第9話 震える身体
その夜はどうやって家に帰ったのか覚えていない。逃げ出すように病室を後にし、繁華街を制服のまま彷徨っていた気がする。
――彼女の視線から逃げたくて。
真実から目を背けたくて。そして夢現なまま、あの子に出会ったのだ。
繁華街の一角で、制服のまま平然と煙草の煙を吹かす金髪ロングの女の子。一目見てそれがラビエル学園の制服であるとわかったのは、薄ピンク色の綺麗な色をしていたからだ。女子の制服だけは犯罪的に可愛いと舜も思っていた。
――制服のまま煙草かよ。
うちの学校にヤンキーがいたのかと、驚きながら目を凝らす舜。胸まで届くほどのまっすぐのゴールドヘアーに、所謂アラレちゃん眼鏡をかけた女の子がぼおっと虚空を眺めていた。
――何をしているのだろう。
夜のメインストリートには、ヘッドライトをつけた多数の車がまだまだ往来している。歩行者だって、会社帰りのサラリーマンが大勢歩いている時間だ。そんな中、進学校の女子生徒が煙草を吸っていたら、嫌でも目につくというものだ。そしてそれが金髪の髪の長い生徒だったのならなおのことである。これも見回りパトロールついでだ。舜は彼女の煙草だけでも制止しようと思った。
「あれ、あんた確か……天田だっけ。ほら、うちの学校の子でしょ?」
先に話しかけられて、どぎまぎしてしまう舜。先制攻撃をするつもりがカウンター攻撃を浴びた形となった。しかも名前までばれているなんて……。
――あれ?
正面から見ると、彼女の顔に覚えがあった。そして舜の名前を知っている理由も俄かに悟ったのだった。
「もしかして、生徒会の喜多川茉莉華先輩ですか?」
色素の薄い赤茶色の瞳を揺らし、嬉しそうに何度も頷く茉莉華。ツンとした印象なのに、そこから砕けた笑みは人を引きつけるだけの十分な破壊力があった。流石は七大天使に選ばれ、愛ドールの一員なだけのことはある。
「あはっ、あんたから先輩なんて呼ばれるなんて何か気持ち悪いね。でも、いきなり女の子をフルネームで呼ぶのは失礼だから止めなさいよね。茉莉華でいいから」
こういう場合、逆に下の名前だけは呼べないと舜は思った。
「じゃあ茉莉華先輩。どうしてここへ? しかも煙草なんて吸って」
喫煙が悪いとは言わない。ただ年齢的に法律から外れているから悪いだけだ。もっともそんな枠組みなんて、先に生まれた人間が勝手に作りだしたエゴだと舜は思う。だけれど従わなければならないのは、国籍を与えられた人間の責務だとも舜はまた思うのだった。
「そうねー。ただ何となくなんだけどね。ここに来たくなって、ここで久しぶりに吸いたくなった。それだけ」
しんみりと夜の風景に溶け込みながら、茉莉華は白い息を吐き出す。白い肌の上で金色の髪が風に優しく靡く。行き交う車のヘッドライトに、時折その表情を照らされては、彼女は眩しそうに目を細める。そんな彼女に舜は何も言うことが出来なかった。
「煙草は止めてたんだけどね。三人でアイドル目指すって決めてからさ」
「元はヤンキーだったんですか?」
何故かそんな疑問を口にしてしまう舜。彼女の見た目の印象からは、元ヤンというイメージが一番しっくりときた。
「ぷぷぷっ、どんな質問してたんだ、あんたは。あはははっ」
お腹を抱えて笑ってくれる茉莉華。しかし、しばらく経っても彼女がそれを否定することはなかった。どうやら本物の元ヤンで間違いがないようだ。
「ゆゆを助けてくれたんだってね。ありがと」
ふいに舜に顔を向け、にっこりと微笑んでくれる茉莉華。目にかかる金色の髪の毛が、彼女を神々しく見せる。
「いえ、何も。僕はゆゆさんを助けることが出来ませんでした。もう少し早ければ、僕があと数分速く彼女を発見出来ていれば、ゆゆさんはあんな状態にならなくて済んだはずなんです」
それ以上でも、以下でもない。全ては舜の落ち度だ。ゆゆを助けられなかったのも、彼女が今目を覚まさないのも。流さなくて良い血を流したのも。
「そんなことはない。美里亜からあんな変な指令を受けて、それを真に受けてくれて。そしてまだ数日なのに、あんたはよくやってくれたよ。あんたがもう少し遅かったら、白石ゆゆの人生は確実に終わってた」
そうなのだろうか。本当に舜は彼女を救えたのだろうか。いや、足りない。彼女を傷つけさせてしまった以上、舜は何もしていないことと変わらないのだ。
「あんたみたいな人がいてくれてるってだけで、学園のみんなは救われていると思うよ。ゆゆも美里亜も、そしてこの私もね」
「本当……に?」
「うん、本当に。もし、このままもう何も起こらないとしたら、全部あんたが守ったことになるんだ。粉々になっていた生徒たちの心を、バラバラになっていたみんなの絆を、天田、あんたが救ったことになるんだ」
もし、次の事件が起こらなければ、今回のことで犯人が諦めたことになる。それはつまり、結果としては茉莉華の言うとおりなのだろう。
「そうなると良いですね。このまま事件なんて何も起こらず、ゆゆさんも目を覚まして、またいつも通りの学園に戻る。そして普段通りの美里亜さんの素晴らしいお言葉を耳にする。当たり前のことがこんなにも幸せなんだって感じられるでしょう」
感傷に浸るように、舜はそう思いを吐き出す。このまま、全てが終わってくれれば、後は連続自殺事件だけに目を向ければいい。そういえば、本来の目的は何も果たせていないのだなと、舜は苦笑するのだった。
「あははっ、そうだね。そうだといいね」
茉莉華が舜に近づき、何故か急にその手を取る。彼女の手の温もりが一気に舜に伝わる。きっとそのまままた感謝でもされるのだろうと舜は簡単に考えていた。
「でもさ、次は、私の番なんだよな」
――次?
