第8話 噛み締めた想い

 目が覚めると、白い天井だった。


 部屋の中も白く、眠っていたベッドも、枕も布団さえも白だった。


 ーーああ、病室か。


 ベッド横のテーブルには、黄色とピンクのプリザーブドフラワーが飾られている。そしてその脇に、ピンク色の制服姿のあの山城美里亜が姿勢良く椅子に座り、何事もなかったかのように文庫本を読んでいたのだった。


 ーー何故?


 そう、どうして彼女がここにいるのか。瞬時にあれこれ考えを巡らす舜。その中でもっとも可能性が高いのは、パトロールを含めての自らが命じた結果だからだろう。それ以外のことは今は考えたくなかった。


 黒い艶やかな髪が、ふわりと揺れる。舜の視線に気づいたのか、美里亜と目が合う。舜が軽く一瞥すると、美里亜は安心したように、大きく息をついた。


「良かった。目覚めてくれて」


 優しく声をかけてくれる美里亜。舜だけは無事だったからだろうか。意識を失う前、あの三年七組の教室に犯人がいたかもしれないのに、舜はその後どうなったのかを、何も知らないのだ。ひよりや梨乃葉は無事だったのだろうか。いや、それよりも舜にはまず確認しなければならないことがあった。


「ゆゆさんは……?」


 暗く視線を落とす美里亜。それでも、言葉を選ぶように美里亜は視線を横に逸らした。


「聞きたい?」


 試しているのだろうか。それとも躊躇っているのだろうか。どちらにしても、事実は変わらない。彼女の言葉を引き出すためにも、舜は覚悟を決めることにした。


「聞かなければならないと僕は思っています」


 そう、とだけ呟くと、美里亜は文庫本に栞を挟み、静かに閉じた。そして舜の目をじっと見つめたまま、ゆっくりと唇を揺らした。


「白石さんは、発見が早かったのが幸いし、心肺蘇生でわ。後五分心肺停止状態が続いていたら、確実に死んでいたでしょうね。舜君。あなたのおかげね。本当にありがとう」


 ーー助っ……かったのか。


 あの絶望的な状況で、白石ゆゆはまだ息があったのか。いや、違う。彼女の息はなかったはずだ。抱きついて必死で吊った身体を降ろそうとして触れた肌は、恐ろしく冷たかったのだから。


「そ……そうなんですね。良かった」


 ーー本当に良かった。


  彼女は死んでいた。それでも、何とか間に合ったんだ。舜の行為は無駄にはならなかったんだ。胸が締めつけられ、一気に熱くなった。


「でもね、安心は出来ないの。運良く命が繋がっただけで、まだ予断を許さない状態なのは間違いがないのだから。白石さんの意識が戻らないことには、これから先どうなるか私にもわからない……このままずっと意識が戻らないことも十分考えられるから。だから私は、本当にどうしたらいいのか、今は何もわからない」


 なるほど。ゆゆはこのまま植物状態もあり得るということか。生きているだけでも奇跡なのだ。それ以上は望んではいけないのかもしれない。


 ーーただ。


 彼女が目を覚ましてくれれば、犯人が誰なのかはっきりとわかるだろう。璃湖を殺した犯人も、ゆゆを殺しかけた犯人もきっと一人なのだから。


「そういえば、三島ひよりと吉良梨乃葉は無事だったんですか?」


「ええ、無事というか、そもそもあなたが突入した後、んですって。首を吊っていた白石さん以外にはね。だから彼女たちは当然無傷だし、あなたのように意識を失うこともなかったの」


 ――何、だって?


 誰もいなかっただと? まさか、まさか。


「もしかしてまた教室の窓にも鍵が? そして入口のドアにもセメントが?」


 冗談であって欲しい。そんなわけないと言って欲しい。しかし、皮肉にも美里亜の口から発せられたのは、舜がもっとも欲していない言葉だった。


「ええ、甘木璃湖さんの時と同じで、外に通じる全ての窓は鍵がかけられていて、入り口のドアも、あなたが見たようにセメントかモルタルのようなもので固められていたようね。ただ、甘木さんの時と唯一異なるのは、犯人が急いでいたのか、ナイフの刺し方が甘かったという点ね。だから、白石さんは失血によるものではなく、ロープによる窒息による圧迫で気を失ったみたい」


 ――ああ。


 それはきっと瞬たちが、物音に気付いてしまったからだ。だから、犯人は中途半端に状況を作り上げ、仕方なく脱出したのだろう。


 ――でもどうやって?


 唯一、舜が聞いたもの、それはあの物音だ。あの音がした時に犯人は窓を閉めたと考えるべきだろう。だとすると、その時に犯人は外に脱出した可能性が高い。でも、あの時、舜は間違いなく窓から外の様子を確認した。それは隣はもちろん、その下に至るまで見逃さずにだ。


 ――透明だった?


 そんな馬鹿な。壁の色と同化でもしていない限り、舜が見逃した可能性は低いだろう。同化……同化か……。それでも壁を側面から見れば、簡単に見つけられたはずだったろう。


「ねえ、天田舜君。一体どうやったら、人は窓や壁をすり抜けられるの? どうやったら簡単に人を殺すことが出来るの?」


 美里亜の表情は思ったよりも深刻で、軽い気持ちで発言したわけではなさそうだった。そして舜と同じことをずっと考えていたのだろう。そしてその謎を解かないことには、みんなは前に進めないのだから。


「わかりません。でも、これは人間の仕業です。必ず方法があるはずです。それを……」


 そこまで言って、言葉を飲み込んでしまう舜。続きを言いたかった。言って彼女を安心させたかった。でも、舜にはその自信がなかったのだ。


「それを……?」


 飲み込んだ言葉を、何度も噛み締め、舜は大きく首を横に振るのだった。


「いえ……。とりあえず、ゆゆさんの回復を待ちましょう。それしか犯人を見つける手段はないのですから」


 また一つ、舜は彼女に嘘をついた。そしてその嘘をずっと悔やむことになるとは、今の舜にはわからなかったのだ。そう、舜は大人の階段を上ることを諦めた、ただどこまでも捻くれた少年だったのだ。


 だから、天田舜は、彼女を止めることが出来なかった。





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