シークレット・ブロッサム

lablabo

第1話 邂逅

 爽やかに朝日を迎え入れるはずの青い遮光カーテンは、その日一度も開かれることはなかった。


 薄暗い部屋の中、生徒会長の山代美里亜やましろみりあはベッドの上で上体を起こし、腰の辺りまで半分だけパステルピンクの布団をかぶっていた。その露出した細身の腕には、青筋だった血管や骨格までもが透けるように浮かび、何かに怯えるように小刻みに震えているようだった。


 全校生徒の中でも、異性だけではなく同性を振り返らせるほどの容姿に恵まれ、また学業でも常に全国模試で二桁の順位に入るほど秀才の彼女。しかし、そんな彼女の象徴でもあった長く艶やかな黒髪は、今は色を失ったかのようにただ力なく、少し膨らんだ胸の前にだらりと垂れ下がっている。その表情にも、かつて覇気を全体で表していたその身体からも、最早生気は感じられなかった。


 密閉された部屋の中、たった二人だけだという夢にまで見た状況。あれだけ憧れていた彼女が、今目と鼻の先にいるのに、天田舜あまだしゅんの胸はとうとう高鳴ることがなかった。


「それであなたはどうするの?」


 彼女から投げられた容赦のない追い打ち。舜なりに答えを探すが、結局は逃げ場もなくただ溜め息をついてしまう。真顔で人を動かすことが出来るのが、現生徒会長である美里亜の凄さであり、他の誰にもないカリスマ性だった。いや、少なくとも今日この時までは、舜はそう刷り込まれていたのだ。


「どうするのって、僕はどうしたらいいんですか? 美里亜さんは僕にどうして欲しいんですか?」


 事件の全てを聞いた。彼女が見たことの全てを聞いた。その上で、結局、舜には彼女にかける言葉が見つからなかったのだ。美里亜の悲しげな顔は、舜を叱責するように、胸に突き刺さった。


「結局、あなたも三島さんと一緒なのね」


 こんな言葉を聞きたいわけじゃなかった。そんな表情を見たいわけではなかった。


「あなたもみんなと同じ。常識の殻を破れない雛鳥にもなれない哀れな卵のよう……」


 冷めた表情で、舜をどこまでも追いこんでいく美里亜。それでも、舜には彼女の声に応えることが出来なかった。


「ねえ、誰か……」


 苦痛に歪むような表情で、声を絞り出す美里亜。華奢な肩が、その美しかった肩甲骨が、嘆きを表すかのように大きく揺れている。


「終わらせて、この悪夢を……」


 両腕を胸の前で組み、想いを抱え込むように俯く美里亜。ガタガタと震え、その腕の上には、ポツリポツリと滴が落ちていった。


 美里亜は、舜や三島ひよりを信じて全てを話してくれたはずだった。


 それでも舜には未だに信じられなかった。まさか、このマンションの屋上から、次々に女子生徒が飛び降り、その一人の顔が、窓の外でずっと止まって見えたなんて。その少女の顔が、美里亜に微笑みかけていただなんて。


 ――ただでさえ殺人事件が起こっているのに。


 止めなければならない事件がある。終わらせなければならない悲しみがまだ舜には待っている。だけど、どうすれば美里亜を救うことが出来るのだろう。


 愛しい彼女から目を背け、やがては背を向けてしまう舜。どうしたらいいのかわからない。自分でも何をどう解決したらいいのかわからない。逃げたいのか、忘れたいのか、それとも彼女の声にまだ溺れたいと思っているのか。彼女は泣いていた。舜が泣かせてしまったのだろう。彼女の期待に応えられなくて。いいや、彼女をどん底まで失望させて。だったら何をすべきだ。舜は何が出来る? 一度逃げた舜は何をすべきだ?


 ――今度は逃げない。


 白いブレザーの背中に突き刺さる視線が、舜に一つの答えを、いいや唯一の間違いのない想いを教えてくれたから。そしてそう、そのためだけに瞬はこの定めともいえるレールの上に乗ったのだ。やがて舜は奥歯を噛み締め、ゆっくりと拳に力を入れた。


「いいですか、美里亜先輩。ちゃんと僕が謎を解いて、ちゃんとあなたを迎えに行きます。だから、あなたはここで僕の答えを待っていて貰えませんか?」


 学校にも行けないほど憔悴しきっていた美里亜。髪だって校内で見かけたような、気品や艶などはなく、イライラに打ち負かされたように、ただぼさぼさだったはずだ。見えなくともわかることは多いと、舜は思う。そしてまた背中越しに、彼女の呼吸が乱れているのが舜には伝わっていたのだ。


「あなたに解けるの? 私がこんなにも考えてわからなかったのに。身が悶え朽ちるほど苦しんでも、答えに辿りつけなかったのに」


 頭の回転が速く知識も豊富な美里亜。でも、舜には彼女にはないものがある。男ならではの行動力がある。そしてもう外に出たがらない彼女の代わりに、立って動くことが出来る。


「だって、先輩にはが、今の僕にはあるから」


 笑っているのだろうか。それとも泣いたままなのだろうか。舜は美里亜を振り返ることなく、そっと部屋の外に出て行く。部屋の外では、美里亜の母・友里が、お盆の上にショートケーキを載せたまま、物憂げな表情で舜を見上げていた。舜は軽く会釈をすると、暗い通路を忍ぶように踏み締めていった。


 連続少女飛び降り事件と自殺に見せかけた一連の殺人事件。事故なのか事件なのか、はたまた怪奇現象なのか、呪いなのか。夢なのか、希望なのか、現実なのか、虚構なのか。全ては歯車が狂ったように、バラバラでぎこちなく錆びついていて、それでも前に進もうとした少女たちの淡い感情は、救われないと諦めた人間たちには、もう届かないのだと、舜は痛いほど、流れ落ちる血を悔いるほど思い知ったのだ。

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