第31話 救われるべきものたちへ①

「舜君の言う通りでした。四階の奥の方の女子トイレに、消臭剤の容器のような隠しカメラがありました。ひよりちゃんが見つけたんですよー? すごいでしょー!」


 汐莉からのメッセージが入ったのは、舜が山代美里亜のマンションの前に到着した頃のタイミングだった。


「それは事件の重要な証拠になる。ひよりに渡しておいてくれ」


 それからやりとりをした感じでは、映像を電波で飛ばすタイプではなく、マイクロSDカードに、映像を録画だけするタイプだったようだ。何にせよ、盗撮された被害者がいることには違いない。そしてスイッチをセットした瞬間から動画撮影されているのならば、その人物が立ち去る時の映像も残っているだろう。アナログタイプのもので良かったと舜は安堵するのだった。


 ――後は。


 山代美里亜との対決である。事件の被害者の全数を救うことは出来ない。だから、せめて助けられる人間を救うしか、舜には方法がないのだ。


 舜が彼女のマンションを訪れると、美里亜の母・友里に、中に通してもらう。


 カーテンの閉められた暗い部屋。相変わらず美里亜は、ベッドに入り、布団を腰の下までかぶったまま、上体だけを起こしている。薬品臭い室内。目の前の美里亜の顔は以前より蒼褪め、長い黒髪も更に艶を失い、そのはね具合いも一層酷いものへとなっていた。肌も乾燥し、唇はカサついている。潤いなどは微塵も感じられないし、その艶を失った視線は、何処か宙を彷徨うようでもあった。


 ――時間の問題だ。


 そう、このままでは、彼女は死んでしまうだろう。元々が危険な状態だったのだ。だから、ひよりも彼女は早く病院に行くべきだと言ったのだ。今はそれがわかる。それはそのままの意味だから。だからこそ、舜はもう一度、この山代美里亜の前に対峙したのだ。


「終わらせに来ましたよ。美里亜先輩」


「そう、随分と遅かったわね。それで私が納得のいく答えを見つけられたのかしら?」


 ゴホッゴホッと咳き込みながら、試すように舜の様子を窺う美里亜。こんな姿になってまで、今にも消えてしまいそうな身体になってまで、彼女は現実を直視出来ないでいるのだ。


 ――


 彼女の身体を。


 ――


 彼女の心を。


 ――


 消えゆく命の灯を。絶対に消しはしないと舜は誓うのだった。


「答えは見つかりましたよ。目の前で落下していく女子生徒たち。そしてその顔があなたの目の前でずっと止まって見えた理由。そしてその少女が笑っていた理由。それは至極、単純な答えでした」


「単純? あれが? あの光景が単純ですって? あなたはどうしてそう言い切れるの? 私はね、あなたがいなくなった後も、ずっと一人このベッドの上で、答えを探していたの。朝から晩まで、夜が来ても眠ることもなく、ずっとずっと……!?」


 目を閉じ、その光景を想像する舜。きっと彼女の目の前には、ずっと少女が笑っていたのだろう。彼女から見える窓には、ずっとその姿が映っていたのだろう。彼女はもうそれしか見えていなかったのだから。


「そうですよね、あなたはずっとベッドの上だった。いや、あなたがその顔を見たその日から、あなたははずです」


「な……何を言っているの? 私がそんなことを……するわけない……でしょう……?」


 顔を洗わない。トイレにもいかない。そして当然お風呂にも入らない。自らがそんな状態だと、女として、そして生徒会長の看板を背負うものとして、信じられなかったのだろう。しかし、人はある一線を越えてしまうと、それだけしか見えなくなることを、舜は思い知っている。


「この部屋の薬品の臭い。先輩のお母様が必死で介護している姿が目に浮かびます。だって、あなたのその足は、今どうなっているんですか? 布団で隠された下半身はどうなっているんですか? 先輩はこの数日間、布団を捲った記憶がありますか?」


 舜の攻撃に震え始める美里亜。怯えながらも、思い出そうとしているのだろう。この数日の間に彼女自身が何をしていたか。そして何をしていなかったのか。


「先輩が何故、布団で下半身を隠すのか、その理由はまさにあなたに見えた映像と直結しています」


 幻覚に捕らわれ、未だ震え続ける美里亜。舜は彼女を現実に引き戻すために、一つだけ嘘をつくことにした。


「美里亜先輩。あなたはあの日、このマンションのにいた。きっとある人物からの手紙で、SDカードの動画と共に脅され、みんなここに集められたのでしょう。精神的にもボロボロだった。大麻も摂取していた。そうしなければ、自分を保つことさえ出来なかったから。そして仲間がいることを知った飛び降り自殺のメンバーたちは、みんな喜んだことでしょう。だって、一人で孤独に死ぬこともなく、みんなと一緒に空に羽ばたけるのですから」


「意味がわからないわ。私は確かに窓の向こうにその顔を見たのよ。制服を着た女子たちが落ちていく映像だって、今もはっきりと記憶に残っているもの!」


「では、どうして先輩は落ちていく生徒たちの姿が見られたのでしょう? それはあなたが屋上にいて、ではないですか?」


「それは……」


「あなたがもしこの部屋から、たまたまカーテンを開けて見ていたとしましょう。でも、何故あなたは、その時間に目覚め、起きてカーテンを開けていたんですか? まだ空が白み始めたくらいの、所謂明け方という時間帯に」


