじかった。学園内だけじゃない。他校の生徒たちまで私たちを見に来るようになって、ヤリマン、ビッチって酷い扱い受けてさ。登下校中の私たちの身体を触って逃げる奴らとか、何か液体かけていく奴らとか、一つの地獄だったと思う。まあ、私はさ、見た目がこんなだから、まだ被害は少なかったんだけどね。それでも璃湖やゆゆ、そして愛に対する仕打ちは残酷だった」


 息継ぎをするように溜め息をつく茉莉華。ある種の度を過ぎたいじめに、舜は戦々恐々とした。


「やっぱり女の子ってさ、一度傷ついたり、汚れたりすると、ずっと引きずっちゃうんだよね。だからかな、間宮愛まみやあいは自分が許せなくて、そして仕打ちに耐えられなくて、あの三年七組の教室で首を吊って自殺したの。窓の鍵をかけて、そして入り口のドアを、教室にあった白い木工用接着剤で固めてね」


 ――そういうことか。


 だから、璃湖もゆゆも、そして茉莉華も、同じような状況で命を落とそうとしていたのか。それが誰かの意図によるものか、それとも彼女たちの意思だったのかは、今はまだわからないけれども。


「それで、茉莉華先輩も、死のうとしたんですか? 愛さんに続こうと。自らの意思で?」


「自らの意思……そうね。確かに私の意思だったんだと思う。それでも、普通の精神状態だったら、そんなことは考えもしなかったと思う。進んで死にたいやつなんて、やっぱいないじゃん? みんな死ぬのが怖いんだ。生きるのも怖くて痛くて、しんどくて悲しいことばかりだけど、やっぱりそれ以上に死ぬのは怖い。でもさ、そんな時に、逃げ道があると人間って、そっちのほうに流れちゃうんだよね。それが手紙と大麻の錠剤の入ったあの箱だった」


 ――ああ。


 あの夜、彼女が黒いミニバンの男から受け取っていたものか。やはりあれが、事件の元凶か。


「これを飲めば楽になるからってさ。優しく書いてあるわけよ。特に私たちみたいに一度薬を覚えている身体だとね、駄目だと思っててもさ、やっぱり使っちゃうわけよ。それでさ、気持ちいい気分のまま、その手紙を見てたらさ。いつのまにか、その指示に従ってた。そんなことあるかって思うでしょ? でもね、追い込まれた人間はさ、みんな救いを求めちゃうのよ。だから、私も死のうとした。それに――」


 言葉を止めてしまう茉莉華。今まで平然と話していたのに、今この瞬間だけは、明らかに躊躇っている。その理由がこの事件の全てである気がして、舜は聞かざるをえなかった。


「それに?」


「うん……それにね。このSDが一緒に送られてたの」


 そう言って舜にスマホの動画を見せる茉莉華。それは正に彼女が言っていただった。薬で意識が朦朧としながらも、泣き叫ぶ女の子たち。それでも止まらない男たちの衝動。映像の中で目の前の茉莉華も、カメラを見ながら苦悶の表情を見せていた。それはその行為があったことの何よりの証明だった。


「これ見たからだろうなあ、私、もう生きる気力がなくなっちゃった。これが広まれば、今度こそ私の人生は終わりだなって。それどころか、私に関わった人間みんなを不幸にしちゃうなって。だから、私は、あんたの言うとおり、自らの意思で、自殺をしようとした。何であんな部屋にしたのかって? それはね、映像を流出させない条件が、ああいう部屋にすることだったの。どうせ死ぬって決めたら、もうどうでも良くなるじゃん? だから、せめて私が死んだ後も、私の周りの人たちがこの映像を見て、傷つかないように、色々言われないように、私は自らの命を絶とうとしたの」


 ――そうだったのか。


 不自然な自殺には、自殺に追い込まれるだけの理由があったのか。茉莉華を知りつくし、彼女を追い込むだけの材料を持っていた犯人。いいや、茉莉華だけじゃない。白石ゆゆもあの亡くなった甘木璃湖も、そうやって自殺に追いやられてしまったのだろう。今も目を覚まさないゆゆ、そして目の前で全てを語ってくれた茉莉華。彼女らの無念を思うと、歯痒くて仕方がなかった。


「ごめん……守ってやれなくて……先輩を助けてあげられなくて……」


 未だに流れる彼女たちの動画。舜の耳を突き刺す茉莉華の悲鳴。そして幾重にも流れ落ちた涙。胸が痛くなり、折れてしまいそうなほど締め付けられた。


「ねえ、舜君」


 動画の再生を止め、舜の顔を正視する茉莉華。


「はい……」


「私はね、あんただからこの話をしたの。あんただから、聞いて欲しいと思った。この話を聞いて、あんたが私をどう思うかは勝手だ。これから私にどう接してくれるかなんて、私がとやかく言う権利も資格もない。でもね、これだけは言わせて欲しい」


 彼女の目は真っ赤に腫れ、その瞳はゆらゆらと虚ろに揺れていた。


「天田舜君。助けてくれてありがとう。私を闇の中から救い出してくれてありがとう。命を守ってくれて、本当にありがとう。私


 ――大好き?


「こんな僕を……? こんなに何も出来なかった僕を?」


「あんただからさ。自分が傷つくのを構わずに、私を助けてくれて、弱り切った私を抱きしめてくれて、そして私に生きてほしいって心から言ってくれた。そんな男は今までいなかった。好きでもない、まだ会って数日足らずの女に、そこまでしてくれる男なんて一人もいなかった。だから、私はあんたに惚れた。だから、今、そしてこれからもずっとあんたを好きでいる。このまま押し倒したいくらい大好きだからさ」


「それ死んじゃいますよ、先輩。まだ傷完全に塞がっていないんですから」


「あはははっ、そうだったね」


 涙を流しながらも、笑い合う二人。それでも、彼女はずっと抱え込んでいた想いを吐き出し、何処か憑きものが落ちたかのようなすっきりとした顔をしていた。


「でも、感謝されるのはまだ早いです。まだ事件は何も解決していないんですから。自殺者だってまだ出続けている。僕は止めないといけない。いいや、見回りパトロール部隊は、事件を止めないといけない。亡くなった人たちのためにも、今も病院で意識が戻らないゆゆさんのためにも、そしてこんなにもボロボロになるまで傷つけられた茉莉華先輩のためにもね」


 恥ずかしそうに顔を紅潮させる茉莉華。Sキャラのイメージだったのに、いつの間にMキャラになった。これではツンデレのお手本みたいじゃないか。でも、それでも彼女のためにと思ったのは、嘘ではない。彼女から貰った気持ちには、まだ応えられないけれども、その想いは無駄にはしない。なかったことにはしない。舜は自分のために、そしてみんなのために、改めて事件を解決する決意をしたのだった。


「それで一つ質問があるんですけど、その脅しの手紙の差出人は一体、誰だったんですか? まさか元芸能プロダクションの社長ですか?」


「違うよ。誰だと思う?」


 茉莉華は舜を試すように口元を緩める。知らない人ならわかるはずもない。でも、彼女の言い方がやけに気になって仕方がなかった。


「愛。だよ」


 ――えっ?


「二年前に自殺した私たちDOLLの間宮愛。文字も丸文字で愛のに似ててさ、そんなことあるわけないのにね?」


 あるはずがない。死んだ人間が生き返るはずがない。しかし、茉莉華の話を聞いた今、間宮愛が彼女を道連れにしようとしているように思え、舜には酷く不気味に聞こえたのだった。 

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