「次って、何がですか?」
「狙われるのがさ」
――ああ!?
「愛ドールに恨みを持ってる奴の仕業でしょ。だったら次は私が殺されるんだ」
そうだった。七大天使だけに目がいっていたが、実際被害にあったのは、愛ドールの二人だった。だとすると、自ずと次の標的は高確率でここにいる茉莉華なのだ。
――どうして。
どうして気づいてあげられなかった? どうして彼女の声の変化を見落としていた? 彼女はこんなにも悲鳴を上げていたのに。誰かに助けて欲しいって泣き叫んでいたのに。だから、彼女は補導も恐れずに、この夜の街で煙草を吹かしていたというのに。
――どんだけ他人に無関心なんだ。
舜は自分で自分に嫌気が差した。
「でも、そうと決まったわけでもありません。七大天使のメンバーが一人ずつ被害にあっているだけかもしれませんし」
そんなことは思っていない。こんな言葉で彼女が安心するわけがないだろうが!
「そうね。でも、次は私。そうじゃないと収まりがつかないもの」
――収まりがつかない?
どういうことだ。彼女は何を知っているというのだ。
「茉莉華先輩。何か心当たりでもあるんですか? ただアイドル活動しているだけじゃあ、嫉妬や憧れから襲われこそすれ、殺人までには至らないと思うんです」
「ん……そうね」
さっきまでの笑顔はそこにはなく、舜の手を握ったまま、茉莉華は不安そうに溜め息をつくのだった。
「そうかもしれない」
「何があったんですか?」
舜のその問いかけに、茉莉華の手は震え、やがては唇も震え始めた。そしてその手に、熱い滴がぽつりぽつりと零れ落ちたのだった。
「昔、色々あったんだよ。みんな若かったから」
――みんな?
どういうことだ。普通の人の言葉なら、ただの思い出話で済むだろう。でも、茉莉華の言葉には、尋常ならぬ重みが感じられた。それは何だ。一体何があった。
「教えてくれませんか? 一体昔何があったのか」
茉莉華の手は瞬から離れ、彼女自身も静かに背を向けた。それは拒絶の意思の表れだったのだろう。それ以上、舜は、茉莉華に対し深掘りすることは出来なかった。
「じゃあ帰ろっか」
たまたま同じ方向だったのだろうか。舜は彼女と並んで歩いている。彼女の歩幅は小さく、ゆっくりとしていて、舜はそれに合わせるのが大変だった。道中は化学の先生がああとか、古文の先生がどうとか、学校の教師あるある話に花を咲かせていた。
しばらくすると、茉莉華は自動販売機でペットボトルのコーラを買ってくれる。わざわざ自らキャップを開けて、ポケットからサプリのケースを取り出す。そして錠剤を二・三粒中に放り込んだ。
「あんたには頑張って貰わないとだからね。今のタブレットには、アミノ酸とマカとビタミンB群が入ってるんだよ。ちょっと多めに入れすぎたから、精力付きすぎるかも?」
そう冗談っぽく笑う茉莉華。それなら、と瞬もおふざけに乗ってあげるようと思った。
「じゃあ精力余りすぎて、僕があなたを襲ったらどうするんですか、茉莉華先輩?」
「ええ? 襲ってくれるの? 私まだ処女なのに」
飲みかけのコーラを噴き出す舜。まさかそう出てくるとは思いもしなかった。
「今から私の部屋来る? 私そういうの慣れてないから、どうやったらいいのか全然わかんないけど大丈夫かな?」
「いや、すみません。僕が悪かったです。そんなつもりで言ったわけじゃないんです」
夜中だというのに道の真ん中で爆笑する茉莉華。この人には言葉遊びでは勝てる気がしない。もっとも異性について、舜がとことん疎いせいもあるのだけれど。
「あはははっ、なーんて嘘。私なんて底辺のクソビッチだから、処女とか自分で言ってて罪悪感が半端ねえー」
それはそうでしょうとも。わかってはいたけれど、それでもドキリとさせられたのは、嘘ではなかった。ある意味で良い先輩だと思った。
少し身体がふわふわとしてきた。コーラにアルコールでも混ざっていたのだろうか。それとも舜が彼女に何か特別な感情でも抱いてしまったのだろうか。
気づくと、舜の目の前に、茉莉華の顔があった。甘い柑橘系の香りが、舜の鼻孔を抉るように突き刺す。こんなにも近くに、綺麗で愛くるしい顔があったら、男でなくとも異性であってもきっと抱きしめてしまうだろう。
そして瞬も彼女の身体を引き寄せてしまうのだった。
「いいの、わかっている。同情してくれてるんだもんね。優しい子」
耳元でのその囁きが、舜の脳まで蕩けさせるようだった。
――そんなことは。
ないとは言い切れない自分が歯痒くて仕方がなかった。それでも舜はただ震える彼女を抱きしめてあげることしか出来なかった。
「守ってね。私の
そう言って茉莉華は、舜の頬に柔らかい唇をあてるのだった。そこから後のことは何があったのか舜は覚えていない。気がつくと、自分の部屋のベッドに制服のまま沈み込んでいたのだった。
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