第7話 それは駒のようにくるくると綺麗で
「天田さん。お取り込み中でしたか、ごめんなさい」
この状況を見ても、慌てる様子もなく、すぐにペコリと頭を下げるひより。サイドで結われた髪が、一緒におじぎをするのが、今は少し腹立たしい。
「んんんぐんんぐんっ」
口を塞がれているので予想通り、舜の声は言葉にはならなかった。それでも彼女なら状況を察してくれるかもしれない。彼女は普通の人間とは感性が異なるのだから。
「それにしても、天田さん。放課後の教室で事に及ぶだなんて、案外、節操も見境もないのですね」
――通じてねえ。
駄目だ。ただの尻軽男としか思われていない。舜はむしろそういうこととは無縁の人間なのに。見境がないまで言われたのは、人生でも初めての経験だろう。このままでは駄目だ。何とかしなければ。
「んんんああああんっ!」
否定したいがやはりまともな声にならない。人間、言葉も口も手の動きさえ封じられたら、コミュニケーションなど何も出来ないことを、今舜は思い知った。
「というわけで、私も見回りに行ってくるのです」
「んあんを?」
私もという辺り、舜が何をしていたのかは理解していたようだ。ならば今何をなすべきか彼女ならわかるはずだ。
「はい、かしこです。ではそのように」
――わかってねえし!
舜は苛立ちの余り、強引に唇を奪う彼女を首を回し退けた。
「おい! ひより! お前全然わかってないだろ?」
ぜえぜえ息を乱しながら、舜は怒声を上げる。きょとんとした様子のひよりに、舜の怒りは更に高まる。
「普通止めるだろ?! 窓の外に落ちそうなんだから助けるだろ?!」
舜の言葉に目を瞬かせた後、ひよりはゆっくりとその大きな目と口元を緩めるのだった。
「えへっ」
「えへっ、じゃねえし!」
照れ笑いするように嬉しそうなひより。そんな反応を求めていたわけじゃない。そんな笑顔を見たかったわけじゃない。舜はようやく両手を窓枠から突き放すように離し、両ひざに両手をついて息を整えようとする。
「旦那様」
そんな瞬にキスをしていた女の子が、右側からぎゅっと抱きついてくる。
「旦那じゃねえし! それに、お前は抱きつくな!」
「にゃおーん」
「あははははっ」
一体何なんだ、この学園の女たちは。勝手に勘違いをして、勝手に物事を大袈裟にしてしまう。今まで舜が表舞台に出なかっただけで、こんなにも変人ばかり集まっていたのか?
――オマエモダロ?
心の中で声がした。乾いた笑い声を上げてしまう舜。
――イマサラマットウブルナヨ。
そうだ。そうだな。この場にいる誰よりも、舜のほうが狂っているのだ。今更こんな些細なことで何を動揺しているのだ。舜は今一度冷静になろうと思った。
ひよりに事情を説明し、女の子にも偶然とはいえ、非礼をしてしまったお詫びの気持ちを伝えた。
「そんなこと、夫婦なんだから当たり前じゃない、舜君」
一応、謝ったのだから、もう無視することにした。彼女の名前は、
――いや、それはもうずっとか。
人で無くなったあの日から、天田舜はもうずっと人間性を欠いているのだ。
――化け物は僕か。
でも、何故か美里亜にだけは、心惹かれている自分が不思議でならなかった。だからこそ、見回りパトロールにも参加しているのだ。
「それで、ひよりは今から何処を見回るんだ? 暗くなるし、女の子が一人で外は危ないぞ?」
「えへっ、だから天田さんを探しにきたのですよ? 生徒会室の扉が珍しく開けっぱなしでしたし、きっと天田さんが先に動いているってわかりましたから」
なるほど。確かに生徒会のメンバーは几帳面な女の子が多い。外部に出したくない書類などもあるだろう。だから扉の施錠は必ず行うはずだ。
「ああ、そういうことか。僕は見回りついでに、四階までの道筋を再確認してたとこだった」
そう、その最中に事故に巻き込まれたのだ。
「えっ、舜君、私たちのためにそんな危ないことしてくれているの? もう泣きそう」
何が泣きそうなのかわからないが、舜は一つの疑問を口にした。
「私たちって、別に君のためにやっているわけじゃないよ?」
「えっ、だって璃湖先輩が亡くなったから、他の七大天使の子たちが死なないように見回ってくれてるんだよね?」
「ん? それがどう私たちと繋がるんだ? なあ、ひより?」
「えっと、天田さん。実はこの梨乃葉ちゃんも七大天使の一人なのですよ? だから、私たち、なのです」
――ああ。
何ということだ。舜はこれでここ二日間で、七大天使のメンバーの全員と関わってしまったのか。
――これは運命なのか。
それとも――。
「別に七大天使のためにやっているわけじゃないからな。僕は僕のためにやっているだけだ。それにまだ始めたばかりだから、大したことはやっていないわけだし」
ツンデレのように聞こえるかもしれない。しかし、瞬にとって今の気持ちに嘘はなかった。
――ガタッ。
ふと隣の教室で物音が鳴った。誰かが窓を開け閉めしたのだろうか。咄嗟に窓まで近寄り、顔を出して見る舜。隣の教室の窓からは誰も顔を出している様子もなく、もちろん壁や校舎の下にも人の気配はなさそうだった。
――誰かが聞き耳を立てていた?