「それは……音がしたからよ。何かが潰れるような鈍い音が。それで私は起こされたのよ」


 飛び降りた女の子が落下するまでの速度や重力を計算し、その破裂音を脳内で再生する舜。そしてそれが八回連続するのだ。


「ええ、音はしたでしょうね。あの高さからの落下ですから。ですが、それだけだと、あなたは顔を見れたはずがないんです。人が重力に従って落ちた場合、三階にいたあなたの目の前を通り過ぎるのは一瞬です。いや、あなたには何が落ちたのかもわからなかったでしょう。ですが、あなたは何が落ちたか知っていた。それは何故でしょう?」


 美里亜を見つめる舜。その視線に耐えられなくなったのか、美里亜は顔を真っ赤にする。


「だから、止まって見えたからに決まっているじゃない! 話にならないわ。最初から私はそれがわからないと言っているのに、あなたは何を理解したつもりになっているの? 幻滅させないでくれる? 私は可笑しくなんてなっていないのだから」


 ――後少し。


「いいえ、あなたは気がつかなかったんです。、あなたは気づかないまま、他の生徒たちの死体の上に、叩きつけられたんです。美里亜先輩。他の生徒だけじゃない。んですよ」


 そう落ちたのは、美里亜もだ。もちろん、何処からかという部分に関してだけは、舜はあえて嘘をついたのだけれども。


「違う! 私はこの部屋から見ていたの。そしてみんなが飛び降りたのを見て、嬉しそうで、幸せそうで、私も羨ましくなって……それで!?」


 ――


「そう、本当はあなたはこの部屋にいた。そして先に落ちている女の子たちが羨ましくなって、んですよね? 窓を開けてこの部屋から!」


 そう、屋上からは奇跡でも起こらない限り、物理的に助からない。だから彼女だけは、自らの部屋がある三階から飛び降りたのだ。だからこそ、足や下半身だけの損傷で済んだというわけだ。しかし、それでも、彼女の足の怪我はかなりのものだろう。痛みに耐え、苦悩に耐え、美里亜はずっと自らの幻影と戦っていたのだ。


「落ちた……の……私が落ちたの……?」


 今彼女の中で、時間が巻き戻されているに違いない。脳は自分に都合が悪い部分は補完するように出来ている。人は本能的な生き物で、いよいよの時には防衛本能が働くのだ。だから、美里亜を救うためには、彼女自らに飛び降りたと言わせる必要があった。そうしなければ、彼女の目の前にある偽りのフィルターは剥がせなかったのだから。


「そう、あなたも自殺をしたんですよ。美里亜先輩」


「でも……じゃあ……どうして女の子の顔があったのよ……目の前に……ずっと……ずっと……笑っていて……幸せそうで……私が見たあの子はどう説明するのよ……?」


「三階からとはいえ、あなたのダメージは大きかったことでしょう。そして衝撃と薬による作用で、あなたの脳の視野は究極に狭まってしまいます。パノラマ記憶、日本では走馬灯と呼ばれることが多いですが、人は突然起こった死の間際に、脳の血流不足が起こり、酸欠状態になります。それによって、感覚が遮断されると、脳は刺激が途絶えたことによって、緊急補給を思いつくんです。そして、過去に蓄えられた刺激に助けを求め、それを再処理するように出来ていると言われています。時間を引き延ばしたようなゆっくりとした時の中で、過去の映像を次々に見るといわれているのはこのためですね」


 間違いなく美里亜のケースでは、脳が死を覚悟したはずだ。多少なりとも薬による感覚遮断もそれを助けただろうが。


「つまり、死を悟ったあなたは、パノラマ記憶の状態になり、引き延ばされた時間の中で、目の前で死んでいた少女の顔をずっと眺めていたことになります。そしてパノラマ記憶が生じた人々は、ほぼ幸福感に包まれるといいます。あなたが自らの下敷きになってくれた女の子の顔が幸せそうに見えたのも、そのせいだと思います。


 それが、美里亜がどうしても、真実に辿りつけない理由でもあった。


「そして幸福感と、薬による錯覚に包まれながら、あなたは母である友里さんに拾い上げられた。友里さんが無口なのも、あなたの身体がこんな状態なのに、あなたを擁護するような行動を取るのは、自らの娘が自殺しただなんて思いたくなかったからのはずです。だから、あなたの母もまた、記憶の中から真実を消そうとした。そして自らの都合の良いものにするために、その光景だけを切り取った」


 きっと母親の友里は、美里亜の異変に気づいていたのだろう。だからこそ、彼女もまたあの日の朝、ずっと起きていたのだ。だからこそ、飛び降りてしまった美里亜を、助けにいくことが出来た。それが結果的に良い判断だったのかは、舜にはわからないのだけれど。


 これが美里亜が見た本当の光景。そして、美里亜の置かれている現実。だから、あの日、。そしてだからこそ、あの日、舜も美里亜に言ったのだ。「だって、先輩にはが、今の僕にはあるから」と。そう、あの時点で舜も本能的にわかっていたのだ。しかし、舜の脳もまた事実を都合の良いように作り上げたのだった。

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