「天田さん。おかしいです。さっき私が見回りをした時には、隣には誰もいなかったはずです」
「教室の扉は閉まっていたんだな? そして小窓から中を覗いたと」
「はいです。だから、まだ誰かが中にいるはずです」
聞き耳を立てていたということは、舜たちを監視しなければならない人間ということになる。
――だとしたら。
中にいるのは、少なくとも昨日の事件に関わっている人間ということになる。舜は一気に鳥肌が立った。もしかしたら、あの事件の犯人が隣にいるかもしれないのだ。
「何なに? 隣って、今は使われていない教室だよね? 元三年七組の」
何故か背筋が凍りついた。梨乃葉の物言いに、悪寒が走ったからだ。
――いる。
確実に犯人が。舜は生唾を飲み込み、勝手に走り出す心臓の動悸を何とか抑えようとする。左手を胸にあてるが、鼓動は高鳴るばかりだった。そしてその様子をまた嬉しそうにひよりは凝視するのだった。
「私が見てきます。どっちがいるかわからないですけど」
どっち? 何を言っているんだ、ひよりは。
「いや、僕が行く。相手はどんな凶器を持っているかわからないから。それに――」
自らが犯人を見定めないと、舜は納得がいかなかったのだ。
ガラガラと教室の引き戸を横に開け、隣の教室に忍び寄ろうとする舜。後部の入口はカーテンかすだれのようなものが掛けられ、中の様子が窺えない。足音を立てないように忍び足でもう一つの入口へと向かう舜。その足音とは打って変わって、心臓はバクバクと激しく音を立てている。浮足立ちしすぎて、地に足がつかないふわふわとした感じだ。
あれから物音はしていない。犯人はこちらの様子に気づいて息を潜めているのだろう。
――いや。
教室の中で影が動いている。外から入り込む夕日によって、何かがくるくると回っている影が、廊下まで映し出されている。まるで犯人が瞬たちを嘲笑いながら踊っているみたいに。
――冷静になれ。
舜はコンクリートの廊下をしっかりと踏みしめ、前の入口へと辿りついた。
二つある小窓の一つを覗く。
――ああ。
何で。
――どうして。
クルクルと教室の中央で回っていたのは、首を吊って力なく項垂れた女の子だった。
――本当にどうして。
そう、どうして。こちらの意を掻い潜るようにそれは現れるんだ? そしてその女の子の胸には、またしてもナイフのようなものが突き刺さっていた。
「何でだ!」
力を込めて、教室のドアを開けようとする舜。しかし、簡単に開くはずの引き戸は、何度横に力を入れようとも、開くことはなかった。
「くそっ、またこれかよ!」
回った女の子の顔が、一度正面でぴたりと止まる。顔は青ざめ、口からは唾液や吐瀉物が垂れ下がっている。その髪型に見覚えがあった。教室の中で首を吊っていたのは、あのツインテール白石ゆゆだった。
わかっていた。誰かが狙われることなんてわかっていた。だから舜はパトロールをしていた。
――こうなることはわかっていたのに。
「止めることが出来なかった」
舜は泣いていたと思う。泣きながら扉を蹴っていたと思う。そうして開かれた扉がまたセメントで固められていたことなんて、どうでもよくて、ただ尿や排泄物を漏らしながらも回り続ける白石ゆゆを、何とか助けたくて、必死でもがいていたのだと思う。そして天田舜は、冷たくなった彼女を抱きしめたまま、意識を失ったのだった。
――オマエガコロシタンダヨ。
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